知念・玉城・八重瀬旅行記(ブログ) 一覧に戻る
≪2016.Feb≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之弐~2日目:南部周遊編~<br /><br />今回の早春の沖縄旅はガマ・戦跡巡りに重点を置いたものに決めました。事前に目的地を沖縄県南城市にある〝糸数アブチラガマ〟と島尻郡南風原町の〝沖縄陸軍病院南風原壕群20号〟に決め、出発前に珍しく必要な手続きを取って〝入壕〟の予約を済ませました。二日目は16:30から沖縄陸軍病院南風原壕群20号の見学の予約を入れています。<br /><br /><br />平成28(2016)年2月29日月曜日<br /><br />ゲストハウスりゅうかく 09:40(43.5km:0.0km)<br />ファミリーマート 10:29(49.7km:6.2km)<br />向 陽 高 校 前 店 11:25<br />斎場御嶽 11:41(60.9km:16.5km)【入場料:200円】<br />          14:05<br />南城市役所 14:35(74.3km:29.9km)<br />大里支所  15:10<br />南風原文化 15:17(77.1km:32.7km)<br />センター  17:43<br />南風原 17:46(77.6km:33.5km)<br />郵便局 17:50<br />八重瀬 18:18(89.8km:45.7km)<br />公 園  19:01<br />ドラッグイレ 19:10(93.8km:49.7km)<br />ブン八重瀬店 19:30<br />みん宿ヤポネシア 19:56(105.3km:61.2km)<br /><br />糸満ナイトドライブ(130.2km:86.1km)//<br /><br />【宿泊】<br />みん宿ヤポネシア1泊2食付6,000円(10周年割引後:5,750円)<br /><br />沖縄の初めての朝は7:50のアラームで目を覚ましました。潮騒の音でなく蛙の鳴き声がするこの奥武島のゲストハウスりゅうかくでは、その鳴き声が心地よい眠りに導いてくれたようで結構気分が良い感じ(嬉)♪そして朝食を頂きにゆんたくルームへと向かいます。写真でわかると思うのですがベジタリアン的なお食事ですが結構ボリュームがあります。それでもあっさり系のお食事は思いのほか食が進み完食。そしてデザートの差し入れ!本当に美味しかった!!ご馳走様でした。<br /><br />銀ちゃんに挨拶をして昨晩見られなかった周辺を歩いてみます。でもなんとなく寒いような気がする…。どうやら朝からピコピコなっていたのはLINEのやり取りだったようで、どうやら我が街淡海県では雪が降っているよう(驚)。肌寒いけど雪は降ることのないこの沖縄の地、ラッキーとは思いながらも〝Tシャツ一枚〟とはいかないことを少し残念にも思います。<br /><br />その寒さゆえ半袖を着ることを諦め、昨日同様パーカーで回ることを決めて荷造りをします。なぜかチェックアウト時はいつもバタバタする性分、今回も例に漏れません。とはいえおじぃおばぁのお見送りを受けてさあ2日目の行程がスタートします。海岸周径1.7kmの小さな奥武島を巡った後、昨日立ち寄ったファミリーマートに立ち寄り一服。当初の予定では斎場御嶽と玉泉洞、八重瀬公園と回って南風原壕の見学というものでしたが、すでにてーげーモード中につき、いつものごとく気の向くまま足の向くままに変えようか…と思っていたのですが、噂で聞いている〝斎場御嶽〟の観覧形態が変わってしまうとかしまわないとか…。琉球を作ったとされるアマミキヨが降り立った場所とされう斎場御嶽は文字通り聖地として今に至っているわけですが、聞得大君(きこえおおきみ)という〝最も名高い神女〟として琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つ〝女性〟が約140年君臨した場所ゆえ、年二回の休息日設定の後には男子禁制が敷かれるのではないかということ。