2008/05/27 - 2008/05/27
256位(同エリア1437件中)
ベームさん
5月26日、27日ミュンヘンに2泊。
27日ミュンヘンから日帰りでザルツブルクに行きました。ザルツブルクはオーストリアの町ですが感覚的にはドイツみたいなものです。市街中心部は観光客で溢れていました。
ザルツブルク:ご存知モーツアルトが生れた町。紀元前後アルプスを越えたローマ軍が築いた町の一つ。7世紀末ルーペルトがここに修道院を設立、798年には大司教区になり大司教領主による支配が始まる。ザルツ(塩)のブルク(城)の名のとおり近くで採れる岩塩取引による収入が大司教に巨万の富をもたらした。領主大司教による支配は1803年まで続く。
第2次世界大戦の爆撃で町は大きな被害を受けた。大聖堂も戦後の再建。
写真はミラベル庭園入口。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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5月27日。
ミュンヘンHbf。これからザルツブルクへ。
ホームの電光表示板。
12番線、7:26発、IC111。ザルツブルク、ビショフスホーフェン、バート・ガシュタイン経由クラーゲンファート中央駅行き。 -
IC111。
車両はOEBB/オーストリア連邦鉄道。
ザルツブルクはオーストリアですがジャーマン・レイルパス使用可。前日に座席指定をとったが車内はがらがらでした。 -
途中のローゼンハイム駅。
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プリーン・アム・キームゼー駅。
ルートヴィヒ2世の作ったシュロス・ヘレンキームゼーへ行くにはここで下車。 -
ローゼンハイム、プリーンなどをノンストップですっ飛ばしてザルツブルクに近づいてきた。右側の車窓にはドイツアルプス。
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台形の山はウンターズベルク。
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ザルツァッハ川を渡るところで右手にホーエンザルツブルク城が見えた。
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ザルツブルク駅。
ミュンヘンからIC特急でノンストップ1時間30分。前日駅で聞くと座席を予約したほうが良いと言うのでそうしたら朝7時26分発のICはガラガラだった。ザルツブルク8時58分着。オーストリアに来たという感じがしない。なにしろここからウイーンよりミュンヘンのほうがずっと近いのだ。
駅の観光案内所でザルツブルクカード1日券24ユーロを買う。市内交通、主な見所がこのカードで利用できる。 -
ザルツブルク駅。
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ザルツブルク駅。
これからザルツブルク観光が始まると思うと少し胸がはずむ。モーツアルトフアンの聖地(私は特にフアンという訳ではありません)。モーツアルトは1756年この町で生まれ1791年35歳でウイーンで死去。
ザルツブルクはしかしモーツアルトにとって必ずしも住みよい町ではなかった。幼い頃から父や母、姉ナンネルとヨーロッパ中を演奏旅行をして回り、実質ザルツブルクに住んだ期間はそう長くは無い。宮廷に縛られ、音楽活動にあれこれ制約をつける時の大司教コロレドに反発、ついに25歳の時大司教に絶縁状を叩きつけザルツブルクを去りウイーンに定住することとなる。かってはモーツアルトが捨てた町。だが今もザルツブルクはモーツアルトとは切っても切れない町なのだ。 -
ザルツブルク:ミラベル宮殿。
駅前よりバスでミラベル広場下車。
ミラベルとは美しい眺めの意。1606年大司教ディートリヒが建設。焼失により1818年再建。
ザルツブルクの町は真ん中を南から北へザルツァッハ川が流れ、ドーム、城など旧市街の主な見所は左岸、駅・ミラベル宮殿などは右岸にある。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった町で、ミュージカルフアンにはたまらない散策となる。 -
ザルツブルク:ミラベル庭園と宮殿。
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ザルツブルク:ミラベル庭園。
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ザルツブルク:ミラベル庭園。
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ザルツブルク:ミラベル庭園よりホーエンザルツブルク城の眺め。
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ザルツブルク:州立歌劇場。1776年。
垂幕を見るとカール・ツェラーのオペレッタ「小鳥売り」が上演されている。 -
ザルツブルク:三位一体教会。
右岸、ミラベル庭園の先のマカルト広場にある。 -
ザルツブルク:三位一体教会。
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三位一体教会。
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ザルツブルク:聖セバスチャン教会。
モーツアルトの父レオポルトと妻コンスタンツェの墓がある。マカルト広場から幾つか道を曲がった先で少し分かりにくい。 -
ザルツブルク:聖セバスチャン教会。
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ザルツブルク:聖セバスチャン教会。
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ザルツブルク:聖セバスチャン教会の墓地。
左にあるのがレオポルトとコンスタンツェの墓。 -
ザルツブルク:聖セバスチャン教会の墓地。
真ん中コンスタンツェ、右レオポルトの墓。
碑文:コンスタンツェ・フォン・ニッセン、モーツアルト未亡人、旧姓ヴェーバー、1763年1月6日フロイブルク生まれ、1842年3月6日当地にて死去。
