貫門
名所・史跡
3.12
貫門 クチコミ・アクセス・周辺情報
この門は、慶長2(1597)年の「豊臣秀吉朝鮮出兵」に際し、十六代島主種子島久時公率いる島津軍種子島勢の水手(船員)として従軍した網切吉右衛門の功績を立てたことにより作られました。南種子村沿革史に「御沙汰書を害虫に侵され其実績を詳にすることは能はざれども口碑によれば、我が種子島に於いて作りたる木船に乗り朝鮮興善島に押しかけたとき、敵、明軍は金網を張り防禦したが我が水手は能くそれを切り破り軍を進めたりぞ」との記述があります。帰島後、その功績を後世に伝えるため、久時公より代々、貫門を立てることを許可され、さらに網切の名と帯刀を許されることになったといわれています。門の形は2本の柱を立て、上方をくりぬき、貫を通した作りになっています。この型の門は、島主の許可がなければ立てられないものでした。
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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島主の許可がなければ立てられない門
- 3.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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空港でもらった観光パンフに載っていたので訪ねてみました。南種子町と中種子町の町境近く、南種子町よりの県道588号線沿いにあ... 続きを読むります。慶長2年(1597)の「豊臣秀吉朝鮮出兵」に際し、島津軍種子島勢の水手(船員)として従軍した網切吉右衛門の武勲を後世に伝えるために建てられた門です。門は2本の柱を立て、上方に貫を通した作りになっており、この型の門は、島主の許可がなければ立てられないものだったそうです。簡素な門ですが、家の中に置かれるものと違って誰もが見ることができるので、島主に対する貢献を示す効果があったのでしょう。町指定の文化財になっています。 閉じる
投稿日:2021/05/12
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武勲に対するご褒美
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- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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南種子町役場から国道58号線を経て県道588号線を車で走って15分ほど、県道588号線沿いにあります。
「貫門」は、戦役... 続きを読むで活躍したものに与える褒美みたいなもので、慶長2年(1597年)の豊臣秀吉朝鮮出兵に際し、島津軍種子島勢の水手(船員)として活躍した網切吉右衛門の功績に対して、帰島後、その功績を後世に伝えるため、島主より代々、貫門を立てることを許可され建てられたもの。
門は2本の柱を立て、上方をくりぬき、貫を通した作りになっており、この型の門は、島主の許可がなければ立てられないものだったとか。
小さな鳥居の様な形をした貫門は特に見栄えのするものではないし、何故、これが武勲に対するご褒美という様な感じのものですが、当時、島民の誰もが目に出来るものとして効果があったのでしょう。
見落としやすいスポットで、県道588号線を島間港から1㎞あまり北上すると左手(海側)に“永松産業”という会社があります。そこからさらに300mほど走ると“柳田商店”があり、その敷地の外れに「貫門」があります。県道沿いで駐車場も無くゆっくり観るにはちょっと難しいスポットでした。 閉じる投稿日:2020/11/07
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