性別なんてどっちでもいいじゃん♪って考えの持ち主なので気にはしないところもあれど、バリのヒンドゥー寺院のようにそれ+αの制限が加わるとちょっと…という気持ちもありとにかく行ってみることにします。具志頭のファミリーマートを出て15分、久しぶりにガイドブックに載る観光地〝斎場御嶽〟へとやってきました。<br /><br />以前は入口まで車で行けた感じがするこの斎場御嶽、今では知念岬公園駐車場で入場券を購入し、知念郵便局の脇を通って向かう形になっています。その郵便局前にある信号ですが、押ボタン式なので待っていても変わりません。ご注意下さい。だいたい駐車場から5分強で到着する御嶽の入口、入場するとよりよく御嶽を知ってもらうためのビデオを5分程見ることになります。それでまた神秘的な要素が深まります♪<br /><br />山歩きとはいいませんが結構起伏のある道を歩きます。大きな岩=拝所というわけではありませんが、ひとことで言うならば各所に拝所が設けられています。観光客には解放されている斎場御嶽ですが、あくまで聖地であり聖なる場所、好奇心で触らないで下さいという指示通り見学だけで通り過ぎて行きます。<br /><br />巨岩が信仰対象になっていることは説明にもありますが、窪みがそうだとはきいていませんでした。ただ一箇所ではあるのですが、泥水の溜まった窪みに説明書きが付いていました。この斎場御嶽の敷地内にも沖縄戦の最中に砲弾が飛び交っていたそうです。その着弾跡を恒久平和を願うという意味で保存しているとのことでした。軍司令部が置かれた首里城は焼け落ちたことは有名な話ではあるものの、この斎場御嶽でもその爪痕を見るとは思いませんでした。<br /><br />斎場御嶽は行って帰ってくる行程なので、見学にはおおよそ30分程で帰ってきました。勿論長くいる方は何時間でもいられる場所ではあります。そして今来た道を歩いて行き、知念郵便局で旅行貯金を済ませ駐車場へと戻ります。知念岬へと向かう前にこの駐車場界隈を散策、まずはその前に一服しようとしたらまさかの展開に。ライターの石が飛んでいました。即座にがんじゅう道の駅に駆け込みライターを探すも「ありません」のつれない答え。仕方がないのでしばらく禁煙しようか・・・と諦めかけたその時女神様が!一服されているご婦人を発見し、すかさずライターをお借りしました。ふ~っ、至極の一服じゃ~(笑)。<br /><br />そして改めて敷地を回ると、これまたガイドブックに載っている〝幸せの架け橋〟。まぁ縁がないとは言いながら話題作りのために写真をパシャり。なかなかの風景でした。<br /><br />そしてそのまま歩いて知念岬公園へと向かいます。本来なら一番風が強いところですが、なぜかそうでもなく、むしろ暑いくらい。有料施設には入らないどこぞの観光客が東屋の展望台を占拠しているため、先に岬公園の先端部へと向かいます。この南城市は平成の大合併により平成8(2006)年1月1日に旧佐敷町・知念村・玉城村・大里村が合併してできました。その時の知念村廃村記念碑がこの知念岬公園にあります。合併することに良いこと悪いことはつきものなのでしょうが、大海原を望む地の廃村記念の碑に少し哀愁を感じたのは私だけではないと思います。とは言え一観光客に過ぎない私に何ができるわけではありませんが・・・。<br /><br />今回時間の関係で行けなかったアマミキヨが最初に作ったとされる久高島を眺めて、東屋の展望台に戻ってきます。高さはありますが、元々視界を遮るものがないため新たな発見もなく、しばらくぼ~っとして駐車場へと戻ります。<br /><br />14:00になったため、そろそろ時間を気にしながら走らないといけません。当初の予定では南風原文化センターに14:10となっていますが、昨日ゲストハウスでお聞きした南城市役所大里庁舎で、戦争を題材にした展示が今日までされているとの情報。勿論行くべしと向かったのは良かったのですが、まさかの昨日まで。まぁ仕方がありません。