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旅の二日目は、バスで鉱山の町神岡へと向かう。2004年、古川町などと合併し飛騨市となった神岡町は、中世、神岡を含む高原郷を支配した江馬氏の本拠地であり、江戸期以降は亜鉛を産出する神岡鉱山で栄えたところである。悪名高きイタイイタイ病は、この神岡鉱山から流れ出したカドミウムが原因であった。また、ニュートリノ観測施設カミオカンデは、神岡鉱山の跡地のひとつを利用して建てられたものだ。町の中心を神通川の支流高原川が南北に貫き、その東側の高台には、資料館として建てられた神岡城がある。そんな神岡の町を、のんびりと散策してみることにした。<br /><br />【4トラ登録15周年記念投稿】(2021.10.19投稿)

奥飛騨から越中への旅【2】~鉱山の街神岡を散策~

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2006/10/14 - 2006/10/14

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旅行記グループ 奥飛騨から越中路への旅

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旅猫

旅猫さん

旅の二日目は、バスで鉱山の町神岡へと向かう。2004年、古川町などと合併し飛騨市となった神岡町は、中世、神岡を含む高原郷を支配した江馬氏の本拠地であり、江戸期以降は亜鉛を産出する神岡鉱山で栄えたところである。悪名高きイタイイタイ病は、この神岡鉱山から流れ出したカドミウムが原因であった。また、ニュートリノ観測施設カミオカンデは、神岡鉱山の跡地のひとつを利用して建てられたものだ。町の中心を神通川の支流高原川が南北に貫き、その東側の高台には、資料館として建てられた神岡城がある。そんな神岡の町を、のんびりと散策してみることにした。

【4トラ登録15周年記念投稿】(2021.10.19投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 二日目の朝、早くに起きて外に出てみた。宿の前から、昨日は霧の中に隠れていた錫丈岳が見えていた。朝食後、宿のご主人にバス停まで送っていただく。昨夜は、思い出に残る一夜だった。バスを待つ間、近くにある有名な『新穂高の湯』を観に行く。橋の上から湯船が丸見えの開放感抜群の露天風呂であったが、時間が無くて入れなかったのが残念だった。

    二日目の朝、早くに起きて外に出てみた。宿の前から、昨日は霧の中に隠れていた錫丈岳が見えていた。朝食後、宿のご主人にバス停まで送っていただく。昨夜は、思い出に残る一夜だった。バスを待つ間、近くにある有名な『新穂高の湯』を観に行く。橋の上から湯船が丸見えの開放感抜群の露天風呂であったが、時間が無くて入れなかったのが残念だった。

    新穂高の湯 温泉

  • 中尾高原口バス停から乗ったバスを、前日と同じ栃尾温泉で乗り換える。次のバスで、素敵な思い出をくれた奥飛騨温泉郷を離れる。そして、降りったのは神岡城口バス停。案内板の示す方向に歩いていくと、高原郷土館に出た。その入口近くには、石垣らしきものがあった。それは、神岡城の石垣の一部であった。

    中尾高原口バス停から乗ったバスを、前日と同じ栃尾温泉で乗り換える。次のバスで、素敵な思い出をくれた奥飛騨温泉郷を離れる。そして、降りったのは神岡城口バス停。案内板の示す方向に歩いていくと、高原郷土館に出た。その入口近くには、石垣らしきものがあった。それは、神岡城の石垣の一部であった。

  • 郷土館の一角には、この地方特有の様式が随所に見られるという旧神岡町指定文化財『松葉家』が移築保存されていた。見学が出来たので中へ入ってみると、内部は、黒光りした柱や古い家具などに、風格と歴史を感じるものだった。

    郷土館の一角には、この地方特有の様式が随所に見られるという旧神岡町指定文化財『松葉家』が移築保存されていた。見学が出来たので中へ入ってみると、内部は、黒光りした柱や古い家具などに、風格と歴史を感じるものだった。

    高原郷土館(神岡城) 美術館・博物館

  • 敷地内には、三井金属鉱業が、神岡鉱業所創業百年を記念して資料館兼展望台として建てた神岡城もあった。この場所には、戦国時代、この地を支配していた豪族江馬氏の居館『御館』あったそうだ。神岡城は、武田信玄の飛騨攻めに協力した江馬時盛が、永禄7年(1564)にこの地に築城したものらしい。中へ入ると、甲冑などの武具などが展示されていた。

