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1938年3月13日 「サウンド・オブ・ミュージック」の実際(映画、オーストリア)<br /> ヒトラーにとって念願だったオーストリア併合は、ストレーザ会議で英仏と歩調を合わせドイツ非難の立場をとっていたムッソリーニの強硬な反対で実現が遅れていたが、スペイン内戦などで両者の関係が変化し、実現する時が来た。  <br /><br />(このページを訪問してくださった方へ)<br /> ご訪問有難うございます。<br /> もし読者の方が根本的間違い、編集の際に発生したと思われる不整合、文法上の誤りなどを発見されたり、何か目新しい情報をお持ちの方、ご意見がおありの場合は、ご遠慮なく掲示板でもメールでも、ご一報くだされば幸いです。<br /><br /> 心からの感謝を込めて                          砂布巾

1938年3月13日 「サウンド・オブ・ミュージック」の実際(ベスト4 砂布巾のLW 第4章4)*オーストリアの犠牲は「神話」なのか?

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2024/10/17 - 2025/08/10

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砂布巾

砂布巾さん

1938年3月13日 「サウンド・オブ・ミュージック」の実際(映画、オーストリア)
 ヒトラーにとって念願だったオーストリア併合は、ストレーザ会議で英仏と歩調を合わせドイツ非難の立場をとっていたムッソリーニの強硬な反対で実現が遅れていたが、スペイン内戦などで両者の関係が変化し、実現する時が来た。  

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 ご訪問有難うございます。
 もし読者の方が根本的間違い、編集の際に発生したと思われる不整合、文法上の誤りなどを発見されたり、何か目新しい情報をお持ちの方、ご意見がおありの場合は、ご遠慮なく掲示板でもメールでも、ご一報くだされば幸いです。

 心からの感謝を込めて                          砂布巾

  •  1938年2月にベルヒテスガーデンでヒトラーと会談し、数々の要求を突きつけられたオーストリア首相シュシュニックは、国民投票を行うことを発表した。合併反対の意思を示そうとしたためだ。しかしこれが事態の進展を早め、ヒトラーの圧力でオーストリア・ナチス党員の弁護士ザイス・インクヴァルトが首相に就任、新首相の要請に応じるという形で合併が強行された。直後に国民投票が行われ、99.75%もの賛成を得たが、賛成欄が反対欄の4倍の大きさだったという。<br /> オーストリアのドイツへの強制的合併によって多くの人々の運命が変わることになるが、最も有名なのが映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデル、トラップ一家だろう。

     1938年2月にベルヒテスガーデンでヒトラーと会談し、数々の要求を突きつけられたオーストリア首相シュシュニックは、国民投票を行うことを発表した。合併反対の意思を示そうとしたためだ。しかしこれが事態の進展を早め、ヒトラーの圧力でオーストリア・ナチス党員の弁護士ザイス・インクヴァルトが首相に就任、新首相の要請に応じるという形で合併が強行された。直後に国民投票が行われ、99.75%もの賛成を得たが、賛成欄が反対欄の4倍の大きさだったという。
     オーストリアのドイツへの強制的合併によって多くの人々の運命が変わることになるが、最も有名なのが映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデル、トラップ一家だろう。

    ケールシュタインハウス 建造物

  • *併合の際ヒトラーが演説したホーフブルク(王宮)<br /> 出会いは高校2年生の頃。近郊を含めたザルツブルクの美しい風景や「ドレミの歌」をはじめとする数々の名曲が印象に残った。観るたびに感動を新たにする。好きな映画のベスト1に数えられるものだし、ドイツ、オーストリア好きの原点の1つとも言える。町中にもロケ地が点在し、モーツァルトの生誕地でもあるザルツブルクは、ミュンヘン、ウィーンとともに最も好きな場所でもある。(ベルリンは興味ある場所)

