2015/04/25 - 2015/05/02
584位(同エリア2856件中)
ポポポさん
4月29日午後はアムステルダム市内観光です。
アムステルダム国立美術館を観光した後、プリンセンフラハト263番地にあるアンネ・フランクの家(アンネ・フランクの隠れ家)を観光しました。
この家はアンネ・フランクをはじめユダヤ人8人が2年間隠れ住んだ家で、当時のまま保存され博物館として公開されています。
私が高校時代に読んだ「アンネの日記」がここで甦りました。隠れ家の入り口を隠していた動く書棚、マルゴーとアンネの成長を壁に刻んだ成長記録、父オットーが作成したノルマンディ上陸以降の連合軍の侵攻地図、ペーターと二人で過ごした屋根裏部屋、アンネの部屋の壁に貼られた写真の数々、アンネが生きた証が残された建物の中を歩んで行くと日記に書かれていたことが思い出されて胸が締め付けられるようになり、目が潤んできました。涙をこぼさないようにと必死で我慢したことが昨日のように思い出されます。
アムステルダムを観光するなら、事前に「アンネの日記」を読み込んで是非観光すべき場所だと感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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キューケンホフ公園があるリッセからアムステルダムまでバスで移動しましたが、高速道路に上がるまではチューリップ畑がある一般道路を走行しました。
特にキューケンホフ公園の周囲には沢山のチューリップ畑があり、今を盛りと咲き誇る色とりどりのチューリップを見ることができました。
それではレストランの向かい側にあったチューリップ畑から、午後の観光をスタートしましょう。 -
広い畑には色々な色のチューリップが咲いています。
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こちらは小ぶりの赤いチューリップ。
車窓から写しているのでピントが甘くなってしまいました。シャッター速度の選定ミスです。 -
この種のチューリップをよく見かけました。
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赤いチューリップは色が鮮やかです。
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黄色や白色系は地味に映りますね。
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真紅の畑は艶やかでした。
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この畑はピンクも綺麗。
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この畑はカラフルでした。
虹のようなカラフルなチューリップ畑がありましたが、街路樹が写真に写り込んでしまうので邪魔でした。 -
この辺りは左右にこのようなチューリップ畑が延々と続き、とても綺麗でした。
春のオランダはこんな景色があちこちで見られるので、花好きにはたまりません。 -
本場の美しいチューリップ畑の景色が見られて大満足でした。
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畑のチューリップは開花して2~3日で花を摘み取られるそうですから、チューリップを見るにはドンピシャだったと思います。
当初は旅行日をいつにするかかなり悩みましたが、結果は上々でした。
5月に入ると開花時期を過ぎてしまうので、チューリップを見るなら4月一杯がいいと思います。
ただし自然環境に左右されるので、花パレードが開催される4月20日前後が一番いいようです。 -
黄色も沢山咲いていると綺麗ですね。
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ファインダー一杯にチューリップが収まったところでシャッターを切ったら、車が映り込んでいて台無しになってしまった写真です。
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高速道路に上がってしばらくするとスキポール空港が見えてきました。
もうこの辺りからチューリップ畑は見かけなくなりました。スキポール空港 (AMS) 空港
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アムステルダム国立美術館に到着しました。美術館の向かい側の地下にある駐車場にバスを止めて観光開始です。
この美術館は2003年に全面改装のため閉鎖され、10年もの時を経て2013年4月に再オープンしました。
ところで「みんなのアムステルダム国立美術館へ」という映画が上映されたのをご存知でしょうか?
