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国宝天守閣訪問の旅、松本城。毎回、津軽海峡を渡らなければならないというハンディ?もあるが、フルムーングリーンパスを使って、東北新幹線E5系や長野新幹線に乗ったりして、松本到着は旅行2日目の午後となった。駅から約15分ほど歩いて、ようやくたどり着いたが、あの五層六階の天守閣、お堀に映る姿を見たら疲れも吹き飛んだ。<br /><br />大天守・渡櫓・乾小天守を建築した石川氏が改易された後、城主が数代入れ替わるが、城主松平直政の時代に辰巳附櫓と月見櫓の建設が行われ、現在の城郭が出来上がった。<br /><br /><br />

国宝松本城は、威風堂々の名城

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2013/12/22 - 2013/12/23

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sio爺

sio爺さん

国宝天守閣訪問の旅、松本城。毎回、津軽海峡を渡らなければならないというハンディ?もあるが、フルムーングリーンパスを使って、東北新幹線E5系や長野新幹線に乗ったりして、松本到着は旅行2日目の午後となった。駅から約15分ほど歩いて、ようやくたどり着いたが、あの五層六階の天守閣、お堀に映る姿を見たら疲れも吹き飛んだ。

大天守・渡櫓・乾小天守を建築した石川氏が改易された後、城主が数代入れ替わるが、城主松平直政の時代に辰巳附櫓と月見櫓の建設が行われ、現在の城郭が出来上がった。


旅行の満足度
5.0

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  • いよいよ松本城だ

    いよいよ松本城だ

  • この字も風格があるね

    この字も風格があるね

  • 天守閣に、お壕と松、いいねえ

    天守閣に、お壕と松、いいねえ

  • 松本城太鼓門枡形は、文禄4年(1595年)頃に築かれ、門台北石垣上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図などの発信源として、重要な役割を果たしていた。

    松本城太鼓門枡形は、文禄4年(1595年)頃に築かれ、門台北石垣上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図などの発信源として、重要な役割を果たしていた。

  • 現在の門は、新しく立派な門だなと思ったら、平成11年に復元されたものだった。復元ながら往時の偉容を感じることができた。

    現在の門は、新しく立派な門だなと思ったら、平成11年に復元されたものだった。復元ながら往時の偉容を感じることができた。

  • 松本城黒門は、松本城本丸へ入る正門にあたり、櫓門と枡形から構成されている。本丸防衛のための要の門だったそうだ。一の門(櫓門)は昭和35年(1960年)に復興し、二の門と袖堀は1989年(平成元)12月1日に復元された。復元ながら立派な門だった。

    松本城黒門は、松本城本丸へ入る正門にあたり、櫓門と枡形から構成されている。本丸防衛のための要の門だったそうだ。一の門(櫓門)は昭和35年(1960年)に復興し、二の門と袖堀は1989年(平成元)12月1日に復元された。復元ながら立派な門だった。

  • 松本城の築城者は石川数正とされているが、かつて深志城と呼ばれていた時代から信濃守護の小笠原氏の居城であり、その深志城を修繕・改修したのが石川数正ということになるようだ。<br /><br />

    松本城の築城者は石川数正とされているが、かつて深志城と呼ばれていた時代から信濃守護の小笠原氏の居城であり、その深志城を修繕・改修したのが石川数正ということになるようだ。

  • 天守の築城年代は、文禄2〜3年(1593〜4)と考えられ、

    天守の築城年代は、文禄2〜3年(1593〜4)と考えられ、

  • 大天守・渡櫓・乾小天守のまとまりを連結式天守と呼び、<br /><br />

    大天守・渡櫓・乾小天守のまとまりを連結式天守と呼び、

  • 戦いの多い時代だったため、

    戦いの多い時代だったため、

  • 石落としや狭間が多く、窓は少なく守りを固めている。<br /><br />

    石落としや狭間が多く、窓は少なく守りを固めている。

  • 復元天守と何が違うかといえば、やはり内部がほぼ当時のままという事だ。急な階段や、<br /><br />

    復元天守と何が違うかといえば、やはり内部がほぼ当時のままという事だ。急な階段や、

  • 床や手すりの古さ、<br /><br />

    床や手すりの古さ、

  • そして武者走りなど、

    そして武者走りなど、

  • 現存天守でなければ味わえない雰囲気を堪能した。

    現存天守でなければ味わえない雰囲気を堪能した。

  • 国宝指定書

    国宝指定書

  • 松本城乾小天守は天守の北に位置しているが、北は叛く(そむく)、敗れるなどの意味があるため、その文字は嫌われ、北西にあたる乾(いぬい)の文字をあてたそうだ。

    松本城乾小天守は天守の北に位置しているが、北は叛く(そむく)、敗れるなどの意味があるため、その文字は嫌われ、北西にあたる乾(いぬい)の文字をあてたそうだ。

  • 乾小天守は三重四層の櫓からなり、天守と渡櫓で連結されている。乾小天守内部には資料や模型も展示されていた。

    乾小天守は三重四層の櫓からなり、天守と渡櫓で連結されている。乾小天守内部には資料や模型も展示されていた。

  • 辰巳櫓や月見櫓とともに天守に連結された造りになっており、様々な角度から見応え十分だった。<br />

    辰巳櫓や月見櫓とともに天守に連結された造りになっており、様々な角度から見応え十分だった。

  • 辰巳櫓は天守の辰巳の方角(南東)にあたり、将軍家光公の善光寺参詣及び松本城訪問にあわせて、城主松平直政(家光の従兄弟にあたる)によって、隣接している月見櫓とともに寛永年間に増築された。<br /><br />

