A 八甲田死の彷徨はフィクションなのかノンフィクションなのか
資料館の説明員の方の説明に依れば、新田次郎は取材時からフィ...
続きを読むクションとして着手した。例えば、姓の一部を他の文字に置き換えている。
新田次郎は関係者に取材した際に、大隊長山口少佐が病死したのでは面白くないので拳銃自殺したことにしたと述べているとのことである。
B 八甲田山雪中行軍遭難顕彰碑の本質
資料館の内容については、NHKBSでダークサイドミステリー、八甲田山雪中行軍遭難のドキュメンタリーとの相違点はなく、驚くようなものは何もなかった。
驚いたのは、資料館の隣にある幸畑陸軍墓地である。資料館の説明員の方に依れば、隣接して、歩兵五連隊の墓があると言う。連隊の墓などは私は見たことがないと言うと、どこにでもあるのではと資料館の説明員の方は答えた。
後で調べて見ると、確かに全国各地にある。青森県下には二か所あり、いずれも連隊の駐屯地近くである。私が知らないのも無理はない、神奈川県下には一か所しかない。
一番感じた疑問は、行軍の死者の顕彰碑である。多数の死者がここに埋葬されている。
八甲田山雪中行軍のドキュメンタリーの監督は世界史上最多の死者を出した遭難事件であると言っていた。民間人が自らの意志で雪山に行き、雪山で死亡すれば、遭難である。
兵士が命令により、雪中行軍し、死亡すれば、作戦失敗の犠牲者である。
行軍に参加した兵士の多くは、召集兵である。召集した多くの若者を凍死させたことにその親達が陸軍に反感を持つだろうと陸軍は想像したのではないか。
多数の召集兵を命令に依り、反乱に参加させた二二六事件に際しても、同様の懸念を陸軍は持っていたようである。
さらにまずいことに、この事件が起きたのは、内地であり、状況が逐一、全国に報道されたようである。
陸軍がとった手段は次のようではなかったのか。問題の本質を隠ぺいすることを目的としていたのではないか。
陸軍墓地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A2%93%E5%9C%B0
1.情報統制
作戦の失敗ではなく、急な天候悪化による遭難事件と報道を誘導したのではないか。作戦の失敗となると、召集した兵を無駄死にさせたこととなる。
この誘導作戦は成功し、報道機関は遭難であり、遺族への補償を望むようになった。
同時期に雪中訓練を行った弘前第三十一連隊は無事に帰還しているのである。この弘前第三十一連隊と青森第五連隊を比較して、何故、青森第五連隊は多数の死者を出したのかとの報道はなされてないようである。
その理由は、弘前第三十一連隊は行軍には、記者を同行させ、青森第五連隊の凍死者を発見したものの緘口令が敷かれて、何も語らなかった。
2.英雄
日本人は美談が好きである。英雄も好きである。後藤房之助伍長という英雄を作り上げた。後藤房之助伍長は雪中に佇立し、遭難現場を指し示していた。救急措置により、蘇生した。これが全国に報道され多額の義援金が集まったという。
3.雪中行軍の目的と兵站
対ロシア戦を意識して、立案されたようである。要撃するのは行程中の賽の河原である。
もしも対ロシア戦を意識しての計画であるならば、大量の弾薬、歩兵砲、一週間以上の食料等も運搬する必要がある。実際に運搬されたのは一日程度の食料と途中、万一、雪中での休憩、宿泊が必要となることに備えてスコップ、燃料などを用意したのみである。
当時の仮想的であるロシアを意識して作り上げた訓練計画であるとすれば誰しも納得する。
そのための尊い犠牲者とすれば国民は納得する。
4.雪中行軍計画立案責任者
本来の責任は立案責任者の神成大尉である。十分な情報収集と準備を怠り、雪中行軍計画を立てたことに責任がある。この計画を承認したのが、大隊長山口少佐である。
神成大尉は陸軍士官学校卒ではなく、下士官から大尉になったたたきあげである。大隊長は陸軍士官学校卒である。
雪中訓練を成功させた弘前第三十一連隊の福島 泰蔵大尉は陸軍士官学校卒である。
陸軍士官学校では、歩兵操典という歩兵の運用マニュアルがある。かなり分厚い本で、宿の書架にあったのを見たことがある。一日兵一人にどの程度食料が必要なのかまで、事細かに書いてあった。
歩兵操典はフランスの翻訳、ドイツの翻訳、日本独自と変遷を続けた。陸軍士官学校では歩兵操典により、士官の教育を行っていた。
果たして、神成大尉は士官としての基礎的な教育を経てない中で、計画立案能力があったのであろうか。
福島 泰蔵大尉は弘前第三十一連隊に赴任する前は、陸地測量部班員であったことが、雪中での行軍に役立ったのではないか。
特に、豪雪の場合、ホワイトアウトという視野がなくなる現象が起きる。では福島 泰蔵大尉はどのようにして、計画通りを道を辿ることができたのであろうか。
テレビのドキュメンタリーではコンパスが凍り付いて使用できなくなると言っていた。船には羅針盤があり、豪雨の中、視界が全くない中でも一定方向に進むことができる。
福島 泰蔵大尉はどのようにして進行方向を知ることができたのであろうか。
5.責任の取り方
大隊長山口少佐の死因には複数説があり、定説はない。いずれにせよ、大隊長山口少佐が生き延びて、多数の兵卒が死亡したのではすまされないのである。
どんな死因であるにせよ、陸軍は大隊長山口少佐が早く死んでくれて助かったのではないか。陸軍は大隊長山口少佐は拳銃自殺して、武人らしく責任をとったとの噂を意図的に流したのではないか。
6.慰霊碑の建立
最も驚くべきことは、広大な土地に慰霊碑を建立したことである。中央には、大隊長山口少佐他将校の慰霊碑がある。
この慰霊碑を建設した陸軍の意図は、雪中行軍の凍死者は未曽有の豪雪による事故の犠牲者であるとしたいようである。
C 訪問のきっかけ
グーグルで酸ヶ湯温泉から浅虫温泉にいたる道路にリンゴの販売店がないか探していたところ、八甲田山雪中行軍遭難資料館を発見したので同行者の息子に頼んで立ち寄ったものである。
D 私の知識
1.映画
新田次郎著『八甲田死の彷徨』は読んではいないが、映画化されテレビで放映されたのを二三度見ている。
2.ドキュメンタリー
NHKBSでダークサイドミステリー、八甲田山雪中行軍遭難のドキュメンタリーを見ている。このドキュメンタリーは妻も、今回同行した息子の弟も見ている。
E 青森歩兵第五連隊雪中行軍のあらまし
1.目的
対ロシア戦への備え
2.訓練計画
連隊から田代までの一泊行軍。
3.犠牲者
総勢210名隊員中、199名死亡。
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投稿日:2020/11/01