2017/04/02 - 2017/04/04
288位(同エリア1461件中)
naoさん
春の青春18きっぷを使って富山を訪れました。
旅の行程
4月2日 越中八尾
4月3日 越中岩瀬、射水市二口、越中福岡
4月4日 高岡市吉久、南砺市福光
富山県富山市八尾町は、富山と岐阜県飛騨地方を結ぶ街道筋に位置する町で、天文20年(1551年)に飛騨国吉田村(現岐阜県飛騨市)から移された浄土真宗の聞名寺と、天正4年(1576年)に修験所として設けられた蓮勝院の、二つの寺の門前町として生まれました。
天正11年(1583年)の尾張国佐々成政による越中侵攻で大きな被害を受けた越中八尾は、豊臣秀吉の時代に復興を果たすと、寛永13年(1636年)に米屋少兵衛が加賀藩三代藩主の前田利常から「町建て」のお墨付きを拝領し、経済活動が公に認められた八尾町の原型が形成されます。
ちなみに、前田利常の次男利次による富山藩の創設が寛永16年(1639年)ですから、それよりも早く町が開かれたことになります。
富山藩の成立により富山藩領となった越中八尾は、街道筋という立地を活かした養蚕、和紙、薬草などの集積地として、飛騨との交易により発展し、「富山藩の御納戸」と称されるように、富山藩の財政を支えるほど経済力豊かな町に成長します。
その後、年を経るごとに町域を拡大させてきた越中八尾は、寛政10年(1798年)には現在の町の姿が整っていたと言われています。
越中八尾の名を全国に知らしめているものに「おわら風の盆」があります。
毎年9月1日から3日にかけて繰り広げられる「おわら風の盆」は、越中八尾に暮らす人々の日々の生活に根ざした特別な行事として大切に守り育んできたもので、古来、町の誇りとして多くの人々を魅了しています。
三味線、胡弓、太鼓の音にのせた哀愁を帯びた唄に合わせて、女は浴衣、男は法被という揃いの装束に編み笠を被った踊り手の幻想的で優美な踊りが、ぼんぼりの淡い灯りが石畳に映える町並みを流し歩きます。
寛政10年(1798年)までに整えられた、今町、東町、西町、鏡町、下新町、上新町、諏訪町、西新町、東新町、天満町の、旧町と呼ばれる10町に、福島を加えた合計11の町で行われる「おわら風の盆」は、11の町が一堂に会して繰り広げられるのではなく、11の町それぞれの伝統と個性に培われた唄と踊りが、それぞれの町を舞台に披露されます。
他にも、富山藩の財政を支えてきた越中八尾の心意気を表すものとして、井波彫刻、高岡彫金、城端漆工など、加賀藩の名工の作が惜しげもなく散りばめられた曳山祭などを始めとした、豪華絢爛な伝統文化が数多く残っています。
石畳舗装や無電柱化された越中八尾の中心部は、明治時代以降の鉄道や陸上交通の変化に見放されたことも幸いして、おわら風の盆、曳山祭、八尾和紙など、先人の築いた文化を営々と受け継いできた伝統が今も息づき、切妻屋根の出桁造りに千本格子をしつらえた町家と石畳が絶妙な風情を織り成す町並みは、おわら風の盆や曳山祭が映える歴史の香り高い町として輝きを放っています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR高山本線の越中八尾駅です。
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越中八尾の排水側溝の蓋には、旧八尾町の花「ツバキ」があしらわれています。
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汚水枡の蓋も旧八尾町の花「ツバキ」がモチーフになっています。
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井田川の段丘上に広がる越中八尾の町並み。
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もともと井田川の段丘下にあった八尾村は、寛永8年(1631年)の洪水で壊滅的な打撃を受けたため、浄土真宗聞名寺の門前町だった丘陵上の相山村と合併することになり、まるで要塞のようにそびえる石積みの町が出来ました。
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では、禅寺橋を渡って越中八尾の町並みへ向かいます。
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越中八尾の名を全国的に知らしめているものに「おわら風の盆」がありますが・・・
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禅寺橋の欄干は、その「おわら風の盆」を題材にしたレリーフで飾られています。
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禅寺橋を渡って禅寺坂に差し掛かりました。
井田川の段丘の石積み擁壁は、地元では「西町の石垣」と呼ばれています。 -
幾重にも積み上げられた石積み擁壁が・・・
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越中八尾の人々の営みを支えています。
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では、浄円寺坂を上って、町の中心部へ向かいます。
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先ずは、町を縦貫する国道472号線沿いの町並みを中心に歩きます。
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こちらが天文20年(1551年)に飛騨国吉田村(現岐阜県飛騨市)から移設された浄土真宗の聞名寺です。
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越中八尾は聞名寺の門前町を礎として発展しました。
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梁や母屋など、部材の木口を白く塗るのがこの地方の特色のようです。
この手法は飛騨の町家にも見られますが、飛騨は隣国なので、お互いに影響し合っているんでしょうね。 -
この町並みの特徴を一言で言うなら、全体的に白漆喰塗の壁と濃い茶色の木材が、落ち着いた表情を醸し出している町家で埋められていると言った印象です。
