吉祥寺
寺・神社・教会
3.41
吉祥寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
大塚・巣鴨・駒込 観光 満足度ランキング 8位
徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。 明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。 関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」がおかれ多くの学僧が学んだ。 第二次大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせる。
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全54件中)
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見ごたえ
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 1
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小さい頃を思い出す
- 5.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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入口に注意
- 3.5
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
- 0
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参道に釈迦如来坐像
- 3.5
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 0
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曹洞宗の旃檀林(修行所)
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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こちらの桜もとてもきれいでした
- 5.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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人も少なく桜が見頃でした
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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山門は必見
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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とても広大で素晴らしい寺院です
- 4.5
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
文京区本駒込1,2丁目と3丁目の境界を走る本郷通り沿いには寺院がかなりあり、その一つが東側の3丁目にある曹洞宗の吉祥寺で... 続きを読むす。
歩道沿いに大きな寺号標と立派な山門が建ち、山門をくぐると大きな樹木に囲まれ真っ直ぐに延びる参道になっています。
奥まで見えない長~い参道を進んでいくと、左手の樹木の中に稲荷神社や大仏などが並び、右手に墓地が見えます。
左右を見ながら1分以上歩くと、目の前がパッと開け5,60m先に本堂が見え、右手には何もない広場があり驚きでした。 また、小さく見えた本堂も近付くと大きく立派なものです。
境内には、文京区指定有形文化財 (建造物) の経蔵 (旃檀林の図書収蔵庫) があり、山門と同様1800年早々に再建された とのことです。
墓地には名の知れた方々の墓所とともに、何故か二宮尊徳 (江戸末期の農政家) の「墓碑」があります。
このようにとても広大で素晴らしい寺院なので、訪ねることをお勧めしたいところです。 閉じる投稿日:2017/09/20
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お花見
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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江戸を代表する寺の一つ、著名人もここに
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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街中にあるのにとても大きな敷地でした。
- 5.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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参道の銀杏並木が美しい寺院でした
- 4.0
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
- 1
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しだれ桜の隠れた名所
- 4.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
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意外な発見が有りました。
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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枝垂れ桜が見事です。
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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しだれ桜と桜が美しい寺です
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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曹洞宗 諏訪山 吉祥寺
- 3.5
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
- 1
文京区本駒込にある 「 吉祥寺(きちじょうじ) 」 さんは、太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ 吉祥増上 の刻印... 続きを読むが出てきたため、、現在の和田倉門のあたりに 吉祥庵 を建てたのがはじまり。 江戸城拡張工事にともない水道橋外、駿河台(現在の都立工芸高校あたり)に移転しましたが、明暦3年(1657年)明暦の大火後、現在地(本駒込)に移ったそうです。 このとき、水道橋外にあった門前町は、現在の武蔵野市吉祥寺に移ったとのだとか。 江戸期には、境内に、後の駒澤大学となる学寮 「 旃檀林(せんだんりん) 」 がおかれ多くの学僧が学んだそうです。
このお寺さんは、古地図散歩の本を見ていて、以前から訪問してみたかったところで、今回ようやく訪問することができました。 夕方の時間帯ということもあり、人も少なくちょっと寂しい境内でした。 歴史に興味があれば、このあたりを散策される際のついでに寄られたら良いかと思います。 二宮尊徳の墓は、境内左手、分かりやすい案内板がありました。 閉じる投稿日:2016/05/31
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文京区指定文化財がある寺院
- 3.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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昔の面影残る吉祥寺
- 4.5
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 4
久しぶりに吉祥寺の境内を歩きました。
昔の面影を残しつつも境内は整備され新しそうな墓所が一杯あります。
長禄2年(... 続きを読む1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内(現在の和田倉門内)に一宇を設け、「吉祥寺」と称したのがはじまりという。
天正19年(1591)に現在の水道橋一帯に移った。現在の水道橋あたりに橋は吉祥寺橋と呼ばれた。明暦3年(1657)の大火(明暦の大火)で類焼し、現在地に七堂伽藍を建立し移転、大寺院となった。
僧侶の養成機関として栴檀林(駒沢大学の前身)をもち、一千余名の学僧が学び、当寺の幕府の昌平坂学問所と並び称された。
(文京区教育委員会掲示板より引用)
境内には八百屋お七の比翼塚、江戸時代から残る経蔵があったり、大仏様があったりします。
どこにあるかよくわかりませんが二宮尊徳のお墓もあるそうです。
大仏様は私が小さいときよく登って遊んだのを思い出します。江戸時代に作られたようです。 閉じる投稿日:2015/06/14
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