2017/05/26 - 2017/05/28
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ワイン好きさん
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国の政治のあり方について、若き志士たちが声を上げ立ち上がる。明治維新から150年。近代日本はそうして幕を開けた。日本の政治は、今また混迷し始めている。若者たちの政治離れが懸念されているが、150年前は、その若者が主役で政治の方向を変えた。その原点を探ろうと長州をツアーした。山口市から萩市をめぐったツアーは、下関に向かった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- JTB
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旅の3日目は、ホテルに近い角島(つのしま)大橋への散策から始まった。
角島大橋は、2000年11月3日に開通。角島観光のシンボル的な存在で、自動車のCMなどでよく使われている。エメラルドグリーンの海と、途中に浮かぶ小さな島(鳩島)、その向こうの角島までの橋の風景は、思わずカメラを向けたくなる。
ちなみに角島大橋の通行料は無料。通行料金無料の離島架橋としては、沖縄県の古宇利大橋(全長1,960m)についで、日本第二位の長さ(全長1,780m)。角島大橋 名所・史跡
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角島まで伸びる橋の景観は壮観。さまざまな映像で紹介されている。
https://www.youtube.com/watch?v=10ipQaBfGAE
一躍山口県の観光名所となったことも納得できる。角島大橋 名所・史跡
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国道の入り口からカメラを向けると直線で長く続く橋が飛び込んでくる
走る車と海と島。橋の緩やかなカーブは絵になる。角島大橋 名所・史跡
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角島大橋展望台からホテルを望む。日本海がこれほどきれいとは?
下関つくの温泉 ホテル西長門リゾート 宿・ホテル
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イチオシ
ホテルをバスで出発し、この美しい橋を渡って角島へ。この橋の通行料が無料というが、有料道路にしなかった理由はなぜなのか?山口県出身の有力者が多いからなのかという素朴な疑問が沸き上がった。
角島大橋 名所・史跡
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橋を渡り終え、しばらく行くと灯台がある。角島の最西端に位置する角島灯台。
角島灯台は、明治9年に初点灯した総御影石造りの洋式灯台。日本海側初の洋式灯台で、130年以上経った現在でも、現役で毎日点灯している。高さ29.6mで、らせん階段で踊り場まで昇ることができる。我々は、開場時間より早く上ることができなかったが、展望台には上がることができた。
角島灯台に隣接された灯台記念館は、職員の宿舎だった建物を利用した施設で、角島の歴史や日本各地にある灯台が紹介されている。角島灯台/角島灯台公園 名所・史跡
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灯台わきには、かつての灯台守の宿舎がある。
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灯台の展望台から見た日本海。日本海海戦もここから見ることができたのだろうか?
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灯台の展望台からは360度のパノラマが広がる。この日は好天に恵まれ青い空と海のコントラストも鮮やか。天気は何よりのプレゼントだった。
角島 自然・景勝地
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角島を後に、訪れたのは下関の関門海峡。海がせりあがっているように見える。
関門海峡 自然・景勝地
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関門海峡,早鞆ノ瀬戸にかかる長大橋。全長 1068m,主径間 712m,主塔高 140.6m,海面からの高さ 61mで,6車線をもつ。日本道路公団によって 1964年に本格的な調査が始められ,68年に着工,総工費約 240億円をかけて 73年 11月に完成した。
国内の長大橋の先駆けとなったこの橋は、今見ると長さを感じないが、本州と九州をつなぎ、海峡の流れの速さに、迫力を感じる関門海峡(早鞆ノ瀬戸) 自然・景勝地
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近くに見える「あるかぽーと岸壁」には海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が接岸していた。下関の港と自衛隊の艦船。違和感がないのは国境が近いからだろうか?
