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寛永寺

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寛永寺 クチコミ・アクセス・周辺情報

上野・御徒町 観光 満足度ランキング 15位

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江戸城の鬼門鎮護の目的で寛永二年(1625)天海大僧正により創建されました。徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、全盛期は上野公園のほとんどが寺域で、30余の堂塔伽藍と36の子院を誇っていました。現本堂は、明治12年(1879)天海僧正ゆかりの埼玉県川越喜多院から本地堂を移築したものです。本尊は薬師如来です。清水観音堂、輪王寺門跡、御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門等重要文化財に指定されています。山号は東叡山。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    寛永寺は36の子院からなり、その総本堂が「根本中堂」でした。

    4.5

    「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、...  続きを読む平安時代に桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖「伝教大師最澄上人」が開いた「比叡山延暦寺」が、京都御所の鬼門に建立されたことにならったものです。また、「寛永寺」は創建時の元号を使っています。かつては元号を冠するには朝廷の許可が必要でした。延暦7年(788年)創建の「延暦寺」を皮切りに、京都の「仁和寺」や鎌倉の「建仁寺」と「建長寺」など、勅許を得た「元号寺」は数えるほどしか残っていません。それでは、ここで「寛永寺」の歴史と概要を紐解いてみると、寛永2年(1625年)に、江戸城の鬼門(東北)にあたる「上野の山」に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、「徳川家康」、「徳川秀忠」、「徳川家光」の3代にわたる将軍から深く信奉され、幕府の指南役として活躍した「慈眼大師天海大僧正」によって建立されました。その総本堂にあたる「根本中堂」は、元禄11年 (1698年)に現在の上野公園内「大噴水」(竹の台噴水)に建立されました。その後、第4代将軍「川家綱」の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。以後は5代将軍「徳川綱吉」、8代将軍「徳川吉宗」、10代将軍「徳川家治」、11代将軍「徳川家斉」、13代将軍「徳川家定」の豪華な霊廟が、次々と造営されました。幕末、最後の15代将軍「徳川慶喜」は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、「寛永寺」で謹慎生活を送りました。江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした「葵の間」には、今でも愛用の品などが残されている。「徳川慶喜」は神道式の葬儀を望んだため、谷中霊園内の寛永寺墓地にある一橋家墓所の隣で永眠しています。そして、東叡山主を皇室(「輪王寺宮」)から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。慶応4年年(1868)、「上野戦争」の際に焼失してしまいた。その後、明治12年 (1879年)に「川越喜多院」の本地堂を山内子院の「大慈院」(現在の「寛永寺」)の地に移築し、再建したのが現在の「根本中堂」になります。御本尊は、「伝教大師最澄上人」がみずから彫ったと言われる「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしています。また、「東叡山寛永寺」は、かつては、「清水観音堂」、「不忍池辯天堂」、「 五重塔」、「開山堂」、「大仏殿」など36もの子院などを有する大寺院でした。「寛永寺」の境内は「上野公園」の土地を中心に30万5000坪に及び幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇りました。 「本堂」内も見学することができます。しかし、秘仏のため「薬師瑠璃光如来像」は拝観することはできませんでしたが、その代わり、堂内には御本尊さんの他に、「日光・月光菩薩像」や「十二神将像や四天王像」など迫力ある仏像が安置され見ごたえ十分でした。パワーをもらったうえに、無料なので得した気分でした。 本堂から出て上を眺めると「瓦」には「寛永寺」の文字が施され、「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。また、門にも「三つ葉葵」が装飾されていました。上野公園から少し歩きますが、途中にも歴史的建造物やモニュメントもありますので、必見の場所です。「根本中堂」の見どころ等の情報は下に箇条書きにしてありますので、合わせてご覧ください。 01_【「寛永寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園14  ⑵ 問い合わせ 寛永寺 電話:03-3821-1259 ⑶ 開門時間 9:00〜17:00 ⑷ 本堂の拝観時間 10:00〜16:00 02_【「寛永寺」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用した場合 ① JR「上野駅」公園口から徒歩13分1km ② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩18分1.4km ③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩18分1.4km ④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m ⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合 ① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺バス停」下車から徒歩すぐ 03_【「寛永寺根本中堂」の見どころ】 ⑴ 「本堂」(根本中堂) 天台宗の寺院では、比叡山にならって「本堂」を「根本中堂」と呼ぶことがあります。