佃島
名所・史跡
3.38
佃島 クチコミ・アクセス・周辺情報
月島・勝どき 観光 満足度ランキング 7位
佃島は、正保元年(1644)隅田川河口を埋め立てて築造された。震災、戦災をかろうじて免れた地域で、現在も残る江戸情緒の面影と近代的なビル群を一度に眺められるのが魅力の町。 佃煮の発祥地としても有名。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
小さな入り江
4.0
- 旅行時期 2023/04
- by DAHON Travelerさん
佃島は、月島などの下町のエリアのひとつだが、いわゆるタワーマンションの走りとして知られてもいる。 ここには、江戸時代から... 続きを読む続いている入り江があり、今でも釣り船が停泊していて、往時の雰囲気を十分知ることができる。 閉じる
クチコミ・評判
3.38
(59件のクチコミ)- アクセス:
- 3.59
- 東京メトロ有楽町線・月島駅6番出口から徒歩3分程度です。 by hiroさん
- 人混みの少なさ:
- 3.63
- 下町の住宅街なので込み合うことはありません。 by hiroさん
- バリアフリー:
- 3.31
- 平坦な街並みです。 by hiroさん
- 見ごたえ:
- 3.51
- 佃公園(佃堀)からの風景は、撮影スポットとしてお勧めできます。 by hiroさん
1~20件(全59件中)
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のんびりとした下町
- 3.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
- 0
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数百年の時間軸が交差しているような感覚が楽しめました。
- 5.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
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コントラストが素晴らしい
- 4.5
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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昔ながらの風景
- 3.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 0
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「これぞ現代東京らしさを示す写真」
- 5.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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タワーマンション
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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永代橋から
- 5.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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マッチング
- 5.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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江戸時代初期に干潟地を埋立した人工島が始りです!
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 5
『佃島』は、江戸時代初期に「江戸湊」として鉄砲のように細長い形状の「鉄砲州」(現在の中央区南東部に位置する隅田川の右岸沿い... 続きを読むとなる聖路加病院がある明石町から湊のあたり)と呼ばれる砂州の沖合いにあった「石川島」(現在の中央区佃2丁目北側)南側の干潟地を徳川幕府・第3代将軍「徳川家光」の時代である1644年(正保元年)に「徳川家康」と深い関りがあり、かつて摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の名主であった「森孫右衛門」と漁師たちが徳川幕府より拝領したこの地を居住地にするために埋立した人工島(現在の中央区佃1丁目あたり)の名称です。
ちなみに「徳川家康」と摂津国佃村の「森孫右衛門」と漁師たちとの関係は、1582年(天正10年)に「本能寺の変」が起きた際に小姓衆などわずかな手勢で大坂・堺に滞在していた「徳川家康」が当時の本拠地である三河国「岡崎城」まで決死の覚悟で戻る際に「森孫右衛門」と漁師たちが提供した漁船のおかげで無事に危機を脱出することができた説のほか、天正年間(1573年から1593年)に「徳川家康」が京都上洛の際に「住吉大社」(現在の大阪市住吉区住吉2丁目)を参拝するにあたり川を渡る渡し舟がなく難儀していたところ「森孫右衛門」と漁師たちが提供した漁船を利用したという説が存在しています。
これらの出会いが縁で1590年(天正18年)に「徳川家康」が領地替えによる江戸入府に伴い「森孫右衛門」も家康のお供を命じられたと伝えられおり、その後も1599年(慶長4年)に「豊臣秀頼」を支える五大老として「徳川家康」が「伏見城」に在城した際には、「森孫右衛門」と漁師たちが御膳魚の調達をしたほか、徳川幕府・第2代将軍「徳川秀忠」の時代となった1614年(慶長19年)の「大坂冬の陣」および1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」の際に大坂付近の海上偵察および本陣への状況報告を担った功績が基で「大坂表町屋敷地」を拝領したもののその土地に持主がいたため江戸に出て末永く家康公をお仕えしたい旨を申し出たことがきっかけで江戸に呼び寄せられた記述が残されており、徳川将軍家の御菜御用の命を受けて「森孫右衛門」とその一族7人および漁師33人が江戸に移住しています。
江戸時代後期になると『佃島』は、「石川島」周辺に堆積した土砂でひとつの島のように繋がり、さらに明治時代になると隅田川の河口付近に堆積した土砂による浅瀬化が国内の近代化を進める中で欠かすことのできない船の運行に支障が生じはじめ、船の航路を確保するために堆積した土砂をさらう浚渫工事で発生した土砂を利用して『佃島』を拡張するように埋立事業計画が実施され、現在の「月島」エリアおよび「勝どき」エリアが形成されています。
さらに「太平洋戦争」末期の1945年(昭和20年)に東京の都市部が5回にわたり「東京大空襲」に見舞われていますが『佃島』エリアは被災を免れており、現在でも「太平洋戦争」以前から続く細い路地が残る下町の住宅地が残されています。
また、『佃島』エリアとは対照的に「石川島」エリアにかつての”日本の近代的造船業の発祥の地”とされる「旧・石川島播磨重工業」(現在のIHI)の東京工場跡地がタワー型超高層マンションの先駆けとなる再開発事業「大川端リバーシティ21」として1986年(昭和61年)から整備されています。
『佃島』エリアは、東京メトロ・有楽町線「月島駅」が開業する以前の「石川島」エリアにタワー型超高層マンションが建ち並び始めた頃に散策したことがありますが、今回は「築地」エリアを訪れた際に足の延ばして久しぶりに『佃島』エリアに立ち寄り「佃公園(佃堀)」から写真撮影をしてみました。
およそ35年ぶりに『佃島』エリアに立ち寄りましたが、タワー型超高層マンション群をバックに江戸時代初期の漁師町を想像できるとともに現在も下町の雰囲気が漂う「佃堀」と赤い欄干の「佃小橋」は、撮影スポットとしてお勧めできます。
機会があれば、江戸時代後期の創業の老舗佃煮屋の「佃源田中屋」(創業:1837年)・「丸久」(創業:1843年)・「天安」(創業:1859年)などに立ち寄りながら『佃島』エリアをゆっくりと散策してみたいと思います。 閉じる投稿日:2021/12/30
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下町と高層マンション群
- 3.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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懐かしい景色
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
-
懐かしい場所
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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入り江
- 4.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
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江戸時代は小島でした。
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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佃煮の店も
- 5.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 0
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古今の東京が同時に見れます
- 3.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 0
東京メトロ有楽町線月島駅が最寄り駅。
月島駅1、2、4番出口から東へ広がる、佃1丁目から佃3丁目をいいます。
佃と呼ば... 続きを読むれるこの辺りは、江戸時代佃島という人工の小島でした。
佃の地名の由来は、寛永年間(1624~1644)に摂津国西成郡佃村の漁民たちを招いて、隅田川河口の干潟を埋め立て小島に住まわせたことにあります。
40年くらい前までは漁村の名残を色濃く残していた町ですが、その後次々と「ウォーターフロント」を謳った高層マンションが林立して景色は一変しました。
それでも佃小橋近くはかろうじて昔の面影が残り、その先に聳え立つタワーマンションと対をなす景色です。
古今の東京が同時に見れるということでは貴重なスポットかもしれません。
閉じる投稿日:2020/11/16
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佃煮
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
-
島らしくない
- 3.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 0
-
入り江
- 5.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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かつての石川島も含めてぐるっと一回り
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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