2017/06/14 - 2017/06/14
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SUR SHANGHAIさん
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この日は、ヨセミテ国立公園への東側の入口リーバイニングの町から、シエラ・ネバダ山脈東側のパノラマ街道(395号線)を南下してローン・パインの町へ。
ローン・パインはデス・バレー国立公園への西側の拠点となる町で、今日はそこに宿泊予定。
ただ、まっすぐローン・パインの町を目指すのではなく、リーバイニングを出る前にはモノ湖のトゥーファー・タワーを見に行ったり、ローン・パイン手前では、かつて第二次世界大戦中に日系アメリカ人1万人が強制的に収容されたというマンザナール(マンザナー)強制収容所跡を見学してみようと思います。
表紙の画像は、現在はマンザナー国定史跡になっているマンザナール強制収容所跡。
そこにはシエラ・ネバダ山脈を背にした小さな墓地もあり、慰霊塔も立てられていました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
ヨセミテ国立公園への東側の入口の町リーバイニング。
そこにも宿泊施設はあるんですが、SUR SHANGHAIたちが泊まったのはそこから車で15分ほどのジューン・レイク・ループ(158号線)にあるダブル・イーグル・リゾート&スパ。
目の前に小さな湖があるほか、シエラ・ネバダ山脈の東側の景色が木々の合間から見える落ち着いたお宿でした。
チェックアウトした後では、山肌を流れ落ちて来る滝がSUR SHANGHAIたちをお見送り。(^_^)/~ -
シエラ・ネバダ山脈を横断してヨセミテ国立公園へと続くタイオガ・パス(120号線)は今日も通行止め。
でも、その代わりに昨日はボディのゴースト・タウンへも行けたし、ヨセミテへは次にサン・フランシスコへ行く機会にじっくり訪れようと話は決まったので未練無し。
この峠は、いつかヨセミテ側から通ることがあるかもね。 -
今日の最終目的地は、デス・バレー国立公園への西側の拠点ローン・パインの町なんですが、まず最初にパノラマ街道(395号線)沿いの見どころの一つのモノ湖へと行ってみます。
モノ湖南岸には、堆積した石灰岩が奇妙な形となって姿を現したトゥーファー・タワーがあることで有名。
パノラマ街道から見下ろしただけでもこのように遠望できますが、岸辺近くまで車でも行けるんですよ。モノ湖 滝・河川・湖
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パノラマ街道(395号線)からモノ湖南岸へ下りて行く脇道は未舗装道。
どんづまりの無料駐車場脇に無人料金箱があり、料金は車一台につき3ドル。
一方の箱に記入用紙と封筒があり、車の番号などの必要事項を記入後、記入用紙の半券+3ドルを封筒に入れてもう一方の箱に入れる仕組み。
PERMITと書かれたもう一方の半券は、車のダッシュボードに見やすいように置いて行きましょう。モノ湖 滝・河川・湖
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モノ湖南岸のトゥーファー・タワーは様々な形をした石灰岩。
元々は湖底に堆積していた石灰岩がこのように姿を現したのは、ロサンゼルスの水需要に応えるための取水が原因だったそうです。モノ湖 滝・河川・湖
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モノ湖南岸のトゥーファー・タワーは、この画像奥に見えている高さ10mもあるものが最大。
そこまで行こうと思っていたのに…、モノ湖 滝・河川・湖
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…6月中旬のモノ湖の岸辺ではハエが大発生。
これは、流れ出す川が無く塩分濃度が高いモノ湖に生息する特殊なハエなんだそうですが、このとおり地面が黒く見えるほどの数。
一歩踏み出すごとにワ~~~ッと黒雲のごとく周りを飛びまわるので、早々に逃げ出してしまいました。(^^;モノ湖 滝・河川・湖
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モノ湖近くにあるリーバイニングの町。
小さいながらヨセミテ国立公園への東側の入口となっているので、宿泊施設や食事場所など、観光客に必要な施設が一通りあります。
全部、パノラマ街道(395号線)沿いに並んでいて何でもすぐ見つかります。
ただ、宿泊施設はモーテルと言った格の場所が多いので、予算にちょっと余裕のある方はSUR SHANGHAIたちと同じようにジューン・レイク・ループ沿いで探してみるのもいいと思います。 -
リーバニングの町では、このLATTE DA COFFEEというカフェで朝食。
これもパノラマ街道(395号線)沿いにあって、通りかかるとすぐにわかります。
裏手はモーテルも兼業しているので無料駐車場有り。
お天気がいい日には、屋内席よりこんな芝生の上の席がお勧め。
サンドイッチがおいしいお店でした。 -
朝食の後は直ちに出発。
今日はローン・パインまでパノラマ街道(395号線)をずっと南下して行くだけだから楽勝楽勝!
