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七盛塚

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七盛塚 クチコミ・アクセス・周辺情報

下関 観光 満足度ランキング 34位

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言い伝えでは源平壇之浦の合戦で平家が滅亡して以来、関門海峡で海難事故が頻発し、平家の怨霊が騒ぎ出したためと恐れられていました。 下関近辺に散在していた平家の墓標をこの地に集約して1600年ごろに建てられた、平家一門の供養碑で、赤間神宮境内にあります。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    源平合戦、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門のお墓です。

    4.0

    赤間神宮にある平家一門の墓のことです。「七盛塚」や「平家塚」とも呼ばれています、赤間神宮の拝殿から左手に入ったところにあり...  続きを読むます。源平合戦壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門14名の墓があります。江戸時代に関門海峡に時化が続き船が往来できなくなった時、真夜中に海上をさまよう平家の武者、女官の亡霊が目撃されたため平家一門の墓をここに集め、墓を京都の方角に向けて供養をしたら時化は治まったとされています。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~29件(全30件中)

  • 江戸中期に作られた観光用の墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    赤間神宮境内には「平氏一門の墓」があり、平有盛・平清経・平資盛・平教経・平経盛・平知盛・平教盛・平家長・平忠光・平景経・平...  続きを読む景俊・平盛継・平忠房・平時子の14人を祀っている。「盛」のつく人が七人いることから「七盛塚」と言われるようになったが、実際は6人である。七盛塚は、板状の墓碑に俗名が大きく刻み込まれていて、誰が祀られているのか一目でわかるようになっている。鎌倉時代の墓は土を盛ったものであり、このような形式は当時のものではない。七盛塚は観光目的として、江戸中期に作られたものである。  閉じる

    投稿日:2015/07/12

  • 平家の供養塔です

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/05(約12年前)
    • 1

    山口県下関市にある、赤間神宮は、源平合戦の壇ノ浦の戦いにおいて、幼くして亡くなった安徳天皇を祀っています。
    拝殿の西側に...  続きを読む、平家一門の墓があります。
    平家一門の14名の供養塔が並び、名前に「盛」字の付く者が多いことから「七盛塚」と呼ばれています。
    源平合戦をしのばれる寺社です。  閉じる

    投稿日:2014/05/30

  • 旅行記を残すようになって
    旅先の色々を戻ってから調べるようになりました。
    片隅にひっそりとあった塚に諸々ある事を知りま...  続きを読むした。
    天明年間(1781-1789)のこと、海峡に嵐が続き
    九州へ渡る船や漁船の遭難が続出し
    海上交通を断たれた商人や壇ノ浦の漁師たちは
    生計がたたず大変困っていた。
    そんなある夜、漁師たちは荒れ狂う暗い海に
    泣き叫ぶ男女の声を聞いたので闇をすかしてみると
    そこには成仏できずに海上をさまよっているたくさんの平家武者と
    官女の亡霊の姿があった。
    漁師たちはこの災難は平家一族の怨念によるたたりであろうと考え
    其れまで供養する人もなく荒れるにまかせていた平家の墓を一カ所に集め
    京都の方に向けて手厚く供養したところ翌日からは嵐はうそのように
    おさまったという。
    この七盛塚は前列右から有盛(ありもり)、清経(きよつね)、資盛(すけもり)、教経(のりつね)、経盛(つねもり)、知盛(とももり)、教盛(のりもり)。後列は徳門、忠光、景継、景俊、盛継、忠房、二位となっており、盛りの付くのは六基しかないが、俗に七盛塚と言われ墓碑ではなく平家一門の供養塔と考えられている。
    また七盛塚の後ろには、たくさんの小さな五輪塔が
    肩を寄せ合うように埋もれているが、紅石山の土が雨に洗われるたびに
    少しずつ姿を現すと言われ、平家痛恨の執念を見るような雰囲気である。
    小泉八雲の「耳無し芳一」が平家武者の怨霊にとりつかれて、真夜中にこの一門の前で琵琶を弾じたことを想像すると、今にもチラチラと鬼火が浮かんでくるような怪しい心地がして、平家滅亡の哀れさがしみじみと胸にせまってくる。
    (サンデー下関 1997年11月7日号より引用)
      閉じる

    投稿日:2014/04/24

  • 平家一門の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    赤間神宮の拝殿左手の細い道を行き、祠の横にお墓が並んでいます。

    そのお墓は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家一門14人を...  続きを読む祀ったものです。