「寛永寺」の「根本中堂」は、以前は上野公園の噴水広場にありましたが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建されました。そして、国の登録有形文化財に指定されている「本堂」(根本中堂)には、国指定重要文化財の「薬師瑠璃光如来像」が安置されており、「寛永寺」の秘仏となっています。「本堂」(根本中堂)の「木鼻」には、「獏」と「獅子」そして「蟇股」には「鶴」が彫刻されていました。また、「瓦」には「寛永寺」の文字が刻まれていました。「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。それもそのはず、「寛永寺」は徳川家の菩提寺なので、徳川家の「家紋」を「寺紋」として使っているからです。 ⑵ 「鐘楼」 「鐘楼」は天和元年(1681年)に建立され、「高さ」が177.2cm、鐘の「口径」は91.8cmの「銅鐘」です。この「鐘楼」は歴史があり、徳川幕府4代将軍「徳川家綱」の1周忌に奉献されたものだそうです。この「鐘」は、もともと「徳川家霊廟」の「鐘楼」に吊るされていましたが、明治時代に「寛永寺根本中堂」に移設されました。そして、「「寛永寺」の除夜の鐘は、境内にある「鐘楼」と、旧境内である上野公園内に残る「時鐘堂」の両方で撞かれます。ちなみに、上野公園にある「上野大仏」の近くある「時鐘堂」は、大晦日以外もいまでも毎日3回時を告げている時の鐘です。 ⑶ 「了翁禅師堂」 「寛永寺根本中堂」の境内には「了翁禅師堂」という「お堂」があります。「了翁禅師」は、江戸時代前期の僧侶で秋田県出身です。貧しい農家に生まれ、11歳の若さで出家し、修行をしながらたくさんの書物を集めていたそうです。そして、諸国を巡るうちに霊薬の処方を夢に見たことから、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を売ります。その利益で「了翁禅師」は、難民救済や「不忍池」に経堂を建てて文庫を創設し、さらには「寛永寺」の境内に「勧学寮」と「文庫」を建立しました。何とこれが日本で最初に一般公開された「図書館」と言われています。 ⑷ 二つの大きな「鬼瓦」 「寛永寺根本中堂」の境内には、大きな「鬼瓦」が二つありました。どうやらこの「鬼瓦」は、もともと「寛永寺」の「旧本坊表門」と「根本中堂」の鬼瓦据えられていたものらしいです。特に、向かって右側にある「鬼瓦」は、現在「黒門」と通称される国の指定重要文化財である「寛永寺旧本坊表門」に据えられていたものです。「旧本坊表門」は、寛永元年(1624年)に「天海大僧正」により建てられたもので、歴代の「輪王寺宮」が住んだ場所の門として知られていました。昭和12年(1937年)に、現在の「東京国立博物館」の地から「両大師堂」の隣に移築されています。 ① 「旧本坊表門」の「鬼瓦」 ② 「根本中堂」の鬼瓦 ⑸ 「銅燈籠」 大きな「銅燈籠」が2基ありますが、残念ながら。記銘が見当たりません。元はどこにあったのか所在は不明です。 ⑹ 「石燈籠」 大きな「銅燈籠」ばかりでなく、「社務所」の前には大きな「石燈籠」が1基のみあります。この「石燈籠」は南部重直盛岡藩主が奉献したものです。「石燈籠」には、「奉献石燈籠両基 武州東叡山 大猷院殿尊前 慶安四年辛卯歳十二月廿日 従五位下南部山城守源重直」と刻まれていました。 ⑺ 「水盤」 「水盤」は元禄11年銘がきされています。コケが薄らと外側を覆い歴史を感じます。 ⑻ 「慈海僧正墓」(都旧跡) 「慈海僧正墓」は「寛永寺根本中堂」に向かって右側にあります。「了翁禅師堂」に比べると、「学頭」の割には小さく、質素なものです。「慈海僧正」は、「寛永寺一山」を統括する「東叡山凌雲院」の4代目の学頭でした。「慈海僧正」は、「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻などの著作があります。聖観世音菩薩像である墓石は、当初「凌雲院」境内墓地にありましたが、東京文化会館の建設のため「寛永寺」に移築されました。 ⑼「尾形乾山墓碑・乾山深省蹟」 「慈海僧正墓」の隣には、「墓」と「尾形乾山」を讃える「顕彰碑の写し」があります。「尾形乾山」は江戸時代を代表する画家であった「尾形光琳」の弟で、絵師や陶芸家として活躍した人物です。入谷に開いた入谷窯の作品は「入谷乾山」として高く評価されています。光琳を敬慕する江戸時代後期の絵師の「酒井抱一」の手によって探り当てられ、この「乾山深省蹟」顕彰碑が建てられたといわれています。 ⑽ 「上野戦争碑記」 ひときわ大きく、誰の眼にもとまるのが「上野戦争碑記」です。幕末の明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した「彰義隊」と「明治政府軍」との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる「阿部弘蔵」が、「上野戦争」の経緯を記したものです。寛永寺はこの上野戦争で被災し、明治時代初期に敷地の大部分は上野公園となりました。 ⑾ 「虫塚」 「虫塚」は、伊勢長島藩主であった増山雪斎が写生に使った昆虫の慰霊のために建てた碑です。「増山雪斎」は、江戸の文人「大田南畝」や大坂の豪商「木村兼葭堂」など広く文人墨客と交流を持ち、写実的な画法で多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、指定有形文化財として指定されています。その昆虫も碑を建ててもらえるとは幸せですよね。   閉じる

