2017/04/02 - 2017/04/04
86位(同エリア160件中)
naoさん
春の青春18きっぷを使って富山を訪れました。
旅の行程
4月2日 越中八尾
4月3日 越中岩瀬、射水市二口、越中福岡
4月4日 高岡市吉久、南砺市福光
富山県南砺市福光はJR城端線福光駅の西側に広がる町で、五箇山の山岳地帯に降った雨や雪解け水を集めて流れる小矢部川の伏流水が、「噴き満る(ふきみつる)清水」となって町のあちこちから噴き出したことによって「福光(ふくみつ)」と名付けられたと伝えられています。
この、養分をたっぷり含んだ小矢部川の恩恵により、有数の穀倉地帯が広がる福光を含む砺波平野一帯の年貢米を集積するため、加賀藩は寛文2年(1662年)に福光を御蔵所在地に指定し、御蔵を設置します。
また、加賀藩が古代の官道を踏襲して整備した北陸街道をはじめ、金沢へ通じる諸街道が集まる交通の要衝に位置する福光は、五箇山で生産された煙硝や紙を含む、多くの物資の集散地としても機能することとなり、この地を通じて金沢へと流通して行きました。
さらに、生糸と麻布の一大生産地にして加賀藩最大の集積地だった福光は、藩用として納めた加賀絹が名声を高めた江戸中期や、加賀国宮腰(現金沢市)の海運業の密貿易のための生糸の買い付けに応じた文化文政年間(1804年~1830年)には、大きな利益で潤い、福光商人と呼ばれる豪商や資産家が輩出したといわれています。
このような歴史風土を背景に洗練された加賀百万石の文化をいち早く取り入れ、豊かな財力や成熟した精神に支えられた福光の人々には、芸術や文化を育む気運が脈々と流れており、棟方志功をはじめとした民藝の作家や、福光出身の日本画家や彫刻家など、若くて才能豊かな芸術家を世に送り出しました。
近代化が進む現在の福光では、道路拡幅工事により昔ながらの町並みのほとんどが取り壊されたようで、伝統的な町家は商店街の裏手などにひっそりと点在する程度になっています。
そんな中、東町、西町、本町、宮脇町辺りには伝統的な様式を身にまとった町家が点在する町並みが残っており、かつての風情を感じながらの町歩きが楽しめます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
JR城端線福光駅に着きました。
-
福光駅の背後には、残雪の立山連峰が望めます。
-
国道304号線と県道20号線が交差する角に、間口の広い町家がありました。
ここから暫くは県道沿いを歩きます。 -
聚楽調の外壁の町家。
-
建具屋さんらしい店頭のしつらえです。
-
下見板張りの外壁に格子を嵌めた町家です。
では、小矢部川左岸にある町並みへ向かいます。 -
小矢部川に架かる福光橋を渡って左岸へ。
-
小矢部川の流れを横目に、先ずは国道304号線の南側の町並みへ向かいます。
-
土蔵造りの外壁に鉄板を貼った町家。
土壁を雨から保護しているんでしょうね・・・。 -
大きなガラス窓のある町家です。
-
福光の町並みです。
この辺りは細い道が入り組んでいるので、正面に見える赤い建物はいい目印になりそうです。 -
2階の大きな出窓がこの町家のポイントになっています。
-
この辺りには・・・
-
総下見板張りと言ってもいいような町家が集まっています。
-
目印の赤い建物から小矢部川の方へ戻ってきました。
-
小矢部川を背に見た町並みです。
-
2階の窓は、アルミサッシの中に当初の木製窓がそのまま残っています。
-
こちらは空き家のようですね。
-
赤い建物を過ぎて町並みを進むと・・・
-
風情ある町家が続いています。
-
細い道を抜けて、振り返った町並みの光景です。
-
大きな妻面を見せる建物は魚屋さんです。
この角を曲がって、江戸時代に加賀藩の御用達となった福光の麻布を扱っていた舟岡家へ向かいます。 -
左手に舟岡家の建物が見えてきました。
-
舟岡家は福光の麻布を大々的に扱っていた商家で、宮内庁をはじめ、全国の著名な神社仏閣に供給された麻布は、神官の装束や僧侶の法衣として使われました。
