2017/04/02 - 2017/04/04
639位(同エリア1607件中)
naoさん
春の青春18きっぷを使って富山を訪れました。
旅の行程
4月2日 越中八尾
4月3日 越中岩瀬、射水市二口、越中福岡
4月4日 高岡市吉久、南砺市福光
富山県富山市八尾町は、富山と岐阜県飛騨地方を結ぶ街道筋に位置する町で、天文20年(1551年)に飛騨国吉田村(現岐阜県飛騨市)から移された浄土真宗の聞名寺と、天正4年(1576年)に修験所として設けられた蓮勝院の、二つの寺の門前町として生まれました。
天正11年(1583年)の尾張国佐々成政による越中侵攻で大きな被害を受けた越中八尾は、豊臣秀吉の時代に復興を果たすと、寛永13年(1636年)に米屋少兵衛が加賀藩三代藩主の前田利常から「町建て」のお墨付きを拝領し、経済活動が公に認められた八尾町の原型が形成されます。
ちなみに、前田利常の次男利次による富山藩の創設が寛永16年(1639年)ですから、それよりも早く町が開かれたことになります。
富山藩の成立により富山藩領となった越中八尾は、街道筋という立地を活かした養蚕、和紙、薬草などの集積地として、飛騨との交易により発展し、「富山藩の御納戸」と称されるように、富山藩の財政を支えるほど経済力豊かな町に成長します。
その後、年を経るごとに町域を拡大させてきた越中八尾は、寛政10年(1798年)には現在の町の姿が整っていたと言われています。
越中八尾の名を全国に知らしめているものに「おわら風の盆」があります。
毎年9月1日から3日にかけて繰り広げられる「おわら風の盆」は、越中八尾に暮らす人々の日々の生活に根ざした特別な行事として大切に守り育んできたもので、古来、町の誇りとして多くの人々を魅了しています。
三味線、胡弓、太鼓の音にのせた哀愁を帯びた唄に合わせて、女は浴衣、男は法被という揃いの装束に編み笠を被った踊り手の幻想的で優美な踊りが、ぼんぼりの淡い灯りが石畳に映える町並みを流し歩きます。
寛政10年(1798年)までに整えられた、今町、東町、西町、鏡町、下新町、上新町、諏訪町、西新町、東新町、天満町の、旧町と呼ばれる10町に、福島を加えた合計11の町で行われる「おわら風の盆」は、11の町が一堂に会して繰り広げられるのではなく、11の町それぞれの伝統と個性に培われた唄と踊りが、それぞれの町を舞台に披露されます。
他にも、富山藩の財政を支えてきた越中八尾の心意気を表すものとして、井波彫刻、高岡彫金、城端漆工など、加賀藩の名工の作が惜しげもなく散りばめられた曳山祭などを始めとした、豪華絢爛な伝統文化が数多く残っています。
石畳舗装や無電柱化された越中八尾の中心部は、明治時代以降の鉄道や陸上交通の変化に見放されたことも幸いして、おわら風の盆、曳山祭、八尾和紙など、先人の築いた文化を営々と受け継いできた伝統が今も息づき、切妻屋根の出桁造りに千本格子をしつらえた町家と石畳が絶妙な風情を織り成す町並みは、おわら風の盆や曳山祭が映える歴史の香り高い町として輝きを放っています。
風情豊かな町並みが広がる越中八尾の中でも、特にこの町を代表する諏訪町本通りには越中八尾の素晴らしさが凝縮されており、このように別稿の旅行記にまとめました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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では、諏訪町本通り方面へ。
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諏訪町本通りの西側は、「おわら風の盆」の11町の中で最も家数の少ない東新町にあたります。
いわゆる妻入りの町家ではありませんが、大きな妻面を見せるその姿は印象に残りました。 -
こちらは東新町の公民館。
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公民館をはじめ、東新町の町並みの所々には「おわら 早乙女姿の里」の標識が立てられています。
これは、「おわら風の盆」で東新町の女の子だけが早乙女(田植え姿)の衣装を着て踊ることからこう呼ばれています。 -
町家の横の坂道の先に見えているのが国道472号線沿いの町並みです。
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「おわら 早乙女姿の里」の標識のある所までが東新町で、その先が諏訪町本通りになります。
諏訪町本通りは、「甍の波」が続く素晴らしい町並みです。 -
諏訪町本通りは「日本の道百選」に選ばれているようです。
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では、諏訪町本通りを歩きます。
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吊り燈籠のある町家。
ジャロジー窓の付いた小屋が2本、角のように突き出ています。 -
無電柱化された石畳の続く諏訪町本通りの町並み。
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風情豊かな町家。
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諏訪町本通りの町並みは国道472号線より幾分道幅が狭いので、越中八尾の素晴らしいところが凝縮されているように感じます。
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町並みの所々に行燈が立てられています。
「おわら風の盆」の際には、臨時に並べられたぼんぼりが主役になるんですが、それを補助する名脇役になるんでしょうね・・・。 -
軒先に吊られた沢山の風鈴が、澄んだ音色を聞かせてくれます。
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デザインを凝らした格子で統一されています。
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この2軒は、まるで背比べをしているようですね。
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諏訪町本通りの町並みを、振り返って見たところです。
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緩やかな坂道に沿って・・・
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「甍の波」が続いています。
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ここにも行燈がありました。