クチコミ・評判 5ページ目

81~100件(全323件中)

  • 江戸城の鬼門に建立されたお寺

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/02(約6年前)
    • 0

    上野駅より20分程度歩きます。かなり広い敷地をもったお寺で、鶯谷の駅からの方が近いかもしれません。江戸城の鬼門(東北の方角...  続きを読む)に建立されたとガイドブックには書いてありました。江戸時代の建立なので歴史に興味がある人は必見の場所です。  閉じる

    投稿日:2020/04/26

  • 葵の御紋がたくさん

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/02(約6年前)
    • 0

    徳川将軍の菩提樹でもある上野にあるお寺さん。現在の社殿は幕末の上野彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争で大部分が消失してしまっ...  続きを読むているようです。掲題のいろいろなところに刻印されている葵の御紋が由緒の正しさを物語っていますね。  閉じる

    投稿日:2020/02/20

  • 黒漆塗りの重厚な門

    • 5.0
    • 旅行時期:2020/01(約6年前)
    • 0

    寛永寺の旧本坊表門は、バス駐車場寄りの場所に置かれています。上野戦争でも焼失しなかった貴重なものです。帝国博物館(東京国立...  続きを読む博物館)の正門として使われた後、現在地へ移築されました。黒漆塗りの重厚な門、なかなか見られないもので御立派です。  閉じる

    投稿日:2020/03/16

  • 厳かな雰囲気

    • 4.5
    • 旅行時期:2020/01(約6年前)
    • 0

    上野公園の2倍もある広大な敷地だった寛永寺ですが、上野戦争を始め重なる自然災害等で公園内も点在する形となりました。公園北、...  続きを読む鶯谷駅付近は、徳川歴代将軍御霊廟の場所で、上野駅寄りは、開山堂や旧本坊表門等があります。門を潜ると、厳かな雰囲気に包まれます。江戸城鬼門封じの場所として特にこの場所の意味合いは強力です。  閉じる

    投稿日:2020/03/15

  • 立派な人物

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。鶯谷駅のすぐそばにある天台宗の寺院寛永寺の境内に「了翁禅師塔碑」はあり...  続きを読むます。了翁禅師とは江戸時代前期の日本三禅宗のうちのひとつ、黄檗宗の僧である了翁道覚のことです。初めて目にする名前だったので調べてみましたが、了翁道覚は仏門に対して非常に厳しく真剣であり、修行の妨げになるからと自らの男根をカミソリで切り落とすなど、修行に対しては徹底した態度で臨んでいました。また社会活動にも熱心で、災害のたびに多くの人を助けた記録が残されています。私が知っている僧侶の中でも最も立派な人物の一人になり、よい勉強の機会になりました。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 陶工・絵師

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。鶯谷駅のすぐそばにある天台宗の寺院寛永寺の境内に「尾形乾山墓碑 乾山深...  続きを読む省蹟」はあります。尾形乾山は江戸時代中期に活躍した陶工・絵師で、同じく画家の尾形光琳の弟にあたります。入谷に窯を開いて、作品を作っていたそうです。1743年に没後は下谷坂本の善養寺に葬られましたが、月日の経過とともに忘れ去られてしまい、尾形光琳の画風を慕う酒井抱一によって見つけられ、顕彰碑がたてられたとの事です。ただ、こちらにあるものはレプリカといいますか、もともとの顕彰碑は豊島区西巣鴨に移転した善養寺にあるそうです。復元されたものとはいえ、歴史を感じさせる雰囲気がありました。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 東叡山凌雲院の住職

