現在のお墓は地元の人々が建て直したものでした。
- 5.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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by 旅好者さん(男性)
益田 クチコミ:17件
益田の大喜庵に雪舟の墓がありました。雪舟のお墓とされるところは何ヶ所かありますが、ここは1番有力とされるところです。大喜庵の歴代の住職のお墓が並ぶ一画にありました。2段の墓石の上に扉の付いた小さな祠が乗っていました。雪舟はここにあった、当時の益田氏の菩提寺・東光寺で1506年(永正3年)に亡くなったとされています。当時としてはたいへん長寿で86歳だったとのことです。医光寺で火葬され、遺骨は東光寺に埋葬され宝篋印塔が建てられたとのことです。東光寺は焼失してしまい、益田氏も須佐に移ってしまって衰退し、その地に大喜庵という庵が結ばれたのは、雪舟200回忌を契機として、1702年(元禄15年)のことです。そして、1754年(宝暦4年)には、宝篋印塔の痛みが激しくなったので、地元の人々の手で現在のお墓に直されたそうです。小さな祠の中には宝篋印塔の1番上の相輪が収められているそうです。
お墓の真後ろに隠れる様に「雪舟禅師追褒塔」がありました。雪舟顕彰会が500回忌を記念して2005年(平成17年)に建立したもので、元のお墓の場所を保存することを目的にしたものだそうです。
墓所への入口に「画聖雪舟禅師終焉地碑」と刻まれた石碑がありました。これも没後500年記念事業として、2005年(平成17年)に建立されたものだそうです。良く見ると、中国寧波天童禅寺方丈誠信書と刻まれていました。雪舟が中国の明に渡った時に、禅の修行をした天童寺の163世住職の誠信さんの揮毫なのですね。益田市と中国寧波市とは雪舟の縁で姉妹都市だそうです。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2022/12/26
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