2015/09/21 - 2015/09/21
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たびたびさん
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昨日は、南彦根に泊まって、今日の夕方には京都で母と落ち合うことになっています。ということで、それまでの間をどうするかということ。普通に考えれば、近江八幡の辺りが有力になるんですが、でも、しばらくはもういいかなあ。
ほかには、久しぶりの佐川美術館もあったのですが、もう少しマニアックに、野洲や草津辺りの湖南を回って見ることにしました。
滋賀県は、白村江で敗退した後、天智天皇が近江大津宮で即位したり、壬申の乱では瀬田橋が実質的な決戦場となったりと、実は京都よりも歴史が古い。そんな土地柄ですから、マイナーなような場所でも意外な観光スポットがあるのではないかと思ったんですよね。
結果はその期待通り。時代はちょっと下っていますが、平家の終焉地とか。妓王・妓女関連など。目を見張る仏像なんかもあって、かなり興奮してしまいました。若狭もよかったけど、近江もいい。これって、やっぱり近畿圏ならではの感覚です。
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昨日の宿は南彦根ステーション。たぶん、この辺りだと最安値のホテルではないかと思います。
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駅からも近くて便利なのですが、すぐそこに見えているのに実はホテルへの道は分かりにくい。空地の脇を抜けて行く細い道があって、ホテルに向かうのではと思われた人の後をついて行って辿り着きました。
部屋とかは見た目問題がないのですが、ただ、なんか落ち着かないような。防音の関係かなあと思います。 -
さて、まずは野洲駅に移動して。
ここから自転車を使って回ります。ここが野洲駅南口サイクルセンター。駅を出てすぐの便利の良さに、ルートマップもいただけて。意外に用意周到な施設ですね。 -
天気も良くて、快調、快調。畑の中を進みます。
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最初に立ち寄ったのは、甲山古墳。大岩山古墳群という古墳群の一つです。
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大岩山古墳群は、17基あって、そのうち8基が国の史跡に指定されています。
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小山のような地形を少し上ると古墳の入口があって、ちょっとした説明板もありました。
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続いての子安地蔵堂は、辻町の市街地。
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この辺りは、かつてのくねくね道が残っていて、時が止まったような気持ちになります。
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で、この地蔵堂は、とてもオープンな明るい境内。そこににこやかな石の地蔵さんが何体もあって、安産の祈願に訪れる人を優しく受け入れる雰囲気にあふれているような気がしました。
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さっきの古墳もありましたが、関連する施設の銅鐸博物館。なんてたいした施設じゃないだろうとタカをくくっていたのですが、丘の上に建つ立派な施設でちょっとびっくり。
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明治14年に14個、昭和37年に10個と小篠原の大岩山から発見され、その中には、高さ134.7cm、重さ45.47kgという日本一の大きさを誇る巨大な銅鐸もあったそうです。展示品の他、工事現場のような場所から発見されたとか、その後散逸していたものを捜索して取り戻したとか、発掘からの物語ビデオもあって、熱い思いが伝わってくるようでした。
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敷地内には、竪穴式の古代の住居もいくつか再現されていました。
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さて、再び自転車に乗って、
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畑の道を先へと向かいます。
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これが今日の目玉の一つ、大笹原神社。
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イチオシ
滋賀県には国宝建築がとても多いのですが、
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イチオシ
大笹原神社も檜皮葺、三間社入母屋造の、この本殿が国宝です。室町時代(1414年)に建てられたもので、銀閣寺の東求堂みたいな整った美しさがあると思います。彫刻も素晴らしいようですが、本殿は近づけないのでよく分かりません。
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イチオシ
隣りに建つ境内社篠原神社本殿。この辺りは鏡餅の発祥の地だそうで、かつては餅の宮とよばれていたようです。
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でも、立派なのは拝殿でしょうね。こちらは周囲から自由に眺められるので、じっくり見るならこっちかもしれません。
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境内はひっそりとしていて、人けはありません。
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イチオシ
少し移動して、こちらは、平家終焉の地。
一門の大将であった平宗盛と息子の清宗が殺された場所です。 -