ただこの大里庁舎には事前に調べたことで〝時間によって〟立ち寄ろうと考えていたことがありました。〝八九式十五糎加農〟、カノン砲と呼ばれる大砲のことですが、18kmもの射程距離を持つとんでもない兵器だった訳ですが、とんでもない分だけ目立って仕方がないシロモノでもありました。つまり一発撃つだけで所在がわかってしまい、逆に集中砲撃を受けました。戦時中戦線の南下に伴い大里庁舎付近の平川壕に据え付けられましたが、一発の砲撃を加えたことにより壕が壊れる程の反撃を受け、二門のカノン砲は埋没。一門は掘り出され、糸満の真壁まで転戦したものの一門は掘り出すことができずそのまま埋没。平川壕の遺骨収集作業の際に発掘され、この地に保存されています。<br /><br />18kmの射程距離がある大砲だから凄いという気持ちで見に来たわけではなく、どんな形で保存されているのかを確認したかったのが正直な気持ちです。一発撃つだけで掘り出せない位に埋まる大砲など、素人が考えても使える武器だとは思えません。しかし武器だとはいえ武器そのものに罪はなく、それを利用する人間が悪い以外なにものでもありません。約60年もの間土に埋もれていたものにしては保存状況は良いように思うものの、所詮は野ざらし。そのうちに鉄くずとなるのは目に見えています。しかしせっかく日の目を見たならばその活用法を考えること、それも必要なことではないでしょうか?負の遺産ではあれどそれを後世に伝えることこそ今の世代を生きる私たちには必要なことではないか、そう思えてなりません。ちなみにこの場所もすぐにわかった訳ではなく、役場の職員の方が何人かに聞いて頂いてはじめてわかりました。残念ながらそれが現実なのかも知れません。<br /><br />色々と思うところはあれど時間が押してきたので先へと進みます。南風原町に入り到着したのは南風原文化センター。戦時中この地にあった沖縄陸軍病院として使われた南風原病院壕がある場所になります。現在病院壕20号が一般公開されており、20号を含めた病院壕から発掘された遺品やその他のものを管理し展示がされています。予定よりかなり遅れてはいましたが、もし時間が足りなければ明日改めて来たら良いかと考えて入館します。所要1時間半程と書かれていましたが、1時間弱でゆっくりしっかりと見ることができました。こちらで南風原病院壕の発掘にまつわる資料を300円で購入しました。たまたま来館者が私の他お一方しかおらず、その資料集のことを尋ねたのが私だけだったのかも知れませんが、一緒に病院壕付近一帯に広がる黄金森の資料等も頂き、後から確認するのに大変役立っています。<br /><br />一通り見学を終えた後、いよいよ病院壕20号の見学へと向かいます。この南風原文化センターから入壕受付をされている場所までに色々な史跡が残されています。南風原病院壕跡の碑、悲運の丘、学徒が炊いた飯を運んだ飯上げの道、平和の鐘等ですが、先に入壕してから後からゆっくりと見ることにして先に向かいます。<br /><br />ガイドのOさんに引率されて入った南風原病院壕20号、あの大袈裟にも見える壕の囲いは実は必要にかられてつけられています。一般公開から8年が過ぎ、壕内の劣化は予想以上に進んでいるそうです。壕の保全という観点からではもう限界なのでしょうが、一人でも見学に来てくれる方がいらっしゃる限り公開していきたいとおっしゃっていました。その言葉の重みにまた糸数アブチラガマとは違う感動を受けました。<br /><br />30分ではなかなか説明し切れないとはお聞きしましたが、それはシステム上仕方がありません。また違う見方ができるかもという気持ちになった時に寄せて頂きますと丁寧にお礼を伝え、周辺の見学に向かいます。<br /><br />土の流入によって入壕出来なくなった24号、憲法9条の碑、平和の鐘、陸軍病院慰霊塔、飯あげの道、南風原陸軍病院壕跡の碑、悲風の丘の塔に立ち寄り、約2時間半有意義な時間を過ごせました。<br /><br />もう一ヶ所行けるかな…という時間だったので先へと進みます。