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。鶯谷駅のすぐそばにある天台宗の寺院寛永寺の境内に慈海僧正墓はあります。...  続きを読む慈海僧正は東叡山凌雲院の住職であり、寛永寺の学僧(学頭)でもあったことからこの地にお墓があるのだと思われますが、あまりお墓っぽさはなく、仏様の石像が置かれているだけのような感じは受けました。高僧であったことは間違いないのですが、初めて耳にするお名前でしたので良い機会になりました。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 巨大な鬼瓦

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。鶯谷駅のすぐそばにある天台宗の寺院寛永寺の境内に2つの巨大な鬼瓦が置か...  続きを読むれています。向かって右側の少し小ぶりなものは現在は「寛永寺輪王殿」にある別名黒門と呼ばれる門に据えられていたものだそうです。左側の大きなものは寛永寺根本中堂に据えられていたものだそうです。いずれもとても巨大で見ごたえがありました。これだけ間近に鬼瓦を見たことが無かったので、大変貴重な経験ができました。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 寛永2年創建

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。鶯谷駅のすぐそばにある天台宗の寺院で、寛永2年(1625年)に徳川幕府...  続きを読むの安泰と民の平安を祈願するために慈眼大師天海大僧正によって創建されています。徳川家将軍の菩提寺でもあり、こちらには6名の徳川家将軍(4代将軍家綱公、5代綱吉公、8代吉宗公、10代家治公、11大家斉公、13代家定公)が眠っています。今でもその境内はかなり広いのですが、上野公園の各地に散らばる寛永寺に関連する史跡(五重塔や時の鐘時鐘堂など)を見ると、かつてはとてつもない広大な敷地を有する寺院であったことがわかります。見どころが多くてお勧めのスポットです。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 貴重な建築物

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    2019年12月に上野を散策した際に立ち寄りました。上野恩賜公園の北東に位置し、都道452号線沿いの寛永寺輪王殿にある門に...  続きを読むなります。何故か正面である都道452号線からは入口が閉ざされており間近で門を見学する事が出来ないのですが、寛永寺輪王殿側からなら門のすぐ近くまでいけるので間近で見学する事ができます。1868年の上野戦争において、この辺り一帯焼け野原となってしまいましたが、奇跡的に寛永寺旧本坊表門 だけは無事に残っていたそうで、大変貴重な建築物なので是非ともじっくりと見学される事をお勧めいたします。黒色の門は綺麗で迫力があって良かったです。  閉じる

    投稿日:2020/06/24

  • 国の重要文化財

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    上野の東京国立博物館の近く、寛永寺開山堂 両大師の境内に寛永寺旧本坊の表門が保存されています。国の重要文化財に指定されてい...  続きを読むる見ごたえのある門ですので、寛永寺開山堂両大師参拝の際には忘れずにお立ち寄りを!   閉じる

    投稿日:2020/06/01

  • 徳川家の菩提寺として権威を誇ったお寺

    • 4.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    上野公園の北側に広がる大寺院で、1625年に江戸城の鬼門にあたる東北に天海大僧正が創建した天台宗の大本山です。
    徳川家の...  続きを読む祈願寺として建立されたお寺ですが、徳川家光の葬儀を寛永寺で行ったことから、芝の増上寺と共に徳川家の菩提寺となり、徳川綱吉、徳川吉宗、徳川家治などが葬られています。
    寛永寺は戌辰戦争でほとんど焼失しましたが、上野公園にある清水観音堂や弁天堂、上野大仏、動物園内にある五重塔など上野公園のほとんどが境内だったそうで、当時の寛永寺の権威が偲ばれます。  閉じる

    投稿日:2020/05/25

  • 徳川将軍家の祈祷所・菩提寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    JR鶯谷駅から徒歩10分程度、台東区上野桜木1丁目にある天台宗関東総本山の寺院です。寛永2年(1625年)に建立された、徳...  続きを読む川将軍家の祈祷所・菩提寺で、徳川将軍15人の内6人が寛永寺墓地に眠っています。一度は参拝しておきたい寺院だと思います。  閉じる

