凄い勢いで自然に帰ろうとしています。
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- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
米須霊域の少し外れにある有川中将以下将兵自決之壕の碑。有川主一(ありかわもりかず)歩兵第64旅団長が沖縄戦末期の昭和20(1945)年6月21日に幕僚と共に自決した壕(ドリーネ)の脇に建立されている比較的新しい石碑です。
日本軍の組織的抵抗が終焉を迎える頃、この地は海から陸から米軍の攻撃に晒された激戦地帯となり、軍民問わず多くの犠牲者を出し、その遺体もそのまま放置されているまさしく地獄絵図の様相を呈していました。そんな中で縦穴の下部にあったガマの中で高級副官竹下勇大尉ら旅団司令部幕僚と共に自決し、第62師団隷下の歩兵旅団のひとつが終わりを告げました。
戦後米軍の統治下で集められた住民達が、土地を耕すと数限りなく出てくる遺骨を祀るために建立した〝魂魄之塔〟があり、軍関係の慰霊碑を建立するのは難しかったのであろうと想像します。碑の建立は昭和56(1981)年6月になってのこと。鹿児島県沖縄戦没者慰霊会建立と書かれていますが、その他有川中将の娘さんの名前が刻まれていたように記憶しています。
理由はどうあれ〝軍〟という組織が戦争をおっ始め、戦場になった沖縄で多くの住民が犠牲になったのは事実です。しかし〝軍〟という組織を悪く言うのは仕方がないにしろ、軍を構成している〝軍人〟を十把一絡げに悪く言うのは筋道違いではないかと思えてなりません。たとえそれが旅団長と言う軍のトップであったにせよ、家族にとっては良い父親だったことも間違いないことでしょう。
善悪の問題で人の価値を判断するのは浅はかなことだと私は常々考えています。70余年前に旅団長を含め将兵の最後の地となった場所は、今猛烈な勢いで自然に帰ろうとしています。時の流れには逆らえない事実もありますが、その形跡が例えなくなったにしてもこの場所であったことを後世に伝える碑であり続けて貰いたいと私は思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 魂魄之塔からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 慰霊の日でも訪れる方は稀なようです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は良くありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 必ずドリーネを覗き込んで下さい。
クチコミ投稿日:2019/10/30
いいね!:9票
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