関門海峡
自然・景勝地
3.95
関門海峡 クチコミ・アクセス・周辺情報
下関 観光 満足度ランキング 1位
下関市と北九州市門司区の間の幅約700mの海峡です。中世から近世へ、また近世から近代へ、日本の国が大きく変わるときには、いつもこの海峡が舞台となってきました。時代を動かす熱いエネルギー、それは1日に4度も流れを変える急潮がこの地に育てたのかもしれません。いまも日に大小約700隻の船が行き交い、風景を優しく彩る潮騒と汽笛の音は、環境庁選定「残したい日本の音風景百選」にも選ばれています。
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 3ページ目
41~60件(全198件中)
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本州と九州を隔てる海峡
- 3.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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どのような方法で海峡を渡りますか
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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本州と九州の海峡!
- 3.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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歴史を弄んだ潮流です。
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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秀吉も焦った関門海峡「与次兵衛ヶ瀬」
- 4.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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阿弥陀寺町に「姉妹都市ひろば」がありますが、その一画に「与次兵衛ヶ瀬の碑」があります。古来から海の難所だった関門海峡の逸話... 続きを読むが書かれていました。名護屋に出陣していた豊臣秀吉は、大政所危篤の報に急ぎ、大坂に戻ることにします。乗った船が関門海峡に差し掛かったところで、潮に流され「死の瀬」と呼ばれていた岩礁に座礁してしまいます。大ピンチに陥った秀吉ですが、長府毛利初代藩主・毛利秀元に何とか助け上げれます。秀吉の船の船頭の名は明石与次兵衛といい、責任をとって切腹しました。その後、死の瀬は「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれる様になり、また、危険を知らせる石碑が建立されたとのことです。なお、1912年(明治45年)から与次兵衛ヶ瀬の除去作業が行なわれ、現在はなくなっています。 閉じる
投稿日:2020/12/03
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多くの船が行き交う
- 3.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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潮の流れが早い
- 4.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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絶景
- 4.5
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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手段はいろいろ
- 4.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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通行する船がけっこう多い
- 4.5
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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狭小海峡
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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九州が近いです
- 4.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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クルーズで通りました
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 2
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下関唐戸側の関門海峡
- 4.5
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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陸続きの地、下関
- 3.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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人生で一度は行ってみたかった地に行ってまいりましたので、備忘も含めて記載させていただきたいと思います。
関門海峡の下には... 続きを読む本州・下関と門司を結ぶトンネルが建造されており、歩いて渡ることができます。今回は下関側から歩いてみました。全長は1Kmに満たない程度だったと記憶しておりますので、ものの10分もあれば歩いて渡ることが出来る仕様となっております。
とはいうものの窓があり、海中の様子を見る事が出来るわけではないので淡々と進むことになります。途中、県境にはここから下関・ここから九州と分かりやすく白線を引いてくれているので写真を撮っている方が多く見られましたのでここで記念撮影することもオススメです。 閉じる投稿日:2020/05/09
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関門橋から関門海峡を眺めました
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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狭い海峡は交通量が多い
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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本州と九州を結ぶ海峡
- 3.5
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
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関門海峡
- 4.5
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
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本州と九州を分ける狭い海峡
- 4.0
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
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