2014年12月から公開され私は2015年の春にこの映画を見ました。
見る前はアクステルダム国立美術館の収蔵品を紹介した美術映画だと思っていましたが、内容は国立美術館の改修工事のドキュメンタリー映画でした。
美術館の改修工事は途中で大きな問題が発生して中断を繰り返して、遅れに遅れて当初2008年にオープンの予定が大きく伸びてしまいました。
この映画はどうして再オープンまで10年もの年月がかかってしまったのかをテーマとした映画です。
館長や学芸員の苦悩、市民や建築家との対立、揉めに揉め怒りがぶつかり合うスタッフたち、その中でも美術スタッフの作品に対する愛情や良いものを造ろうとする熱意や熱い思いが描かれていました。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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現在国立美術館のエントランスのメイン道路は自転車専用道になっていてその両脇に歩道が設けてあります。
当初このメイン道路は美術館を貫く自動車道として設計されましたが、自転車王国アムステルダムの市民から、自転車が通りにくいと猛反発。大騒動が巻き起こったのです。
そのため最初から美術館の改修工事は暗礁に乗り上げました。アムステルダム市民は自転車の走行については全く譲歩しないため、改修工事は中断され大幅な見直しを迫られました。それぞれの立場から色々な意見やこだわりが錯綜し主張しあって果てしない論争に発展。美術館員の誰もが疲労困憊に陥りました。
館長は建築業者や内装業者、市民と対立し途中で退任してしまいました。
そんな中でも再オープンに向けて美術スタッフは黙々と絵画の修復に取り組みます。ある美術館員(アジア館館長)は日本の金剛力士像に思いを寄せ、新設されるアジア館の目玉にしたいと希望を募らせます。
映画ではこの金剛力士像が多くの美術品の中でも特別な存在のように取り扱われていて、日本人として誇らしく思いました。 -
2015年2月12日から5月17日までは「晩年のレンブラント」という特別展をやっていました。
ハーグのマウリッツハイス美術館で貸し出しになっていたレンブラントの自画像は、ここに展示されているのかもしれません。 -
0階の通路です。ここを右に曲がるとエントランスに面した広場があり、チケット売り場、博物館の入り口、カフェやショップがありました。
アジア館の入り口は0階にあります。
チケット売り場はものすごい人で長蛇の列でしたが、私達は団体の予約が取れていたので少しの待ち時間で入場できました。
個人で入場される方はオンラインでチケットを購入されるべきです。特に4月と5月初旬は世界中からチューリップを見るためにオランダに観光客が押し寄せるので、オンラインでチケットを買っておくのは当然の事のようです。 -
レンブラントやフェルメール、ステーンやハルスなどの作品は2階(日本では3階)中央の建物の名誉の間にあります。
そのため2階の中央にある名誉の間から順番に見ていきました。この部屋は有名な画家の作品が集中しているので、ごった返していました。
フェルメールの絵の前は人だかりができていて、前で絵を見るにも一苦労でした。
現地のガイドさんは人だかりの後ろから説明を始めるので、前に出て絵を見ないと説明が理解できません。
私は人だかりの後ろで遠巻きに絵を見ることが多かったので、絵の説明はほとんど覚えていません。
ここは名誉の間で、この先にレンブラントの「夜警」があります。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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レンブラントの「夜警」の前も人だかりがすごい。静かに絵を観賞できません。
前の方に出るのも中々大変でした。 -
レンブラントの「夜警」、大変大きな絵です。左にいる警備員の身長と比べたらこの絵がいかに大きく大作であるかが分かると思います。
この絵の正式名は「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」です。
長年この絵は「夜警」という通称で呼ばれてきました。それはこの絵の表面が黒く汚れていたため夜の風景を描いたものだと誤解されてきたからです。
2度に渡る洗浄作業で表面の黒ずんだニスが取り除かれたことによって昼の景色を描いたものであることが判明しました。
私は高校生になるまでレンブラントも「夜警」も知りませんでした。世界史の教科書に載っていた「夜警」の絵で初めて知ったものです。
いつかは実物を見てみたいと思い続けてきましたが、やっと願いが叶いました。
そんな思いでここにやってきましたが、天井からLED照明が照らされていたため絵の上部は光を反射して光っていました。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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光を遮って写真を撮るとこんな感じに写りました。
この絵は光と影を強調した絵だといわれていますが、こちらの写真の方がより明暗が分かり易いと思います。またこの絵は集団肖像画ですが、肖像画として描かれた人物に動き(自警団の出発直前の様子)を取り入れているのもこの絵の特徴なんだそうです。
描かれている人々は火縄銃銃手の市民自警団です。 -
絵をアップにしました。
描かれている人物の中で需要な人物は光が当てられている3人です。隊長と副隊長と少女。 -
特に少女は隊長の後ろにいるにも拘わらず、光を当てられて強調されています。
何故なんでしょうか?