下関港 名所・史跡
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関門海峡と大橋を眺めながら到着したのは唐戸市場。昼食は春帆楼でフクと決まっているので、眺めるだけといわれたが・・・
下関といえばフグ。現地では河豚を「ふく」と清音で呼ぶ。これはわが国最古の分類体漢和辞書「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」が「布久」と読ませていることがあり、「福」につないで文字通りの海の幸とするところからきているという。
唐戸市場の前にもフクの像があった。唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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唐戸市場には地元の人たちとインバウンドの観光客が多く集まり、屋台のように並んだ店の前で品定め。東京の築地だけでなく、新鮮な海の幸は何よりの観光資源ということがよくわかる。名古屋にもこうした市場の誕生を待望する。
唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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売られているのは大別して寿司、刺身、マグロそしてフク。フクの刺身の横にはワンカップのひれ酒もあり、眺めて通り過ぎるだけというのは酷な話だ。
唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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観光客が多いので、どの店の何に人気があるのかはわからないが、とにかく新鮮さは伝わってくる。
唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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一つ一つが大きくて、価格も安い。結局2カン買ってしまった。
唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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市場を一歩出ると関門海峡を眺めながらの食事スポットが広がる。思い思いに好きなものを買い込んだ観光客は、ここで景色を楽しみながらランチ。心地よい海風と新鮮な海産物は何よりのご馳走だ。
下関漁港 名所・史跡
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唐戸市場のすぐ近くにある赤間神宮。
源平壇ノ浦の合戦において、二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇を祀った神社。入水した海を望むように建っているこの神宮は、本殿から海がつながっているように見える。
源平合戦で知られるこの神宮。寿永四年(一一八五年)三月、西へ西へと追われた平家一門は、壇の浦で最後の戦を源氏勢に挑むも、合戦は、海峡の潮流を味方につけた源氏が勝利をおさめ、平家は滅亡する。これより日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行した。赤間神宮 寺・神社・教会
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神宮に上る階段は2層になっている。
関門海峡を臨み、白壁に朱塗の竜宮のような水天門がある。
境内には、平家一門の墓、小泉八雲の怪談で有名な耳なし芳一の芳一堂や、貴重な資料を展示した宝物殿などもる。赤間神宮宝物殿 美術館・博物館
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耳なし芳一像は宝物殿のわきにある。
赤間神宮 寺・神社・教会
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耳なし芳一像のさらに奥に平家一門の墓がある。
赤間神宮 寺・神社・教会
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平家一門の墓がここにある。この地における平家の存在感がよくわかる
赤間神宮 寺・神社・教会
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建久2年(1191年)、壇ノ浦を望むこの地に、時の後鳥羽天皇の命により御影堂が建立される。当初は阿弥陀寺と称し、安徳天皇の霊を慰めるお寺で、勅願寺だった。
明治維新後の神仏分離令により阿弥陀寺を廃し、新たに天皇社を設立、赤間神宮となる。
最初から安徳天皇を神として祀ったわけではなかったというこの神宮。パワースポットとされるこの神宮には何か通常の神社とは異なる気が漂っているようだ。赤間神宮 寺・神社・教会
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赤間神宮と並ぶように建つ日清講和記念館の前に記念碑がある。
日清講和記念館 美術館・博物館
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日清講和記念館
この記念館は、明治28年(1895)春、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年(1937)6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館した。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などが展示されている。また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子がわかるようになっている。日清講和記念館 美術館・博物館
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日清戦争の講和会議の交渉に臨んだ、時の内閣総理大臣「伊藤博文」(向って左)と、外務大臣「陸奥宗光」(向って右)の像がある。
日清講和記念館 美術館・博物館
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記念館に並ぶ春帆楼前にあるフク像
春帆楼本店 宿・ホテル
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唐戸市場では、お預けとなっていた昼食のため、待望の春帆楼に。
春帆楼は、日清戦争の講和条約が結ばれた割烹旅館。今も同じ場所にある。春帆楼本店 宿・ホテル
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メニューはフクのミニ会席。フクのシーズンは終わっているが、ここでは養殖のフクが供されている。
春帆楼本店 宿・ホテル
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〆のフクの天ぷら。やはり定番。フライよりなじみ深い。
春帆楼本店 宿・ホテル
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春帆楼本店で昼食後再び海峡側に降りてきた。関門トンネルは二重構造になっていて、上が車、下が人道。
昭和33年3月9日完成で、完成までに21年要したという。
人道入口には、エレベーターがあり、下関側は地下約55m、門司側は地下約60m降りる。
通行料は無料。ただし、軽車両(自転車・原付)は20円の通行料が必要で、どちらも押して歩く。距離は780メートルで、所要時間は15分。通行可能時間は6時から22時。関門トンネル人道 (福岡門司側) 名所・史跡
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文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃した(攘夷戦)。翌年8月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にきた。この戦いは馬関戦争といわれた。海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊された。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕(かいこく・とうばく)へと転換し、明治維新を実現する原動力となった。