    辰巳櫓は天守の辰巳の方角(南東)にあたり、将軍家光公の善光寺参詣及び松本城訪問にあわせて、城主松平直政(家光の従兄弟にあたる)によって、隣接している月見櫓とともに寛永年間に増築された。

  • 1633年の建造とされ、安定した時代を迎えつつあった当時、

    1633年の建造とされ、安定した時代を迎えつつあった当時、

  • 辰巳附櫓には戦乱への備えという色彩はなく、窓にも装飾が施されており、戦国末期の時代に建造された大天守・渡櫓・乾小天守とは趣が異なる。1階は武者窓、2階には上方が狭く下方が曲線状に広がった花頭窓があり、花頭窓は禅宗建築とともに、鎌倉時代に中国から伝わり、次第に城郭建築にも取り入れられたようだ。<br /><br /><br /><br /><br />

    辰巳附櫓には戦乱への備えという色彩はなく、窓にも装飾が施されており、戦国末期の時代に建造された大天守・渡櫓・乾小天守とは趣が異なる。1階は武者窓、2階には上方が狭く下方が曲線状に広がった花頭窓があり、花頭窓は禅宗建築とともに、鎌倉時代に中国から伝わり、次第に城郭建築にも取り入れられたようだ。




  • そして驚いたのは月見櫓だ。<br /><br />

    そして驚いたのは月見櫓だ。

  • 松本城天守閣を見学コースに従って進むと、最後にたどり着くのが月見櫓。<br /><br />

    松本城天守閣を見学コースに従って進むと、最後にたどり着くのが月見櫓。

  • 戦乱の時代に造られた大天守・渡櫓・乾小天守とは違って、月見櫓は平和な時代に造られただけあって、内部は明るく窓も戦闘用ではない。

    戦乱の時代に造られた大天守・渡櫓・乾小天守とは違って、月見櫓は平和な時代に造られただけあって、内部は明るく窓も戦闘用ではない。

  • 将軍家光公が京都からの帰りに善光寺参りをするため、松本城に立ち寄ることになり、松平直政は家光のために急遽「辰巳櫓」と「月見櫓」を造った。しかし中山道の崖崩れにより家光の善光寺参詣は中止となり、松本城を訪れることはなかったとのことだ。<br /><br />

    将軍家光公が京都からの帰りに善光寺参りをするため、松本城に立ち寄ることになり、松平直政は家光のために急遽「辰巳櫓」と「月見櫓」を造った。しかし中山道の崖崩れにより家光の善光寺参詣は中止となり、松本城を訪れることはなかったとのことだ。

  • 当時の城主が、家光公来訪のために造りながらも結局その機会を得なかったが、

    当時の城主が、家光公来訪のために造りながらも結局その機会を得なかったが、

  • それにしても、月見櫓から眺める景色は名画だ。<br />月見櫓の窓(内側)から見るアルプスは、

    それにしても、月見櫓から眺める景色は名画だ。
    月見櫓の窓(内側)から見るアルプスは、

  • 四角い窓が窓枠となり一幅の名画さながらだ。

    四角い窓が窓枠となり一幅の名画さながらだ。

  • 月見櫓の窓から見えるのは雄大なアルプスの山並み。当時の大名達も同じ風景を見たんだろうなあと感慨に浸った。

    月見櫓の窓から見えるのは雄大なアルプスの山並み。当時の大名達も同じ風景を見たんだろうなあと感慨に浸った。

  • ずっと見ていたかったなあ。

    ずっと見ていたかったなあ。

  • 天守閣を出て、

    天守閣を出て、

  • いろいろな角度から見ても、絵になった。

    いろいろな角度から見ても、絵になった。

  • いよいよ松本城を後にする。

    いよいよ松本城を後にする。

  • 松本駅から

    松本駅から

  • ワイドビューしなのに乗って、地酒ワンカップ真澄をおいしく飲んだ。

    ワイドビューしなのに乗って、地酒ワンカップ真澄をおいしく飲んだ。

  • 名古屋で新幹線に乗り換えて、

    名古屋で新幹線に乗り換えて、

  • 三河安城に行き、

    三河安城に行き、

  • ドーミーイン三河安城に宿泊した。

    ドーミーイン三河安城に宿泊した。

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