    投稿日:2020/05/02

  • 生前につくられたということがすごい

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    江戸時代に活躍した黄檗宗の僧でした。諸国をめぐり、難民救済や寛永寺に図書館のような建物の勧学寮をつくって、人々を救いました...  続きを読む

    この石碑はこの僧の活躍を讃えるもので、亡くなる前につくられたものだと言われています。こういうものは通常、亡くなられてからつくられることが多いと思うので、生前につくられたものだというのはとても人々に愛された僧なのだと思いました。  閉じる

    投稿日:2020/02/08

  • とても巨大な瓦

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    現在の根本中堂の近くにある昔の寛永寺の史跡になります。瓦だけが地面に直接置かれています。

    黒門という名称で親しまれて...  続きを読むいた旧本坊表門にあったものです。

    鬼の顔がはっきりわかるものでした。当時のものが見られていることがすごいと思いました。この瓦を見ると門の大きさがかなりのものであることがわかります。この瓦と合わせて旧本坊表門も観光するとよいと思いました。  閉じる

    投稿日:2020/02/08

  • 墓碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    尾形乾山というのは、尾形光琳の弟にあたります。

    寛永寺の根本中堂の近くにあります。あまり目立たない存在ですが、ちゃん...  続きを読むと説明板もありました。茶道彼はや書道に精通していました。こちらの墓碑は、その彼の活躍や足跡を惜しんだ有志たちによってたてられましたが、本物は別の場所にあるそうです。

    ここに眠っているというわけではなかったので、よく説明を読まないと彼がここに眠っているものだと勘違いしてしまいそうだと思います。

      閉じる

    投稿日:2020/02/08

  • 見所もたくさん

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    上野駅から歩くと上野恩賜公園より少し先にあるお寺です。

    寛永寺は、江戸時代に徳川家康の側近でもあった天海僧正によって...  続きを読む開山され、江戸城の北東にあって鬼門にあたる場所にあり、江戸を守ってきました。徳川の菩提寺でもあり、将軍のうちの6人はここに眠っています。今の上野恩賜公園を覆いつくすほどの広さだったそうです。現在、上野恩賜公園を歩いていると当時のものがたまに残っているものもあり、歩いているだけでも大変楽しいものですが、上野戦争によって焼失してしまったものがあまりにも多いです。

    上野公園の広さを体感するとものすごい規模のお寺だったことがわかります。今の根本中堂は上野戦争後に建て直されたものですが、昔の瓦が境内にのこっていてそれを見てみるとすごい大きさです。徳川の偉大さを感じるものでした。



      閉じる

    投稿日:2020/02/08

  • 真っ黒

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    寛永寺のかつての表門です。上野戦争によってほとんどのものが焼失してしまい、現在では当時のものといえばこの表門しか残っていな...  続きを読むいのでとても貴重なものです。よく近くで見ると、弾痕なども残っていて当時の戦争がどんなに凄まじかったことかを物語っていると思いました。

    黒い漆塗りでとても威厳のある門でした。

      閉じる

    投稿日:2020/02/05

  • 江戸時代には有名なお坊さんだった

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    秋田県生まれの江戸時代のお坊さんです。当時はとても有名なお坊さんでした。

    幼いときから家族を失い、仏門に入ります。諸...  続きを読む国を廻るうち、霊薬の処方を夢に見て錦袋円という名称をつけ、不忍池に薬屋を甥に営ませ、その利益で難民の救済や寛永寺に勧学寮の設置などを行いました。

    功績を讃えられ、有名なお坊さんになったそうです。はじめて知ったお坊さんでしたが、現代までこのように多くの人に功績をみてもらえるお坊さんはなかなかないと思います。  閉じる

    投稿日:2020/01/06

  • 鬼瓦

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    鬼瓦。顔もしっかりきれいに残っています。

    とても立派な鬼瓦でした。建物の修復時に取り替えられましたが、鬼瓦だけは当時...  続きを読むのものを保管してあるのでみることができます。

    また、瓦をこれほど間近で見られるのはあまりないのでめずらしい体験でした。

    根本中堂のわきにありました。  閉じる

    投稿日:2020/01/06

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
寛永寺
住所
  • 東京都台東区上野桜木1丁目14-11
電話番号
03-3821-4440
アクセス
鴬谷駅から徒歩で10分
その他
創建年代: 1624年~1644年
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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