    敷地内には、三井金属鉱業が、神岡鉱業所創業百年を記念して資料館兼展望台として建てた神岡城もあった。この場所には、戦国時代、この地を支配していた豪族江馬氏の居館『御館』あったそうだ。神岡城は、武田信玄の飛騨攻めに協力した江馬時盛が、永禄7年(1564)にこの地に築城したものらしい。中へ入ると、甲冑などの武具などが展示されていた。

    神岡城 名所・史跡

  • 一番上の展望台からは、眼下に神岡町が見渡せた。街の真ん中を貫く高原川の下流に、山肌が露出している場所が見えた。そこが、神岡鉱山の跡だそうだ。

    一番上の展望台からは、眼下に神岡町が見渡せた。街の真ん中を貫く高原川の下流に、山肌が露出している場所が見えた。そこが、神岡鉱山の跡だそうだ。

  • 神岡城を後にして、神岡の町へと向かう。歩いてみると、そこかしこに古い民家が残り、紅柄格子の建物もあった。

    神岡城を後にして、神岡の町へと向かう。歩いてみると、そこかしこに古い民家が残り、紅柄格子の建物もあった。

  • 高原川の畔に出ると、赤い橋が見えてきた。藤波橋と言う橋で、深い緑色の川の色に赤色がよく映えていた。

    高原川の畔に出ると、赤い橋が見えてきた。藤波橋と言う橋で、深い緑色の川の色に赤色がよく映えていた。

  • その橋の袂に、明和8年(1771)から天明8年(1788)の18年間にわたる飛騨史上最大の百姓一揆『大原騒動』において、江戸で駕籠訴(竹に訴状を挟んで老中などに差し出すこと)をして処刑された義民たちを供養した碑が建っていた。村人たちのために自分の命を投げ出す。駕籠訴のために江戸へ向かった代表たちの覚悟は、相当なものだったことだろう。

    その橋の袂に、明和8年(1771)から天明8年(1788)の18年間にわたる飛騨史上最大の百姓一揆『大原騒動』において、江戸で駕籠訴(竹に訴状を挟んで老中などに差し出すこと)をして処刑された義民たちを供養した碑が建っていた。村人たちのために自分の命を投げ出す。駕籠訴のために江戸へ向かった代表たちの覚悟は、相当なものだったことだろう。

  • 藤波橋の袂から下流側を見る。神岡は、山が両側から迫り、町を高原川が貫いているので、人が住む場所はかなり狭い感じだ。でも、町の佇まいはとても穏やかで優しげであった。

    藤波橋の袂から下流側を見る。神岡は、山が両側から迫り、町を高原川が貫いているので、人が住む場所はかなり狭い感じだ。でも、町の佇まいはとても穏やかで優しげであった。

  • 上流側を見ると、色付き始めた木々が逆光に輝いていた。その先に、神岡を代表する景観『藤波八丁』がある。

    上流側を見ると、色付き始めた木々が逆光に輝いていた。その先に、神岡を代表する景観『藤波八丁』がある。

  • 橋を渡りきると、正面に『八幡坂』という急な坂道があった。藤波橋の上で工事をしていた地元の人と立ち話をした時、この坂は昔からあるものだと教わった。舗装され、建物が覆いかぶさるように建っているが、道の狭さが昔からある道の雰囲気を醸し出している。名前の通り、この坂は朝浦八幡宮と言う社へと続いている。

    橋を渡りきると、正面に『八幡坂』という急な坂道があった。藤波橋の上で工事をしていた地元の人と立ち話をした時、この坂は昔からあるものだと教わった。舗装され、建物が覆いかぶさるように建っているが、道の狭さが昔からある道の雰囲気を醸し出している。名前の通り、この坂は朝浦八幡宮と言う社へと続いている。

  • 坂の右手の街並みへと入る。その中に大坪酒造店と言う造り酒屋を見つけたが、残念ながら閉まっていた。その先の高台に、洞雲寺という寺があった。天文20年(1551)創建という禅宗の古刹で、全国各地の達磨を納めた達磨堂があるそうだ。境内からは、対岸に神岡城が良く見えた。そこから歩いて20分ほどのところには、日本一という『立ち達磨』があるそうだが、時間が無いので諦めることにした。

    坂の右手の街並みへと入る。その中に大坪酒造店と言う造り酒屋を見つけたが、残念ながら閉まっていた。その先の高台に、洞雲寺という寺があった。天文20年(1551)創建という禅宗の古刹で、全国各地の達磨を納めた達磨堂があるそうだ。境内からは、対岸に神岡城が良く見えた。そこから歩いて20分ほどのところには、日本一という『立ち達磨』があるそうだが、時間が無いので諦めることにした。

