2014/07/05 - 2014/07/05
661位(同エリア2400件中)
まみさん
2014/07/05土 ベルリン観光2日目
・ペルガモン博物館(09:30~13:50)
・ベルリン大聖堂(見学45分)
・アルテ・ナショナルギャラリー(15:30~17:20)
・フリードリヒシュタット・パラストのショー「Show Me」鑑賞
【ベルリン泊:H2ホテル・ベルリン・アレクサンダープラッツ】
ベルリン観光2日目の本日は博物館島で1日過ごすつもりでしたが、ペルガモン博物館は絶対行くぞ!と思ってオンラインで時間指定付きのチケットを事前に購入し、それで安心してしまい、博物館島のミュージーアム全部に有効なミュージーアム・チケットを買いませんでした。
なので、いくつも博物館をはしごするよりは、1つの博物館でじっくり見学することとし、その合間にベルリン大聖堂見学で一息つくことにしました。
ベルリン大聖堂は都合がよいことに、博物館島にあるんです。
もちろん、一息つくといっても、そこは大聖堂。
その町の観光ハイライトの1つです。
そしてこの巨大な建物は、おNEWの超広角ズームレンズの格好の被写体です!
ふだん使いの18-270mmの広角ズームレンズでも十分すぎるくらいいろんな写真が楽しめますが、さらに超広角の10mmで迫ったときの楽しさ!!
この世界観が変わるような衝撃(大げさ@)こそが、超広角レンズの醍醐味であり、レンズを交換できる一眼レフの醍醐味でもあるなぁと、つくづく思いました。
そうでなくても大聖堂は被写体が多いです。
超広角で楽しんだため引きの写真が多いですが、とても興奮できた「一息」となりました。
ちなみに、ベルリン大聖堂は珍しく民間の機関が管理・維持しているらしく、大聖堂なのに入場券が必要でした。
でも、そはれベルリン・ウェルカムカードの割引がききました。
また、ベルリン大聖堂は塔にも上れますが、時間と体力が足らなくなることを考え、割愛しました。
博物館島で次にアルテ・ナショナルギャラリーは見学したかったので。
<2014年ドイツ旅行:簡易旅程>
07/02水 職場から成田前泊
07/03木 成田第2空港からJALでヘルシンキ経由でベルリンへ
07/04金 ベルリン観光1日目
07/05土 ベルリン観光2日目★
07/06日 ベルリン観光3日日
07/07月 ベルリン観光4日目
07/08火 ライプツィヒへ移動&観光
07/09水 ナウムブルク日帰り観光
07/10木 アイゼナハへ移動&観光
07/11金 ゴタ日帰り観光
07/12土 エアフルト&ワイマール日帰り観光
07/13日 フランクフルトへ移動&観光
07/14月 イトシュタイン日帰り観光
07/15火 マールブルク日帰り観光
07/16水 ハーナウ&シュタイナウ日帰り観光
07/17木 フルダ日帰り観光
07/18金 ハイデルベルク日帰り観光
07/19土 フランクフルト半日観光~夕方出国
07/20日 JAL直行便で14時頃に成田第2空港着
※この旅行記の対象の日に★をつけました。
詳細旅程はこちら。
「2014年ドイツ旅行~12年ぶりの再訪~【旅程一覧】
http://4travel.jp/travelogue/10909977
準備編や帰国後の背全体の感想は、ブログ「まみ’s Travel Diary(http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/)」
に掲載しています。
「博物館島にある大聖堂
大聖堂であるが、フリードリヒ大王によってホーエンツォレルン家の墓所になった。内部には選帝侯時代からホーエンツォレルン家の棺が安置されている。皇帝ヴィルヘルム2世が改築を命じ1905年に今日の姿となる。力強い建物でドームの高さは114mもあり階段で登ることができる。」
(「地球の歩き方 ベルリンと北ドイツ 2014~15年版」より)
「ベルリン大聖堂
ホーエンツォレルン王家の墓所がある。高さ114mもの大天蓋は第2次世界大戦で大被害を受け、1993年に内部の修復が終わった。270段の階段を上って天井ドーム Kuppelumgang にも入場できる。」