    *併合の際ヒトラーが演説したホーフブルク(王宮)
     出会いは高校2年生の頃。近郊を含めたザルツブルクの美しい風景や「ドレミの歌」をはじめとする数々の名曲が印象に残った。観るたびに感動を新たにする。好きな映画のベスト1に数えられるものだし、ドイツ、オーストリア好きの原点の1つとも言える。町中にもロケ地が点在し、モーツァルトの生誕地でもあるザルツブルクは、ミュンヘン、ウィーンとともに最も好きな場所でもある。(ベルリンは興味ある場所)

    ホーフブルク宮殿 (王宮) 城・宮殿

  •  ミラベル宮殿からホーエンザルツブルク城を望む景色は、何時間眺めても飽きない。<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=drnBMAEA3AM

     ミラベル宮殿からホーエンザルツブルク城を望む景色は、何時間眺めても飽きない。

    https://www.youtube.com/watch?v=drnBMAEA3AM

    ミラベル広場 広場・公園

  • このような風景は他にドイツ、ハイデルベルクの橋と古城、プラハ城とカレル橋、日御碕から眺める日本海くらいだろうか。

    このような風景は他にドイツ、ハイデルベルクの橋と古城、プラハ城とカレル橋、日御碕から眺める日本海くらいだろうか。

  • 千光寺から眺める尾道水道の風景も悪くない。<br />

    千光寺から眺める尾道水道の風景も悪くない。

  •  1995年8月5日にTBS系列で放映された「世界・ふしぎ発見!」、現地で180シリング(\1,800 高い!)で購入した「サウンド・オブ・ミュージック ハンドブック」、末っ子のヨハネス・フォン・トラップ氏が2000年1月13日付日本経済新聞「文化欄」に寄稿した記事(菅尾様から提供いただいた)から、実際のトラップ一家を紹介したい。

     1995年8月5日にTBS系列で放映された「世界・ふしぎ発見!」、現地で180シリング(\1,800 高い!)で購入した「サウンド・オブ・ミュージック ハンドブック」、末っ子のヨハネス・フォン・トラップ氏が2000年1月13日付日本経済新聞「文化欄」に寄稿した記事(菅尾様から提供いただいた)から、実際のトラップ一家を紹介したい。

  •  海軍将校で1880年生まれのリッター・フォン・トラップは、義和団の乱鎮圧に参加し、第一次大戦では海軍での功績により、貴族の称号を得た。1924年に前妻が亡くなり、ノンベルク修道院を訪れ、子どもたちの世話役を依頼する。<br /> 派遣されたマリア・フォン・クッチャラは、1905年に生まれた。間もなく両親が亡くなったので、父の従姉に育てられた。20歳の時に信仰に目覚め、修道院にやって来た。<br /> 子どもたちはマリアを引き止めるため、父親に彼女との結婚を提案した。2人は婚約させられ、結婚式は併合の十年以上前、1927年にノンベルク修道院で挙げた。祖国で2人の娘も生まれ、一家は幸せに暮らしていた。1935年のザルツブルク音楽祭でのコラールのコンクールでは優勝した。<br /> トラップ大佐は祖国を捨ててアメリカに渡ることを決意。山登りの服装とナップサックを持って、家の裏のアイゲン駅からイタリアに向かった。<br /> 映画はお転婆娘のマリアが修道院から家庭教師として派遣されるシーンで始まり、大佐が再婚を考えていた伯爵夫人との関係を精算し大佐と結婚。音楽祭で優勝した直後に会場から抜け出し、山を越えてスイスへ逃げる場面で終わっている。<br /> 一家はニューヨークへ1938年9月に到着。アメリカで8ヶ月間演奏旅行を行ったが、ビザが切れ、強制退去させられた。その後、スカンジナビア諸国から演奏旅行の依頼を受け、その契約で各国から滞在ビザが発給された。<br /> 大戦が始まると、再びアメリカに戻ったが、係官の「滞在期間は」の質問にマリアが願望を込め「永遠に」と答えたため、疑いを招きニューヨーク沖エリス島にある移民収容所に収容された。友人らの尽力で出所できた。<br /> 後にオーストリアに気候や風土が似たバーモント州ストウの牧場を購入した。大佐は1947年に亡くなった。1950年から家族でロッジの経営を始め、6年後には合唱団としての活動も停止した。マリアは、1987年3月28日に世を去った。