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「おわら風の盆」の際には、格子の前に置かれた床几が観覧席になるんでしょうね。
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本屋根と付け庇の共演。
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枡格子が珍しい町家です。
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諏訪町本通りの町並み。
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よく似た町家が並んでいますが・・・
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もちろん、どこも家主さんが異なります。
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諏訪町本通りのこういった光景を見るにつけ、良いところが凝縮されているように感じるんでしょうね・・・。
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諏訪町本通りの町並み。
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1階の垂壁に唐破風のような造作を施した町家。
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玄関先を椿の鉢植えで飾った町家。
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ずっと坂道だった諏訪町本通りの町並みは、この辺りでほぼフラットになりました。
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こちらの町家のバルコニーでは蘭を育てておられます。
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シャッターも外壁に合わせて塗り分けられています。
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坂の町越中八尾の面目躍如です。
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諏訪町本通りの町並み。
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伝統的な町家にリースを取り合わせたのがちょっぴり今風ですね。
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梁の小口に面取り細工を施した町家が並んでいます。
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右側に諏訪町公民館の扁額が見えます。
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1階が袖壁で区切られた町家が隣り合っています。
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ざるを使った花飾りには・・・
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春の花が活けられています。
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いわゆる2間もある、とても間口の広い玄関の町家。
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雪洞を逆さまにしたような外灯のある町家。
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東新町から随分歩いて来ました。
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この町家は、諏訪町本通り側の窓には格子がありますが、奥の窓にはありません。
どういう風に使い分けているんでしょうね・・・。 -
珍しく、平屋建ての町家があります。
でも、脇道に廻って確認すると、奥は2階建になっていました。 -
こちらは手打ち蕎麦のお店です。
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枡格子の建具の入った町家。
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格子と窓建具の間に、若干のスペースがある町家。
そのスペースを利用して、大きな徳利や鉢植えを置いておられます。 -
梁の木口が屋根形に見えるように工夫されています。
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玄関に潜り戸のある町家。
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あえて木目を見せている町家。
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諏訪社の境内から見た町並み。
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右側はお豆腐屋さんなんですが、早々と暖簾をおろして、店仕舞されたようです。
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ここにも垂壁に唐破風のようなしつらえを施した町家があります。
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諏訪町本通りもいよいよ突き当たりまでやって来たようです。
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ここまで歩いて来た諏訪町本通りは、風情ある町家が数珠つなぎ状態で、越中八尾の良いところが凝縮されているという印象が残っています。
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最後に、こちらは寺院で、この前の道を右に進むと国道472号線に接続します。
諏訪町本通りを含め、越中八尾の町並みの素晴らしさにノックアウトされた私です。
再訪したい町がまた一つ増えました。
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この旅行記へのコメント (2)
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