平宗盛は、本来、壇ノ浦の戦いで死ぬべきだったのでしょうが、水練の達人で海を泳いでいるところを捕えられたというトホホな人物。
鎌倉に連れていかれ、京都へ送り返される途中だったということです。傍らには宗盛と清宗親子の首を洗ったという宗盛首洗池もあります。やぶ蚊が多くて閉口しました。 -
イチオシ
また少し移動して。
源義経の元服池というのは、鞍馬を抜け出した牛若丸が奥州に向かう途中、ここで元服をしたという場所。 -
義経は稚児姿だったので見つかりやすいと考えたからのようですが、いずれにしても記念すべき場所。前髪を落とした姿を池の水に映したという池です。国道の脇に石碑があるのですが、車がビュンビュン通るので近づけない。ちょっと危ない場所でした。
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道の駅 竜王かがみの里は、 義経の元服池の向かい側。
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この辺りの農産物の直売所が充実していて、
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予想外にいろんな果物も置いています。
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私は、こんな立派な黄桃をいただきました。休憩所があって、ここでがぶり。汁がポタポタ流れるジューシーさで、ちょっと一息つきました。
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源義経の元服池の解説パネルもありました。
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さて、元気になったところで、もうひと踏ん張りです。
祇王・祇女の物語といえば、諸行無常の平家物語でも有名な下り。清盛の寵愛を受けた白拍子ですが、仏御前の出現により、清盛の心は離れ、出家してしまいます。その祇王はこちらの出身で、祇王の屋敷跡というのが残っていました。 -
ちょっとした公園のような感じで整備されています。
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地元でこうして大事にされているのは、祇王が故郷が水不足だったことを憂い、清盛に頼んで水路を整備させたり、この地に貢献したという理由もあるよう。
意外な一面もある女性だったんですね。なるほど。 -
近くには妓王寺というのもあって、ここには妓王寺略縁起が残っていて、妓王の素性のこととかが伝えられているようです。
それによると、祇王・祇女は江辺庄の橘次郎時長の娘といわれ、院の北面であった父が保元の乱で戦死したため、母刀自とともに都へ出て白拍子となったということ。その上で清盛の寵をえたというのも皮肉なことかもしれません。
なお、寺は門が固く閉まっていて、外からうかがうしかありません。 -
このエリアにはいくつかのマイナースポットがありまして、一応それらもチェックしましょう。
土安神社は、野洲市永原にある神社。永原御殿跡の北にあって、菅原神社の御旅所として造られたということ。 -
その後はこの地域の守り神となっているようです。
辺りには、さきほどの平家物語の妓王にかかる遺跡などもあって、ちょっと一風変わったエリアとなっています。 -
永原御殿跡は、別名、御茶屋御殿。徳川将軍が上洛の際に利用する宿泊所だったということですが、 本丸や二の丸に水堀もあった、ちょっとした城郭です。しかし、私有地であることから、保存状態がよくない。荒地のような一角に石碑が建っているのですが、近所の人に場所を聞かないと見つけれなかったと思います。
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標識は親切に出ていますが、やっぱり難しいです。
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菅原神社は、小さな土安神社を見た後だったので、とても立派な神社に見えましたが、
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いずれにしてもこの地区では最も大きな神社だと思います。
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イチオシ
新年に火渡り神事というのがあるそうで、これは護摩木を燃やした炭の上を素足で歩く奇祭。今でも守り継がれているようです。
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北村季吟というのは、この地区の出身。医者の家系だったようですが歌人でもあり、松尾芭蕉も北村季吟の門人だったとは驚きです。地区内に句碑がいくつかあるようですが、私は、この菅原神社の境内に建っているのを発見しました。
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少し移動して。
これはテニスの錦織選手の活躍で一躍脚光を浴びているという錦織寺です。 -
浄土真宗木辺派の本山ということで、
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市街の真ん中に大伽藍風の立派な寺院が堂々と建っていました。
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元々は、天台宗の円仁により創建された毘沙門堂が始まりのようですが、
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親鸞が逗留したことから、浄土真宗との縁ができたようです。
この辺りまで回ると、もうけっこうな距離を走っていると思います。自転車が電動だったので、何んとかもっているんですが。。 -
そろそろ限界かなあと思っていたのですが、もう一つどうしても気になるスポットがあって、思い切って行ってみることに。
訪ねたのは兵主大社。国指定の名勝、平安時代後期の作という兵主大社庭園がある神社です。 -
この松並木の感じって、普通の神社じゃないですよね。
これは期待が持てそうです。 -
イチオシ
朱塗りのいかめしい楼門と
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落ち着きのある本殿の組み合わせ。境内も広いので、悠々とした構えが印象的です。