近くの南風原郵便局でまず旅行貯金。ついで八重瀬公園へと向かいますが、どうもナビの情報がおかしいことに気付きます。ここらあたりという場所にはそれらしいものがなく、もしやと思ってスマホナビを起動すると案の定、全く違う場所を指しています。しかしGPSデータそのものを利用するより平均速度で現在地を表示するスマホナビには結構振り回されました。結局曲がる場所を数回間違えてやっと辿り着いた八重瀬公園には18:18、今日も時間に追われます。<br /><br />この八重瀬公園を目的地に選んだのは、白梅学徒看護隊が配属された第24師団第一野戦病院壕があるということでした。本部壕は残念ながら壕口の落盤のため中に入ることはできませんが、手術壕は中をのぞくことはできます。こちらも崩落の危険性があるということで中に入ることは禁止されていますが、あまり知られていない場所ゆえやっと辿り着いたという気持ちにはなれました。壕の前で手を合わせ、公園の階段を上って行きます。多分昼間だと絶景が広がっている場所だとは思うのですが、さすがに間もなく19:00なるという時間。刻々と夜が近付いていることが体感できました。これ以上はもう無理と考え、一旦2日目の行程を切り上げ、本日のお宿糸満市大度のみん宿ヤポネシアへと向かいます。<br /><br />素直に直行すれば良いもののここで飲み物を仕入れようとスーパーを探しているうちに迷子になりました。取りあえず今の場所がわかったので場所と方向をナビ上で確かめているうちに到着を心配したヤポネシアのご主人から電話を頂きました。あいも変わらず迷惑な輩です…ハイ。そして国道507号線から331号線を通り大度交差点を左折、19:56無事見覚えのあるみん宿ヤポネシアに到着しました。<br /><br />昨年6月以来になるみん宿ヤポネシア、なかなか面白い宿だったこともあり二回目の宿泊となりました。車を停めて当たり前のように挨拶しながら建物に入って行ける気楽さがリピート化するひとつの要素かも知れません。看板娘のおチビさん二人はさすがに8ヶ月前の〝怪しい(笑)〟来客を覚えていないようでキョトンとしていました。今回は奥の和室をあてがって頂き、とりあえず荷物を置いて自慢のお食事を頂きます。う~ん満足です♪<br /><br />おなかがいっぱいになって一息ついたら、お風呂のお勧め。沖縄南部エリアで最もバリアフリー化しているといっても過言でないこのみん宿ヤポネシア、広いお風呂も自慢です。ただ今回糸満に泊まったことはひとつ理由がありました。知る人ぞ知る有名なことなのですが、この糸満市日本で有数の電照菊の産地でもあります。出荷にあわせて照明は加減されるものの冬の時期の風物詩として幻想的な景色をかもし出しています。たっだ~21:40位に出掛けたのですが、古波蔵など一昨年12月に感動を覚えたあの景色はどこにも見当たりません。せっかく出てきて収穫なしに帰るのも・・・と考え、付近一帯を走り回ります。山城の陸軍病院壕跡、ひめゆりの塔、健児之塔、琉風之塔、忠霊之塔、沖縄県立平和祈念公園と巡った後伊原でやっと見ることができました。どうやら23:00からの点灯だったようです。時間のことを伝えずに出てきたため、急いで戻り23:10に無事到着。ナイトドライブも着実にこなしたものの、いつ帰るかわからない迷惑な輩のために起きて待っていてくれた奥さんにお詫びして、さっとシャワーを浴び、おやすみなさいのご挨拶。1日フリーとした翌日の行程を見直そうと思ったもののやはり眠気が勝ってしまいいつの間にかzzz。そして旅の3日目を迎えます。<br /><br /><br /> 【本日の明細】<br />斎場御嶽・・・200円<br />南風原文化センター・・・300円<br />南風原病院壕資料・・・300円<br />南風原陸軍壕跡20号入壕・・・300円<br />みん宿ヤポネシア(1泊2食付)・・・6,000円(割引後:5,750円)<br />小計・・・7,100円(割引後:6,850円)<br />累計・・・31,660円(割引後:28,410円)

