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大石りく生誕地

名所・史跡

豊岡

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大石りく生誕地 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11381374

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施設情報

施設名
大石りく生誕地
住所
  • 兵庫県豊岡市京町9-6
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
bluejays さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(7件)

豊岡 観光 満足度ランキング 10位
3.31
アクセス:
3.40
豊岡駅から徒歩20分 by bluejaysさん
人混みの少なさ:
4.20
バリアフリー:
3.25
見ごたえ:
3.60
  • 大石内蔵助の妻

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/05(約2年前)
    • 3

    忠臣蔵で有名な大石内蔵助の妻・大石りくの生誕地です。カバンストリートの南側入口近くに、碑と説明板がありました。このあたり一...  続きを読む帯に、生家の屋敷があったそうです。なお、少し離れた川沿いにも大きな碑があって紛らわしいですが、実際の生誕地は、説明板がある方とのことです。  閉じる

    投稿日:2023/05/31

  • 大石内蔵助の妻、陸の生誕地

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/03(約2年前)
    • 0

    JR「豊岡駅」から徒歩で15分ほどです。旧豊岡藩藩主屋敷門近くに石碑が建っています。赤穂浪士の討ち入りで有名な大石内蔵助の...  続きを読む妻、陸の生誕地です。豊岡藩家老、石束家に生まれました。19歳で大石家に嫁ぎ、討ち入りを陰で支えました。豊岡の街歩きで偶然の出会いでした。  閉じる

    投稿日:2023/03/10

  • 豊岡は赤穂事件と結びつきが強い街です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/05(約3年前)
    • 0

    赤穂事件の主役、大石内蔵助良雄の奥様 理玖は、豊岡市出身で豊岡京極家の家老     石束宇右衛門と佐々成政の子孫、快楽院の...  続きを読む長女として生まれました。
    理玖が大石家へ嫁ぎいで約15年後、赤穂浅野家の内匠頭長矩が、江戸城で吉良に切りつけ、即日切腹に処断されるという赤穂事件が起こりました。
    内蔵助は、赤穂城を明け渡すための残務処理のため、理玖や子供達と共に家老屋敷を出ましたが、理玖の父は不自由を強いられる仮宿に、但馬から珍味を送るなどして励ましていたようです。  閉じる

    投稿日:2023/03/20

  • 豊岡

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/02(約4年前)
    • 0

    豊岡市は忠臣蔵で有名な大石内蔵助の妻「りく」の生誕地です。豊岡藩の筆頭家老石束毎公の長女としてこの地に生まれたそうです。豊...  続きを読む岡市立図書館に近い道路沿いの生家跡にひっそり小さな記念碑と案内板が立っていました。  閉じる

    投稿日:2022/08/09

  • 大石りく生誕地という碑が見えたので

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/11(約7年前)
    • 0

    豊岡駅から出石に向かうバスから、大石りく生誕地という碑が見えたので、途中下車して拝見しました。橋のたもとに碑が建っているだ...  続きを読むけ。こちらは、碑ですが、近くには本当に生まれた場所があるようですが、そちらは頑張って探してもたどり着けませんでした。
    ちなみに、大石りくは、忠臣蔵の大石内蔵助の妻。討ち入りの前に、離縁して実家のこちらに帰されてもいたんですね。出石のお城まつりに先だって、豊岡では大石りくというのもあるよう。地元ではなかなか大事にされています。  閉じる

    投稿日:2018/01/11

  • 大石りくの生家は今はないのです。ただその家があった場所に碑がたっています。りくは豊岡京極家の家老である石束毎公の長女として...  続きを読む生まれたのです。その屋敷は京極家にの屋敷の近くです。今は当時の屋敷はないです。でもこの地で生まれ19歳まで過ごしたのです。静かな町でゆったりと過ごしたのでしょう。  閉じる

    投稿日:2017/05/07

  • 大石内蔵助の妻

    • 5.0
    • 旅行時期:2015/05(約10年前)
    • 0

    1669年、豊岡藩の筆頭家老石束毎公の長女としてこの地に生まれた。
    1687年、赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助良雄と結婚した...  続きを読むが、赤穂藩が改易となると、夫は吉良邸討ち入りを画策し、妻に連座が及ばぬよう離縁したので、子供たちとともに豊岡の石束家で暮らした。吉良邸討ち入りが成功すると、討ち入りに参加した長男良金は切腹、長女くうと次男吉千代は若くして夭折したが、残った子らの名声は高まり、次女るりは広島藩浅野本家の浅野直道と結婚、三男良恭は浅野本家に仕官した。  閉じる

    投稿日:2015/06/28

1件目~7件目を表示(全7件中)

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