和歌山城から三年坂通りをはさんで南側に位置する「岡公園」には、「カミソリ大臣」との異名を持った明治政府の外務大臣、陸奥宗光...
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陸奥宗光は和歌山市で生まれましたが、15歳で脱藩して江戸に出ています。
明治21年、駐米公使兼駐メキシコ公使として、メキシコ合衆国との間に日本最初の平等条約である日墨修好通商条約を締結することに成功。明治25年に第二次伊藤内閣の外務大臣となって以降は諸外国との不平等条約の撤廃に尽力します。
明治27年にはイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し治外法権の撤廃に成功、次いでアメリカ、ドイツ、イタリア、フランスなど不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正に成功して治外法権を撤廃、日清戦争においてはイギリス、ロシアの中立化に成功、など輝かしい成果を挙げます。
もし宗光のの外交手腕がなかったならば、日本は欧米列強の属国になっていたのかもしれないのです。
宗光の唯一の外交の敗北とも言えるのが、いわゆる「三国干渉」による遼東半島の返還ですが、宗光は、この判断について後に「他策なかりしを信ぜんと欲す」と記しています。「我が国にとっては容易に受け入れられる内容ではないが、国を守るためにはこれ以外の方策は無かったであろう、そう信じたい」という意味ですが、あらゆる不可能を可能に変えた陸奥宗光の言葉であるからこそ、重みと深みのある言葉になっています。
こうした宗光の業績を讃えて、明治40年には外務省にも陸奥宗光の銅像が建立されています。和歌山県の仁坂知事によると、外務省の敷地内に銅像が建てられている人物は陸奥宗光ただ一人なのだそうです。
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投稿日:2015/08/27