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史実に基づかない模擬天守ですが、富山市のシンボルとして整備されています!

  • 4.0
  • 旅行時期:2017/04(約7年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

富山市 クチコミ:15件

現在の『富山城』は、1954年(昭和29年)戦災復興事業の完了を機に開催された「富山産業大博覧会」の記念建築物として鉄筋コンクリート構造の「模擬天守」が建設されたものです。
「富山産業大博覧会」終了後に建物内部は、「富山市郷土博物館」として開館しています。
2004年(平成16年)には、戦災復興期を代表する建築物として「地域の景観の核」との評価により国の「登録有形文化財(建造物)」に登録されています。
また、今年2017年(平成29年)4月に「日本城郭協会」が創立50周年を記念して発表した「続日本100名城(101番~200番)」に選定(134番)されています。
その他に近代日本を代表する作曲家「滝廉太郎」が父親の仕事の都合で「富山県尋常師範学校附属小学校(旧富山城内)」に1学年途中から3学年途中まで在籍しており、彼が「荒城の月」を作曲する際のイメージした城に『富山城』が含まれているという説があります。
『富山城』の歴史は、種子島に火縄銃が伝来した1543年(天文12年)頃、この地の豪族「水野勝重」(後の「神保長職」)が築城したとされています。
その後、『富山城』をめぐり繰り広げられる一向一揆や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちによる攻防の後、織田信長の家臣「佐々成政」が富山城主となって『富山城』の大規模な改修が行われています。
「本能寺の変(1582年)」の後、1585年(天正13年)豊臣秀吉による征討をうけて「佐々成政」は降伏し、『富山城』は破却されます。
加賀・越中・能登が、加賀前田家初代「前田利家」の領有となり、加賀前田家2代「前田利長」(利家の長男)が隠居城として『富山城』や城下町の整備をしています。
1609年(慶長14年)には『富山城』主要部が焼失し、「前田利長」は「高岡城」に移っています。
加賀前田家3代「前田利常」(利家の四男)が隠居にあたり、富山藩を確立させ「前田利次」(利常の次男)が富山藩初代藩主となり、富山藩13代藩主「前田利同」の時に明治維新を迎え、『富山城』は1871年(明治4年)廃藩置県により廃城となっています。
城跡は縮小され史実に基づかない「模擬天守」となっていますが、「富山城址公園」として奇麗に整備されています。
また、城内部の「富山市郷土博物館」では、富山城の歴史をわかりやすく学べ、4階天守展望台が設置されています。
(展望台は、鳥避けの金網が張り巡らされているので写真撮影には不向きです。)
今回は時間に余裕が無かったので、じっくりと観て廻ることが出来ませんでした。
次回訪れた際は、じっくりと「富山市郷土博物館」や「佐藤記念美術館」を観て廻り、「富山城址公園」でゆっくりくつろぎたいです・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.5
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2017/06/20

いいね!:12

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