     海軍将校で1880年生まれのリッター・フォン・トラップは、義和団の乱鎮圧に参加し、第一次大戦では海軍での功績により、貴族の称号を得た。1924年に前妻が亡くなり、ノンベルク修道院を訪れ、子どもたちの世話役を依頼する。
     派遣されたマリア・フォン・クッチャラは、1905年に生まれた。間もなく両親が亡くなったので、父の従姉に育てられた。20歳の時に信仰に目覚め、修道院にやって来た。
     子どもたちはマリアを引き止めるため、父親に彼女との結婚を提案した。2人は婚約させられ、結婚式は併合の十年以上前、1927年にノンベルク修道院で挙げた。祖国で2人の娘も生まれ、一家は幸せに暮らしていた。1935年のザルツブルク音楽祭でのコラールのコンクールでは優勝した。
     トラップ大佐は祖国を捨ててアメリカに渡ることを決意。山登りの服装とナップサックを持って、家の裏のアイゲン駅からイタリアに向かった。
     映画はお転婆娘のマリアが修道院から家庭教師として派遣されるシーンで始まり、大佐が再婚を考えていた伯爵夫人との関係を精算し大佐と結婚。音楽祭で優勝した直後に会場から抜け出し、山を越えてスイスへ逃げる場面で終わっている。
     一家はニューヨークへ1938年9月に到着。アメリカで8ヶ月間演奏旅行を行ったが、ビザが切れ、強制退去させられた。その後、スカンジナビア諸国から演奏旅行の依頼を受け、その契約で各国から滞在ビザが発給された。
     大戦が始まると、再びアメリカに戻ったが、係官の「滞在期間は」の質問にマリアが願望を込め「永遠に」と答えたため、疑いを招きニューヨーク沖エリス島にある移民収容所に収容された。友人らの尽力で出所できた。
     後にオーストリアに気候や風土が似たバーモント州ストウの牧場を購入した。大佐は1947年に亡くなった。1950年から家族でロッジの経営を始め、6年後には合唱団としての活動も停止した。マリアは、1987年3月28日に世を去った。

    ホーエンザルツブルク城塞 城・宮殿

  •  記事では、マリアが「サウンド…」ばかりでなく、前身となったドイツ映画「菩提樹」(1950年代最高のドイツ映画とされる)でもトラップ大佐が大袈裟に描かれているのが不満だった。ただ「サウンド…」では、昔自分が見ていた風景が登場していたので、気に入っていた。クラシックの歌い手である合唱団にとって、映画で歌われる曲をリクエストされることへの困惑などが紹介されている。「サウンド…」の中で大佐が子どもたちを笛で呼ぶ場面があるが、実際に彼はあのように呼んでいたそうだ。<br /> 番組では、マリアがカフェに入ったら隣でヒトラーが好物のイチゴジュースを飲んでいた、という眉唾な逸話から、トラップ合唱団がヒトラーの誕生日に本人の前で歌うよう求められた、「聖しこの夜」を世界中に広めた、リコーダー(たて笛)をアメリカに広めた、好奇心旺盛なマリア本人が映画に出演しているなどが紹介されている。<br /> 本人が出演する場面は、彼女役のジュリー・アンドリュースが修道院からトラップ家に向かう途中、「自信を持って」を歌いながら広場を通る後方に通行人としての一瞬だ。

