2016/04/30 - 2016/04/30
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ミズ旅撮る人さん
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広島の平和記念公園には、ツアーで何度か訪れたことがありました。原爆ドームも、元安川ごしに眺めました。
ツアーの限られた時間で、相生橋を渡り、原爆ドームに行くのは難しく、どうしても対岸の眺めでしか知り得ませんでした。
今回、九州までのドライブの中継地として、広島に1泊することになり、ようやく原爆ドームの足元に行く機会を得ました。
自分の中の広島は、平和記念公園の中と、宮島程度。今回、初めて生の広島を垣間見ることが出来ました。
町の中心地は、JR広島駅付近ではなく、県庁付近なんですね。広島電鉄がまさに、市内の大動脈。8つの系統があり、遠くは広島駅から宮島口まで走っています。
そして広島カープの本拠地。旧市民球場の横にはSLまでありました。
2016年5月、初めて現職のアメリカ合衆国大統領として広島を訪れるオバマさんより先に、行って来ました。(^^)v
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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広島で泊まった旅館の朝食で、お櫃(ひつ)に入っていたのが、この杓文字。
宮島の厳島神社の絵柄です。ああ、広島なんだなと妙に感心しました。
広島と言えば、杓文字。高校野球でも杓文字を打ち鳴らす応援で有名です。 -
「平和の道」。広島の町中で、足元にこんなプレートを見つけました。
昭和57年から広島市によって整備された「平和の道」。
広島駅〜京橋川左岸〜平和大通り〜平和記念公園と続きます。
他に「文化の道」というのもあり、広島駅〜縮景園〜広島城〜平和記念公園〜文化交流会館を結びます。 -
広島城。太鼓櫓。広島城は原爆により倒壊しましたが、昭和33年に鉄筋コンクリート造で、再建されました。
威風堂々とした立派なお城です。
残念ながら時間がないので、横を通るだけです。広島城 名所・史跡
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平櫓。表御門と多聞櫓を結ぶ平屋建ての櫓。平成元年〜6年に復元しました。
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相生橋の上を走る広島電鉄。2号線(系統)宮島口行き。3950形「ぐりーんらいなー」
広島電鉄は、明治43年設立(広島電気軌道)。昭和17年に「広島瓦斯電軌」より分離独立して現社名となります。
しかし、昭和20年の原爆投下により全線不通となりました。
ここですごいのが、運転再開の早さです。前以て、車両の疎開などの措置もされていたようです。
被爆翌日の8月7日には草津〜広電宮島口間で運行再開、翌8日には、宮島線全線での再開となりました。
本線の一部での運行再開も9日に始まり、順次各路線の再開が続き、本線全線の再開は12月でした。
一番電車を走らせたのは、広島電鉄家政女学校の女子学生だったといいます。
第二次世界大戦で、男性が出兵し、運転士が不足したことから、女性を運転士として教育するために昭和18年に設立されました。
この時期の話は、近年ドラマ化されました。
まさに、日本人の底力を感じさせられます。 -
広電が行った後には「原爆ドーム」が見えました。
アメリカは当初、広島・小倉・新潟・長崎のいずれかに原爆を投下する予定だったと言います。
8月6日は、原爆投下の状況を目視で確認するには最適の好天で、市内中心部にある珍しいT字型の相生橋が照準点でした。
午前8時15分にエノラ・ゲイにより投下された原爆は、相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルで、炸裂しました。
今、通っているこの橋が目印だったのです。原爆ドーム 名所・史跡
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現在、相生橋のたもとには広電の「原爆ドーム前」という電停があります。
ここは、5つの系統の広電がやって来る、中心的な電停です。
広電では、1系統を1号線という呼び方をするそうです。原爆ドーム前停留場 駅
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原爆ドームの前を走る広電。3号線「広島港」行き(宇品線)です。
この車体は、100%国産の超低床型車両1000形の1008番で「GREENMOVER LEX」と呼ばれます。
「LEX」は「Light Excursion(観光・遠出)」からの造語です。
1008番は、2016年1月29日に運行を開始したばかりの新しい車体です。
広電では、1999年に最初の超低床型車両をドイツから輸入していました。当時、国産では作ることが出来なかったのです。
しかし、あまりにもコスト高のため、開発に力を入れ、2004年に初めての国産5100形を導入し、順次増やしています。
1編成(3両)の値段は2億7000万円だそうです。 -
「原爆ドーム前」駅付近から東を見ています。
左に「そごう」が、その先に、次の「紙屋町西」駅が見えます。
「そごう」の角を左(北)に曲がると県庁があり、広島城に至ります。まさに広島市の中心街です。
バスで訪れる観光客にはわかりませんが、ここの地下には珍しいものがあります。
各ビルの駐車場が地下通路で繋がっているのです。
入口は総合体育館の横と、商工会議所の横2カ所にあり、出口は旧市民球場の横です。
この写真の地下にも駐車場「シャレオ」があり、30分220円でした。
最大料金900円で、付近の商業施設での購入によって優待があるようです。
「原爆ドーム」のすぐ前なので、車で観光の場合は「シャレオ」が一番近いと思います。 -
「原爆ドーム」の前に着きました。
まだ8時半なので、観光客も少ないです。 -