    日本一の立達磨と達磨堂 名所・史跡

  • 藤波橋の袂に戻り、高原川沿いに続く藤波八丁遊歩道を歩いてみることにする。遊歩道の途中からは、少しだけだが『藤波八丁』の景色を見ることが出来たが、白い岩と深い緑色の流れが印象的だった。

    藤波橋の袂に戻り、高原川沿いに続く藤波八丁遊歩道を歩いてみることにする。遊歩道の途中からは、少しだけだが『藤波八丁』の景色を見ることが出来たが、白い岩と深い緑色の流れが印象的だった。

    藤波八丁 自然・景勝地

    神岡の街中にある絶景 by 旅猫さん
  • 遊歩道の終点には、朝浦八幡宮の鳥居が建っていた。その境内は広く、鬱蒼とした杉木立に歴史を感じたが、社殿はかなり控え目な感じだった。毎年4月の第4土曜日に行われる飛騨神岡祭は、この朝浦八幡宮と大津神社・東町白山神社が同日に例祭を行なうことの総称だそうだ。

    遊歩道の終点には、朝浦八幡宮の鳥居が建っていた。その境内は広く、鬱蒼とした杉木立に歴史を感じたが、社殿はかなり控え目な感じだった。毎年4月の第4土曜日に行われる飛騨神岡祭は、この朝浦八幡宮と大津神社・東町白山神社が同日に例祭を行なうことの総称だそうだ。

  • 朝浦八幡宮を参拝した後、車道を少し歩くと、左手に神岡大橋が現れた。その橋からの『藤波八丁』の眺めはなかなか良かった。

    朝浦八幡宮を参拝した後、車道を少し歩くと、左手に神岡大橋が現れた。その橋からの『藤波八丁』の眺めはなかなか良かった。

  • 神岡大橋を渡り、道なりに歩いていくと、『殿』というバス停があった。この近くに、江馬氏の館があったことに因むのかもしれない。

    神岡大橋を渡り、道なりに歩いていくと、『殿』というバス停があった。この近くに、江馬氏の館があったことに因むのかもしれない。

  • 『江馬』と言う交差点を過ぎると、飛騨三十三観音霊場第二十七番『臨済宗 殿秀山 瑞岸寺』があった。江馬氏の菩提寺として天文4年(1392)に建立された寺院で、本尊は江馬氏正室代々の念持仏であった聖観世音菩薩坐像だそうだ。室町時代に建てられた飛地仏堂薬師堂があり、国の重要文化財に指定されている。

    『江馬』と言う交差点を過ぎると、飛騨三十三観音霊場第二十七番『臨済宗 殿秀山 瑞岸寺』があった。江馬氏の菩提寺として天文4年(1392)に建立された寺院で、本尊は江馬氏正室代々の念持仏であった聖観世音菩薩坐像だそうだ。室町時代に建てられた飛地仏堂薬師堂があり、国の重要文化財に指定されている。

  • 拝観していると、墓地で掃除をしていた寺の方に声を掛けられた。すると、江馬氏の墓があると教えていただいた。背の高い大きな墓が江馬氏のもので、その傍らには、家臣の小さな墓石が集められていた。教えていただかなければ、気付かずに立ち去ってしまったことだろう。

    拝観していると、墓地で掃除をしていた寺の方に声を掛けられた。すると、江馬氏の墓があると教えていただいた。背の高い大きな墓が江馬氏のもので、その傍らには、家臣の小さな墓石が集められていた。教えていただかなければ、気付かずに立ち去ってしまったことだろう。

  • 近くに江馬氏の館跡があるというので行ってみることにした。この界隈には、特徴のある物置のような建物をいくつも見かけた。

    近くに江馬氏の館跡があるというので行ってみることにした。この界隈には、特徴のある物置のような建物をいくつも見かけた。

  • 開けた場所が現れたが、そこが江馬氏の下館跡だった。江馬氏は、北飛騨地方に勢力を誇った豪族だが、その出自などは諸説あるようだ。現在、史跡公園として整備中で、すでに門や空堀、庭園などが復元されていた。500年前の武士の館が甦ろうとしている。その背後の山には、江馬氏の本拠であった高原諏訪城跡もある。<br />※現在は、史跡江馬氏館跡公園として復元整備され公開されています。