それは少女が隊のマスコット的な存在であり、腰の帯にぶら下がった鶏の足の爪が火縄銃銃手の象徴なんだそうです。
自警団員は火縄銃を手に持っているので、そんな回りくどい描き方はしなくても分かるのにと思うんですが、どうでしょうか。 -
少女をアップにすると鶏の足の爪が描かれていることが良く分かります。
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隊長・副隊長を取り囲む自警団員。その前では犬が吠え立てています。
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隊旗を掲げる旗手。
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上からの照明が当たった状態での絵画。
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照明を入れないようにして写した絵画。この場合は絵全体が暗くなりました。
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中心部分のアップ。
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再び全体の絵に戻ります。
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ガイドさんの説明はレンブラントの「夜警」で終了し、これからは自由の観覧できます。
この絵は夜景の部屋に展示してある集団肖像画ですが、レンブラントの作ではありません。
長大な大作なので写真でカメラに収まりきれないため3分割して写真に撮りました。
この部分は右端。 -
絵の中央部分。
この集団肖像画はレンブラントのような動きがありません。この絵も自警団を描いたものです。 -
左端部分の絵。
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この絵も夜警の部屋にある自警団の集団肖像画です。
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ここからレンブラントの絵画です。これは「ヨハネス・ウェンボールトの肖像」
レンブラントは名誉の間と呼ばれる部屋の一画にまとめて展示されていました。
ただしこの部屋にはマウリッツハイス美術館から貸し出しされているであろう「自画像」やこの美術館に収蔵されている「聖パウロに扮した自画像」がありません。
美術館の物の部屋で特別展が開催されており、そちらで展示されているのでしょう。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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この静物もレンブラント。
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レンブラント「マリア・フィリップの肖像」。
レンブラントの肖像画で一番美しいと言われている作品です。 -
レンブラント「幻想的な衣装の若い女性(サスキア)」。
レンブラント27歳の時の作品で描いているのは「妻サスキア」です。 -
ここまでがレンブラントの絵画です。特別展「晩年のレンブラント」はどこでやっているんでしょうか?
ガイドさんからは全く説明がありませんでした。
但し団体旅行の悲しさ、たとえ説明があったとしても特別展まで見る時間はなかったと思います。
1階は一部しか見ることができず、0階は全く見れませんでしたから。
後日調べたところによると、この特別展は国内の他の美術館や世界中の美術館から集めた約90点ものレンブラントの絵画が展示されているそうです。
入場料は通常料金の他に7.5ユーロ必要です。今後このようにレンブラントの作品が一堂に会する機会はないだろうとのことで、大変貴重な展覧会には違いないようでした。 -
ヤン・ダヴィス・デ・ヘームの「果物と花の静物」
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ハルスの「庭園の夫婦」。
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ここからフェルメールのコーナー。
アムステルダム国立美術館はフェルメールの絵を4枚所蔵しているのですが、この日は「手紙を読む青衣の女」が貸し出し中になっていて、見ることができませんでした。
「牛乳を注ぐ女」です。この絵も有名ですね。実物は素晴らしい。食い入るように見ていました。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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フェルメール「恋文」。
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フェルメール「小路」。
フェルメールが描いた2枚の風景画の内の1枚です。 -
ここからはヤン・ステーンの作品が並びます。これは「楽しい家族」。
ヤン・ステーンは欧州人に人気の画家のようで、このコーナーでは引っ切り無しに外国人の団体客が訪れて、その都度ガイドさんが熱心に絵の説明をしていました。
私達のガイドさんはここにある数枚の絵画のみ説明しいていましたが、どんな内容だったのか思い出せません。
記憶にあるのは当時の民衆を風刺的に描いた画家であるということくらいです。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ヤン・ステーン「猫にダンスを教える子供」