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そして、目玉は、元々は、神社の庭ではなく、この地の豪族、播磨守資頼邸の庭園だったという神苑です。
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拝観を申し込むと、鍵を開けてくれました。
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池泉廻遊式庭園は、石組や築山の三尊石などの基本がしっかりして、
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周囲を巡る小道からいろんな角度で景色を楽しめます。
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ただ、少し荒れた感じは否めない。
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イチオシ
季節のせいもあるんでしょうか。
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苔も評判のような美しさはないように思いました。
まあ、こうした古い庭の見どころは石組です。大きな石を使わずに、威圧感がないのは末法思想が流行していた当時の時代背景でしょう。浄土庭園の特徴がよく表れていると思います。 -
ここまで何とか自転車で来ましたが、自転車で行ける範囲としてはこの辺りが限界かなという感じ。この庭は素晴らしいにしても、やっぱりかなり遠いです。
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最後に、隣りの集落に移動しまして。
蓮長寺は境内だけ見て終わろうと思っていたのですが、要予約という木造十一面観音立像がとても気になって、思い切ってお寺の方に頼んでみると、 -
それじゃあということで収納庫を開けてくれました。
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するとこれはびっくり。細い柳腰を見事にひねられた、ちょっと衝撃的なお姿。スリムビューティという表現ができる仏様に出会ったのは、鶴林寺のあいたた観音以来ですねえ。
向源寺の国宝観音もひねってますけど、ひねりだけならこっちが全然勝ってますので、よろしく。もっと有名になってもいい観音様だと思います。 -
その並びにあるのが近松家住宅。
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ここは、忠臣蔵の赤穂浪士の一人「近松勘六」ゆかりの家。勘六はこの家に姿を隠し、その後、討ち入りにのぞみました。建物は藁ぶき屋根の大きな家で、江戸時代前期に建てられたということなので、まさにこの家で隠れていたことになるんでしょうか。実際に住んでいらっしゃる人がいるので、ちょっと敷地内に入って外観だけを見るにしても気を遣います。
さて、これで野洲周辺の探索はおしまい。駅に向かって、またまたかなりの距離を戻りました。電動自転車の電池も切れてしまって、まあ、それだけよく走りました。 -
野洲から草津に移動して、ここでもちょこっと散策です。
宿場そばは、旧東海道の草津宿にある老舗のそば屋さん。建物は、旧商家を移築したものだそうですが、築130年。トタンの屋根なので風情という意味では微妙です。 -
こあがりにかつての宿場町の古文書とかの資料が展示してあるのは珍しいですね。
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そばの方は悪くはないですが、マイルドな仕上がりなので関東系のシャキッとしたそばに慣れている人にはちょっと物足りないかもしれません。
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そして、ここの名物は、何んといっても「うばがもち」。旧東海道草津宿の名物です。
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さて、うばがもちの方ですが、初めて見た感想は「小っちゃ!」。餡子を乗せたお餅なんですが、小さな箱に小さなもちが並んでいて、この小ささは他ではないでしょう。
しかし、食べると小さいことは特に何も影響なし。その分食べやすいかなあとも思ってしまうくらい。つまり、餡子の存在感とかもっちりしたお餅の食感とか、むしろ小ささを感じないうまさが備わっていることがすごいのかもしれません。 -
草津駅そばの商店街も少し歩いてみます。本当はこの先に本陣跡とかあるのですが、そこまで行くには時間がありません。
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駅前米屋は、草津駅前の商店街入ってすぐ。名前の通り米屋さんが本業なのですが、ここの大福はどうでしょう。
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もう売り切れますよ〜と急かされて買ってしまったのですが、しっかりした歯ごたえのお餅がまずいい。さすが本業が米屋さんだけのことはありますが、餡子もいいじゃないですか。餡子もここで焚いているのかどうかは分かりませんが、この組み合わせを選んだ舌が一番大事なんですよね。とにかく、ものすごくうまい。お勧めです。
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エルティ932 ガーデンシティ草津は、JR草津駅とペデストリアンデッキで結ばれた駅前商業施設。昭和の街並みを再現したばんから横丁がウリの一つですが、入口にさっきの「うばがやもち」の支店がありました。時間に余裕のない人は、こちらでどうぞ。
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駅前の草津宿の碑。
ちなみに、草津宿は東海道五十三次の江戸から52番目の宿場。そして、ここで東海道と中山道が再び合流するという交通の要衝だったのです。今回は、「宿場そば」と「うばがもち」で終わてしまいましたが、これ以上はまたの機会に譲りましょう。
さて、これから京都で母と合流する予定。なんとか間に合ったようです。
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