みもすそ川公園 公園・植物園
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長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射した。しかし、連合艦隊の新しい大砲は距離.威力ともはるかにすぐれていた。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造(ちゅうぞう)していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ。砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻している。みもすそ川公園 公園・植物園
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海峡と関門大橋を眺める公園。改正の休日。風が心地よい
みもすそ川公園 公園・植物園
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赤間神宮からも眺められる安徳天皇入水の地
みもすそ川公園 公園・植物園
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下関港を離れ、向かったのは長府庭園。長府庭園は長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)の屋敷跡で小高い山を背にした約31,000平米の敷地には、池を中心に書院・茶屋・あずまやが残され、かつての静かなたたずまいが残されている。
長府毛利邸 名所・史跡
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この邸宅の庭園は見事。池を中心にいろいろな景色が広がっている。
長府毛利邸 名所・史跡
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池のハスの花が鮮やかに咲いていた。
長府毛利邸 名所・史跡
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広い庭園だけに、奥行きもあり、池と建物のバランスが調和している
長府毛利邸 名所・史跡
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写真を撮っていても楽しい。
長府毛利邸 名所・史跡
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数々の歴史の舞台となってきた長府。
横枕小路は武家屋敷が建つ古江小路と並んで、歴史を感じさせる通り。
学問の神様としても有名な「乃木神社」の横を東西に抜ける細道で、道幅が狭いため車は通行できない。
長府を代表する練塀(ねりべい)と呼ばれる塀が続く道は樹葉に覆われており、江戸時代の名残がそのまま残っている。横枕小路 名所・史跡
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この先が乃木神社。風情ある小道は、萩でも見た景色に似ている。
横枕小路 名所・史跡
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長府毛利邸は、長府毛利家第14代当主・毛利元敏公により明治36年(1903)に完成した邸宅。
明治35年には、明治天皇がご宿泊され、一部の部屋は当時のまま残されており、往時が偲ばれる。長府毛利邸の正門は石畳のアプローチが重厚さを感じさせ、毛利家の威厳を感じさせる。長府毛利邸 名所・史跡
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立派な門構えがかつての威光を感じさせる。長府毛利邸
長府毛利邸 名所・史跡
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毛利秀元氏の像
毛利元就4男である穂井田元清の長男(元就孫)
長門長府藩の初代藩主
母は村上通康の娘妙寿院。長府毛利邸 名所・史跡
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毛利博物館(旧毛利家本邸)
本館は江戸期の御殿造様式をとり入れたもので、明治・大正期の建築技術の粋をあつめたもの。 毛利家代々の宝物を抄造する博物館として公開されている。 国宝4点をはじめとする宝物を、入れ替えしつつ展示し、毛利邸の歴史や文化を紹介している。旧毛利家本邸 美術館・博物館
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雪舟の四季山水図(国宝)、毛利元就自筆の三子教訓状(重要文化財)など約2万点の文化財等を所蔵する博物館。昭和41年(1966年)に発足した財団法人(現・公益財団法人)防府毛利報公会により開設される。
旧毛利家本邸 美術館・博物館
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後醍醐天皇の嘉暦2年(1327)に開山された名寺。
わが国最古の禅寺様式を残した仏殿は、鎌倉時代の様式である唐様建築の典型的遺構。
昭和28年国宝に指定された。功山寺山門 寺・神社・教会
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元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の菩提寺とされてから。また、幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、明治維新の転機となった高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(の博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもある。境内には馬上の高杉晋作像があり、晋作を始め幕末・維新ファンなど歴史ファンが訪れる。
功山寺 寺・神社・教会
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鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており国宝に指定されている。
ここには“五卿潜居(ごきょうせんきょ)の間”があり、そこから望む美しい庭園は人々の目を引く。
また、境内の裏には長府毛利家墓所、大内義長の墓、坂本竜馬の護衛を務めた長府藩士三吉慎蔵の墓などがある。功山寺 寺・神社・教会
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3日間のツアーはここが最後。幕末にまつわるさまざまな名所を巡るツアーは、無事こここで終わった。
功山寺 寺・神社・教会
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なぜか南国風の新下関駅前。
新下関駅 駅
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旅の終わりは新下関駅。新山口で降り、新下関で乗車。山口県縦断の旅がここで終わり。維新の強者たちがなぜこの山口に集ったのか、古くは壇之浦の戦いの地でもあるこの山口県は、政治に対する市民の意識が高く、だから9人もの首相を輩出しているのかもしれないというくらいしか、その理由がわからなかったが、萩の落ち着いたたたずまいは、印象深い。
新下関駅 駅
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新下関駅は休日も閑散としていた。
新下関駅 駅
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今回の旅は3日間とも同じガイドさん。久々のチャーターバス。ツアーを盛り上げてくれたガイドさんのおかげで皆さん笑顔で旅を楽しむことができた。
参加者の一人からガイドの坂口美紀さんに「あなたのお陰でとても楽しい旅になった。一同を代表してお礼します」旨の手紙を出したところ
「私こそ、歯ごたえある兵(つわもの)どもを相手に、とても緊張していましたが、何を言っても鷹揚に対応していただく皆さんの調子に乗せられ、楽しい三日間を過ごすことができました。私の一言一言に対する反応の楽しさは最高でした。ありがとうございました」
と返信があったという。こういうコミュニケーションもまた旅の楽しみでもある。運転手さんと坂口さんに感謝。功山寺 寺・神社・教会
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