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ヤン・ステーンの「聖ニコラスの祝日」
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同じくヤン・ステーンの作品「オウムに餌をやる女」
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ヤン・ステーンの作品ですが、メモしていなかったので作品の名前が分かりません。
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ヤン・ステーン「自画像」
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フェルスプロンク「青い服の娘」。
アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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国立美術館2階の窓のステンドグラスです。
綺麗でした。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館2階エントランスホールの様子です。
壁の絵は全てフラスコ画でした。 -
エントランスホールの反対側の様子。
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アーフェルカンプの「スケートをする人々のいる冬風景」
2階にはまだ多くの絵画やデルフト陶器、帆船模型、ドールハウスなどがありますが、自由時間が少ないのでとても見切れませんでした。
まだゴッホを見ていないし、集合時間が迫っているので1階に降りることにしました。 -
ゴッホの作品は1階の入り口付近に3点求めて展示されていました。
これは「自画像」。
翌日訪れたゴッホ美術館では多くの自画像が展示されていました。ゴッホは自画像を沢山描いているんですね。アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ゴッホ「カラフェとレモンの乗った皿」
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ゴッホ「下生え」
この他いくつかの絵を観賞しましたが写真を撮る時間が勿体無いため、これ以降写真は撮っていません。
それでもゴヤの作品や「ワーテルロー」は見逃してしまいました。
自由行動も含めて1時間半ではとても時間が足りませんでした。ミュージアムショップを覗く余裕もなかったです。
多分展示作品の5分の1も見ていないと思います。館内には休憩する椅子もあるので個人旅行で行かれる方は1日時間をかけてじっくり鑑賞されたらいいと思います。
ツアーはとにかく駆け足なので記憶に残らないことが多いので、ここの2階の名誉の間の作品だけはじっくり鑑賞してきました。 -
入場するときには気付かなかったのですが、入り口右手には庭園がありました。
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水仙やチューリップなど春の花が咲いていました。
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美術館全景と庭園。
この後は美術館の手前の地下駐車場に止めてあるバスに乗車し、旧市街のあるアンネ・フランクの家(隠れ家)を観光しました。 -
ここは西教会。
アンネ・フランクの家は西教会の向かい側にあります。「アンネの日記」の中に出て来る鐘の音、アンネが一人の時に、あるいはペーターと二人で屋根裏部屋で聞いた鐘の音がこの教会の鐘なんですね。
アンネフランクハウスを見学中に、この鐘の音を聞きました。窓をカーテンで遮蔽し外に明かりが漏れないようにされた部屋の中でこの鐘の音を聞くと、まるで自分がその当時同じ場所にいるかのような錯覚に陥ります。西教会 寺院・教会
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その鐘がある西教会の鐘楼です。
教会の周りを巡って進むと、アンネ・フランクの家の前には入場を待つ人の長蛇の列ができていました。
おりしも天候が崩れてきて、雨が降りだしました。寒風と雨のなか1時間の行列待ちは寒くて辛かったですね。
添乗員さんの話では普通ここは2時間待ちなので1時間で入れたのは運が良かったと言われました。天候が悪かった事が幸いしたのかもしれません。
途中から小雨になり一時雨が止んだので、交代で隠れ家の前で写真を撮ったり日本語のパンフレットを読んだりしながら時間をつぶしました。
このパンフレットを読めば概略は分かりますが、事前に「アンネの日記」を読み込んでおけばより一層理解が深まると思います。。西教会 寺院・教会
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西教会の全景です。アンネ・フランクの家には写真右端の通りから入りますが、行列が多い時にはこの辺りまで行列ができているそうです。そしてこの辺りから並ぶと2時間待ちなんだそうです。(この写真は2015年8月にアンネ・フランクの家を再訪したときのものです。)
アンネ・フランクの家には全世界から観光客が訪れますが、そのうち十代二十代の若者が6~7割を占めるようです。
私達が並んだ時、日本人のグループは我々だけで、他には若い女性の2人組を何組か見かけました。その中には日本人の人もおられたと思いますが印象は中国人か韓国人の人のようでした。