     記事では、マリアが「サウンド…」ばかりでなく、前身となったドイツ映画「菩提樹」(1950年代最高のドイツ映画とされる)でもトラップ大佐が大袈裟に描かれているのが不満だった。ただ「サウンド…」では、昔自分が見ていた風景が登場していたので、気に入っていた。クラシックの歌い手である合唱団にとって、映画で歌われる曲をリクエストされることへの困惑などが紹介されている。「サウンド…」の中で大佐が子どもたちを笛で呼ぶ場面があるが、実際に彼はあのように呼んでいたそうだ。
     番組では、マリアがカフェに入ったら隣でヒトラーが好物のイチゴジュースを飲んでいた、という眉唾な逸話から、トラップ合唱団がヒトラーの誕生日に本人の前で歌うよう求められた、「聖しこの夜」を世界中に広めた、リコーダー(たて笛)をアメリカに広めた、好奇心旺盛なマリア本人が映画に出演しているなどが紹介されている。
     本人が出演する場面は、彼女役のジュリー・アンドリュースが修道院からトラップ家に向かう途中、「自信を持って」を歌いながら広場を通る後方に通行人としての一瞬だ。

  •  ロケ地は何回も訪問した。1986年の卒業旅行では、ツアーに参加し、結婚式のシーンが撮影されたモントゼーにある教会も含めて、<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=DIc6U0wbLJs

     ロケ地は何回も訪問した。1986年の卒業旅行では、ツアーに参加し、結婚式のシーンが撮影されたモントゼーにある教会も含めて、

    https://www.youtube.com/watch?v=DIc6U0wbLJs

  • 1997年夏には郊外のシャフベルク登山鉄道へ、

    1997年夏には郊外のシャフベルク登山鉄道へ、

  • *高所恐怖症だから、こんなホテルには泊まれない

    *高所恐怖症だから、こんなホテルには泊まれない

  • 1998年夏にはマリアが実際に暮らし、結婚式を挙げたノンベルク修道院、

    1998年夏にはマリアが実際に暮らし、結婚式を挙げたノンベルク修道院、

  • 音楽祭会場として使われたフェルゼンライトシューレに入るため、<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=v5YiakyyT2w

    音楽祭会場として使われたフェルゼンライトシューレに入るため、

    https://www.youtube.com/watch?v=v5YiakyyT2w

  • ケント・ナガノのコンサートを聴きに行った。

    ケント・ナガノのコンサートを聴きに行った。

  •   *「逃げたぞ!」<br />https://www.youtube.com/watch?v=9NaoZZnIxwc 

      *「逃げたぞ!」
    https://www.youtube.com/watch?v=9NaoZZnIxwc 

  • 1990年ザルツブルク音楽祭でアバド=ベルリンフィルの演奏が聴けたのも忘れ難い思い出だ。何回行ってもザルツブルクと周辺の景色は素晴らしい! <br />(ロケ地訪問 1986年3月,1990年8月,1997年8月,1998年8月)<br /><br />ドイツ版サウンドオブミュージック「菩提樹」<br />https://www.youtube.com/watch?v=5XZMH6F_P7M

    1990年ザルツブルク音楽祭でアバド=ベルリンフィルの演奏が聴けたのも忘れ難い思い出だ。何回行ってもザルツブルクと周辺の景色は素晴らしい! 
    (ロケ地訪問 1986年3月,1990年8月,1997年8月,1998年8月)

    ドイツ版サウンドオブミュージック「菩提樹」
    https://www.youtube.com/watch?v=5XZMH6F_P7M

  • *トラップ家として登場

    *トラップ家として登場

  • *高台からのザルツブルクの眺め<br /><br />

    *高台からのザルツブルクの眺め

  • *ナチスが行進した場面に登場する広場<br /><br />オーストリアの犠牲は「神話」なのか?(オーストリア)<br /> 映画のラスト、逃げる場面には無理がある。脱出を試みた7人もが会場から抜け出すことが可能なのか。そしてザルツブルクからスイスはあまりに遠い。<br />https://www.youtube.com/watch?v=5XZMH6F_P7M<br /> 背景も単純ではなかった。松岡由季著「観光コースでない ウィーン」(高文研)から以下に一部を引用して紹介する。<br /> トラップ大佐が支持していたオーストロ・ファシズム路線は、オーストリアの独立は望んでいたものの、民主的な動きを弾圧した独裁政権でした。映画では、トラップ大佐は「滅びゆくオーストリアを憂える愛国者」として演出されています。音楽祭では、「オーストリアのみなさん。祖国への愛をこめて歌います。みなさんもどうぞその歌を死なせないでください」とコメントし、エーデルワイスを歌って感動を誘います。<br /> 戦後、オーストリアが主張した「犠牲者神話」は、こうした複雑な過去を単純化し、オーストリアはナチスの犠牲者であった、としました。この映画もそうした「犠牲者神話」の上に作られたものだったと言えます。