碑文:レオポルト・モーツアルト、大公副楽長、1719年11月14日アウクスブルク生まれ、1787年5月28日死去。
ニッセンはコンスタンツェの再婚先の姓。 -
ザルツブルク:マカルト広場のモーツアルトの住居。
17歳から25歳まで住んだ。中にショップがありモーツアルトチョコレートを買ったが、あとでミュンヘンで同じものをCD付きでもっと安く売られているのを見かけた。教訓:お土産はあわてて買うべからず。まあ高いけど本家で買ったことで納得。 -
モーツアルト住居。
内部は撮影禁止。 -
ザルツブルク:カラヤン生家。
1908年当地に生まれ1989年、ザルツブルク近郊のアニフで死去。
何人かの土地の人らしい人にカラヤン生家を聞いたが誰も知らない。マカルト広場にあると聞いていたので広場をぐるっと周って自分で見つけた。葬儀までザルツブルク大聖堂で行われたというのにもう過去の人になったのか。
ヘルベルト・フォン・カラヤンというからには貴族の家柄なのだろうか、立派な家である。 -
プレート。
「ヘルベルト・フォン・カラヤン生家。
1908.4.5生まれ、1989.7.16死去。」 -
ザルツブルク:シュターツ橋。
橋を渡るとドームなどのある左岸の旧市街。 -
シュターツ橋。
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ザルツブルク:マカルト橋。
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ザルツブルク:マカルト橋でザルツァッハ川を渡る。
オーストリア・アルプスから流れ出てザルツブルクを過ぎイン川に注ぎ、さらにパッサウでドナウ川に合流する。 -
ザルツブルク:近代美術館のあるメンフィスベルクからの眺め。
ここにはエレベーターで登れる。マカルト橋と真ん中の教会は三位一体教会。 -
ザルツブルク:メンフィスベルクからの眺め。
橋はシュターツ橋。 -
旧市街地の眺め。
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ザルツブルク:メンフィスベルクからの眺め。
右の長い建物は祝祭劇場、真ん中に大聖堂、丘の上にホーエンザルツブルク城。 -
ザルツブルク:馬洗い池。
メンフィスベルクを降り崖下を進むと祝祭劇場の手前にある。 -
ザルツブルク:馬洗い池。
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ザルツブルク:馬洗い池。
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馬洗い池から後ろを振り返る。
ブラジウス教会と丘の上の近代美術館。 -
ザルツブルク祝祭劇場。
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ザルツブルク祝祭劇場。
ザルツブルク音楽祭の会場。毎年7月下旬から8月下旬に行われる音楽祭の時は世界中の音楽愛好家で賑わう。
音楽祭の二人の功績者、カール・ベームはザルツブルクで亡くなり(葬儀は生地グラーツで)、カラヤンの葬儀はザルツブルク大聖堂で行われた。 -
ザルツブルク祝祭劇場と手前フェルゼンライトシューレ。
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ハウス フュア モーツアルト、フェルゼンライトシューレの入り口。
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ザルツブルク音楽祭のポスター。
期間:2008年7月26日から8月31日。
モーツアルト「魔笛」。
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウイーン国立歌劇場合唱団演奏。指揮リッカルド・ムーティ。タミーノ:ミヒャエル・シャーデ、パミーナ:ゲニア・キューマイアー、夜の女王:アルビナ・シャギムロタヴァ。
初回8月13日。 -
ザルツブルク聖霊降臨祭音楽会。
2009年5月29日から6月1日。
リッカルド・ムーティ指揮、ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団。
思い出の町ナポリと題しての音楽のようだ。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会。
696年、初代ザルツブルク司教ルーペルトが創設した修道院の付属教会。12世紀中頃に改築。墓地に続くカタコンベが有名。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会。
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ザルツブルク:聖ペーター教会。
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ザルツブルク:聖ペーター教会。
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聖ペーター教会。
主祭壇。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会。
身廊の天井。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会。
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ザルツブルク:聖ペーター教会。
天井。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会の墓地。
一般的に西洋の教会の墓地は日本のお寺の墓地みたいに抹香臭くなく明るく個性的。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会の墓地。
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ザルツブルク:聖ペーター教会の墓地。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」でトラップ一家が隠れたところ。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会の墓地。
