富山城
名所・史跡
3.83
富山城 クチコミ・アクセス・周辺情報
富山市 観光 満足度ランキング 3位
この地の豪族水野勝重(のち神保長職と改称)が、天文12年(1543年)頃築城したという。天正8年(1580年)、佐々成政が越中守護職を任じて入城、大改築を行なったが、同13年、豊臣秀吉に降ってのちは、加賀の前田利家の領有となった。寛永17年(1640年)、前田利次が富山に十万石を分封されて以降は前田氏の居城となり、十三代相継いで明治に至る。平城で、石垣・水濠跡が残る。本丸跡にたつ天守は犬山城を模して、昭和29年に復興したもの。本丸跡は公園として整備されている。◎佐々成政(1537-88) 愛知県春日井郡生れ、武将。比良城主の子。信長に仕え転戦ののち富山城主となるも秀吉に降伏。以後は肥後に転じ、失政の理由をもって尼ケ崎で切腹。51歳。◎前田正甫(1649-1706) 富山市生れ。富山二代城主。富山売薬を普及させた始祖。磯部村に五十三次の一大庭園をつくる。 【料金】 大人: 210円 団体(20名以上)170円、高校生以下無料 ※特別展開催中は料金を変更します。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
四度復活した不死鳥の城
5.0
- 旅行時期 2025/04
- by さっくんさん
神保長職が初代城主。上杉謙信がそれを奪い、彼の死後は織田信長の配下、佐々成政が入城。本能寺の変で信長が討たれ豊臣の時代にな... 続きを読むりましたが、佐々成政は小牧長久手の」戦いで徳川家康に加担、その後も秀吉に背いた為、秀吉により成政は討伐されました。これにて富山城の歴史は一旦幕を閉じます。 その後前田利長が隠居し隠居後を過ごす城として、放置されていた富山城を整備し入城しますが、火事により焼失。利長は高岡に城を築きそちらに移動し、一国一城令にて富山城は二度目の廃城となりました。 しかし巨大化し過ぎて江戸幕府に睨まれた前田家は本家の他に二つの分家を作りました。そうして生まれた富山、前田家の居城として富山城は三度生まれ変わりました。 原題では模擬天守閣が再建され四度目の姿を披露しています。 閉じる
クチコミ・評判 5ページ目
81~100件(全174件中)
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きれいな天守閣もありました。
- 4.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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石垣が見事
- 3.5
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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こじんまりしていますがきれいに手入れされています
- 4.0
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
- 0
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個性的な石垣に要注目のお城です
- 4.0
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
- 0
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駅近の城
- 4.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 0
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富山市のシンボル
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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紅葉の時も良い
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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街に近い美しい城
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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都心にある
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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道路近くに櫓が
- 4.0
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
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路線バス&市電セントラムからも見えます!
- 3.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
- 0
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駅から10分
- 4.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
- 0
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小規模な城址公園
- 2.5
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
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平地にある城
- 3.5
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
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夜のライトアップもおすすめ
- 3.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
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ちょっと小柄ですが、資料館が良かったです。
- 3.5
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
- 0
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現在は模擬天守です!!
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
- 0
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綺麗な公園にうっとり
- 4.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
- 0
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現在は富山市の郷土博物館になっている。
- 3.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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史実に基づかない模擬天守ですが、富山市のシンボルとして整備されています!
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 12
現在の『富山城』は、1954年(昭和29年)戦災復興事業の完了を機に開催された「富山産業大博覧会」の記念建築物として鉄筋コ... 続きを読むンクリート構造の「模擬天守」が建設されたものです。
「富山産業大博覧会」終了後に建物内部は、「富山市郷土博物館」として開館しています。
2004年(平成16年)には、戦災復興期を代表する建築物として「地域の景観の核」との評価により国の「登録有形文化財(建造物)」に登録されています。
また、今年2017年(平成29年)4月に「日本城郭協会」が創立50周年を記念して発表した「続日本100名城(101番~200番)」に選定(134番)されています。
その他に近代日本を代表する作曲家「滝廉太郎」が父親の仕事の都合で「富山県尋常師範学校附属小学校(旧富山城内)」に1学年途中から3学年途中まで在籍しており、彼が「荒城の月」を作曲する際のイメージした城に『富山城』が含まれているという説があります。
『富山城』の歴史は、種子島に火縄銃が伝来した1543年(天文12年)頃、この地の豪族「水野勝重」(後の「神保長職」)が築城したとされています。
その後、『富山城』をめぐり繰り広げられる一向一揆や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちによる攻防の後、織田信長の家臣「佐々成政」が富山城主となって『富山城』の大規模な改修が行われています。
「本能寺の変(1582年)」の後、1585年(天正13年)豊臣秀吉による征討をうけて「佐々成政」は降伏し、『富山城』は破却されます。
加賀・越中・能登が、加賀前田家初代「前田利家」の領有となり、加賀前田家2代「前田利長」(利家の長男)が隠居城として『富山城』や城下町の整備をしています。
1609年(慶長14年)には『富山城』主要部が焼失し、「前田利長」は「高岡城」に移っています。
加賀前田家3代「前田利常」(利家の四男)が隠居にあたり、富山藩を確立させ「前田利次」(利常の次男)が富山藩初代藩主となり、富山藩13代藩主「前田利同」の時に明治維新を迎え、『富山城』は1871年(明治4年)廃藩置県により廃城となっています。
城跡は縮小され史実に基づかない「模擬天守」となっていますが、「富山城址公園」として奇麗に整備されています。
また、城内部の「富山市郷土博物館」では、富山城の歴史をわかりやすく学べ、4階天守展望台が設置されています。
(展望台は、鳥避けの金網が張り巡らされているので写真撮影には不向きです。)
今回は時間に余裕が無かったので、じっくりと観て廻ることが出来ませんでした。
次回訪れた際は、じっくりと「富山市郷土博物館」や「佐藤記念美術館」を観て廻り、「富山城址公園」でゆっくりくつろぎたいです・・・ 閉じる投稿日:2017/06/20
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