しかし、化学繊維の登場や大麻が栽培禁止になるなど、時代の変遷とともに衰退は避けられず、昭和天皇の大葬の礼の際に供給したのを最後に廃絶してしまいました。
では、ここで引き返して町歩きを続けます。 -
この町家の妻壁は、とても私の感性に訴えかけてきます。
「訴える」と言うより、むしろ「刺激する」と言った方がふさわしい強烈さです。 -
こちらの町家も、「ビビッツ!」とくるものを感じました。
-
先ほどの魚屋さんの前を通って県道10号線へ出てきました。
こちらは正統的な伝統様式の町家です。 -
県道10号線の歩道で見つけた消火栓の蓋。
佐々成政にまつわる、医王山の「槍の先の清水」がモチーフになっています。
佐々成政は、一向一揆鎮圧の功により織田信長から越中富山を与えられた安土桃山時代の武将で、前田利家との戦いで水源を絶たれた成政が、湿った岩を槍で突いたら清水が湧き出たという言い伝えが残っています。 -
県道10号線に面するお蕎麦屋さん。
こちらで昼食を採ろうと思っていたんですが、定休日でダメでした。
国道304号線へ戻ってきたので、次に、国道の北側の町並みへ向かいます。 -
土蔵造りの建物に、下見板を貼っています。
-
店名看板が上がっているので、営業されているんでしょうね・・・。
-
こちらは明治33年(1900年)創業の老舗料理旅館さん。
-
棟方志功さんが福光で疎開生活をしていた関係もあって、木版画はもちろん、棟方志功さんにまつわる品々が館内のいたるところに置かれているそうです。
-
桜の名所として知られる小矢部川ですが、満開になるのはもう少し先のようです。
-
風情ある町家を使ったスナック。
-
国道304号線の北側の町並みです。
-
この辺りの町家の多くは・・・
-
玉石を積んだ石垣で、道路から一段高く敷地を設けておられます。
-
旧福光町の汚水枡の蓋。
旧福光町の花「医王しゃくなげ」がモチーフになっています。 -
出格子のある町家。
-
1階に袖壁をしつらえた町家。
出格子は、束を立てて大きく張り出しています。 -
達筆で書かれた表札を上げた表具屋さん。
犬矢来が、町家の外観を引き締めるのに一役買っています。
この先で国道304号線と交わるので、国道沿いを西に進みます。 -
洋風建築に挟まれた3階建の町家。
聚楽調の外壁が、この町家に落ち着いた表情を与えています。 -
大ぶりで豪快な造りの町家です。
でも、大ざっぱにならないよう、細部にまで神経を行きわたらせておられます。 -
玄関に入母屋屋根を架けた町家。
伝統的な中にも、威厳を感じさせてくれます。 -
ほぼ片勾配の屋根を架けた町家。
側面はインパクトのある外観ですが・・・ -
正面は伝統様式の落ち着いた佇まいを見せています。
-
本棟造りによく似た、妻面の小屋組みを見せる町家。
-
はるか先に見える立山連峰の山並み。
ここから少し東側に戻って、再び国道304号線の南側の町並みへ向かいます。 -
敷地内に祠のあるお屋敷は、玄関のガラス戸に銃砲火薬店と書かれていました。
-
国道304号線の南側の町並み。
-
基礎に自然石を使った町家。
-
こちらの町家は、雨仕舞いのためか、格子に塩ビの波板を張っておられます。
-
いわゆる一間半はありそうな、広い間口の玄関のある町家です。
-
国道304号線の南側の町並み。
-
1階部分を改装された町家。
-
木材が新しくなって、見違えるようです。
-
土蔵がポツンと、さみしげに建っています。
-
こちらの町家は、土蔵造りの建物の外側に木造の壁を増設しています。
-
手摺の付いた2階の窓には、意匠を凝らした桟が組まれています。
この後、北海道で走っていたD51が保存されている福光公園へ向かいます。 -
福光公民館の敷地に建つ土蔵。
素晴らしいフォルムを見せています。 -
道路から間近にD51が見えています。
では、じっくり観察させていただきます。 -
D51の165号車であることを示すプレート。
-
複雑なリンケージの動輪は、力強くて頼もしい限りです。
-
では、運転席へ・・・。
-
バルブや計器類が所狭しと配置された運転席。
