清水冠者源義高終焉の地。
- 3.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
-
-
by リラクマさん(女性)
狭山・入間 クチコミ:27件
清水八幡宮は入間川に架かる富士見橋(古い方で、現在は一方通行です)の袂近くにあります。狭山八幡神社からは最短で行ければ700mくらいですから、10分弱です。狭い境内に小さな社があり、横には高さはありませんが幹の太い銀杏の木があります。ここは清水(志水)冠者源義高を祀っている神社です。
義高は木曽義仲の子ですが、11歳となった寿永2年(1183年)に源頼朝の娘大姫と政略結婚(元服し清水(志水)冠者と名乗る)させられ、鎌倉で暮らします。しかし、翌年には父義仲は完全に失脚し、頼朝軍に討たれてしまいます。義高は鎌倉を脱出し、一族の本拠地・武蔵国男衾(おぶすま)郡(現・埼玉県比企郡嵐山町)を目指しますが、当地入間川八丁の渡し付近で追手に捕まり、藤内光澄によって殺害されてしまいます。齢わずか12歳でした。娘大姫の悲しみを忖度した北条政子は妻の力を遺憾なく発揮して夫頼朝を抑え込み、罪のない義高を殺害した罪で藤内光澄は打首にし、この地には立派な清水八幡宮を造営しました。その八幡宮は大水で流出してしまい、後年、現在の地に地味なお社が再建されたとのことです。なお、鎌倉市の常楽寺には義高の墓と伝わる塚(木曽塚)があり、また、大姫の墓と伝わる祠もあります。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2017/06/15
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する