(「地球の歩き方 ドイツ 2013~14年版」より)
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻などを展示している旧博物館(Alte Museum)とルスト広場
まだ朝9時。
博物館島の見どころのほとんどは開館時間が10時なので、人の姿もほとんどなく、ひっそりとしていました。
昼間、ペルガモン博物館を見学した後にここを通りかかったら、芝生に横たわって休む人々で賑わっていました。 -
ルスト広場の前にある、ドイツ・バロック建築の傑作といえるベルリン大聖堂
ここも開館は10時からだったので、中はペルガモン博物館の後に見学しましたが、ペルガモン博物館に入れるのも予約したチケットの指定時間の9時半からなので、大聖堂の入口付近を少しぶらぶらすることにしました。 -
ベルリン大聖堂の入口に近づく
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入口の上のキリストらが描かれたモザイク画とフロントのアーチ天井
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イチオシ
ベルリン大聖堂の「考える人」(笑)
中に入る前のテラスにありました。
開館前に回れたのはこのくらい。 -
カスパー・ダヴッイド・フリードリヒのコレクションが楽しみなアルテ・ナショナルギャラリー
ギリシャ神殿のような迫力と威圧感のある建物でした。
これはベルリン大聖堂の後に見学しました。 -
ネフェルティティの胸像がある新博物館(Neues Musem)
なんで古代エジプト文明のコレクションであるネフェルティティの胸像が「新」博物館なのかな、と思ったら、旧博物館の方はさらに古い古代ギリシャ・ローマ関連のコレクションの博物館だったからでした。
ネフェルティティの胸像は、昔は「エジプト博物館」にあったものです。
ネフェルティティの胸像も12年ぶりに再会したいと思ったのですが、時間配分の関係から、今回はあきらめました。
ちなみに12年前の2002年のベルリン〜フランクフルト間のドイツ縦断旅行の詳しい旅程はこちら。
「2002年秋のベルリン〜フランクフルト ドイツ横断の旅20日間 その1:日程一覧」
http://4travel.jp/travelogue/10031291
13年前の2001年のベルリン〜ミュンヘン間のドイツ横断旅行の詳しい旅程はこちら。
「2001年秋のベルリン〜ミュンヘン ドイツ縦断の旅18日間 その1」
http://4travel.jp/travelogue/10031292
25年前の初ベルリンのときの1989年の東西ベルリンの旅程はこちら。
「1989年春のヨーロッパ周遊旅行30日間その2:ドイツ編(+詳細旅程の前半)」
http://4travel.jp/travelogue/10069659 -
新博物館の切符売り場は独立したプレハブ小屋
ペルガモン博物館をたっぷり4時間20分見学した後の14時すぎ。
ペルガモン博物館のチケット売り場の前には行列ができていましたが、ネフェルティティの胸像が人気の新博物館の方は、このとおり、すぐにチケットが買えそうでした。 -
アルテ・ナショナルギャラリー前の庭のライオン像
ペルガモン博物館見学後、ベルリン大聖堂に向かうときに撮りました。 -
ペルガモン博物館を見学し終え、次にいよいよベルリン大聖堂へ
バロック建築ではあるのですが、新古典様式が加味された後期のものかな、と思いました。 -
入口のそばのレリーフ
何かの歴史シーンのようですが不明。 -
入口の細部
入場料は2014年7月現在7.00ユーロでしたが、ベルリン・ウェルカムカードで40%引きとなり、4.00ユーロでした。
(2014年7月現在、1ユーロ=約140円で換算) -
人工大理石と絵画による装飾がステキな階段
チケット売り場のスペースでした。 -
まるでお城の階段
ここは上りませんでした。
観光客で上っている人もいませんでした。
おそらくここからドーム内側にある回廊(ギャラリー)あたりに上れるのかもしれません。 -
10mmの超広角レンズでドーム天井から主祭壇まで1枚の写真に収める!