パノラマ街道は片側一車線だけの道ですが、シエラ・ネバダ山脈の東側に沿って南北に走るこのあたりの幹線道路で舗装は全面的に出来ています。
あ、ここはビショップの町。
6号線と交わるジャンクションにあるから町の規模も大き目だね。
ここにはモーテルやカフェ、ファスト・フードのチェーン店も多数。
移動の途中で軽食休憩して行くのに便利です。 -
イチオシ
395号線がパノラマ街道と呼ばれるのは、シエラ・ネバダ山脈東側の山並みがずっと続いているから。
天候が悪ければこの景色も見えないんでしょうが、SUR SHANGHAIたちが通った時には晴れてラッキー!の眺めでした。 -
さらにパノラマ街道(395号線)を南下。
これは何て言う町だったかな。
小さい町なのに、やたらとアメリカ合衆国国旗があちこちに出ていた。 -
ローン・パインまであと30㎞を切った頃、パノラマ街道(395号線)に出ていたマンザナー国定史跡の標識。
800m先を右に曲がるのね。
マンザナー(マンザナール)は、第二次世界大戦中、日系アメリカ人が強制的に収容された土地の名。
マンザナール強制収容所は、全米に10か所あった日系アメリカ人強制収容所の一つで、最大時には10,046名が収容されていたのだそう。
今ではマンザナー国定史跡として保存されています。
その他の場所の日系アメリカ人強制収容所については、下記のウィキペディアのページでどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80%E6%89%80%E5%9C%A8%E5%9C%B0マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
上掲の画像の標識通りに進むと、目の前に見えたのはシエラ・ネバダ山脈東側の風景とその裾野。
今ではマンザナー国定史跡になっているマンザナール強制収容所跡への入口は左に曲がってもう少し先ですが、あの裾野一帯にバラックが立ち並んでいたそうです。
そしてこの画面を横切っている道は…、マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
…かつてのマンザナール強制収容所前を通る道。
今ではこの立て札に出ているように、ブルー・スター・メモリアル・ハイウェイとか、マンザナール・リウォード・ロードと呼ばれているようです。
画像奥に櫓のような建造物が見えますが、あれは昔の監視塔を再現したもの。 -
マンザナール強制収容所跡まで来てみると、駐車場のほか、資料館も兼ねた大きなビジターセンターが。
これは知らなかったのでビックリ。
駐車も資料館+収容所跡地見学も全部無料です。
日系アメリカ人の歴史はロサンゼルスのリトル・トーキョーにある全米日系人博物館でも窺い知ることができますが、こちらには資料館のほかにも、当時の収容所跡や再現されたバラックなどのほか、墓地や慰霊碑も保存されていて見学が可能です。
●注: ビジターセンターと資料館のオープン時間は、2017年6月中旬だと9:00~16:30。
広大な強制収容所跡地は夜明けから日没まで見学可。
暑さが厳しい季節は早朝か夕方の時間帯に来るよう推奨されていましたが、車道もあって車でも見て回れました。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナール強制収容所の敷地地図。
この画像はクリックすると大きく表示されます。
ビジターセンターでも地図がもらえますよ。
下の方に出ている赤い★がビジターセンター前の広場。
再現されたバラックなどの建物はビジターセンターからも近くて歩いて行けますが、敷地最奥部(画像上)にある墓地や慰霊塔までは遠いので暑い時期には要注意。
車で回る場合は、一方通行になった周回路有り。(この地図にも黒い矢印付き実線で示されています。)
周辺には飲み物・食べ物の売店や食堂は皆無です。
事前に用意して行くのをお忘れなく。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジターセンター前には、枯山水風に岩が並べられている場所も。
その岩の一つ一つには、かつてあった日系アメリカ人強制収容所の名と最大収容人数が記されていました。
手前の岩がマンザナール強制収容所(10,046人)。
奥に見える岩は、ちょっと読み取りにくいですがツール・レイク強制収容所(18,789人)と書かれています。
10か所あった強制収容所はどれも真珠湾攻撃の翌年(1942年)に開設され、終戦の1945年には閉鎖されたそうですが、収容所に移される際に全財産を失ったなどの理由でそのまま収容所内に留まったり、翌年まで解放されなかった人も多かったのだとか。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジターセンターに入ると、まず目に入るのはこの周辺が強制収容所だった時に並んでいたバラック群の写真パネル。
この傍らには千羽鶴も一緒に吊るされていました。
マンザナール強制収容所では、36のブロックに分かれたバラックに1万人の日系アメリカ人が収容されていたそうです。
その様子を模型にした展示もあって…、マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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…マンザナール強制収容所の広大さがよく分かるようになっていました。
バラックの合間には、自分たちで食料を調達するための畑や養鶏場、リクリエーションのためのバスケット・ボールのコートや柔道道場、それにカモフラージュ用のネットを作る工場などもあったのが分かります。
ビジター・センターでもらえる地図にはさらに詳しく載っていましたよ。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジター・センター奥は資料館になっていて、日系アメリカ人がたどった戦時中の様子がよく分かるようになっていました。