≪2016.Feb≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之弐~2日目:南部周遊編~

46いいね!

2016/02/28 - 2016/03/02

87位(同エリア680件中)

0

116

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2016.Feb≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之弐~2日目:南部周遊編~

今回の早春の沖縄旅はガマ・戦跡巡りに重点を置いたものに決めました。事前に目的地を沖縄県南城市にある〝糸数アブチラガマ〟と島尻郡南風原町の〝沖縄陸軍病院南風原壕群20号〟に決め、出発前に珍しく必要な手続きを取って〝入壕〟の予約を済ませました。二日目は16:30から沖縄陸軍病院南風原壕群20号の見学の予約を入れています。


平成28(2016)年2月29日月曜日

ゲストハウスりゅうかく 09:40(43.5km:0.0km)
ファミリーマート 10:29(49.7km:6.2km)
向 陽 高 校 前 店 11:25
斎場御嶽 11:41(60.9km:16.5km)【入場料:200円】
14:05
南城市役所 14:35(74.3km:29.9km)
大里支所  15:10
南風原文化 15:17(77.1km:32.7km)
センター  17:43
南風原 17:46(77.6km:33.5km)
郵便局 17:50
八重瀬 18:18(89.8km:45.7km)
公 園 19:01
ドラッグイレ 19:10(93.8km:49.7km)
ブン八重瀬店 19:30
みん宿ヤポネシア 19:56(105.3km:61.2km)

糸満ナイトドライブ(130.2km:86.1km)//

【宿泊】
みん宿ヤポネシア1泊2食付6,000円(10周年割引後:5,750円)

沖縄の初めての朝は7:50のアラームで目を覚ましました。潮騒の音でなく蛙の鳴き声がするこの奥武島のゲストハウスりゅうかくでは、その鳴き声が心地よい眠りに導いてくれたようで結構気分が良い感じ(嬉)♪そして朝食を頂きにゆんたくルームへと向かいます。写真でわかると思うのですがベジタリアン的なお食事ですが結構ボリュームがあります。それでもあっさり系のお食事は思いのほか食が進み完食。そしてデザートの差し入れ!本当に美味しかった!!ご馳走様でした。

銀ちゃんに挨拶をして昨晩見られなかった周辺を歩いてみます。でもなんとなく寒いような気がする…。どうやら朝からピコピコなっていたのはLINEのやり取りだったようで、どうやら我が街淡海県では雪が降っているよう(驚)。肌寒いけど雪は降ることのないこの沖縄の地、ラッキーとは思いながらも〝Tシャツ一枚〟とはいかないことを少し残念にも思います。

その寒さゆえ半袖を着ることを諦め、昨日同様パーカーで回ることを決めて荷造りをします。なぜかチェックアウト時はいつもバタバタする性分、今回も例に漏れません。とはいえおじぃおばぁのお見送りを受けてさあ2日目の行程がスタートします。海岸周径1.7kmの小さな奥武島を巡った後、昨日立ち寄ったファミリーマートに立ち寄り一服。当初の予定では斎場御嶽と玉泉洞、八重瀬公園と回って南風原壕の見学というものでしたが、すでにてーげーモード中につき、いつものごとく気の向くまま足の向くままに変えようか…と思っていたのですが、噂で聞いている〝斎場御嶽〟の観覧形態が変わってしまうとかしまわないとか…。琉球を作ったとされるアマミキヨが降り立った場所とされう斎場御嶽は文字通り聖地として今に至っているわけですが、聞得大君(きこえおおきみ)という〝最も名高い神女〟として琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つ〝女性〟が約140年君臨した場所ゆえ、年二回の休息日設定の後には男子禁制が敷かれるのではないかということ。性別なんてどっちでもいいじゃん♪って考えの持ち主なので気にはしないところもあれど、バリのヒンドゥー寺院のようにそれ+αの制限が加わるとちょっと…という気持ちもありとにかく行ってみることにします。具志頭のファミリーマートを出て15分、久しぶりにガイドブックに載る観光地〝斎場御嶽〟へとやってきました。

