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佐久間象山 大村益次郎遭難の碑

名所・史跡

佐久間象山 大村益次郎遭難の碑 施設情報・クチコミに戻る

佐久間象山は路上、大村益次郎は向かいの宿で遭難

  • 5.0
  • 旅行時期:2013/10(約12年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

二条・烏丸・河原町 クチコミ:18件

向かって右が佐久間象山遭難地碑、左が大村益次郎遭難地碑。
徳川慶喜に開国を説くため上洛していた佐久間象山は、普段から洋装して西洋式の鞍にまたがり都大路を闊歩していたため、攘夷派の標的にされた。彼は1864年7月11日、この付近で河上彦斎らに襲われ、死亡した。象山の首は翌日、三条河原に晒された。
記念碑は広誠院の敷地南端に設置されているが、象山が襲われたのは高瀬川対岸の木屋町通りの路上である。文献では「三条木屋町」とあるが、今日の街路では「木屋町通り御池上ル」である。日の出新聞の記事では「吉冨前」とあり、おおむね記念碑の対岸に該当する。

大村益次郎は1869年9月4日、木屋町の旅宿で刺客に襲われ重傷を負い、高瀬川から舟に乗って大阪の病院に収容され、そこで死亡した。
記念碑の対岸の路上に「兵部大輔従三位大村益次郎公遺址」という石碑があり、そこが旅宿の跡を示しているが、彼が死亡したのはこの地ではない。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
人混みの少なさ:
4.5
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2015/06/27

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