ただ、説明はすべて英語なので、日本からやって来る見学者のために日本語版もあった方がいいような気がします。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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真珠湾攻撃後、日系アメリカ人に対して広がった排斥運動を示した画像。
このほか、日本とアメリカのどちらを選ぶかの忠誠心調査など、収容所での暮らし以外の苦悩も多々あったとのこと。
忠誠心調査がどのようなものであったのかは、次のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9#.E3.80.8C.E5.8B.9D.E3.81.A1.E7.B5.84.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.80.8C.E8.B2.A0.E3.81.91.E7.B5.84.E3.80.8Dマンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナール強制収容所のバラック内部を再現した展示。
収容所に移される際には、十分な準備時間も与えられず、わずかな手荷物しか携帯を許されなかったため、それまでの財産すべてを失った人も多数いたとのこと。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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資料館には、日系アメリカ人の文化を伝える展示とともに、マンザナール強制収容所時代の遺留品なども展示されていました。
写真に写っている白い塔は、収容所敷地の最奥部にある慰霊塔。
資料館周りを見学した後で、そこへも行ってみます。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジター・センターにはショップもあって、和小物のほか、日系アメリカ人強制収容所に関する書籍なども売られていました。
日系アメリカ人強制収容所関連の書籍や映画はいろいろとありますが、山崎豊子氏の『二つの祖国』、それをドラマ化したNHKの『山河燃ゆ』などから入って行くのもいいと思います。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジター・センター裏手には、強制収容所時代のバラックなどがいくつか再現されていて内部見学も可。
遠方の尖った峰は、シエラ・ネバダ山脈中のウィリアムソン山。
一見、自然がいっぱいのように見えますが、ここは半砂漠で、夏は酷暑冬は厳寒の地。
今日の晴れ渡った空の下では、当時の収容所暮らしが想像もできない…。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジター・センター裏手に広がるかつての強制収容所敷地。
この画像では、バラックがあったブロックごとの数字が立て札になって奥まで続いています。
以前あった建造物は収容所閉鎖後に売却されたようで礎石や床面くらいしか残っていないんですが…、マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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…上の方でも言ったように、いくつかの施設やバラックなどは再現されてあって見学可。
バスケット・ボールの屋外コートも再現されていました。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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見学に行ってみたバラックの一つ。
中に行ってみると…、マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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…バラック内の調度も再現されていましたが、新し過ぎて、リアリティがいま一つ。
マンザナール強制収容所関連の次のウィキペディアのページには、当時の設備写真なども掲載されているので、見てみるといいですよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マンザナー強制収容所
(上記アドレスは、マンザナー強制収容所 の文字まで全体をコピペして検索すると見られます。)マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナー国定史跡のビジター・センターやその周辺の見学を終え、今度は車で強制収容所敷地の最奥部にある墓地へ。
その道順は、この旅行記の上の方で出した敷地地図看板にも出ています。
シエラ・ネバダ山脈のウィリアムソン山の麓に、居住区とは距離を置いたその墓地が。
周囲には簡単な柵が設けられているほか、中央には白い慰霊塔もあり、今も慰霊に訪れる人たちが捧げたらしき千羽鶴がそこかしこに掛けられていました。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
シエラ・ネバダ山脈を背にしたマンザナール強制収容所跡の墓地と慰霊碑。
この画像だけ見ると清涼な雰囲気ですが、実際には酷暑の昼下がりでした。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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上掲の画像と同じ慰霊を回りこんでみると、背面には縦書きで
「千九百四十三年八月
満砂那日本人建之」
の碑文が。
満砂那というのは、マンザナール(マンザナー)の漢字での当て字。
満座那と書かれることもあるようです。
という事は、この慰霊塔は、まだ終戦前の1943年8月にマンザナール強制収容所に入れられていた日系人によって建てられたようです。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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慰霊塔と共にあったマンザナール強制収容所の墓地。