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ザルツブルク:聖ペーター教会。
マルガレータ礼拝堂。 -
ザルツブルク:聖ペーター教会。
カタコンベの入口。 -
ザルツブルク:カタコンベ。
メンヒスベルクの岩盤をくり抜いて造っている。 -
ザルツブルク:カタコンベ。
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ザルツブルク:レジデンツ広場から見たホーエンザルツブルク城。
1077年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世との聖職叙任権争いの際、教皇派についたザルツブルク大司教ゲープハルトが戦いに備えて造った。同年ハインリヒ4世は「カノッサの屈辱」を味わっている。
その後代々の大司教により拡張され最終的に完成したのは1681年。実際に兵火にあったことは無く保存状態が良いまれな例という。 -
ホーエンザルツブルク城。
聖ペーター教会の裏からケーブルカーで登ることが出来る。 -
ホーエンザルツブルク城のレストランのテラス。
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ホーエンザルツブルク城のテラスで。
スパゲティばかり食べている。香辛料のきいたソースのかかっているドイツの料理は口に合わない。
高いところから景色を眺めながらのビールは最高だった。12ユーロ。 -
ホーエンザルツブルク城。
城の教会と貯水槽。16世紀。 -
ホーエンザルツブルク城。
中には入らなかったが売店があったので孫二人の土産に欧州サッカー大会の帽子を買う。なにもここで買うこともないのにと後で思う。 -
ホーエンザルツブルク城。
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ホーエンザルツブルク城からドームとレジデンツを見下ろす。
左端の教会はフランチスカナー教会、正面森の中にあるのはカプツィーナー修道院。 -
ホーエンザルツブルク城からザルツァッハ川下流方面。
中央がフランチスカナー教会、その左がコレーギエン教会、左の丘の上に近代美術館。右岸にミラベル宮殿が見える。 -
ホーエンザルツブルク城から。
市街地と反対側。 -
ホーエンザルツブルク城からの眺め。
ウンターズベルク、1972m。 -
ホーエンザルツブルク城から。
アルプスの山並み。 -
城から降りてザルツブルク大聖堂へ。
起源は774年。17世紀にバロック様式で建てなおされたが先の大戦で破壊され1959年再建。モーツアルトはここで洗礼を受けた。 -
ザルツブルク大聖堂。
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ザルツブルク大聖堂。
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ザルツブルク大聖堂。
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ザルツブルク大聖堂。
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ザルツブルク大聖堂。
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レジデンツ広場からのザルツブルク大聖堂。
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カタコンベからのザルツブルク大聖堂。
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ザルツブルク:ドーム広場。
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ザルツブルク:レジデンツ。
平時のザルツブルク大司教の住居。16世紀。
ヴュルツブルクと同じで、領民と争っていた領主司教は物騒なときは要塞で、無難なときは平地の宮殿で。 -
ザルツブルク:レジデンツ入口。
内部は撮影禁止。 -
ザルツブルク:レジデンツ広場。
奥にモーツアルト広場とモーツアルト像。 -
新レジデンツ。
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ザルツブルク:モーツアルト広場のモーツアルト像。
右奥の建物はモーツアルトの妻コンスタンツェが晩年住んだ家。1842年死去。 -
ザルツブルク:ゲトライデ通り。
人が少ないようであるが実際は観光客がうじゃうじゃ。あまりに人が多く歩きつかれたのでモーツアルト生家を見て早めにミュンヘンに帰ることにする。 -
ザルツブルク:ゲトライデ通りのモーツアルト生家。
モーツアルト広場から人の流れについていくと写真で見覚えのある黄色い建物の前に出た。
1756年1月27日ここの4階で生れた。4階の窓の下にドイツ語で”モーツアルト生家”とある。ここも撮影禁止。どんな不都合があるのだろう、撮影すると渋滞するからかな。 -
モーツアルト生家のプレート。
”モーツアルト生家、モーツアルト博物館、この家でW・A・モーツアルトが1756年1月27日に生れた”。
この後バスで駅に戻り15時18分のRB普通列車でミュンヘンに帰る。
急ぐ旅ではないので途中乗降りする地元の人たちを見るのも楽しい。ローゼンハイムまで可愛い女学生(日本の高校生ぐらいか)と相席、乙に澄ましていた。変な東洋人のおじ(い)さんでごめんね。
翌28日15:55発のルフトハンザで帰国の途に就く。
海外初めての一人旅、足を引きずりながらも楽しい旅でした。
夕食をミュンヘンのマリエン広場あたりで摂るつもりなので終点Hbfまでは行かずミュンヘンオスト駅で降りSバーンに乗り換える。人混みで結構疲れた1日だった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ebi1088さん 2010/05/21 18:22:17
- 美味しい
- Stieglは美味しいですね、線路ガードそばのStiegl直営ホテルで頂きました。
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