以前は入口まで車で行けた感じがするこの斎場御嶽、今では知念岬公園駐車場で入場券を購入し、知念郵便局の脇を通って向かう形になっています。その郵便局前にある信号ですが、押ボタン式なので待っていても変わりません。ご注意下さい。だいたい駐車場から5分強で到着する御嶽の入口、入場するとよりよく御嶽を知ってもらうためのビデオを5分程見ることになります。それでまた神秘的な要素が深まります♪

山歩きとはいいませんが結構起伏のある道を歩きます。大きな岩=拝所というわけではありませんが、ひとことで言うならば各所に拝所が設けられています。観光客には解放されている斎場御嶽ですが、あくまで聖地であり聖なる場所、好奇心で触らないで下さいという指示通り見学だけで通り過ぎて行きます。

巨岩が信仰対象になっていることは説明にもありますが、窪みがそうだとはきいていませんでした。ただ一箇所ではあるのですが、泥水の溜まった窪みに説明書きが付いていました。この斎場御嶽の敷地内にも沖縄戦の最中に砲弾が飛び交っていたそうです。その着弾跡を恒久平和を願うという意味で保存しているとのことでした。軍司令部が置かれた首里城は焼け落ちたことは有名な話ではあるものの、この斎場御嶽でもその爪痕を見るとは思いませんでした。

斎場御嶽は行って帰ってくる行程なので、見学にはおおよそ30分程で帰ってきました。勿論長くいる方は何時間でもいられる場所ではあります。そして今来た道を歩いて行き、知念郵便局で旅行貯金を済ませ駐車場へと戻ります。知念岬へと向かう前にこの駐車場界隈を散策、まずはその前に一服しようとしたらまさかの展開に。ライターの石が飛んでいました。即座にがんじゅう道の駅に駆け込みライターを探すも「ありません」のつれない答え。仕方がないのでしばらく禁煙しようか・・・と諦めかけたその時女神様が!一服されているご婦人を発見し、すかさずライターをお借りしました。ふ~っ、至極の一服じゃ~(笑)。

そして改めて敷地を回ると、これまたガイドブックに載っている〝幸せの架け橋〟。まぁ縁がないとは言いながら話題作りのために写真をパシャり。なかなかの風景でした。

そしてそのまま歩いて知念岬公園へと向かいます。本来なら一番風が強いところですが、なぜかそうでもなく、むしろ暑いくらい。有料施設には入らないどこぞの観光客が東屋の展望台を占拠しているため、先に岬公園の先端部へと向かいます。この南城市は平成の大合併により平成8(2006)年1月1日に旧佐敷町・知念村・玉城村・大里村が合併してできました。その時の知念村廃村記念碑がこの知念岬公園にあります。合併することに良いこと悪いことはつきものなのでしょうが、大海原を望む地の廃村記念の碑に少し哀愁を感じたのは私だけではないと思います。とは言え一観光客に過ぎない私に何ができるわけではありませんが・・・。

今回時間の関係で行けなかったアマミキヨが最初に作ったとされる久高島を眺めて、東屋の展望台に戻ってきます。高さはありますが、元々視界を遮るものがないため新たな発見もなく、しばらくぼ~っとして駐車場へと戻ります。