    *ナチスが行進した場面に登場する広場

    オーストリアの犠牲は「神話」なのか?(オーストリア)
     映画のラスト、逃げる場面には無理がある。脱出を試みた7人もが会場から抜け出すことが可能なのか。そしてザルツブルクからスイスはあまりに遠い。
    https://www.youtube.com/watch?v=5XZMH6F_P7M
     背景も単純ではなかった。松岡由季著「観光コースでない ウィーン」(高文研)から以下に一部を引用して紹介する。
     トラップ大佐が支持していたオーストロ・ファシズム路線は、オーストリアの独立は望んでいたものの、民主的な動きを弾圧した独裁政権でした。映画では、トラップ大佐は「滅びゆくオーストリアを憂える愛国者」として演出されています。音楽祭では、「オーストリアのみなさん。祖国への愛をこめて歌います。みなさんもどうぞその歌を死なせないでください」とコメントし、エーデルワイスを歌って感動を誘います。
     戦後、オーストリアが主張した「犠牲者神話」は、こうした複雑な過去を単純化し、オーストリアはナチスの犠牲者であった、としました。この映画もそうした「犠牲者神話」の上に作られたものだったと言えます。

  • *帝王カラヤンの生家(現在は家の前に銅像がある模様)<br /><br />

    *帝王カラヤンの生家(現在は家の前に銅像がある模様)

    カラヤンの生家 史跡・遺跡

  • *郊外アニフにあるカラヤンの家(多分 カラヤン通りにあったし、ほかにそれらしき家が無かったので 教会にはお墓もあるらしい)<br /><br />

    *郊外アニフにあるカラヤンの家(多分 カラヤン通りにあったし、ほかにそれらしき家が無かったので 教会にはお墓もあるらしい)