私にはチンプンカンプンですが、安全に運転するには、これらを確実に操作しなければいけないんですよね。 -
焚き口の赤い扉は、安全のため、あえてアクセントカラーにしているんでしょうか・・・。
-
こうして見ていると、北海道の大自然の中を疾走する姿が目に浮かびます。
-
福光公園の片隅に、太平洋戦争の末期、福光に疎開していた棟方志功がアトリエ兼住居としていた建物が保存されています。
アトリエとして使っていた8畳間の板戸に書いた「滝登りの鯉」や「雨に打たれた鯉」にちなんで、この建物を「鯉雨画斎」と名付けたそうです。 -
こちらは、「鯉雨画斎」の向かいにある「愛染苑」です。
疎開中の棟方志功の画業を紹介・展示する記念館として運営されています。 -
福光公園を離れて、町並みに戻って来ました。
-
県道10号線に出ました。
この南側にも良い町並みがあるので行ってみます。 -
軒先に垂壁をしつらえた町家です。
-
真っ赤な郵便ポストが立っている交差点で、県道289号線が分岐しています。
-
県道289号線の町並みです。
-
アルミサッシやシャッターに改修されていますが、かつての面影は十分に窺い知ることが出来ます。
-
こちらは染物店です。
看板に「紺屋」の文字が見えるので、藍染も扱っておられるんでしょうね。 -
妻面を見せる町家左手の赤い建物は消防器具の倉庫のようです。
この後、脇道をショートカットして県道10号線に戻ります。 -
県道10号線に覆いかぶさるように枝を広げるのは、福光で亡くなった木曽義仲の側室、巴御前を葬った「巴塚」に植えられた松で、「巴塚の松」と名付けられています。
-
「巴塚の松」は、「巴塚」が作られた頃に植えられたもので、樹齢750年を超えると言われています。
-
こちらは、伝統的な町家を使ったペットショップです。
-
全身下見板張りの町家です。
-
こちらはドジョウの串焼きが評判のお店です。
-
そろそろ県道10号線と別れて、「あさがお通り」を抜けて福光駅へ向かいます。
-
「あさがお通り」に差し掛かりました。
この町家は、屋根を支える持ち送りがアクセントになっています。 -
「あさがお」を活かした町おこしが定着している福光で、中心になるのが「あさがお通り」です。
-
昭和61年(1986年)から続く「あさがおまつり」の際には・・・
-
色とりどりの「あさがお」が咲き乱れ、多くの人々を魅了しています。
-
こちらは、文政年間(1804年~1830年)から麹を作っておられるお店です。
-
麹の元になる種麹店としての創業は明治28年(1895年)で、現在、全国でもわずか十軒余りしかないそうです。
-
2階にいかにも頑丈な格子を嵌めた町家。
-
「ふく光焼」は、大正初年(1912年)に先代が起こした窯で、こちらのお店は、それを受け継いだ現在のご当主が、昭和21年に開いたものです。
-
こちらは、寛政年間(1789年~1801年)に起こった福光大火の直後に建てられた「専四郎家住宅」です。
-
明治20年(1887年)頃までこちらの家主だった油屋家は、古くから油、布、酒などを扱う豪商として知られ、江戸時代の商家の名残を留めるこの建物では、当時の豪商の生活の一端を見る事が出来ます。
-
加賀藩の年貢米を集積する御蔵の設置をはじめ、加賀絹などの織物を通じて加賀藩と密接な関係を持ち、洗練された加賀百万石の文化をいち早く取り入れた福光は、棟方志功をはじめとした民藝の作家や、福光出身の日本画家や彫刻家など、若くて才能豊かな芸術家を世に送り出しました。
そんな芸術や文化を育む風土が息づく町並みには、伝統的な様式を身にまとった町家が多数点在しており、かつての風情をじっくりと感じながらの町歩きが楽しめました。
さて、今回の富山の旅も、有意義なものになりました。
では、JRのローカル線に揺られて大阪へ帰ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
naoさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
95