14:00になったため、そろそろ時間を気にしながら走らないといけません。当初の予定では南風原文化センターに14:10となっていますが、昨日ゲストハウスでお聞きした南城市役所大里庁舎で、戦争を題材にした展示が今日までされているとの情報。勿論行くべしと向かったのは良かったのですが、まさかの昨日まで。まぁ仕方がありません。ただこの大里庁舎には事前に調べたことで〝時間によって〟立ち寄ろうと考えていたことがありました。〝八九式十五糎加農〟、カノン砲と呼ばれる大砲のことですが、18kmもの射程距離を持つとんでもない兵器だった訳ですが、とんでもない分だけ目立って仕方がないシロモノでもありました。つまり一発撃つだけで所在がわかってしまい、逆に集中砲撃を受けました。戦時中戦線の南下に伴い大里庁舎付近の平川壕に据え付けられましたが、一発の砲撃を加えたことにより壕が壊れる程の反撃を受け、二門のカノン砲は埋没。一門は掘り出され、糸満の真壁まで転戦したものの一門は掘り出すことができずそのまま埋没。平川壕の遺骨収集作業の際に発掘され、この地に保存されています。

18kmの射程距離がある大砲だから凄いという気持ちで見に来たわけではなく、どんな形で保存されているのかを確認したかったのが正直な気持ちです。一発撃つだけで掘り出せない位に埋まる大砲など、素人が考えても使える武器だとは思えません。しかし武器だとはいえ武器そのものに罪はなく、それを利用する人間が悪い以外なにものでもありません。約60年もの間土に埋もれていたものにしては保存状況は良いように思うものの、所詮は野ざらし。そのうちに鉄くずとなるのは目に見えています。しかしせっかく日の目を見たならばその活用法を考えること、それも必要なことではないでしょうか?負の遺産ではあれどそれを後世に伝えることこそ今の世代を生きる私たちには必要なことではないか、そう思えてなりません。ちなみにこの場所もすぐにわかった訳ではなく、役場の職員の方が何人かに聞いて頂いてはじめてわかりました。残念ながらそれが現実なのかも知れません。

色々と思うところはあれど時間が押してきたので先へと進みます。南風原町に入り到着したのは南風原文化センター。戦時中この地にあった沖縄陸軍病院として使われた南風原病院壕がある場所になります。現在病院壕20号が一般公開されており、20号を含めた病院壕から発掘された遺品やその他のものを管理し展示がされています。予定よりかなり遅れてはいましたが、もし時間が足りなければ明日改めて来たら良いかと考えて入館します。所要1時間半程と書かれていましたが、1時間弱でゆっくりしっかりと見ることができました。こちらで南風原病院壕の発掘にまつわる資料を300円で購入しました。たまたま来館者が私の他お一方しかおらず、その資料集のことを尋ねたのが私だけだったのかも知れませんが、一緒に病院壕付近一帯に広がる黄金森の資料等も頂き、後から確認するのに大変役立っています。

一通り見学を終えた後、いよいよ病院壕20号の見学へと向かいます。この南風原文化センターから入壕受付をされている場所までに色々な史跡が残されています。南風原病院壕跡の碑、悲運の丘、学徒が炊いた飯を運んだ飯上げの道、平和の鐘等ですが、先に入壕してから後からゆっくりと見ることにして先に向かいます。

ガイドのOさんに引率されて入った南風原病院壕20号、あの大袈裟にも見える壕の囲いは実は必要にかられてつけられています。一般公開から8年が過ぎ、壕内の劣化は予想以上に進んでいるそうです。壕の保全という観点からではもう限界なのでしょうが、一人でも見学に来てくれる方がいらっしゃる限り公開していきたいとおっしゃっていました。その言葉の重みにまた糸数アブチラガマとは違う感動を受けました。

30分ではなかなか説明し切れないとはお聞きしましたが、それはシステム上仕方がありません。また違う見方ができるかもという気持ちになった時に寄せて頂きますと丁寧にお礼を伝え、周辺の見学に向かいます。

土の流入によって入壕出来なくなった24号、憲法9条の碑、平和の鐘、陸軍病院慰霊塔、飯あげの道、南風原陸軍病院壕跡の碑、悲風の丘の塔に立ち寄り、約2時間半有意義な時間を過ごせました。

