四條畷神社
寺・神社・教会
3.26
四條畷神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
大東・四条畷 観光 満足度ランキング 6位
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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四條畷神社(大阪府四條畷):楠木正行を祀る
- 1.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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楠正行を祀る
- 3.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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南朝の忠臣 楠木正行を祀る神社
- 4.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
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楠木正行を祀る神社。
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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南北朝時代 四條畷の戦いで討ち死にした楠木正行を主祭神としている
- 2.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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「裏切りあり、内ゲバあり、骨肉の争いありと」約半世紀にわたり繰り広げられた南北朝の争乱における、随一の軍事家とされたのが楠... 続きを読む木正成です。その正成が建武3年(1336年)5月25日に、摂津国湊川で九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦で討ち死にする。その嫡子は若輩故この戦に参加させてもらえず、時代も下がる正平3年/貞和4年(1348年)1月5日、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市、東大阪市四条という説もある)における、足利尊氏の家臣高師直との間の戦いで討ち死に。これで親子二代にわたる忠魂の構図が出来上がる。四條畷神社が小楠公が無くなった場所に近いと云うことで、明治23年創建されたものです。 閉じる
投稿日:2018/10/07
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心願成就
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 1
なにわ七幸めぐりは、大阪活性化事業と神社仏閣活性化を目的に始まりました。
大阪を代表する7社寺(大阪天満宮・住吉大社・... 続きを読む四條畷神社・大念佛寺・太融寺・今宮戎神社・四天王寺)を巡拝することで、それぞれの社寺でご利益が授けられ、7つの幸せを招くとされています。
四條畷神社は「心願成就」のご利益を頂ける神社として選定されています。
生駒山系の飯盛山の麓に鎮座、参道は登りになっているので少しきついかも。
その分自然が豊かで気持ちの良い神社です。
御祭神・楠正行公は楠正成公の嫡男、父は大楠公、息子は小楠公と呼ばれ、親しまれました。
参道の起点にある小楠公御墓所にあるクスノキの巨木は必見です。 閉じる投稿日:2018/09/28
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星田三山に登り、四条畷神社に下りました
- 3.5
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 2
星田三山を縦走する予定でしたが、北山師岳登山途中、スズメバチに遭遇し、引き返して星田山と日高山登山に変更しました。思わぬト... 続きを読むラブルに遭遇しました。日高山からは急下りを経て四条畷神社に降りました。神社は小楠公さんとよばれ楠木正行を祭神とし、明治中期に建立。駅のそばに大鳥居があり、神社まで長い参道が続く。本日のコース、標高差は200M強であり、距離も12KMとこの会では短く、アップダウン数も余り多くなく、歩きやすい登山道でしたが、天気は快晴で暑くバテました。秋か冬枯れの季節には良いコースと思われます
山歩き 大阪府四条畷市 星田山(標高278M)標高差200 M強 星田三山を歩く予定、スズメバチが行く手を阻む 全行程 4時間17分
「日時」2017年8月20日 快晴
「アクセス」星田駅
閉じる投稿日:2018/08/02
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楠木正成公を祀る、四条畷神社!
- 3.0
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
- 0
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四條畷の戦いで敗死した楠木正行(くすのき まさつら)を主祭神とする四條畷神社
- 4.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行(くすのき まさつら 生年不明−... 続きを読む1346年)を主祭神とし、楠木正時、楠木正家、和田賢秀ら一族の将士24人を祀っている。
正行の父・楠木正成(くすのき まさしげ 生年不明−1336年)が明治政府によって大楠公として神格化されたのに伴い、父の遺志を継いで南朝のために戦い、命を落とした嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と崇められるようになり1890年に四條畷神社が創建されている。境内には「桜井の別れ」の像がある。正式には「桜井駅の別れ」といわれ、1336年の湊川の戦い直前に、西国街道の桜井の駅(現在の大阪府島本町)で交わされたという、楠木正成・正行父子の今生の別れで「太平記」の名場面のひとつ。天皇への忠誠を伝える美談として、戦前までは国語や修身の教科書に必ず載っており日本中の人たちが学んだ逸話だった。
足利尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)の十万以上の軍勢に対し、新田義貞(にった よしさだ1301−1338年)を総大将とするわずかな軍勢の朝廷方では勝てないと見ていた正成は尊氏と和睦するか、比叡山に上り都に足利軍を誘い込んだ後兵糧攻めにするべきだと後醍醐天皇(ごだいごてんのう1288−1339年)に進言したが説得することができず死を覚悟して湊川の戦場に赴かざるを得なかったとされる。
正成は自分の死を予測して11歳の嫡子・正行に対し「生き残って、いつの日か朝敵を滅せ」と諭し、後醍醐天皇から下賜された菊水の紋が入った短刀を授け今生の別れを告げ故郷の河内へ帰したとされている。正行は成長して1348年の四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)で足利尊氏の腹心・高師直(こう の もろなお生年不明−1351年)と戦ったが楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決したとされている。「桜井の別れ」は史実として異論もあるが、皇国思想を国民に徹底教育した明治時代から第2次世界大戦に敗れるまで代表的な尊王教育の教材のひとつだった。
四條畷神社には40年も訪れていなかったが、ずいぶん整備された美しい神社になっていた。
四條畷神社--http://www.genbu.net/data/kawati/sijyounawate_title.htm
日本の旅 関西を歩く 大阪、四条畷市の四条畷神社周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10393620/
(写真は四條畷神社)
閉じる投稿日:2010/11/10
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