圧倒的に多かったのが欧米人の若者です。ポーランドのアウシュビッツに多くの若者が訪れて学習するように、ここにも多くの若者がやってきます。西教会 寺院・教会
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アンネ・フランクが隠れ家の中で毎日聞いていた西公園の鐘楼の鐘。(2015年8月に再訪した時写したもの)
西教会 寺院・教会
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西教会。西側の運河沿いから写したもの。(2015年8月撮影)
西教会 寺院・教会
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アンネ・フランクが2年間隠れ住んだプリンセンフラハト263番地にある隠れ家。
この建物はアンネの父オットーが経営している会社の社屋で、このうち2階(日本では3階)の一部と3階(日本では4階)を隠れ家として使用していました。
写真の建物が隠れ家です。立っている女性の左のドアが建物の入り口です。
左の柱には番地を表す「263」の表示、右の柱には「アンネ・フランク、ハウス」と表示されています。
現在この建物はアンネ・フランク財団が管理し、博物館として公開しています。建物の入り口はここですが博物館の入り口は隠れ家の右隣りにある建物の0階(日本では1階)にありここから入場するようになっていました。さらにその右にもう一棟建物があり、ここには書店とその上にはカフェがあります。そしてこの書店が博物館の出口になっていました。
入り口を入った所に小ホールがあり、ここでは第二次世界大戦中ナチスドイツがユダヤ人に行ったホロコーストの記録フィルムが導入部として上映されていました。ここのみ日本後で説明を聞くことができます。
アーリア人至上主義、反ユダヤ主義・ユダヤ人と質的欠格者の撲滅というヒトラーの気違いじみた演説から映像は始まりました。SSに追い立てられゲットーに強制移住させられるユダヤ人の様子や、ゲットーから貨車に押し込まれ絶滅収容所に移送されるユダヤ人。ホロコーストを命じ実施したナチス親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーの映像。連合軍に開放された強制収容所の様子が映し出されると、そこは地獄絵図でした。
焼却されず裸のまま大量に放置された死体の山。大きな穴の中には折り重なって投げ捨てられている累々たる死体。
骨と皮だけでやせ衰えながらも、わずかに生命の火が宿って生き残ることができた僅か数人のユダヤ人。歩く事もできず、連合軍の兵士に抱きかかえられた姿は目も虚ろで精気はありませんでした。
死体をブルドーザーが処理していくシーンは胸が痛みました。
アンネ・フランクはドイツのベルゲン・ベルゼン収容所で亡くなりましが、彼女の遺体もこのように処理されたのかもしれません。
これらの映像は中学から高校時代に何度も映画やTVで見ていたので、割と平静に見ることができましたが、初めて見る人は衝撃を受けるかもしれません。
ここから隠れ家に移動し階段を上がって隠れ家の中に入って行くのですが、その途中に隠れ家の中を再現したジオラマや隠れ家で過ごした8人の写真や遺品、協力者のミープやクレイマンなど4人の資料コーナーがあります。
隠れ家の各部屋の家具や調度品などはSSやゲシュタポに押収されたため、隠れ家にはありません。
そのためジオラマで部屋の中の様子を確認しておくとよいでしょう。日記で読んだ部屋の状況が良く分かります。
建物は0階が倉庫、1階が事務所、2階には貯蔵室、その奥に隠れ家に通じる踊り場と入り口を塞いでいた動く本棚、父オットー・母エーディット・姉マルゴーが同居した部屋、アンネと歯科医のデュッセルさんが生活した部屋があります。
3階はファン・ダーン夫妻の部屋とペーターの部屋があり、そこから屋根裏部屋に登る階段がありました。
ここで8人のユダヤ人が2年間生活したのですが、狭い部屋にベッドと家具を置いて複数人が生活するには大変な苦労があったと思います。
特にアンネは思春期の少女なのに男性と同居させられていました。プライバシーも何もない中辛い思いをしたことでしょう。日記の中にも同居しているデュッセルさんや母との確執が書かれています。辛かったと思います。
一人部屋はペーターだけでした。各部屋は何も無いので広く感じるかもしれませんが、これにベッドや家具を置くと空きスペースはほとんど無い状態です。
アンネの部屋の壁には映画スターなどの写真が貼り付けてありますが、これは当時生活した時のまま保存されています。
洗面器などの生活用品がいくつか置いて在りましたが、これはその時代の物ですが隠れ家で使用された物ではありません。
窓は黒いカーテンもしくは布で覆われ、明かりが漏れないようにしてあるので電球を灯しても薄暗い状態でした。
どうかこの建物を訪ねてアンネに思いを馳せてみてください。若い頃読んだアンネの日記に書かれた8人のユダヤ人の様子が思い起こされることでしょう。
そしてこの博物館を観光する場合は、もう一度「アンネの日記」を読み直してみることを特に勧めます。
私は読み直して行かなかったので、忘れていた個所がいくつもありました。それで帰国して新に発見されたアンネの日記を加筆した完全版を読み直しました。アンネ フランクの家 建造物
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高校時代に読んだ印象と、年齢を経て読んだのとでは受ける印象が違っていました。
再度読んでみると逮捕連行された年くらいから彼女の日記が大きく変化していたことが分かりました。物事を深く掘り下げて考えるようになってきて、文章や内容もまるで大人の作家が書いているかのように変わっているのに気付きました。
8月に捕まるのを予知しているかのように昇華し続けています。読んでいてとても十代の少女が書いた物とはとても思えないような内容でした。
