元興寺塔跡
名所・史跡
3.36
クチコミ・評判 3ページ目
41~49件(全49件中)
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ならまちの街歩きの折にどうぞ…
- 4.5
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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大寺院の衰退を感じさせる
- 3.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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元興寺塔跡。礎石をみるより,庭園を楽しむところ。
- 3.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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礎石が残ります
- 4.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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今は公園のよう
- 3.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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巨大な塔があった地!
- 3.0
- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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世界遺産の元興寺とは違うお寺です
- 3.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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「史跡元興寺」として指定されている「元興寺(塔跡)」
- 3.5
- 旅行時期:2010/10(約15年前)
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「史跡元興寺」として指定されている地域は「元興寺極楽坊」、「元興寺(塔跡)」、「元興寺小塔院跡」の3か所で「元興寺極楽坊」... 続きを読むには日本最古、飛鳥時代の瓦が極楽坊禅室・本堂に残っている。
奈良時代の元興寺は三論宗と法相宗の道場として栄え、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍で寺域は南北440m、東西220m、「奈良町(ならまち)」の大部分が元は元興寺の境内であったそうだ。東大寺、興福寺が勢力を増す一方、元興寺は平安時代後半あたりから徐々に衰退している。
室町時代の1451年、土一揆で元興寺は炎上し、金堂など主要堂宇は焼失、「極楽院」、五重塔を中心とする「元興寺観音堂」、「小塔院」の3つの寺院に分裂し極楽院は奈良西大寺の末寺となって民間信仰の寺院として栄えた。
「元興寺観音堂」は東大寺の末寺となり、五重塔を中心とする寺院であったが、創建遺構の五重塔と観音堂は、江戸時代末期の1859年に焼失し、以後は衰退している。
極楽院は1955年に「元興寺極楽坊」と改称、1977年に「元興寺」と改称され2010年8月、禅室の一部に使用されている木材が世界最古のものであることが確認されている。
ならまちを歩くと元興寺の隆盛と衰退の歴史がよくわかる。
近鉄奈良駅、JR奈良駅から徒歩15分
閉じる投稿日:2012/08/19
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元興寺極楽坊とは違う寺院
- 3.0
- 旅行時期:2009/06(約17年前)
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投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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