    そのうちの前列七人の武将を祀っていることから七盛塚と呼ぶそうです。

    今生に対する思いが強いのか、長居のできない場所でした 。  閉じる

    投稿日:2014/01/27

  • 赤間神宮内には壇ノ浦で滅んだ平家一門とその武将達の
    お墓があります。

    「七盛塚」と呼ばれますがが、14名分の供養塔...  続きを読むが並びます。

    名前も記されていますが、なかなかピンと来ないので
    大河ドラマ「平清盛」の配役も記してみました。

    (前列左から)
    平 教盛 : 清盛の弟 : 鈴之助
    平 知盛 : 清盛の四男(母は時子) : 小柳友
    平 経盛 : 清盛の弟 : 駿河太郎
    平 教経 : 清盛の弟「教盛」の次男 : ?
    平 資盛 : 清盛の長男「重盛」の次男 : 森永悠希
    平 清経 : 清盛の長男「重盛」の三男 : ?
    平 有盛 : 清盛の長男「重盛」の四男 : ?

    (後列左から)
    平 時子 : 清盛の後妻 : 深田恭子
    平 忠房 : 清盛の長男「重盛」の六男 : ?
    平 盛継 : 平家の武将 : ?
    藤原景俊 : 平家の武将 : ?
    藤原景経 : 平家の武将 : ?
    藤原忠光 : 平家の武将 : ?
    平 家長 : 平家の武将 : ?

    そうなのです。深田恭子さん演じる「時子」は
    安徳天皇と供に壇ノ浦で入水した縁でここに
    祀られています。

    このことを考えれば、必見の場所と言えるでしょう。
      閉じる

    投稿日:2013/08/13

  • 予習が必要

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/07(約13年前)
    • 0

    赤間神宮の敷地にあります。隅の方にあるので、見落とさないようにしましょう。赤間神宮に参拝する際は、源平合戦の予習・復讐は必...  続きを読む須ですね。歴史に思いを馳せることができるかできないかで、随分と印象が違うと思います。手前に耳なし芳一の像、塚の敷地内には高浜虚子の碑があります。  閉じる

    投稿日:2013/07/07

  • 七盛塚−壇ノ浦で入水した平家一門の墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/08(約13年前)
    • 0

    赤間神宮の境内に壇ノ浦で入水した平知盛、平教経、二位尼などの平家一門の墓がありました。隣りに耳なし芳一像を安置する芳一堂が...  続きを読むあります。

    墓一覧です。
     
    (前列左から)
    平教盛 平忠盛四男
    平知盛(平清盛四男)
    平経盛(平忠盛三男)
    平教経(平教盛次男)
    平資盛(平重盛次男)
    平清経(平重盛三男)
    平有盛(平重盛四男)

    (後列左から)
    従二位尼 平時子
    丹後守侍従 平忠房 
    越中次郎兵衛盛継
    飛騨四郎兵衛景俊
    飛騨三郎左衛門兵衛景経
    上総五郎兵衛忠光
    伊賀平内左衛門家長

    平忠房は、鎌倉方の降人となった後、切られたのに何故か墓があります。清経は壇ノ浦戦い以前に豊前国柳ヶ浦で入水した。壇ノ浦に入水したはずの平行盛の墓がないなど、その選定に何かいわくがあるのでしょうか。





      閉じる

    投稿日:2012/12/30

  • 平家一門の墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/04(約14年前)
    • 0

    赤間神宮境内にひっそりと眠っているのが、平家一門の武将達です。
    「○盛」という名の者が多いことから七盛塚と呼ばれます。
    ...  続きを読む
    まさに栄枯盛衰を具現化したような静かさです。
    他には二位尼も傍らに眠っています。
    全部で14名です。  閉じる

    投稿日:2013/06/12

  • 平家一門の合祀墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2011/03(約15年前)
    • 0

    赤間神宮境内に七盛塚があります。
    壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の合祀墓で、14名の供養塔が並びます。
    その後ろには無数...  続きを読むの五輪塔があります。
    海難事故の祟りを恐れて、1600年ごろに建てられたそうです。
    悲しい歴史に胸が痛みます。
       閉じる

    投稿日:2014/02/26

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
七盛塚
住所
  • 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
電話番号
083-231-4138
アクセス
JR山陽本線下関駅 バス 10分
「赤間神宮前」バス停 徒歩
下関IC 車 15分
その他
時代 平安末期
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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