沖縄県営平和祈念公園
公園・植物園
3.98
沖縄県営平和祈念公園 クチコミ・アクセス・周辺情報
糸満・ひめゆり 観光 満足度ランキング 2位
沖縄戦終焉の地となった摩文仁の地にある県営公園。園内に建設された沖縄県平和祈念資料館・敵味方の区別なく沖縄戦で戦死した23万余の犠牲者の名を刻んだ平和の礎・国立戦没者墓苑がある。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
広々とした 沖縄県営平和祈念公園
4.0
- 旅行時期 2023/05
- by Tom Sawyerさん
沖縄バスの南部戦跡バスツアーに参加申込みをして、沖縄県立平和祈念公園に行くことできました。 レンタカーを借りないとなかな... 続きを読むか訪問するのは難しくと思います。 海沿いで広大な敷地です。 巡回バス100円で乗れるので、歩くのがイヤな場合は利用すると良いと思います。 平和の礎・国立戦没者墓苑は。沖縄戦戦没者の方のお名前が日本人外国人にかかわらず、全員載っているとのこと。 検索機能の機械も設置されています。 閉じる
クチコミ・評判 7ページ目
121~140件(全469件中)
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沖縄観光の最後に訪れました
- 4.0
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 1
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平和祈念公園
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
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海が見渡せる景色の良い場所
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
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行って見ると良いと思う
- 3.5
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
- 1
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巨大な公園
- 5.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 1
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圧倒されます。
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 0
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70余年前・・・。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 10
平和祈念公園の歴史は古く、日本に返還される前の琉球政府時代に沖縄戦跡政府立公園の指定を受けたことに始まります。
昭和... 続きを読む47(1972)年5月15日の日本返還後は唯一の戦跡の国定公園となりました。陸域3,127haと海域1,932haからなる広大な公園には、都府県や軍関係・その他組織の慰霊碑が建立されている霊域の摩文仁の丘、霊域西側一帯で広場や散策路が整備されている園路広場ゾーン、公園中央部のエントランス広場近傍の平和の礎や平和祈念資料館・平和の丘・沖縄平和祈念堂等の本公園の主要な施設が整備されている平和ゾーン、北側一帯の既存施設と調和した動的レクリエーション施設の多目的広場や子供広場・展望広場等が整備されているレクレーションゾーンから成り立っています。
初めて訪れた時には平和の礎をはじめとした戦没者追悼施設のインパクトが強く、聖域というイメージが強かったのですが、戦没者追悼式典に参加するようになり、そこで行われた見苦しいヤジの応酬等を見ていると、一部の思想信教的な聖地であって、人が集まる広場なのかと疑うようになりました。
もしかすると個々の慰霊碑その他の施設が観光地化され過ぎており、聖域としては似つかわしくないように思ったのかも知れません。しばらくはそのような概念があったのですが、その見解が変わったのはやはり沖縄戦終結直後の景色を撮った写真を見たからかも知れません。
木々が全くと言っていい程見当たらない景色は、それだけ熾烈な戦いが行われた戦場であることをストレートに伝えてくれました。
それから70余年の年月が経ち、その時の様子は公園を散策する程度では全く分からなくなって来ています。経年によって戦争の爪痕を消そうとしてきた人々の努力のたまものなのかも知れません。しかしこの景色は現在のものであって、過去にはなかったことだという史実は伝えなければならないことだと考えます。
樹木のない殺風景な公園に人が来るかは結果論として、戦争の悲惨さを伝えるひとつひとつの品々を展示することより、その写真の景色を再現したジオラマを作った方がトータル面で沖縄戦を身近なものとして感じることができるのではないでしょうか?