ドームの前には「慰霊」の碑がありました。
ドームの向こう側に元安川が流れています。
観光客は、この右手にある説明板に固まっているので、左側から見学することにします。 -
柵に、工事の内容を示した看板がありました。
「原爆ドーム上部構造補強工事」工期平成27年12月14日〜平成28年7月29日。
総工費は28,836,000円。鋼材を3カ所に設置するだけで、2800万円も掛かるんですね。
途中でオバマ大統領が来ることになるけれど、その時は中断するんでしょうね。 -
南東側です。
「原爆ドーム」については、日本国民なら誰でも知っているので、説明は抜きにしようかとも思いましたが、一応書いておきます。
1915(大正4)年、「広島県物産陳列館」として完成。昭和19年まで「広島県産業奨励館」として活用されましたが、業務廃止となり、原爆投下時は官公庁が使用していました。
被爆後は広島市が県より譲り受け、昭和41年に保存を決定。
1996(平成8)年に世界遺産に登録されました。 -
南側です。建物はチェコ人のヤン・レツルの設計で、一部鉄骨のレンガ造りです。
外装に石材とモルタルを使用しています。3階建てで、中央が5階建ての上に楕円形のドームが載っていました。
ドームが楕円だったとは知りませんでした。長軸11m、短軸8mだそうです。
原爆はここから北西約160mの地点、上空600mで爆発しました。
このため、ほぼ真上から爆風を受けることになり、奇跡的に本館部分は全壊を免れたのです。
しかし、中で働いていたすべての人が即死しました。
朝の通勤・通学時間であり、延焼を防ぐための家屋の引き倒し作業のために、多くの人が外で作業をしていて被爆しました。
戦争をやめさせるためだけなら、なぜ都市の真ん中に落とさなければならなかったのか。
単なる示威行為なら、多くの人を殺さない方法だってあったはず。そして、長崎にまで落とさなくても・・・私などがわざわざ言うことではないのですが(戦後70年間ずっと広島はそう叫び続けて来たのですから)、問わずにはいられません。
なぜ?そうしなければならなかったのか。 -
ドームの南側、元安川に面した所に、ドームの説明書きがあります。
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被爆前の広島県物産陳列館。
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被爆直後の広島県物産陳列館。
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第一回、保存工事の状況。
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1996(平成8)年、世界遺産に登録されました当時の、西(元安川)側上空からの姿。
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イチオシ
元安川を背に、現在の原爆ドームです。GWで、つつじが綺麗でした。
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元安川をアクアネット広島の「ひろしま世界遺産航路」の高速船が行きます。
ドームの南にある元安桟橋から一旦北上して相生橋の下をくぐって太田川に入り南下、広島湾を宮島に向かって行きます。
片道2,000円往復3,600円。所要時間45分。徒歩観光の強い味方です。
1時間におおよそ2便ありますが、潮位の影響で欠航する便があります。
参考までに5/22は、14時以降のすべての便が欠航になっています。
HPで、日付指定をして運航情報を調べてから利用を決めた方がいいでしょう。
対岸が、平和記念公園です。 -
相生橋です。広島電鉄が走っている所が、相生通りで、そこから左の中島にも橋が伸びてT字型になっています。
この特徴的な橋の形が、原爆投下の目印となりました。
遊覧船は中島への橋の下をくぐって、太田川に入ります。 -
太陽の方向から爆風が来たので、反対側には外壁までよく残っています。
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真ん中のレンガの壁の向こうにはらせん階段もあります。
その脇に地下室への階段もあります。 -
玄関部分の装飾が大正時代のハイカラな様子を今に伝えています。
玄関には左右にアプローチがあり、たいへん先進的な西洋建築でした。 -
しかし、現在、正面玄関から見える状態はこれです。
鉄骨のある辺りがドームの下です。
ドームの向こうには、左右に中庭がありました。らせん階段は、その中庭に設置されていました。 -
県内の物産の収集・陳列をはじめとする産業奨励を中心に、博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の重要な場となっていた「広島県物産陳列館」。
戦争前には、どれだけ華やかに賑わっていたことでしょう。 -
正面側は、壁がアーチを描く設計で、一層西洋風の雰囲気を醸し出しています。
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建物は、玄関を中心として左右対称になっていて、両端には半円形の塔のように見えるデザインが取り入れられていました。
本当にモダンでお洒落なデザインだったのですね。 -
相生橋のたもとには、鈴木三重吉が1918年に創刊した「赤い鳥」の碑があります。
「赤い鳥」は、童話と童謡の児童雑誌で、先駆け的存在です。
西條八十(さいじょうやそ)の詩に成田為三の作曲した楽譜を掲載して一躍センセーションを巻き起こしました。
それが「かなりや」です。後に、北原白秋の「からたちの花」も掲載されました。
また、童話では、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、有島武雄の「一房の葡萄」、新美南吉の「ごん狐」などがあります。
鈴木三重吉は、ここ広島市紙屋町で生まれました。生誕の地の碑は、「デオデオ」のそばにあります。 -
