2010/01/01 - 2012/03/20
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ドクターキムルさん
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建長寺から鶴岡八幡宮に向かう途中にある巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道がある。鎌倉市の真ん中にあるのだが横須賀市水道局(現在は横須賀市上下水道局)が管理している。元々は旧海軍施設であった。
日露戦争の勝利により、海軍力増強が推し進められ、横須賀海軍工廠をはじめとする横須賀の海軍施設も拡張されていった。その結果、艦隊補給や工廠用水などの水需要も増大し、走水水源では間に合わなくなった海軍は新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画した。これが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の逸見浄水場まで自然流下式で導き、ろ過した後、各施設に配水するものであった。送水線路はほぼ直線に南東に向かい、鎌倉あたりで東南東に少し折れて横須賀・逸見へと続いている。そのため、送水線路上にあった河川や丘陵には水道橋や隧道が何箇所か建設された。この水道管が敷設されたルートは「横須賀水道みち」、「横須賀海軍水道みち」と呼ばれる。
工事は明治45年(1911年)に始まり、大正7年(1918年)に通水し、大正10年(1921年)には全施設が完成している。
半原取水口、半原沈殿地や逸見浄水場は現存しているが、平成19年(2007年)4月より送水休止中し、大部分は道路として利用されている。送水管路隧道(水道トンネル)も当時のままにレンガ巻き立てのものが幾つも残っている。今では、所謂戦争遺産なのかも知れない。
送水管路隧道は建長寺檀家駐車場にも見られる。
朝夷奈峠を越える旧古道から朝比奈に出るあたりにも2つの送水管路隧道が見られる。もうここは横浜市である。鎌倉時代の初めに朝夷奈切通(1241年開通)ができるまでは盛んに利用されてきたであろう旧古道の山道からの降口に、100年足らず前に掘られた送水管路隧道が見られるのだ。
(表紙写真は巨福呂坂送水管路ずい道)
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建長寺から鶴岡八幡宮へ下りる途中にある巨福呂坂洞門。鎌倉七切通しの1つである史跡「巨福呂坂」近くにあることにちなんで名付けられた。平成5年6月竣工。
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巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道がある。
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巨福呂坂送水管路ずい道は鎌倉市の真ん中にあるのだが横須賀市水道局(現在は横須賀市上下水道局)が管理している。元々は旧海軍施設であった。中には非常用食料・飲料が保管されているとか。
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青梅聖天社側出口。下に、昔海軍が施設した人が通れるほどの太い水道管が横須賀まで通っているそうだ。
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建長寺檀家駐車場の奥にあるトンネル。やぐらではなく、水道道だ。横須賀市上下水道局の管理になっている。横須賀水道道路は明治45年〜大正10年に海軍により敷設され、中津川の半原水源地から横須賀の逸見浄水場までの総延長53kmにわたる。その一部が北鎌倉と巨福呂坂切通の下に残っている。
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朝比奈の旧古道の降口にもある。降口の向かい側。
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朝比奈の旧古道の降口の向かいにもある。
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朝比奈の旧古道の降口の向かい側。
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朝比奈の旧古道の降口。この上が古道になっている。
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「立入禁止」の貼り紙。
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材木座2の水道路にある海軍の標石。
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植木に残る送水管路ずい道。
やぐらのある崖に送水管路ずい道と防空壕が残る。
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