    開けた場所が現れたが、そこが江馬氏の下館跡だった。江馬氏は、北飛騨地方に勢力を誇った豪族だが、その出自などは諸説あるようだ。現在、史跡公園として整備中で、すでに門や空堀、庭園などが復元されていた。500年前の武士の館が甦ろうとしている。その背後の山には、江馬氏の本拠であった高原諏訪城跡もある。
    ※現在は、史跡江馬氏館跡公園として復元整備され公開されています。

    史跡江馬氏館跡公園 美術館・博物館

  • 江馬交差点まで戻ってバス通りを行くと、右手に道の駅『宙(スカイ)ドーム・神岡』があった。バスが来るまでの時間潰しに立ち寄ったところ、飛騨牛の串焼きを売っていたので購入。食べてみると、柔らかくて美味しかった。

    江馬交差点まで戻ってバス通りを行くと、右手に道の駅『宙(スカイ)ドーム・神岡』があった。バスが来るまでの時間潰しに立ち寄ったところ、飛騨牛の串焼きを売っていたので購入。食べてみると、柔らかくて美味しかった。

    道の駅宙(スカイ)ドーム神岡 道の駅

  • 神岡城口バス停からバスに乗り、神岡大橋を渡り返して奥飛騨温泉口駅で下車。列車の出発まで1時間ほどあったので、隣にあった喫茶店『あすなろ』に入り、休憩することにした。店内は落ち着いた雰囲気だ。その建物は、国鉄から引き継いだ当時の駅舎を利用しているそうだ。ちょうど昼時だったので、ピザトーストとあすなろブレンドのセットを注文。これがとても美味しかった。

    神岡城口バス停からバスに乗り、神岡大橋を渡り返して奥飛騨温泉口駅で下車。列車の出発まで1時間ほどあったので、隣にあった喫茶店『あすなろ』に入り、休憩することにした。店内は落ち着いた雰囲気だ。その建物は、国鉄から引き継いだ当時の駅舎を利用しているそうだ。ちょうど昼時だったので、ピザトーストとあすなろブレンドのセットを注文。これがとても美味しかった。

    あすなろ グルメ・レストラン

  • 列車の時間が近付いて来たので、ホームで待つ。そこには、のんびりとした時間が流れていた。神岡鉄道の駅には七福神が祀ってある。ここ奥飛騨温泉口駅には『布袋様』が鎮座していた。そして、14時18分発の猪谷駅行に乗り、奥飛騨を後にした。<br />※、現在、神岡鉄道は廃線となっています。

    列車の時間が近付いて来たので、ホームで待つ。そこには、のんびりとした時間が流れていた。神岡鉄道の駅には七福神が祀ってある。ここ奥飛騨温泉口駅には『布袋様』が鎮座していた。そして、14時18分発の猪谷駅行に乗り、奥飛騨を後にした。
    ※、現在、神岡鉄道は廃線となっています。

  • 山間をのんびりと走り、猪谷駅には14時48分に到着。15時10分発の高山本線の普通列車に乗り換え、今夜の宿がある富山駅へと向かう。そして、富山駅には45分ほどで到着した。最近、地方でも駅の高架化が進む中、富山駅は昔ながらの佇まいが残っているので、旅情が強く感じられる。しかし、北陸新幹線が開通する頃には、それも過去のものになってしまう。<br />※現在、富山駅は高架となっています。

    山間をのんびりと走り、猪谷駅には14時48分に到着。15時10分発の高山本線の普通列車に乗り換え、今夜の宿がある富山駅へと向かう。そして、富山駅には45分ほどで到着した。最近、地方でも駅の高架化が進む中、富山駅は昔ながらの佇まいが残っているので、旅情が強く感じられる。しかし、北陸新幹線が開通する頃には、それも過去のものになってしまう。
    ※現在、富山駅は高架となっています。

    富山駅

  • 改札を出て駅ビルの中を歩いていると、『白えび亭』の文字が目に入った。富山と言えば『白えび」である。夕食には少し早かったが、せっかくなので入ってみることにした。注文したのは、白えびの刺身と地元富山の酒『立山』。白えびは、仄かで上品な甘さが口の中に広がった。地酒をちびちびやりながら、しばらく贅沢な時間を過ごした。

    改札を出て駅ビルの中を歩いていると、『白えび亭』の文字が目に入った。富山と言えば『白えび」である。夕食には少し早かったが、せっかくなので入ってみることにした。注文したのは、白えびの刺身と地元富山の酒『立山』。白えびは、仄かで上品な甘さが口の中に広がった。地酒をちびちびやりながら、しばらく贅沢な時間を過ごした。

    白えび亭 グルメ・レストラン

  • 今宵の宿は、名鉄トヤマホテルである。駅前から宿へ向かう道には、市電が走っている。以前訪れた時、富山城跡の近くまで乗ったことがあったことを、ふと思い出した。路面電車の走っている街は、基本的には好きである。明日は、高岡の街を散策する。<br />※名鉄トヤマホテルは、現在、ホテルグランテラス富山となっています。

    今宵の宿は、名鉄トヤマホテルである。駅前から宿へ向かう道には、市電が走っている。以前訪れた時、富山城跡の近くまで乗ったことがあったことを、ふと思い出した。路面電車の走っている街は、基本的には好きである。明日は、高岡の街を散策する。
    ※名鉄トヤマホテルは、現在、ホテルグランテラス富山となっています。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • hot chocolateさん 2013/12/08 19:07:38
    奥飛騨♪
    旅猫さま

    神岡鉱山のイタイイタイ病といい、カミオカンデといい、世間を賑わした神岡ですが、
    その鉱山の町・神岡に、お城があるというのは知りませんでした。
    と思ったら、三井金属工業が建てた資料館兼展望台だったのですね。(笑)

    のどかな風景と、濃い緑の高原川、川沿い散策も気持ちがいいでしょうね。
    奥飛騨! また行きたいところです。
    温泉と飛騨牛が懐かしい・・・

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2013/12/08 21:53:35
    RE: 奥飛騨♪
    hot chocoさん、こんばんは。
    湖国の旅記を読んでいただきありがとうございます。

    神岡は、色々と有名な街ですが、実際にはいたって長閑な街でした。
    ちょっとあのお城もどきはどうかと思いますけどね(^^;
    まあ、昭和の観光施設と言うことで。

    街のすぐそばにある藤波八丁は一番の見どころかも。
    歴史好きには、江馬氏の残り香が感じられる通好みな街です。

    奥飛騨温泉郷は私もお気に入りです。
    飛騨牛は、まだ塊を食べていないので、いつか食べたいです(笑)

    旅猫
  • 義臣さん 2006/11/15 15:59:25
    神岡
    神岡の町は良い所とは聞いていましたが、
    此処を素通りは勿体無かったですね。
    拝見して、、つくづくそう感じました。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2006/11/15 16:06:02
    RE: 神岡
    神岡鉄道があるうちに訪れておこうと思い立ち寄ったのですが、思っていたよりずっと素敵な町でした。
    川あり、坂あり、寺社あり、そして歴史ありの町。
    素通りされてしまったのは残念でした。
  • 義臣さん 2006/10/25 17:08:23
    はじめまして
    はじめまして、
    私も11月4日、5日に廃線予定の神岡鉄道に乗りに行く予定です、
    古川もです、たった二日では時間が少ないので何処まで回れるか判りませんが。
    此方の写真を見せていただいて楽しみが増えました、

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2006/10/25 17:33:49
    RE: はじめまして
    義臣さん 初めまして!
    訪問していただきありがとうございます!

    神岡鉄道の廃線は残念ですね。
    鉄道で旅をする者として、ローカル線が消えていくのは悲しいことです。

    11月の三連休はかなりの混雑になると思いますが、神岡鉄道の旅を楽しんできてください!
    数年前に訪れたきりですが、飛騨古川も良い町ですね。
    旅行記も楽しみにお待ちしています。

    義臣

    義臣さん からの返信 2006/10/25 18:04:21
    RE: はじめまして
    有難うございます、
    古川はテレビで放送される前に一度行ったのですが、
    雨に降られて今回は再挑戦です。
    放送以後どう変わったか楽しみです。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2006/10/25 18:14:16
    RE: RE: はじめまして
    古川がテレビで紹介されたのですね。
    マスコミで取り上げられると、雰囲気が変わることがありますからね。
    報告を待ちます!

    義臣

    義臣さん からの返信 2006/10/26 09:59:47
    RE: はじめまして
    NHKで朝ドラで数年前やったので町は
    随分変化したと聞いています。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2006/10/26 10:13:32
    RE: RE: はじめまして
    そういえば、下北の大間へ行ったときも、NHKの朝ドラが終わって時が経つというのに、まだ幟をはためかせて宣伝していました。
    観光客用に作った施設や土産物屋は、かなり寂しい状況でしたが。。。

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