対岸の中島にある平和記念公園には、たくさんのツアー客が訪れます。
しかし、ああして川越しに原爆ドームを見るだけです。私もそうでした。
今回、こうしてドームの間近に来てみて、被爆体験の悲惨さだけでなく、原爆によって、広島の人々が何を失ったのか。
そこにあった筈の日常についても、思いを馳せることが出来ました。テレビや写真で見ているから、わかっているという人が多いと思いますが、実際に来て、感じることが一番重要だと思います。 -
北側です。こちら側から見ると、工事の足場が目立ちます。
夏以降は、工事も終わるようですから、すっきりした姿を見ることが出来るでしょう。 -
昭和42年に原爆ドームを保存するための補強工事が行われた際に、建てられた碑です。
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1996(平成8)年に世界遺産に登録されました。
1992年に、日本が世界遺産条約に加盟した時から、原爆ドームを登録しようという運動が始まりました。
しかし国は、世界遺産登録基準である「文化財保護法」の保護対象に該当しないため、推挙できず、保護法の対象にするには歴史が浅いと却下しました。
以後、世界遺産登録のための請願をするための署名を集め、国会で指定基準を改正し、1995年に推薦する運びとなりました。 -
付近には、ドーム周辺の猿楽町の当時の街並みを再現した地図があります。
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拡大図です。中央を上下に通る「細工町」の左側の一番上に爆心地である「島外科病院」があります。
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平和記念公園を中心とした付近の地図です。
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爆心地に行ってみました。すると「島外科内科」が建っています。
もちろん全壊し、おそらく生存者はなかったと思われますが、再建したんですね。爆心地 名所・史跡
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ほんの一部の壁が残るだけで、やはり全壊していました。
奥に広島護国神社の鳥居が残っているのが見えます。 -
原爆投下から70年が経ち、すっかりどこの都市とも変わらぬ繁華街を人々が行き交っています。
被爆後75年は草木も生えないと言われた広島。
しかし、広島電鉄が翌日から走り出したように、不屈の復興が成されて現在に至るのです。 -
さて、ここでガラッと内容は変わります。
広島といって思い浮かべるのは、原爆ドームばかりではありません。
プロ野球の広島東洋カープの本拠地でもあります。1950年に親会社を持たない市民球団として設立されました。
本社が広島にある自動車会社のマツダが筆頭株主で、現在の広島市民球場の名前も「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム」です。
創設時から2009年までは、原爆ドームお向かいの旧広島市民球場が本拠地でした。
それを示すのが、この2つの記念碑です。
左が「日本選手権シリーズ優勝記念」で、右が「セントラルリーグ優勝記念」です。 -
隣に衣笠選手の碑があります。
「世界新記録達成記念 連続2131試合出場1987・6・13」
「最終記録 連続2215試合出場 1987年10月22日引退」
「日本新記録達成 連続1247試合出場 1980年8月4日」
「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄選手の背番号3と、山本浩二選手の8は広島の永久欠番です。 -
現在の旧広島市民球場の様子です。
すでに跡地は更地となっていて、イベント会場として活用されています。
現在の球場は、JR広島駅の東側、線路沿いの場所にあります。 -
旧広島市民球場のすぐ横に「広島市こども文化科学館」があります。
その前には、SL「C59161」が保存されています。広島市こども文化科学館 美術館・博物館
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1946年日立製作所製造。1971年廃車。
当初、市内の児童公園に保存されましたが、現在はここに移設されています。 -
C59は、現存たった3両の貴重なSLです。
他の2両は、京都の梅小路(現在は京都鉄道博物館)と、北九州市門司の「九州鉄道記念館」にあります。
両者は準鉄道記念物に指定されています。 -
「ペンキぬりたて」と書いた看板がありました。それにしては、時間が経っているようですが、どちらにしてもすごい厚塗りで、車体番号など探しようもありません。
まるで木切れにでも塗りたくったような塗りっぷり。
他の2両の保存状態が完璧なだけに惜しまれます。 -
C59のお向かいの「広島市青少年センター」前に「旧廣島護国神社の被爆鳥居台座」があります。
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先ほど、爆心地の島外科内科の前にあった被爆当時の写真に写っていた鳥居です。
長崎の片足鳥居も有名です。さすが神社の鳥居。ご加護があるのでしょうか。 -
さあ、そろそろ広島を出立します。そごうの角を南に曲がって本通り駅付近です。
811号機は、1992(平成4)年に製造された4両のうちの1両です。 -
5109号機は、5両編成の超低床型車両5100形。
前面に「Carp」の文字があるように、「広島東洋カープ」のラッピング電車です。 -
西広島バイパスの観音IC付近です。バイパスの延伸工事はまだまだ続くようです。
国道2号線のバイパスでもあり、広島岩国道路に接続します。 -
山陽道に入りました。この先、山口県を経て、関門海峡を渡ります。
次回は九州に入ります。
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