白梅学徒看護隊が最初に配属された場所です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
-
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件
八重瀬町富盛の八重瀬公園駐車場付近に?白梅学徒看護隊之壕?という石碑がひっそりと建立されています。沖縄での地上戦が始まる少し前に沖縄県立第二高等女学校4年生の生徒から構成された?白梅学徒看護隊?55名が第24師団第一野戦病院第4・5班に配属されました。戦況の悪化で新城分院(ヌヌマチガマ)が開設され、学徒隊5名が転属となりますがその後6月には分院付近が戦場となり、分院は閉鎖を余儀なくされ5名は原隊に戻ります。
しかし時既に日本軍の敗色が濃厚となっていた時期ゆえ、学徒の原隊復帰後解散命令が出されます。数人組でばらばらと逃げるもののその行くあてはなし。伝え聞いた国吉の壕へと向かう途中8名が、そして何とかたどり着いた国吉の壕で9名の犠牲者を出しています。
現在?白梅学徒看護隊之壕?の碑が建立されている場所は、?富盛上の壕?と呼ばれる?手術壕?のあった場所となっています。本部壕を含めた第24師団第一野戦病院壕の?下の壕?は落盤により入場できませんが、山道を少し上れば本部壕の入口を確認することができます。
手術壕の入口には、順番を待つ兵士がズラリと並んで順番を待っていました。その中には順番が待てずそのまま亡くなった方も多いと聞いています。「遺骨は収集されました。しかし血や肉はそのまま地面に染み込んでいます。」との一言で体を持たれ掛けていただろう岩壁近くを歩けなくなりました。勢いで行くことを悪いとは言いません。しかし知らないうちに非礼を行っていることもあるということを知り、事前に下調べは欠かせないと改めて思いました。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 車があれば便利です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方には誰もおられません。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元には注意が必要です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- この一帯が聖地のように見えました。
クチコミ投稿日:2016/06/05
いいね!:7票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する