年月が経つにつれて沖縄戦が風化することを恐れて、主観の入った話を伝え聞いても本当のことは伝わりません。それより個々の五感で見て感じて考えるようにすれば、現在のように無関心でいられないのでは・・・とふと思ったのは私だけでしょうか? 閉じる投稿日:2018/07/19
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我が祖父の眠る場所・・・と思いたい・・・。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 11
摩文仁の丘都道府県別慰霊碑の一番手前にあります。なぜ栃木県がこの場所なのかは偶々だったと言われています。
31,49... 続きを読む5柱の合祀者のうち沖縄戦没者は676柱と書かれており、その中のひとりが我が祖父です。
亡くなった母親が生前「祖父の墓には石ころが入っているだけ」と墓参りをする度に言っていました。しかしその頃沖縄戦というものが身近なものだとは思いもせず、ただ聞き流していたことが今になって悔やまれます。
母親は遺族会の旅でパスポートを持って沖縄を訪れたことがありました。しかしその頃はまだ栃木の塔は建立されてはおらず、なにを見たのかはわかりません。
その後沖縄へ行こうと母親を誘いましたが乗る気はなくそのまま亡くなりました。もしかするとそれが戦没者遺族の本音であるのかも知れません。私自身戦跡を訪ねるために沖縄を訪れるようになったのはやはり興味本位から始まったことを否定はできません。しかしまがりなりにも私に流れる血潮のルーツが沖縄にあることは事実です。
人と同じ思いを求める気は今でも毛頭ありません。ひとりの戦没者遺族の末裔として、私の目から見た戦争を語り続けたいと改めて思いました。 閉じる投稿日:2018/07/19
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礎(いしじ)とは内地の言葉の〝いしずえ〟に由来しています。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 10
平和の広場から放射状に円弧の形で拡がる黒御影石でできている刻銘板が並んでいます。沖縄戦に於ける戦没者を国籍軍民問わずその名... 続きを読むを刻み、今なお刻名者が年々増加しています。
自身も鉄血勤皇隊として沖縄戦に従軍された元沖縄県知事で昨年亡くなられた大田昌秀氏が、沖縄戦で戦没した多くの人々が経年により忘れ去られてしまうことを懸念し発案・建立されたものになります。
都道府県別慰霊碑も然りですが、あまりにも立派すぎている平和の礎に、初めて目にした頃は違和感すら感じた記憶が残っています。ただ建立にあたり色々な思惑が入っており、慰霊の日6月23日の日の出の方向に向かってメインストリートが走っているなど、立派さを競うような考えではなく、慰霊という概念から離れずに作られたことはやはり大田昌秀氏ならではの考えだと頷けます。
黒御影石の波打つような配置には、鉄の暴風の波濤が平和の波となりわだつみに折り返し行くコンセプトとデザイン表記がされていますが、大海原に向かう平和の波とはなんぞや?と思うところもありますが、わだつみの声とは戦没学徒の遺書と例えられていることを考えればなんとなくわかるような気もします。
残念ながら大田昌秀氏は昨年亡くなられました。しかし平和の礎の建立意図を曲げて闇雲な平和思想には繋げて欲しくないと思うのが私の意見です。
平和の礎を見た戦争を知らない者達が自分の感性でもって平和というものを考える・・・、そんなことが実践できる場であり続けて欲しい・・・そう改めて感じました。 閉じる投稿日:2018/07/18
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慰霊祭が行われていました。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 11
沖縄県立平和祈念公園の霊域一番手前の場所に建立されている島守之塔。沖縄戦に於いて戦没した沖縄県最後の官選知事である島田叡氏... 続きを読む他県職員が祀られています。
お恥ずかしながら沖縄戦戦没者追悼式参加4年目となる今年になって初めて6月23日に慰霊祭が行われていることを知りました。
内地でも知名度が上がっている島田知事が祀られていることから、摩文仁一帯の慰霊塔の中では訪れる者も多く、花が絶えることなく手向けられていることは知っていましたが、島田知事を崇める方々の集まりである特例財団法人島守の会が主催する戦没者追悼式には、沖縄県職員を始め島田知事の出身地である兵庫県の関係者等多くの参列者がおり、規模の大きなものとなっていました。
人が多いこともあり、通路を挟んだ場所から手を合わせることしかできませんでしたが、〝断じて敢行すれば鬼神も之を避く〟という座右の銘を、言うだけでなく実行に移した島田知事。言うことすらできないヘタレの私からは雲の上以上の人物であるとしか思えません。内地の人間ながら沖縄県民のことを第一に考えて実行し、自らは未だ行方不明となったままの島田知事の功績を称える景色に、なにか清々しい気持ちになれた私でした。 閉じる投稿日:2018/07/16
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修学旅行生が多い
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 1
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圧巻
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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忘れられない
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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碑の中に1人、立つ
- 4.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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訪れる意味のある場所
- 4.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 2
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凛とする平和祈念公園
- 3.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 1
平和祈念公園は、本島南部の糸満市の丘陵を南に望み、南東には険しく美しい海岸線を眺望できる台地にあり、沖縄戦の写真や遺品等... 続きを読むが展示された平和祈念資料館や平和の礎、沖縄平和祈念堂等がある聖地で、平和の礎は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、近年建設したものとのことです。
その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためで、礎(いしじ)とは、建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言で「いしじ」と発音することに由来するもので、平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられたそうです。
公園内はとても広く、移動手段として1人100円で公園のスタッフが運転するカートに乗車して広い公園内を案内して貰えます。
閉じる投稿日:2018/03/08
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都道府県ごとの戦没者が祭られている
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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名前が沢山刻まれている碑が並ぶ
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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平和の礎
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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平和祈念公園
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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