伊勢寺
寺・神社・教会
3.30
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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雰囲気のいいお寺。
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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伊勢姫ゆかりの寺!
- 3.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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伊勢姫が晩年を過ごした地に建つ寺院です
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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JR高槻駅から北へしばらく歩いたところにある寺院です。たどりつくまで思ったより坂がきつかったです。訪れた日、暑かったことも... 続きを読むあると思います。要所要所に看板が出ているので迷わず行けたのでよかったです。
最初山門が閉まっていると思いましたが、横から境内に入れました。美しく整えられた境内です。伊勢寺は曹洞宗に属し、聖観音を本尊とする寺院です。三十六歌仙の一人で平安中期の女流歌人、伊勢姫が晩年を過ごした草庵跡に建立されたといわれています。本堂の西側には伊勢廟堂が建っています。境内の伊勢姫の代表作の歌が刻まれた句碑もありました。あじさいも少し見れました。 閉じる投稿日:2020/06/25
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境内を自由に散策
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- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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高槻が誇る寺院
- 4.5
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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小倉百人一首にも載っている平安時代の歌人、伊勢が晩年を過ごした旧居
- 3.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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平安時代の女流歌人の伊勢が晩年を過ごした旧居です。
難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや ... 続きを読む
この歌は、小倉百人一首でおなじみの三十六歌仙に数えられる伊勢が詠んだ歌です。
『古今和歌集』に女性では最多の22首が選ばれ、
伊勢は当代一流の歌人でした。
父の藤原継蔭(つぐかげ)が伊勢守であったことから、
「伊勢」と呼ばれたようです。
美しい女官であった伊勢は、様々な貴公子に愛されまますが捨てられます。
宇多天皇のお后である温子(おんし)に仕えました。
その後、宇多天皇の皇子も生みますが、皇子は早世してしまいます。
ひっそりと余生を過ごしたようです。 閉じる投稿日:2014/03/02
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平安時代の女流歌人・伊勢が結んだ庵が始まりの伊勢寺(いせじ)
- 4.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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伊勢寺(いせじ)は、大阪府高槻市にある曹洞宗の寺院で平安時代の女流歌人・伊勢(いせ、872頃−938年頃)が結んだ庵を天台... 続きを読む宗の寺に改めたものと伝えられる。戦火などにより衰退したが、江戸時代に再興され曹洞宗に改められたそうだ。
伊勢 (いせ)は平安時代の日本の女性歌人で三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)の娘で伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所〈みやすみどころ〉とも呼ばれた。
宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。その後は『源氏物語』の光源氏のモデルのひとりとされている宇多天皇の皇子敦慶親王(あつよししんのう).と結婚して女流歌人で母・伊勢とともに三十六歌仙の一人になった中務(なかつかさ)を生んでいる。
伊勢 (いせ)は情熱的な恋歌で知られ、『古今和歌集』(22首)以下の勅撰和歌集に176首が入集し、『古今和歌集』・『後撰和歌集』(65首)・『拾遺和歌集』(25首)では女流歌人として最も多く採録されている。
小倉百人一首に採用された歌
難波潟 みじかき芦の ふしのまも あはでこの世を 過ぐしてよとや
で良く知られている。
閉じる投稿日:2013/03/21
1件目~7件目を表示(全7件中)
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