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本当に、町並みの至るところで・・・
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こんな雰囲気の町家ばかりが目につきます。
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間口の狭い町家も、白と茶の見事なコントラストを醸し出しています。
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骨董品屋さんの扁額。
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同じ規格の箱型の建物が並ぶ住宅団地なんかで、住人が迷ったり、間違ったりしないのと同じで・・・
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このように酷似した町家が並んでいても、皆さん自宅の見分けがつくんですね。
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妻側の屋根に見える柵のようなものは何なんでしょうか・・・。
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こちらの町家の玄関戸は潜り戸形式になっています。
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サザンカの蕾が膨らみかけています。
そろそろ開花ですね。 -
妻面の格子が、この料理屋さんの個性を強烈にアピールしています。
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その料理屋さんの横の脇道は「四十物(あいもの)横丁」と呼ばれ、この道が東町と西町を分ける境になっています。
なお、「四十物」は一般的には塩魚類を指す総称として使われ、北前船の船頭、船主、回船問屋が「四十物屋」の屋号を名乗ることが多いことから、「四十物」と北前船の深いつながりを窺い知ることができます。 -
「四十物横丁」にこんな側溝の蓋がありました。
これは何を表しているんでしょうか・・・。 -
脇道の奥から見た町並みの様子。
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こちらの医院は、車で来院される患者さんのために、建物を下駄履きにして駐車場を確保しておられます。
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こちらは造り酒屋さん。
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何のてらいも感じさせない、すっきりまとまった町家です。
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越中八尾の町並みです。
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こちらは銀行の建物です。
何の違和感もなく町並みに溶け込んでいます。 -
先ほどの、すっきりまとまった町家を倍の大きさにしたような町家です。
「すっきりさ!」も倍増したように感じます。 -
八尾の伝統的な建築様式の町家が・・・
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向かい合っています。
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こちらは「八尾おわら資料館」です。
伝統的な町家を再現した館内では、おわらの歴史、唄、踊り、衣装、楽器などを詳しく紹介しています。 -
越中八尾の町並みを振り返った光景です。
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印刷屋さんの看板には、雨に濡れないように屋根が掛けられています。
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こちらは懐石料理のお店。
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酒屋さんとお茶屋さん。
私のような関西の人間が見れば、『伏見と宇治が隣り合わせに並んでる!』と、つい言ってしまいそうです・・・。
さて、国道はこの辺りでクランク状に曲がっています。 -
バス停がありますね~。
国道ですから、バスが走っていても一向に不思議ではないんですが・・・。 -
チラッと見えるベンガラ塗りの壁が、アクセントとして効いています。
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出格子の枠材にも、ワンポイント白い化粧を施しています。
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こちらのお店は、梁や垂木などの木材だけでなく、瓦の鼻先も白く塗られています。
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ガレージ部分にナマコ壁をあしらった町家。
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クランク状に曲がっていた国道は・・・
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ここから直線に戻ります。
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おわら風の盆の女踊りと男踊りをモチーフにしたタペストリー。
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袖壁の付いた町家。
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伝統的な町家を使ったカフェがありました。
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2階左の小窓が無ければ、ほぼシンメトリーの町家。
