源義高最期の地に建てた
- 5.0
- 旅行時期:2015/04(約9年前)
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by bluejaysさん(男性)
狭山・入間 クチコミ:2件
源義高は頼朝の追手についに捕らえられ、入間河原で藤内光澄に討たれた。享年12歳。
すると許婚の大姫は、心労から病に倒れてしまった。娘を案じた母の北条政子は、藤内光澄を討ち取ってさらし首にし、さらに義高最期の地に清水八幡神社を建て、盛大に供養した。
その後神社は入間川の洪水で流失してしまい、正確な位置がわからなくなったが、その近くに地元民が神社を再建している。
大姫はその後心身を患い、後鳥羽天皇との縁談も拒絶し、1197年20歳の若さで世を去った。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/24
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