石で丸く囲まれていたり、俗名が記された卒塔婆風の墓碑が立てられていたりの墓所はシエラ・ネバダ山脈に守られているように見えました。
不謹慎ながら、一万人もの人たちが3年ほど収容されていた場所としては墓碑の数が少ない気がしたんですが、これは、このマンザナール強制収容所で亡くなった135名の内、120名は故郷の墓地に埋葬されたからのようです。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナール強制収容所跡敷地を巡る車道を行くと、今では草木が生い茂るバラックの跡も。
かつて造られたという庭園跡も今では草茫々になっていたのが、時の流れを感じさせました。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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マンザナール強制収容所跡を巡る周回路の終わり近くには、カモフラージュ用のネットを作っていた工場跡も。
収容されていた日系アメリカ人女性たちがここで働き、月に平均6000枚のネットを生産していたようです。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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周回路の終わりあたりから見たマンザナー国定史跡のビジター・センター方向。
さっきまで展示品を見学していたその建物がとても遠く小さく見えることからも、強制収容所だった頃の規模が想像できるのでは。マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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周回路の終わりにあったこの建物は、以前はマンザナール強制収容所のゲートだったのかも?
この建物そばには…、マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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…MANZANAR WAR RELOCATION CENTERと出ている標識があって、当時は強制収容所と言う名ではなく、≪マンザナール戦時轉住所≫と呼ばれていたのが分かりました。
マンザナー収容所跡 博物館・美術館・ギャラリー
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第二次世界大戦の一側面を学べた思いになったマンザナールを去って、パノラマ街道(395号線)に戻ったSUR SHANGHAIたち。
マンザナールから今日の宿泊予定のローン・パインの町へは、パノラマ街道(395号線)を南下して車で10分ほど。
「あれ? ずいぶん近かったね。」
ローン・パインは、デス・バレー国立公園への西側の拠点となる町。
≪一本松≫という名だけ見ると寂れた町を想像させましたが、土地の人にも旅行者にも必要なものは一通り揃っている所でホッと安心。 -
そんなローン・パインの町でのお宿になったのはコンフォート・イン・ローン・パイン。
町の南外れで、デス・バレーに入って行く136号線とのジャンクションそば。
町外れになるため、食事場所やスーパーなどの商店、銀行、ガソリン・スタンドなどの各種施設がすぐ近くに無いのが残念なんですが…、クオリティ イン ローン パイン ニア マウント ホイットニー ホテル
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…パノラマ街道(395号線)を隔てて、シエラ・ネバダ山脈東側の山並みがよく見えたのは〇。
明け方には山頂から金色に染まっていく様子も見られました。
コンフォート・イン・ローン・パインに泊まるなら、この山並みが見えるお部屋にしてもらいましょう。クオリティ イン ローン パイン ニア マウント ホイットニー ホテル
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コンフォート・イン・ローン・パインの小さいロビー。
片隅にレモン水、コーヒー、紅茶やチョコレート飲料がいつでも飲めるように準備してあったり、ネット・コーナーもあり。
もちろんお部屋からのネット接続もOKなのはいいですが、最初のチェックインの際、スタッフが私用の電話をしていてなかなか出て来ず、10分ほど待たされたのはマイナス点。クオリティ イン ローン パイン ニア マウント ホイットニー ホテル
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コンフォート・イン・ローン・パインのお部屋の設備などは可も無く不可も無くまずまずと言った感じ。
お掃除が行き届いていて清潔だったのはよかったですよ。
1階の部屋には外に出られるドアもあって、すぐ外に車を停めれば荷物の出し入れが楽でした。クオリティ イン ローン パイン ニア マウント ホイットニー ホテル
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コンフォート・イン・ローン・パインには小さなプールまであって、シエラ・ネバダ山脈を眺めながらの日光浴もOK。
今日はドライブ距離は短くても充実した日だったよね。
これまでその存在をおぼろに知っていただけのマンザナール強制収容所跡の見学ができて、以前読んだ山崎豊子氏の『二つの祖国』のいろんな場面が蘇って来たし。
デス・バレー巡りは明日にして、今日はこのプールサイドで一休み。
すぐそばにこんなに車を停められるとちょっと落ち着かなかったけど…。(^^;クオリティ イン ローン パイン ニア マウント ホイットニー ホテル
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