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岡公園 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11359695

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クチコミ 5ページ目(82件)

  • 和歌山市で一番怖いすべり台

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/09(約11年前)
    • 0

    和歌山市民であれば、「岡公園」と聞いてまず思い浮かべるのは「岡公園の滑り台」ではないでしょうか。

    子供の目線から見れ...  続きを読むば隆々とそびえ立つ大きな山の上からまっさかさまに滑り降りる長大なスロープ、しかも途中に微妙な凸があるので、一瞬空中に放り出されるような感触が味わえる恐怖の滑り台。和歌山市民にとっては、これを征服することが「幼児」から「子供」への通過儀礼であるとさえ言えるように思われます。

    ちなみに、岡公園の滑り台は、和歌山の地域情報紙「ニュース和歌山」の2011年1月3日号で「未来に輝く和歌山遺産」のひとつに選定されています。(ちなみに、他の和歌山遺産は「グリーンソフト」、「和歌山ブルース」、「片男波海岸だるま夕日」、「バスケットピンポン」、「メロディーロード(紀美野町)」、「日本一楽しい山彦スポット(日高川町)」でした。)
    同紙の記事によると、この滑り台は1965年に和歌山市が設置したもので、直径11メートル、高さ5メートルのコンクリート製、正式名称は「プレイマウンテン」なのだそうです。

    ロンドンオリンピック体操競技で大活躍した田中3きょうだいの末弟である田中佑典さんは、和歌山市の広報誌「市報わかやま」の平成25年1月号で大橋市長と対談した際に、「(2011年の全日本学生体操選手権大会の時)久々に岡公園で遊ぼうと思って、あの急な滑り台に行ったのですが、今じゃもう怖くて滑れませんでした。」と告白しています。鉄棒や吊り輪で高難度の技を次々と成功させるような体操選手でも、岡公園の滑り台は怖いようです。  閉じる

    投稿日:2015/09/07

  • 不平等条約の改正を成し遂げた「カミソリ大臣」

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/09(約11年前)
    • 0

    和歌山城から三年坂通りをはさんで南側に位置する「岡公園」には、「カミソリ大臣」との異名を持った明治政府の外務大臣、陸奥宗光...  続きを読むの銅像があります。

    陸奥宗光は和歌山市で生まれましたが、15歳で脱藩して江戸に出ています。

    明治21年、駐米公使兼駐メキシコ公使として、メキシコ合衆国との間に日本最初の平等条約である日墨修好通商条約を締結することに成功。明治25年に第二次伊藤内閣の外務大臣となって以降は諸外国との不平等条約の撤廃に尽力します。
    明治27年にはイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し治外法権の撤廃に成功、次いでアメリカ、ドイツ、イタリア、フランスなど不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正に成功して治外法権を撤廃、日清戦争においてはイギリス、ロシアの中立化に成功、など輝かしい成果を挙げます。
    もし宗光のの外交手腕がなかったならば、日本は欧米列強の属国になっていたのかもしれないのです。

    宗光の唯一の外交の敗北とも言えるのが、いわゆる「三国干渉」による遼東半島の返還ですが、宗光は、この判断について後に「他策なかりしを信ぜんと欲す」と記しています。「我が国にとっては容易に受け入れられる内容ではないが、国を守るためにはこれ以外の方策は無かったであろう、そう信じたい」という意味ですが、あらゆる不可能を可能に変えた陸奥宗光の言葉であるからこそ、重みと深みのある言葉になっています。

    こうした宗光の業績を讃えて、明治40年には外務省にも陸奥宗光の銅像が建立されています。和歌山県の仁坂知事によると、外務省の敷地内に銅像が建てられている人物は陸奥宗光ただ一人なのだそうです。  閉じる

    投稿日:2015/08/27

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