  • *ヘルブルン宮殿別名水の宮殿<br /> さんまのからくりTVでこの風景が出たことがある<br /> 2019.8.20 「世界街歩き」でも紹介<br />

    *ヘルブルン宮殿別名水の宮殿
     さんまのからくりTVでこの風景が出たことがある
     2019.8.20 「世界街歩き」でも紹介

    ヘルブルン宮殿 自然・景勝地

  • *ここからは、ドレミの歌ほかに登場するロケ地の数々をご覧ください 写っているのは妻布巾です

    *ここからは、ドレミの歌ほかに登場するロケ地の数々をご覧ください 写っているのは妻布巾です

    ミラベル庭園 広場・公園

  • *2016年9月20日付読売新聞によると、リーズル役だったシャーミアン・カーさんが亡くなったそうです。もう73歳だったのですね。自分も年を取る筈です。

    *2016年9月20日付読売新聞によると、リーズル役だったシャーミアン・カーさんが亡くなったそうです。もう73歳だったのですね。自分も年を取る筈です。

  • *ここからはザルツブルクの写真 モーツァルトの生家

    *ここからはザルツブルクの写真 モーツァルトの生家

    モーツァルトの生家 建造物

  • *モーツァルト広場の像

    *モーツァルト広場の像

    モーツァルト像 モニュメント・記念碑

  • *住家 この頃は半分しかなかったが、日本企業の協賛で復元された

    *住家 この頃は半分しかなかったが、日本企業の協賛で復元された

  • *ザルツブルクで見かけたストリートパフォーマーたち

    *ザルツブルクで見かけたストリートパフォーマーたち

  • *ここからはウィーンのモーツァルトゆかりの地歩き<br /> 有名な像 ト音記号が美しい

    *ここからはウィーンのモーツァルトゆかりの地歩き
     有名な像 ト音記号が美しい

    モーツァルト記念像 建造物

  • *夜景 親孝行旅行にて

    *夜景 親孝行旅行にて

  • *この建物でハフナー交響曲、トルコが舞台の歌劇「後宮からの誘拐」(大好き)が作曲された 建物内にあるホテルノセックにも一泊した

    *この建物でハフナー交響曲、トルコが舞台の歌劇「後宮からの誘拐」(大好き)が作曲された 建物内にあるホテルノセックにも一泊した

  • *そのことを示す説明

    *そのことを示す説明

  • *ザルツブルク、マリオネット劇場で見た「後宮からの誘拐」

    *ザルツブルク、マリオネット劇場で見た「後宮からの誘拐」

  • *オーストリアの有名人を描いた飛行機 尾翼に登場

    *オーストリアの有名人を描いた飛行機 尾翼に登場

  • *お墓 いわく因縁があり、実際にはここには眠っていない(確か)<br /><br />

    *お墓 いわく因縁があり、実際にはここには眠っていない(確か)

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ジバゴさん 2016/02/29 10:47:08
    ザルツブルグ脱出ルート
    はじめまして。サウンド・オブ・ミュージックのファンです。
    映画とリアルの両方をよくお調べになっていると非常に感心しました。 
    ところでリアルでのザルツブルグ脱出ルートは自宅からアイゲン駅に電車でイタリアに向かったと云われてます。 この路線を知りたいと念願しているのですがマリアの書いた本にも記載されておらず謎です。 ご存知ありませんか? 

    砂布巾

    砂布巾さん からの返信 2016/02/29 18:24:19
    残念ながら
     そこまでは知らないのです。
     ただご承知かと思いますが、一家が住んでいた家に泊まれるようで、行ってみたいとは思いますが、恐らく砂布巾自身は行けないと思います。どうか是非泊まられて旅行記を投稿してください。


    ジバゴ

    ジバゴさん からの返信 2016/03/02 22:53:58
    RE: 残念ながら
    そうですか〜。 トラップ大佐が存命時に日記でも残しているか、インタビューに答えていたならばと残念です。
    ただサウンド・オブ・ミュージックに詳しい純丘教授はこう言っております。

    『ザルツブルクから国境沿いにホーホケニッヒを山越えしてツェル・アム・ゼー(トラップ氏の前の屋敷)へ。ここから、ツェル・アム・ツィルタール(母マリアの故郷)へ移動。ふたたび山越えして、サン・ジョルジオ(ブルニコ)にしばらく潜伏。ここで、一家は、トラップ氏のアドリア海ザダールの出自を根拠にイタリアの国籍を得る。その後、これを利用してロンドンへ、そして、アメリカへ。一家の入国記録は、アメリカ公文書館のものが、すでに公開されている。』

    自分の説は、前半の山越えは小さな子供連れでは無理だろうと思うので、実際本にも書いてあるとおり列車を使ってアイゲンから列車でツェルアムゼーまで行ったのだろうと思います。

    ヴィラ トラップの紹介ありがとうございました。 
    当分海外に行く予定は無いのですが調べてみました。Trip Adviser の口コミではあまり評判が良くないホテルみたいです。 特にダブルブッキングしてるようで予約したグレードの部屋に泊まることが出来ずダウングレードになった。夜遅くなって着いたら管理人がいなくて連絡が取ることができず別のホテルに泊まった。あげくにキャンセル料100%請求された。 

    砂布巾

    砂布巾さん からの返信 2016/03/03 21:28:03
    TAで口コミを読んだ記憶があります
     書き込んで頂いた口コミ、読んだ記憶があります。改善され、気持ちよく泊まれたらいいですね!
     ところで最近砂布巾は、このTAに主に広島市内のレストランの口コミを書くことにハマっています。もう恐らく旅行に行くこともないだろうという事情もあります。
     また何か新たな情報があればご教示ください。

    よろしかったらこちらへ
    https://www.tripadvisor.jp/members/snafkins-lifework

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