高村山荘
名所・史跡
3.31
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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二重の套屋により大きく見えます
- 3.0
- 旅行時期:2025/08(約5ヶ月前)
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高村光太郎が過ごした小屋
- 3.5
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
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高村山荘は、彫刻家・詩人である高村光太郎が晩年の7年半を岩手県花巻市で過ごした小屋です。
1945年に宮沢賢治との縁から... 続きを読む東京から花巻市の宮沢家へ疎開した高村光太郎ですが、宮沢家も花巻の空襲で焼失したため、旧太田村山口地区であったこの地へ地元の人々の協力を得て移住したそうです。
1952年にこの山荘を離れるまでもっぱら詩作と書に専心し、書のいくつかは同じ敷地内にある高村光太郎記念館に展示されています。
建物はわずか7.5坪の小屋でしたが、光太郎の没後、保存するための套屋が建てられましたがそれも痛んできたために、さらに外側に鉄骨造りの第2套屋が建てられ、二重にカバーされています。
外側の建物と内側の建物の間の通路から中の小屋を眺められるようになっていて、通路の壁には解説のパネルなどが多数あって詳細を知ることができます。
閉じる投稿日:2022/11/19
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二重小屋
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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小さな建物でも見ごたえあり
- 5.0
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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「高村光太郎記念館」との間は散策路で結ばれており、どちらを先に見学してもいいようになっている。
建物は三重になっており、... 続きを読む外二層は保護のためのもので、光太郎が暮らした本来の山荘は一番内側にあり、一目見て、その小ささと質素さに驚いたが、後で訪れた記念館で、彼があえてここで暮らすことを選んだ理由を知って感動した。
ともあれ、内部に掲げられたパネル展示により、光太郎の生涯や、当地に来たきっかけ、また宮沢賢治との関わり等、興味深い内容を多々知ることができる。
また、来客専用に建てたというトイレは山荘に隣接しており、光太郎自らが彫った「光」の文字も見ることができた。
単なる住居跡ではないので、是非記念館とセットで見ておきたい建物だと思います。 閉じる投稿日:2018/07/17
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質素な山荘に驚き
- 3.5
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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高村光太郎の暮らしぶりを偲ぶ
- 4.5
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
- 5
十和田湖畔にある乙女の像の作者である高村光太郎が戦時中に暮らした小屋です。
花巻の市街地から車で20分少々の場所にありま... 続きを読むす。リニューアルされた高村光太郎記念館が近くにあり、ちょっと車で走れば志戸平温泉があります。
太平洋戦争の戦火が東京では激しくなって花巻に疎開した7年間を暮らしています。小屋の本体は2重の套屋(とうおく)で保護されています。したがって実際に暮らした小屋はずいぶん小さなものです。トイレの明り取りとして高村光太郎自身が彫ったとされる「光」の文字が小屋の裏側から眺めることができます。また小屋の脇からは眼下に田園風景、そして遠くの山々を望む、智恵子展望台があります。ここで亡き妻智恵子を偲んだといわれています。 閉じる投稿日:2017/01/13
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花巻の疎開先
- 3.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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町から結構離れていました
- 3.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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凄い所に住んでいた
- 4.0
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
- 1
志戸平温泉に宿泊したついでに行きました。
次の日から3月まで、冬季閉鎖ということで、深く雪が積もっていて、よくぞここに住ん... 続きを読むでいたな~とびっくりしました。
駐車場からすぐの場所に実際に住んでいた古民家、歩いて数分の所に記念館、丘の上に展望台がありました。
この日は雪が積もっていたため、展望台は登れませんでした。
古民家は、こんな小さくて粗末な所に住んでいたなんて信じられないくらいでした。
逆に都会で疲れた心を癒すのには、良かったのかもしれません。
記念館には、光太郎の作品や生活に使っていたもの、智恵子が描いた絵葉書が展示されていました。
特に父親のブロンズ像が迫力があって心を惹かれました。 閉じる投稿日:2013/09/06
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