もう一ヶ所行けるかな…という時間だったので先へと進みます。近くの南風原郵便局でまず旅行貯金。ついで八重瀬公園へと向かいますが、どうもナビの情報がおかしいことに気付きます。ここらあたりという場所にはそれらしいものがなく、もしやと思ってスマホナビを起動すると案の定、全く違う場所を指しています。しかしGPSデータそのものを利用するより平均速度で現在地を表示するスマホナビには結構振り回されました。結局曲がる場所を数回間違えてやっと辿り着いた八重瀬公園には18:18、今日も時間に追われます。

この八重瀬公園を目的地に選んだのは、白梅学徒看護隊が配属された第24師団第一野戦病院壕があるということでした。本部壕は残念ながら壕口の落盤のため中に入ることはできませんが、手術壕は中をのぞくことはできます。こちらも崩落の危険性があるということで中に入ることは禁止されていますが、あまり知られていない場所ゆえやっと辿り着いたという気持ちにはなれました。壕の前で手を合わせ、公園の階段を上って行きます。多分昼間だと絶景が広がっている場所だとは思うのですが、さすがに間もなく19:00なるという時間。刻々と夜が近付いていることが体感できました。これ以上はもう無理と考え、一旦2日目の行程を切り上げ、本日のお宿糸満市大度のみん宿ヤポネシアへと向かいます。

素直に直行すれば良いもののここで飲み物を仕入れようとスーパーを探しているうちに迷子になりました。取りあえず今の場所がわかったので場所と方向をナビ上で確かめているうちに到着を心配したヤポネシアのご主人から電話を頂きました。あいも変わらず迷惑な輩です…ハイ。そして国道507号線から331号線を通り大度交差点を左折、19:56無事見覚えのあるみん宿ヤポネシアに到着しました。

昨年6月以来になるみん宿ヤポネシア、なかなか面白い宿だったこともあり二回目の宿泊となりました。車を停めて当たり前のように挨拶しながら建物に入って行ける気楽さがリピート化するひとつの要素かも知れません。看板娘のおチビさん二人はさすがに8ヶ月前の〝怪しい(笑)〟来客を覚えていないようでキョトンとしていました。今回は奥の和室をあてがって頂き、とりあえず荷物を置いて自慢のお食事を頂きます。う~ん満足です♪

おなかがいっぱいになって一息ついたら、お風呂のお勧め。沖縄南部エリアで最もバリアフリー化しているといっても過言でないこのみん宿ヤポネシア、広いお風呂も自慢です。ただ今回糸満に泊まったことはひとつ理由がありました。知る人ぞ知る有名なことなのですが、この糸満市日本で有数の電照菊の産地でもあります。出荷にあわせて照明は加減されるものの冬の時期の風物詩として幻想的な景色をかもし出しています。たっだ~21:40位に出掛けたのですが、古波蔵など一昨年12月に感動を覚えたあの景色はどこにも見当たりません。せっかく出てきて収穫なしに帰るのも・・・と考え、付近一帯を走り回ります。山城の陸軍病院壕跡、ひめゆりの塔、健児之塔、琉風之塔、忠霊之塔、沖縄県立平和祈念公園と巡った後伊原でやっと見ることができました。どうやら23:00からの点灯だったようです。時間のことを伝えずに出てきたため、急いで戻り23:10に無事到着。ナイトドライブも着実にこなしたものの、いつ帰るかわからない迷惑な輩のために起きて待っていてくれた奥さんにお詫びして、さっとシャワーを浴び、おやすみなさいのご挨拶。1日フリーとした翌日の行程を見直そうと思ったもののやはり眠気が勝ってしまいいつの間にかzzz。そして旅の3日目を迎えます。


【本日の明細】
斎場御嶽・・・200円
南風原文化センター・・・300円
南風原病院壕資料・・・300円
南風原陸軍壕跡20号入壕・・・300円
みん宿ヤポネシア(1泊2食付)・・・6,000円(割引後:5,750円)
小計・・・7,100円(割引後:6,850円)
累計・・・31,660円(割引後:28,410円)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

PR

この旅行記のタグ

46いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP