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富山で迎えた旅の3日目。この日は、北陸本線の普通列車で高岡市を訪れることにした。高岡は、加賀藩二代藩主前田利長の隠居城として築かれた高岡城の城下町である。まず最初に訪れたのは、三棟の国宝建築を持つ瑞龍寺。前田利長の菩提を弔うため三代藩主利常によって建てられた禅宗寺院だ。整然と立ち並ぶ伽藍は、美しいとしか言いようがなかった。<br /><br />【4トラ登録15周年記念投稿】(2021.10.21投稿)

奥飛騨から越中への旅【3】~国宝瑞龍寺と高岡の街~

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2006/10/15 - 2006/10/15

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旅行記グループ 奥飛騨から越中路への旅

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旅猫

旅猫さん

富山で迎えた旅の3日目。この日は、北陸本線の普通列車で高岡市を訪れることにした。高岡は、加賀藩二代藩主前田利長の隠居城として築かれた高岡城の城下町である。まず最初に訪れたのは、三棟の国宝建築を持つ瑞龍寺。前田利長の菩提を弔うため三代藩主利常によって建てられた禅宗寺院だ。整然と立ち並ぶ伽藍は、美しいとしか言いようがなかった。

【4トラ登録15周年記念投稿】(2021.10.21投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • この日は、富山駅からまずは高岡駅へ移動する。乗車したのは、8時06分発の普通列車。高岡駅までは20分足らずだった。遊園地のような駅南口を出て、まずは国宝の伽藍を持つ瑞龍寺へと向かう。国宝の建物があるくらいなので、さぞや立派な道が続いていると思いきや、目抜き通りを外れ、水路のある何やら風情のある街並みへと入って行く。

    この日は、富山駅からまずは高岡駅へ移動する。乗車したのは、8時06分発の普通列車。高岡駅までは20分足らずだった。遊園地のような駅南口を出て、まずは国宝の伽藍を持つ瑞龍寺へと向かう。国宝の建物があるくらいなので、さぞや立派な道が続いていると思いきや、目抜き通りを外れ、水路のある何やら風情のある街並みへと入って行く。

  • 少々不安になり始めた頃、ようやく瑞龍寺が見えてきた。瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺である。入口の奥に見えたのは、江戸時代初期に建てられた重要文化財の総門であった。

    少々不安になり始めた頃、ようやく瑞龍寺が見えてきた。瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺である。入口の奥に見えたのは、江戸時代初期に建てられた重要文化財の総門であった。

    瑞龍寺 寺・神社・教会

  • 総門を潜ると、正面に堂々たる姿の山門が見えて来た。文政3年(1820)に再建されたもので、国宝に指定されているそうだ。高さは18mほどあり、境内で一番高い建物だそうだ。

    総門を潜ると、正面に堂々たる姿の山門が見えて来た。文政3年(1820)に再建されたもので、国宝に指定されているそうだ。高さは18mほどあり、境内で一番高い建物だそうだ。

  • 山門を入ると、右手に大庫裡(重要文化財)がある。禅宗寺院の台所である。松島の瑞巌寺の庫裡(国宝)よりも、佇まいが優雅な感じである。中はかなり広いが、竃は隅の方に、申し訳なさそうに据えられていた。

    山門を入ると、右手に大庫裡(重要文化財)がある。禅宗寺院の台所である。松島の瑞巌寺の庫裡(国宝)よりも、佇まいが優雅な感じである。中はかなり広いが、竃は隅の方に、申し訳なさそうに据えられていた。

  • 左手には、禅堂(重要文化財)が建つ。座禅修行をする場所だが、食事や睡眠も出来るそうだ。修復により、創建当時の姿に戻したとあった。内部には、左右の壁際に座禅を行う場所が造られている。<br />

    左手には、禅堂(重要文化財)が建つ。座禅修行をする場所だが、食事や睡眠も出来るそうだ。修復により、創建当時の姿に戻したとあった。内部には、左右の壁際に座禅を行う場所が造られている。

  • そして、正面には、どっしりとした構えの仏殿(国宝)が見える。山門と大庫裏、禅堂を繋ぐ回廊に囲まれた空間はとても広く、仏殿へ続く石畳と石灯篭だけしかない。こんなに広い空間を持った寺は初めてである。余計なものが何も無い、すっきりとした境内が清々しかった。

    そして、正面には、どっしりとした構えの仏殿(国宝)が見える。山門と大庫裏、禅堂を繋ぐ回廊に囲まれた空間はとても広く、仏殿へ続く石畳と石灯篭だけしかない。こんなに広い空間を持った寺は初めてである。余計なものが何も無い、すっきりとした境内が清々しかった。

  • 仏殿は、万治二年(1659)に建立された総欅作りの建物だそうだ。屋根は鉛板で葺かれ、金沢城の石川門と並び全国で二例しかない珍しいもの。戦時には、鉄砲の弾に鋳造するための備えだと云われている。その本尊は、中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊であった。

    仏殿は、万治二年(1659)に建立された総欅作りの建物だそうだ。屋根は鉛板で葺かれ、金沢城の石川門と並び全国で二例しかない珍しいもの。戦時には、鉄砲の弾に鋳造するための備えだと云われている。その本尊は、中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊であった。

  • 仏殿の後ろには、法堂(国宝)が建っていた。江戸時代の明暦年間に竣工した総桧造りの建物で、境内で一番大きな建築物だそうだ。その屋根には、加賀前田家の家紋『梅鉢』が付けられていた。中央の内陣には、前田利長公の位牌が安置されている。そして、手前と内陣の格天井には、狩野安信による四季の百花草が描かれていた。

    仏殿の後ろには、法堂(国宝)が建っていた。江戸時代の明暦年間に竣工した総桧造りの建物で、境内で一番大きな建築物だそうだ。その屋根には、加賀前田家の家紋『梅鉢』が付けられていた。中央の内陣には、前田利長公の位牌が安置されている。そして、手前と内陣の格天井には、狩野安信による四季の百花草が描かれていた。

  • 法堂の右側には大茶堂(重要文化財)があった。創建当初に作られた建物で、その存在は全国的にも珍しいそうだ。内部は、土天井を持った防火構造物とのこと。奥に庭があるようだった。

    法堂の右側には大茶堂(重要文化財)があった。創建当初に作られた建物で、その存在は全国的にも珍しいそうだ。内部は、土天井を持った防火構造物とのこと。奥に庭があるようだった。

  • 仏殿を囲むように建つ山門、大庫裡、鐘楼、大茶堂、法堂、禅堂は、回廊(重要文化財)で繋がっている。その回廊を歩いていると、禅堂前の梁から、腹の部分が抉られた木製の魚が吊り下げられていた。魚版又は魚鼓と呼ばれるもので、雲水の食事の合図のために打ち鳴らされたものだそうだ。お経を唱える時に使う木魚の原型と云われている。

    仏殿を囲むように建つ山門、大庫裡、鐘楼、大茶堂、法堂、禅堂は、回廊(重要文化財)で繋がっている。その回廊を歩いていると、禅堂前の梁から、腹の部分が抉られた木製の魚が吊り下げられていた。魚版又は魚鼓と呼ばれるもので、雲水の食事の合図のために打ち鳴らされたものだそうだ。お経を唱える時に使う木魚の原型と云われている。

  • 法堂左手の回廊外側には、瑞龍寺石廟(県指定文化財)と言うものがあった。5基あり、前田利長、前田利家、織田信長、信長の側室、織田信忠のものである。その内、利長のものは、側面に25体の石仏が彫られていた。

    法堂左手の回廊外側には、瑞龍寺石廟(県指定文化財)と言うものがあった。5基あり、前田利長、前田利家、織田信長、信長の側室、織田信忠のものである。その内、利長のものは、側面に25体の石仏が彫られていた。

  • 瑞龍寺を拝観した後、前田利長の墓所へと向かう。瑞龍寺から墓所までは、『八丁道』と呼ばれる真っ直ぐな道が続いている。途中、道の脇に利長の銅像が立っていた。この日は、『おもしろ市』というものが開催されていて、沿道は賑やかだった。

    瑞龍寺を拝観した後、前田利長の墓所へと向かう。瑞龍寺から墓所までは、『八丁道』と呼ばれる真っ直ぐな道が続いている。途中、道の脇に利長の銅像が立っていた。この日は、『おもしろ市』というものが開催されていて、沿道は賑やかだった。

    八丁道 名所・史跡

  • しばらく歩くと、墓所に辿り着いた。墓所の周囲には堀があり、頑丈な門で守られていた。奥に、かなり大きな墓碑が見えたが、大名のものとしては日本最大のものだそうだ。敷地も広く、一人の武将の墓とは思えない規模だった。この後、城下町を散策するため、北陸本線を潜って駅の北口へと向かった。

    しばらく歩くと、墓所に辿り着いた。墓所の周囲には堀があり、頑丈な門で守られていた。奥に、かなり大きな墓碑が見えたが、大名のものとしては日本最大のものだそうだ。敷地も広く、一人の武将の墓とは思えない規模だった。この後、城下町を散策するため、北陸本線を潜って駅の北口へと向かった。

    前田利長公墓所 名所・史跡

  • 高岡駅の北口に出ると、大伴家持の像が立っていた。越中国守として赴任した家持が、万葉集に詠んだ歌「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花」に因んだものらしい。かたかご(堅香子)とは、片栗のことである。

    高岡駅の北口に出ると、大伴家持の像が立っていた。越中国守として赴任した家持が、万葉集に詠んだ歌「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花」に因んだものらしい。かたかご(堅香子)とは、片栗のことである。

    大伴家持像 (高岡駅北口前広場前) 名所・史跡

  • 駅前からバスに乗り、古い町並みが残る金屋町へと向かう。乗り込んだ高岡市コミュニティバス『こみちオレンジルート』の運転手さんは、若い女性だった。横田町バス停で下車。運転手さんが親切に道案内をしてくれたので、迷わず金屋町へと辿り着く。その入口には、映画『8月のクリスマス』のロケが行われた『鈴木写真店』があった。

    駅前からバスに乗り、古い町並みが残る金屋町へと向かう。乗り込んだ高岡市コミュニティバス『こみちオレンジルート』の運転手さんは、若い女性だった。横田町バス停で下車。運転手さんが親切に道案内をしてくれたので、迷わず金屋町へと辿り着く。その入口には、映画『8月のクリスマス』のロケが行われた『鈴木写真店』があった。

    金屋町通り 名所・史跡

  • 高岡城築城後、砺波郡西部金屋(現高岡市戸出西部金屋)の鋳物師7人を呼び寄せて住まわせたことから誕生したのが金屋町。地元で『さまのこ』と呼ぶ千本格子の町屋は、旧町内に27軒残存しているそうだ。そんな町屋が建ち並ぶ中町は、落ち着いた風情が漂い、美しい町並みだった。

    高岡城築城後、砺波郡西部金屋(現高岡市戸出西部金屋)の鋳物師7人を呼び寄せて住まわせたことから誕生したのが金屋町。地元で『さまのこ』と呼ぶ千本格子の町屋は、旧町内に27軒残存しているそうだ。そんな町屋が建ち並ぶ中町は、落ち着いた風情が漂い、美しい町並みだった。

    金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡

  • 金屋町の一角に、煉瓦造りの煙突が聳えていた。大正13年(1924)に造られた旧南部鋳造所の煙突で、その近くには、キュポラ(溶解炉)の一部も残っていた。高岡鋳物発祥の地である金屋町の近代化の象徴として、国の登録文化財となっているそうだ。近くの千保川に架かる新幸橋の袂には高岡鋳物発祥の地碑などもあった。金屋町で発展した鋳物が、今の高岡市の銅器、アルミ産業の基礎となったそうである。

    金屋町の一角に、煉瓦造りの煙突が聳えていた。大正13年(1924)に造られた旧南部鋳造所の煙突で、その近くには、キュポラ(溶解炉)の一部も残っていた。高岡鋳物発祥の地である金屋町の近代化の象徴として、国の登録文化財となっているそうだ。近くの千保川に架かる新幸橋の袂には高岡鋳物発祥の地碑などもあった。金屋町で発展した鋳物が、今の高岡市の銅器、アルミ産業の基礎となったそうである。

    旧南部鋳造所のキューポラと煙突 名所・史跡

  • 金屋町を後にし、今度は、土蔵造りの町並みが残る山町筋を目指す。歩いていると、見事に咲き誇る藤袴を見つけた。

    金屋町を後にし、今度は、土蔵造りの町並みが残る山町筋を目指す。歩いていると、見事に咲き誇る藤袴を見つけた。

  • 裏道を辿って歩いていると、『富山県里程元標』のある大法寺という寺の門前に出た。旧北陸街道は、この寺の前でほぼ直角に折れていたそうだ。高岡の町が開かれた当初、高札場もここにあり、まさに高岡の中心だったところである。大法寺前から旧北陸街道に沿って歩いて行くと、交差点の角にNTTの建物があり、そこに本陣天野屋があったそうだ。旧北陸街道は、ここで再び直角に折れ、山町筋に入って行く。

    裏道を辿って歩いていると、『富山県里程元標』のある大法寺という寺の門前に出た。旧北陸街道は、この寺の前でほぼ直角に折れていたそうだ。高岡の町が開かれた当初、高札場もここにあり、まさに高岡の中心だったところである。大法寺前から旧北陸街道に沿って歩いて行くと、交差点の角にNTTの建物があり、そこに本陣天野屋があったそうだ。旧北陸街道は、ここで再び直角に折れ、山町筋に入って行く。

  • 山町筋に入りしばらく歩くと、右側に煉瓦造りの大きな建物が見えてきた。東京駅を設計した辰野金吾が監修の元、清水組の田辺淳吉が設計した旧高岡共立銀行本店である。現在は、富山銀行本店となっていた。

    山町筋に入りしばらく歩くと、右側に煉瓦造りの大きな建物が見えてきた。東京駅を設計した辰野金吾が監修の元、清水組の田辺淳吉が設計した旧高岡共立銀行本店である。現在は、富山銀行本店となっていた。

    赤レンガの銀行 (富山銀行本店) 名所・史跡

  • その先に、ふたつの半円形の窓がが特徴的な建物があった。国の登録文化財に指定されている井波屋仏壇店だそうだ。後から知ったのだが、内部の装飾がかなり凝っているらしく、立ち寄らなかったことを悔やんだ。

    その先に、ふたつの半円形の窓がが特徴的な建物があった。国の登録文化財に指定されている井波屋仏壇店だそうだ。後から知ったのだが、内部の装飾がかなり凝っているらしく、立ち寄らなかったことを悔やんだ。

    山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡

  • さらに進むと、横断歩道の向こうに隅切りの趣のある建物が見えた。一階は商店のような造りで、二階は事務所のようだ。社屋として使われているようだが、なかなか美しい建物だった。

    さらに進むと、横断歩道の向こうに隅切りの趣のある建物が見えた。一階は商店のような造りで、二階は事務所のようだ。社屋として使われているようだが、なかなか美しい建物だった。

  • その斜向かいには、富山県指定有形文化財である『筏井家住宅』の重厚な建物があった。明治33年(1900)の大火後、土蔵造りなどの防火建築が義務付けられた際に建てられたものだそうだ。隣家との境には、延焼防止用の釉薬をかけた煉瓦で造られた防火壁が設けられている。

    その斜向かいには、富山県指定有形文化財である『筏井家住宅』の重厚な建物があった。明治33年(1900)の大火後、土蔵造りなどの防火建築が義務付けられた際に建てられたものだそうだ。隣家との境には、延焼防止用の釉薬をかけた煉瓦で造られた防火壁が設けられている。

  • さらにその先には、国の重要文化財に指定されている『菅野家住宅』がある。菅野家は、高岡の政財界の中心的な存在だったそうだ。やはり、明治の大火後に建てられたもので、一般公開されていた。

    さらにその先には、国の重要文化財に指定されている『菅野家住宅』がある。菅野家は、高岡の政財界の中心的な存在だったそうだ。やはり、明治の大火後に建てられたもので、一般公開されていた。

    菅野家 名所・史跡

  • その左隣に、町屋を利用したお休み処があったので、立ち寄ってみた。すると、奥の座敷で背広姿の数人の男性が話をしている。その中に、筑紫哲也氏の姿があった。高岡へ、講演で来ていたそうだ。こちらはテーブル席に陣取り、ソフトクリームを注文。つかの間の休憩とした。<br />※筑紫哲也氏は2年後の2008年11月に他界されました。

    その左隣に、町屋を利用したお休み処があったので、立ち寄ってみた。すると、奥の座敷で背広姿の数人の男性が話をしている。その中に、筑紫哲也氏の姿があった。高岡へ、講演で来ていたそうだ。こちらはテーブル席に陣取り、ソフトクリームを注文。つかの間の休憩とした。
    ※筑紫哲也氏は2年後の2008年11月に他界されました。

    山町茶屋 グルメ・レストラン

    山町筋散策の休憩に by 旅猫さん
  • 休憩後、街道筋らしい雰囲気が残る旧北陸街道沿いに高岡城跡へと向かう。途中、高岡屈指の商家であった室崎家の土蔵造りの建物を整備した高岡市土蔵造りのまち資料館などもあった。室崎家は、昭和20年まで綿布の卸売業を営んでいたそうだ。旧北陸街道は、その先で直角に曲がり、高岡城の方へと向かって行く。

    休憩後、街道筋らしい雰囲気が残る旧北陸街道沿いに高岡城跡へと向かう。途中、高岡屈指の商家であった室崎家の土蔵造りの建物を整備した高岡市土蔵造りのまち資料館などもあった。室崎家は、昭和20年まで綿布の卸売業を営んでいたそうだ。旧北陸街道は、その先で直角に曲がり、高岡城の方へと向かって行く。

    土蔵造りのまち資料館 名所・史跡

  • 旧北陸街道から少し入り込んだ場所に、明治38年(1905)創業の老舗の宿『高岡ホテル』あると言うので観に行く。風格のある建物で、少々高そうだが、一度は泊まってみたい気もする。<br />※『高岡ホテル』は、現在、閉館となっています。

    旧北陸街道から少し入り込んだ場所に、明治38年(1905)創業の老舗の宿『高岡ホテル』あると言うので観に行く。風格のある建物で、少々高そうだが、一度は泊まってみたい気もする。
    ※『高岡ホテル』は、現在、閉館となっています。

  • 旧北陸街道と別れ、路面電車の走る通り沿いに出た。路面電車の走る町は心が安らぐ。道を渡り、高岡古城公園へと向かう。

    旧北陸街道と別れ、路面電車の走る通り沿いに出た。路面電車の走る町は心が安らぐ。道を渡り、高岡古城公園へと向かう。

  • 路面電車が走る大通りから細い路地へ入ると、すぐに堀端に出た。堀の向こうのこんもりとした森が、旧高岡城の本丸跡である。高岡城は、加賀前田家二代前田利長の隠居城として建てられた城で、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸からなっていたそうだ。堀に架かる本丸橋を渡って城跡へと入ることにした。

    路面電車が走る大通りから細い路地へ入ると、すぐに堀端に出た。堀の向こうのこんもりとした森が、旧高岡城の本丸跡である。高岡城は、加賀前田家二代前田利長の隠居城として建てられた城で、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸からなっていたそうだ。堀に架かる本丸橋を渡って城跡へと入ることにした。

    高岡古城公園 公園・植物園

  • 細い道を登り切ると、急に開けた場所が見えてきた。広い芝生の上で、地元の人たちが思いおもいに過ごしている。そこが、高岡城の本丸だったところだそうだ。建物はまったく残っていないが、石垣や井戸が残っている。鍛冶丸跡には、高岡市立博物館があり、高岡城や高岡の歴史に関する資料が展示されていた。

    細い道を登り切ると、急に開けた場所が見えてきた。広い芝生の上で、地元の人たちが思いおもいに過ごしている。そこが、高岡城の本丸だったところだそうだ。建物はまったく残っていないが、石垣や井戸が残っている。鍛冶丸跡には、高岡市立博物館があり、高岡城や高岡の歴史に関する資料が展示されていた。

    高岡市立博物館 美術館・博物館

  • 本丸跡の一番奥に、高岡城の唯一の城主だった加賀前田家二代当主の前田利長公の騎馬像があった。利長は、初代前田利家の嫡男で加賀藩初代藩主。有名な『銀鯰尾兜(ぎんなまずおかぶと)』を被った姿である。その兜は、高さが127.5cmもあったそうで、さぞかし重かったことだろう。

    本丸跡の一番奥に、高岡城の唯一の城主だった加賀前田家二代当主の前田利長公の騎馬像があった。利長は、初代前田利家の嫡男で加賀藩初代藩主。有名な『銀鯰尾兜(ぎんなまずおかぶと)』を被った姿である。その兜は、高さが127.5cmもあったそうで、さぞかし重かったことだろう。

  • 高岡城跡を後にして、歩いてすぐのところにある『高岡大仏』を観に行く。近くで観ると、日本三大大仏の一つだけあり、さすがに大きい。

    高岡城跡を後にして、歩いてすぐのところにある『高岡大仏』を観に行く。近くで観ると、日本三大大仏の一つだけあり、さすがに大きい。

    高岡大仏 寺・神社・教会

  • 大仏の前から、旧北陸街道である坂下町通りを歩いて大通りへと戻る。大通りに出ると、すぐ近くに坂下町電停があったので、そこから路面電車に乗り、高岡駅へと戻ることにする。しばらく待つと、猫柄の可愛い電車がやってきた。

    大仏の前から、旧北陸街道である坂下町通りを歩いて大通りへと戻る。大通りに出ると、すぐ近くに坂下町電停があったので、そこから路面電車に乗り、高岡駅へと戻ることにする。しばらく待つと、猫柄の可愛い電車がやってきた。

    坂下町停留場

  • 乗り込むと、車内は正統派路面電車の佇まいで、昼下がりの車内は、のんびりとした時間が流れていた。路面電車の心地よい揺れに身を任せること数分で、高岡駅前に到着した。隣には、高岡市コミュニティーバス『こまち』のオレンジルートとブルールートが仲良く停まっていた。

    乗り込むと、車内は正統派路面電車の佇まいで、昼下がりの車内は、のんびりとした時間が流れていた。路面電車の心地よい揺れに身を任せること数分で、高岡駅前に到着した。隣には、高岡市コミュニティーバス『こまち』のオレンジルートとブルールートが仲良く停まっていた。

  • 高岡駅へ戻ってきたが、帰りの列車までまだ時間があったので、久しぶりに雨晴海岸へ行ってみることにした。天気も良いので、富山湾越しに立山連峰が見えるかもしれない。その雨晴海岸へは、氷見線に乗って行く。氷見線のホームは、改札左手の跨線橋の先にぽつんとあった。そこには、忍者ハットリくんの絵を纏った列車が停まっていた。

    高岡駅へ戻ってきたが、帰りの列車までまだ時間があったので、久しぶりに雨晴海岸へ行ってみることにした。天気も良いので、富山湾越しに立山連峰が見えるかもしれない。その雨晴海岸へは、氷見線に乗って行く。氷見線のホームは、改札左手の跨線橋の先にぽつんとあった。そこには、忍者ハットリくんの絵を纏った列車が停まっていた。

    高岡駅

  • 越中国の国府が置かれていた伏木の町を過ぎ、次の越中国分駅から少し走ると、車窓右手に日本海の景色が飛び込んでくる。以前乗った時のことを思い出し、身構えて撮影する。ここは、かなりお気に入りの車窓なのだ。

    越中国の国府が置かれていた伏木の町を過ぎ、次の越中国分駅から少し走ると、車窓右手に日本海の景色が飛び込んでくる。以前乗った時のことを思い出し、身構えて撮影する。ここは、かなりお気に入りの車窓なのだ。

  • そして、雨晴駅に到着。以前と変わらぬ駅舎と駅前の風景であった。それにしても、雨晴駅の駅舎は、駅名を掲げていなかったら駅とは思えない佇まいである。今回はあまり時間が無いので、駅員さんに教えてもらった近くの海岸へと向かう。海岸へと向かう小道から海は見えた。

    そして、雨晴駅に到着。以前と変わらぬ駅舎と駅前の風景であった。それにしても、雨晴駅の駅舎は、駅名を掲げていなかったら駅とは思えない佇まいである。今回はあまり時間が無いので、駅員さんに教えてもらった近くの海岸へと向かう。海岸へと向かう小道から海は見えた。

    雨晴駅

  • 海岸へ出ると、左手には能登半島が薄っすらと見えた。そして、立山連峰を望む右手を見ると、霞が掛かり、その美しい姿は望めなかった。天気が良かったので、残念である。それでも、青い空と海が広がる雨晴海岸の景色は気持ち良かった。

    海岸へ出ると、左手には能登半島が薄っすらと見えた。そして、立山連峰を望む右手を見ると、霞が掛かり、その美しい姿は望めなかった。天気が良かったので、残念である。それでも、青い空と海が広がる雨晴海岸の景色は気持ち良かった。

    能登半島国定公園雨晴海岸 公園・植物園

  • 駅へ戻ると、ホームからも海が望めた。長閑な景色に、心が安らぐ。いよいよ、この旅も終わりに近付いてきた。陽が傾き始めたホームで、高岡行の列車を持つ。しばらくすると、14時55分発の列車がやってきた。

    駅へ戻ると、ホームからも海が望めた。長閑な景色に、心が安らぐ。いよいよ、この旅も終わりに近付いてきた。陽が傾き始めたホームで、高岡行の列車を持つ。しばらくすると、14時55分発の列車がやってきた。

  • 高岡駅からは、15時38分発の越後湯沢行の特急『はくたか17号』に乗車。発車してすぐ、高岡駅で買い込んできた駅弁『三色ちらし弁当』(650円)を味わう。越中を離れる頃、車窓には、雨晴で見ることができなかった立山連峰が、少しだけ顔を出してくれた。

    高岡駅からは、15時38分発の越後湯沢行の特急『はくたか17号』に乗車。発車してすぐ、高岡駅で買い込んできた駅弁『三色ちらし弁当』(650円)を味わう。越中を離れる頃、車窓には、雨晴で見ることができなかった立山連峰が、少しだけ顔を出してくれた。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 前日光さん 2014/02/27 23:40:04
    瑞龍寺、いいですよね!
    旅猫さん、こんばんは。

    久しぶりに国宝瑞龍寺の広い境内の写真を拝見し、数年前にここに立った時の感激を思い出しました。
    旅猫さんは、広さが清々しいとおっしゃっていますが、まさにその通りだと思います。
    私も瑞龍寺の何に惹かれたのかと思っていましたが、この「清々しさ」に感動したのかもしれません。
    旅猫さんは、短い言葉で的確な表現をされるので、いつもそうそう、そうなんだよねぇと頷いている私です。

    高岡駅前の大伴家持の像、私は駅前には行かなかったのでこれは見ていませんが、私が家持の歌の中でひょっとすると一番好きかも知れない「かたかごの花」の歌が刻まれているのですね。

    それから高岡の町の「金屋」という地名ですが、鋳物師が住んだことからその地名がついたとのこと、実は栃木県佐野市も鋳造で有名で「金屋」という地名があります。
    そしてなんと、奥出雲もたたら製鉄に携わる鐵山師が仕事の前にお参りするのが「金屋子神社」なんですよ。
    この共通点は面白いと思いませんか?

    素敵な越中旅記、堪能させていただきました。


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2014/03/01 09:33:37
    RE: 瑞龍寺、いいですよね!
    前日光さん、こんにちは。
    いつもありがとうございます!

    瑞龍寺はいいですよねぇ
    あの境内の広がりと清々しい佇まいには感動しますね。
    こんなにも美しいお寺があったのかと。

    大伴家持の像は、駅の北口の目の前にあります。
    嫌でも目に入るので、高岡を再訪することとがあればぜひ!
    早春に行くと、「かたかごの花」を感じられるかも。

    日本で創られる銅像のほとんどを高岡で造っているそうですね。
    鋳物では、かなり有名な街。
    散策していると、記念碑とか結構ありました。

    金屋という地名は、鋳物に共通のものなのでしょうね。
    旅猫
  • 義臣さん 2006/10/26 09:58:25
    素晴らしい
    写真も素晴らしい、
    いつか私もと思っている所ですが、
    まだ行っていません。
    遠いですね。
    いつか必ず。。。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2006/10/26 10:21:00
    RE: 素晴らしい
    ありがとうございます!

    噂に聞いていた瑞龍寺ですが、訪れてみて、その素晴らしさを実感しました。
    まだまだ隠れた名所の内ですので、日曜日だというのに拝観者も疎らでしたので、写真に人影が写りこまなくて良かったです。

    是非訪れてみてください!

旅猫さんのトラベラーページ

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