大里の大砲 (加農砲)
名所・史跡
3.28
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
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沖縄戦では日本軍の貴重な大火力
- 3.5
- 旅行時期:2024/07(約1年前)
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糸数壕の近くに移設・展示されました
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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大砲が「大里農村環境改善センター」に保存展示されていると聞いて見に行きましたが無かったので、役所の受付で伺うと『2016年... 続きを読む末に糸数壕の近くに移設した』とお聞きしたので見に行きました。
糸数アブチラガマ見学の案内所ともなっている南城観光総合案内センター前に八九式十五糎加農砲が移設・展示されていました。防錆のためにペンキでこてこてに塗り固められた大砲は、大里農村環境改善センターに保存展示されていた時より沢山の人が見ることになるし、保存状態もより良くなったようです。武器を保存展示することに賛否はあると思いますが、戦争を考える一つの遺物として、より沢山の人が見ることになるこの場所に移設展示されてよかったと思いました。 閉じる投稿日:2017/04/09
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この大砲を知っていることはマニアと言われるのかも知れません。
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- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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陸軍の秘密兵器として開発された八九式十五糎加農砲(はちきゅうしきじゅうごせんちかのんほう)、大陸ではかなりの数が導入されま... 続きを読むしたが、沖縄戦に於いては二門が活躍しました。射程距離18kmととんでもない兵器ではあったものの、一発撃てば何百何千倍の攻撃を受けだという記録が残っています。その結果平川壕で埋まってしまい、一門は掘り出され真栄里まで部隊と行動をともにし、戦後米軍に接収されたものの、自衛隊基地などに展示されたことを経て、現在では靖国神社に奉納されています。しかしもう一門はその後も放置され、約60年もの間土の中に埋まっていました。結局壕を潰してまで掘り出された加農砲でしたが、平川壕のあった大里村役場(現南条市役所大里庁舎)前に一緒に出土したジャッキ等とともに展示されたのは平成15(2003)年のことでした。そして13年の月日が経ち、秘密兵器は野ざらしのままサビの塊と化し、役場の職員すら存在を知らない現実。確かに負の遺産ではあるものの、史跡となりうる壕を破壊してまで掘り出したものの扱いにはあまりにもお粗末ではないかと思います。
何かマニアックな物を探しているという顔が未だに頭から離れずにいるのは、私の被害妄想なのでしょうか? 閉じる投稿日:2016/07/26
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日本軍の秘密兵器として開発されました。
- 5.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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ひとことで言うならば大砲になると思います。正式名称は?八九式十五糎加農(はちきゅうしきじゅうごせんちかのん)?といい、19... 続きを読む20年代から30年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の加農(加農砲)で、一般的には八九式十五糎加農砲(はちきゅうしきじゅうごせんちかのんほう)と言われていました。
支那事変(日中戦争)・ノモンハン事件・第二次世界大戦における帝国陸軍の主力重加農として、独立重砲兵部隊が運用したものであり、開発は昭和4(1929)年(皇紀2589年)10月に正式制定されました。大陸での成果は大きなものがあったようですが、攻城戦向きで機動性が低い重加農の運用自体は戦況の悪化とともに難しくなっていったといわれています。沖縄戦に導入された際は第32軍第5砲兵司令部隷下の独立重砲兵第100大隊が洞窟陣地を利用し、約18kmという射程距離を生かして発射地点を特定されないように不規則砲撃を加えていたそうです。
しかし沖縄戦の戦況悪化により、発射地点がほぼ特定されるようになると小回りがきかないものゆえ、一発の砲撃によって猛烈な反撃を受けるようになり、大里の平川壕にて運用されていたもののひとつは埋没、ひとつは掘り出されて部隊とともに転戦し、真栄里で独立重砲兵第100大隊が玉砕するまで行動を供にしたそうです。
この掘り出されて戦線を供にしたものは、米軍資料館や陸自那覇駐屯地で展示された後、靖国神社の遊就館1階玄関ホールで展示されて現在に至っています。そしてこの大里農村環境改善センターに保存されているものは、平成15(2003)年に平川壕の地中より発掘されたものになります。付属の砲架車・ジャッキおよび九四式三十七粍砲の残骸とともに60年近く土の中に埋もれていたものにしては保存状態が良く、そのまま野外展示されていますが、やはりそのまま野晒しになっている現状ではそのうちに鉄屑になってしまうのではないかと危惧します。この加農砲を掘り起こす際に平川壕は破壊され原型をとどめていません。確かに負の遺産である?武器?を残すことには賛否両論があるのはわかるものの、その?負の遺産?を後世に伝えるべく壕を破壊してでも掘り出したのであれば、やはり?保存?という方向での取扱いをしなければいけないのではないでしょうか。
日本陸軍の秘密兵器として敵国戦車や艦艇を破壊し、兵士を死に至らしめたものではあれど、あまりにも大きな反動によって一発撃つことによって容赦ない反撃を食らい多くの将兵や軍属が亡くなった事実を忘れてはならないと思います。現地を訪れて大里庁舎の受付にてこの加農砲のありかを聞いたときに「知らない」と言う回答が返ってきました。マニアックなのは私なのかも知れません。しかし加農砲展示の由来書きに書かれていることを疑わざるを得ない事実であったのは確かです。そう言う意味でももう少し考えて頂きたいように思いながらその場を後にした私でした。 閉じる投稿日:2016/06/09
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基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 大里の大砲 (加農砲)
- 住所
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- 沖縄県南城市大里字仲間928 南城市役所南城市大里農村環境改善センター
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- アクセス
- 南城市大里庁舎から徒歩すぐ。
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
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