彼女の夢は有名な作家になること、そして多くの人にアンネの作品が読まれることでしたが、彼女の死後この夢は達成されます。なんと素晴らしいことでしょう。
アンネ・フランクの家の内部は狭くて外国の観光客は説明文に目を通しゆっくり見て回るので、内部の観光にはかなり時間がかかります。
ここを観光される場合は時間に余裕をもって観光されたらいいと思います。
アンネ・フランクの家の見学が終わると隣家に進みます。(写真右の建物)
ここにはアンネの父オットーと同室で2年間生活した歯科医デュッセルさんに関する展示があり、2階に「アンネの日記」のオリジナルが展示されていました。
日記帳やノートに丁寧に記述されたものや紙の裏に書かれた日記が展示公開されています。
なお、ここは入場してから出るまで中では一切写真撮影ができません。
隠れ家は4階建てで一番奥に屋根裏部屋があります。2015年4月の写真では隠れ家の全景が分からないので同年8月に再訪した時の写真を掲載しておきます。アンネ フランクの家 建造物
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西教会そばのアンネ・フランク像。
像の前には献花が絶えません。アンネ フランクの像 モニュメント・記念碑
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トラムの西教会駅。アンネフランクハウスへはアムステルダム中央駅からトラムに乗って来れるので便利です。
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西教会からバスに乗り、今夜の夕食会場であるレストランに向かいました。
バスの車窓から見えるのは王宮です。王宮 城・宮殿
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レストランはダム広場に近い運河沿いにありました。
写真で観覧車が見えるところがダム広場です。春の移動遊園地が広場にありました。 -
レストラン「DE NISSEN」です。
ここはオランダ料理のレストランで、今夕は伝統的なオランダ料理を楽しみました。
前菜はエルテンスープ(豆スープ)、メインはヒュッツポットでした。
エルスープは青豆を形が崩れるほどにじっくり煮込んだスープだそうで、具に野菜が入っていて大変美味しかったです。
ヒュッツポットはジャガイモ・人参・玉ねぎを茹でてつぶしたものに牛肉の煮込みを添えた料理ですが、クセが無く食べやすかったです。これも美味しい。
旅行記を作るつもりがなかったので料理の写真はありません。 -
レストランの内部ですがピンボケになってしまいました。
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レストランの側の運河沿いの様子。
昼食が終わったのでこれからスキポール空港に近い場所にある今夜のお宿に向かいます。
お宿の名前はホテル「ウエストコードファッション」、4つ星ホテルですが旅行会社のグレードはデラックスホテルでした。 -
市内にあるハイネケン・エクスペリエンス(ビール博物館)です。
ハイネケンのビール工場を博物館として公開しています。ハイネケン体験 博物館・美術館・ギャラリー
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朝観光したアムステルダム国立美術館の側を通ります。こちらは美術館の横部分です。
アムステルダム国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ホテルに到着しました。旧市街郊外にあるホテルで周囲にはクリークや緑の畑がありました。
建物はビジネスホテル風、外観からは豪華な印象は受けませんでした。
ホテルの内部はモノトーン調に統一されていたので派手さはありませんが、落ち着いた印象のホテルでした。
このホテルの良かった点は朝食です。種類も量も豊富です。特に欧州では出されることが少ない野菜が種類量ともにたっぷりありました。
それと女性には嬉しいスイーツがこれまた種類量ともにたっぷり。ケーキだけでも何種類もありました。
シーツは甘すぎず日本人でも食べやすい甘さでしたから、女性にはお勧めのホテルです。ウエストコード ファッション ホテル アムステルダム ホテル
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室内の様子です。非常に清潔なホテルでした。
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ベッドはダブルベッド。これを今夜は一人占め、ぐっすり眠れそうです。
ウエストコード ファッション ホテル アムステルダム ホテル
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風呂はバスタブなので疲れが取れるでしょう
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洗面にはボディーソープ、シャンプー、ヘアキャップなどのアメニティが完備。
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ポット付き、コーヒーや紅茶のティーバッグも付いていました。
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室内の様子。
ウエストコード ファッション ホテル アムステルダム ホテル
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