ここからしばらく超広角レンズで撮影です。
肉眼で見るより歪んで撮れてしまうのですが、それが新鮮で面白くて。 -
美しいドーム天井
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イチオシ
超広角レンズで捉えた主祭壇周り
超広角レンズの歪みも面白いと思って取り込みました。
うっすらピンクの壁が温かみを与えていました。
左手に説教台がありました。 -
イチオシ
内部に見惚れる観客客が必ず立ち止まる入口の方
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超広角レンズのまま主祭壇に近づく
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パイプオルガンがまるでシャンデリアのよう
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パイプオルガンと説教台が1つの写真に収まった@
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説教台とその上の半円ドーム
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美しい人工大理石のテラスと飾り柱のあるサイド
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イチオシ
ガラスの上に描かれた祭壇画のある豪華な主祭壇周り
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主祭壇と3翼祭壇画
このあたりからふだん使いの18-270mmの広角・望遠兼用のレンズで撮影。
祭壇画に描かれている場面は、左からキリスト誕生と羊飼いの訪れ、十字架磔、そして復活。 -
キリストの十字架磔の祭壇画と、人工大理石の飾り柱
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宝物のように収まったパイプオルガン
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木のぬくもりのある説教台とその周り
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パイプの連なりも美しいパイプオルガン
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主祭壇前の説教台
現在のミサで実際に使われている説教台はこちらですね。 -
イチオシ
ななめから主祭壇を眺める
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主祭壇前の豪華なろうそく立て
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説教台の豪華な天蓋屋根とその上のドーム天井を仰ぎ見る
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中央のドーム天井
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ドーム天井の中央の聖霊のハトのステンドグラス
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コリント式の美しい飾り柱
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ガイドの説明を聞くツアー客と
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来拝者のためのろうそくがぎっしり
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まるでクリスマスツリーみたいな来拝者用のろうそく立て
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信者席と大小のアーチのくぼみ
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建物と一体化した豪華な装飾とシャンデリア
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バロック建築の中では落ち着いたドイツ・バロック建築
南ドイツのロココが混ざった派手派手なドイツ・バロック建築も好きでした。
この手のバロック建築はずいぶん久しぶりなので新鮮でした。 -
ホーエンツォレン王家のフリードリヒ3世(1831-1888)の墓
地下納骨堂の方が数え切れないくらいたくさんの墓がありましたが、一部の墓は祭壇のあるフロアにありました。
ドイツ史の重要性の高い人物の墓が祭壇のあるフロアにあるのかと思ったのですが、そうでもなかったようです(苦笑)。
「自由主義者で国民には「我らがフリッツ」と呼ばれて親しまれたが、父ヴィルヘルム1世とビスマルクには疎んじられ、政治的影響力を持つことはなかった。在位わずか3ヶ月(99日)で死去したため「百日皇帝」ともあだ名される。」
(Wikipediaフリー百科事典「フリードリヒ2世(ドイツ皇帝)」より引用) -
フリードリヒ1世の2番目の妃のゾフィー・シャルロッテ(1668-1705)の墓
ベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿にゆかりのある皇后でした。
「ゾフィー・シャルロッテはフランス語が巧みで、またライプニッツと文通していたなど、才女として知られる。彼女のサロンには当時の一流の芸術家や学者が集まり、ベルリンの学芸は大いに盛んになった。またフリードリヒも、妃の影響もあって科学と芸術の振興に務め、ベルリンを「シュプレー河畔のアテネ」と呼ばれるまでにした。1699年にゾフィー・シャルロッテのために夏の離宮として建設し、サロンが置かれたリーツェンブルク宮殿は、彼女の死後にシャルロッテンブルク宮殿と名を改められた。」
(Wikipediaフリー百科事典「ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファー」より引用) -
金きらきんの墓
プロイセン公のフリードリヒ・ヴィルヘルム(1620-1688)の墓です。
プロイセン王国の基礎を築いた王さまなので、お墓も格上!?
「プロイセン公国をポーランド支配から解放し、フェールベリンの戦いなどに勝利して領内からスウェーデン勢力を駆逐したため、大選帝侯(der große Kurfürst)と称えられる。
(中略)
1685年10月29日、フリードリヒ・ヴィルヘルムはポツダム勅令を発し、フォンテーヌブローの勅令によってフランスから流入したユグノー難民に避難所を与えた。この勅令によってブランデンブルクには2万の難民が移住し、そのうち5千はベルリンに住み、フランスの高度な技術や文化をブランデンブルクに伝えた。(中略)
1688年5月9日、68歳でポツダムで没し、息子のフリードリヒ3世(後のプロイセン王フリードリヒ1世)が後を継いだ。大選帝侯が残した常備軍の兵力は3万に上り、その税制や、移民を受け入れる宗教的寛容とともに後のプロイセン王国を築く基礎となった。」
(Wikipediaフリー百科事典「ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファー」より引用) -
今度はふだん使いの18-270mmの広角レンズで撮り納め
主祭壇から中央ドームに向かって。 -
主祭壇を中心に
18mmもけっこうな広角なのでけっこう撮れます。 -
アーチの下の人工大理石のテラス
このあと、ホーエンツォレン王家の墓がある納骨地下室は行ったのですが、暗かったので撮影はしませんでした。
アルテ・ナショナルギャラリー編へとつづく。
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