2016/11/06 - 2016/11/06
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ドクターキムルさん
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上野の東京国立博物館(東博)本館2Fの国宝室では、京都・神護寺に伝来するあの有名な3像の一つである伝藤原光能像が展示されている。しかし、この雄弁過ぎる解説文を読んで、唖然としてしまった。
「像主が特定の人物の名と結び付き伝来した」ならば、コロコロとその像主の人物の名が変わるということは有り得ないことである。それが、「(像主が特定の人物の名と結び付き伝来したことは,)歴史的に大きな意味を持っています。」とはどういうことか?全くのところ論理が破綻している。これほどひどい解説文は初めて目にした。この担当研究員はからきしロジックもできない、相当にレベルの低い研究員に違いない。
解説文に、「この肖像画は最高傑作でも、担当研究員は最低レベルだ。」と追記したい気分だ。
(表紙写真は伝藤原光能像の解説文)
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伝藤原光能像の解説文。
「伝藤原光能像
伝源頼朝像,伝平重盛像とともに京都・神護寺に伝わった肖像画です。冠を被り,癪を持ち,刀を掃く公家装束の人物が畳に座しています。像主の着す束帯は,平安時代末頃から流行した,糊をきかせて直線的な衣の線を強調する強装束で表わされています。画面の随所に彩色にグラデーションをつける隈をほどこし,顔の部分には発色効果を高める裏彩色を用いるなど,主に仏画で使用される技法が随所に確認されます。あわせて,継ぎ目の無い大幅の一枚絹にほぼ等身大で描かれた,俗人の肖像画としては他に類例を見ない画像です。このことからも,本図は何かの儀礼で用いるために描かれた,礼拝画的な機能を具えた画像であることがうかがわれます。
本図の像主に関しては,江戸時代には桜町成範とされ,明治時代以降は今日呼び慣わされている藤原光能とされてきました。像主が特定の人物の名と結び付き伝来したことは,歴史的に大きな意味を持っています。近年,本図の像主が室町幕府二代将軍。足利義詮とする説が提出され,大きな論争を呼びました。また最近の研究では,用いられた画絹が,南北朝期成立のいくつかの仏画と同様の組成を示すとの報告もなされています。
いずれにせよ,端正な面持ちで,見る者を拒絶するかのような,神々しさをも感じさせるこの破格の画像が,日本肖像画史上,最高傑作の一つであることは疑いの余地がありません。
担当研究員:土屋貴裕」
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