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「合同の坂」と呼ばれている坂道。
この名前は、蚕糸の製造工程の一つの、合同の揚返場がこの辺りにあったことに由来しています。 -
外壁に緑青の吹いた銅板を張った町家です。
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右に見える坂が「合同の坂」です。
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見事な金物です。
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間口より奥行きの深い・・・
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鰻の寝床の町家に挟まれた脇道には・・・
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趣きのある石畳が敷かれています。
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延享2年(1745年)の諏訪町の成立に合わせて通された庚申通り。
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庚申通りの中程に鎮座する「中ノ丁地蔵」。
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店名の書かれた看板が上がってはいるんですが、いったい何屋さんなのか見当もつきません。
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こちらは桑の葉を使ったスイーツを提供するカフェ。
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頭一つ飛び出ている3階建ての町家。
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こちらは、ボランティアの観光ガイドさんの拠点です。
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「風の盆」の町らしく、店名に「風」の付くお店の多いこと。
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越中八尾の町並みです。
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日本伝統の掛軸や屏風製作などに携わる表具屋さん。
廃れては困る伝統技能なので、ずっと受け継いでいっていただきたいと思います。 -
石を組み合わせた洗い場が軒下にしつらえられています。
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石に直接水栓が付いているのですが、給水管がどうなっているのか気になります。
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この町並みには珍しい、妻入りの町家です。
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軒下に並べられた竹のオブジェ達。
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2階の右側はベランダのようなスペースになっています。
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緩やかに上る越中八尾の町並みです。
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和菓子屋さんは準備中です。
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風の盆の行燈が置かれているギャラリー。
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板葺の庇が、枯れた風情を醸しています。
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越中八尾の町並みを振り返って見たところです。
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左手の町家には、潜り戸のある玄関戸が付いています。
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建物の左右で高さが大きく異なっています。
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屋根を支える肘木に木彫り細工が施されています。
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公民館だから、掲示板があるのは仕方ないか・・・。
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椅子に置かれた郵便函。
取り付けるスペースを考えると、椅子にでも置かないと仕方ありませんね。 -
ナマコ壁を施した3階建ての町家は工務店さん。
職業柄、建物のあちこちに細かい細工が散りばめられています。 -
こちらは味噌の醸造元です。
お酒も扱っておられるので、看板には酒店とも書かれています。 -
こちらは味噌の醸造工場でしょうか・・・。
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町並みは少し手前で峠を過ぎて、この辺りでは下っています。
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さて、国道472号線沿いの町並みもこの辺りまでです。
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この後は、国道472号線の北側に広がる町並みを歩きます。
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ちなみに、この脇道の先で国道472号線の南側を並行して延びる諏訪町本通りに通じているのですが、風情豊かな町並みが広がる越中八尾の中でも、特に諏訪町本通りにはこの町の素晴らしさが凝縮されているので、こちらの旅行記は別の稿に委ねたいと思います。
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諏訪町本通りを東側に戻り、脇道を抜けて「おたや階段」へ向かいます。
なお、「おたや」とは「御旅屋」のことで、この辺りに伊勢神宮の使者が泊る宿があったことから名付けられました。 -
「おたや階段」の上に出ました。
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「おたや階段」からの眺めです。
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現在は階段になっている「おたや階段」ですが、かつては「新建坂」と呼ばれる坂道だったそうです。
風の盆の際には、階段下が鏡町の舞台踊りのメインステージになるので、絶好の観客席になることでも知られています。
それを聞くと、大勢の観客がこの階段に腰掛けて「おわら」を満喫されている姿が目に浮かびます。 -
「おたや階段」から「合同の坂」へ向かう途中の町並みです。
かつて、この辺り一帯は越中八尾の花街として栄えたところで、沢山の「料亭」や「置屋」が並んでいたそうです。 -
「杉風荘」と名付けられた公民館も、明治40年(1907年)頃に料亭「杉下楼」として建てられたものだそうです。
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かつてはこれらの町家も・・・
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料亭だったのかもしれませんね・・・。
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夕日に照らされたこちらの建物は、現役の料理旅館です。
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こちらは寺院なんですが、一見しただけではお寺とは思えない佇まいです。
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まさか、お寺さんに自動販売機は置いてないと思うんですが・・・。
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「合同の坂」の下へやって来ました。
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「合同の坂」から「原蚕(げんさん)の坂」へ向かう途中の町並みにある町家です。
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「原蚕の坂」へやって来ました。
この坂は、明治29年(1896年)に創立された富山県立養蚕学校の通学路として、桑畑を切り開いて整備されたものです。 -
「原蚕の坂」を上ると、「越中八尾観光会館」のある蔵並み通りに通じています。
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蔵並み通りまで上って来ました。
蔵並み通りには土蔵や土蔵造りの町家が多く見られるので、こう名付けられています。 -
夕日に染まる蔵並み通り。
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蔵並み通りの東側にある裏道の様子。
夕日を浴びる柳の木と白壁が良い雰囲気を醸し出しています。
裏道を抜けて次に目指すのは、手漉き和紙を製造している「桂樹舎」です。 -
この町家の向かいの敷地に・・・
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「桂樹舎」の建物群が広がっています。
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こちらは「桂樹舎民族工芸館」です。
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こちらが、富山市の伝統工芸「八尾和紙」の伝統を守っている「桂樹舎」の本拠となる建物です。
「桂樹舎」では、手漉き和紙の製造工程の見学や紙漉き体験を通じて、型染め和紙の魅力を広く伝えておられます。 -
こちらは「桂樹舎和紙文庫」です。
「桂樹舎和紙文庫」では、紀元前のパピルスをはじめ、和紙にまつわる文献や和紙を素材とした生活用品などを展示しておられます。 -
「桂樹舎」を後に、「おたや階段」の下を通って「矢澤の坂」へ。
坂の名前は、大正5年(1916年)にこの地で操業を始めた「矢澤製糸」にちなんでいるようです。
では、坂を上って「西町の石垣」へ向かいます。 -
「西町の石垣」へ戻って来ました。
この後、清水が湧き出る沢を埋め立てて道にした「柳清水」や、町中に迷い込んだ狼を退治した「狼地獄」など、逸話の残っている所をめぐって歩きます。 -
「西町の石垣」に設けられている「西町の展望台」からの眺望です。
左手に見えている橋は、最初に渡った禅寺橋です。 -
400年余り前の井田川の洪水に起因して築かれることになった「西町の石垣」。
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その結果、まるで要塞のようにそびえる石積みの町を産み出しました。
現在も洪水被害が起こる現実を見ると、昔も今も治水対策の重要性は変わりません。 -
街道筋という立地を活かした飛騨との交易により、「富山藩の御納戸」と称されるほどの経済力豊かな町に発展した越中八尾。
越中八尾に暮らす人々の日々の生活に根ざし、大切に育んできた「おわら風の盆」は全国に知れわたり、三味線、胡弓、太鼓の音にのせた哀愁を帯びた唄や踊りは、古来、多くの人々を魅了してきました。
切妻屋根の出桁造りに千本格子をしつらえた町家と石畳が絶妙な風情を織り成す町並みは、「おわら風の盆」が映える歴史の香り高い町として輝きを放っています。
再訪したい町がまた一つ増えました。
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