2007/07/21 - 2007/07/21
426位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/21(土)第14日目:ブコヴィナ地方の修道院めぐり(w/現地ガイド)
【宿泊:Pension Corlatan(グラ・フモールルイ郊外)】
フモール修道院、モルドヴッツァ修道院、スチェヴッツァ修道院、マルジネア村の黒の陶器工房見学&ショッピング、アルボレ修道院
拍子抜けしたのは否定できません。
いわゆる「5つの修道院」の中では1番小さく、外壁のフレスコ画の保存状態が1番悪いアルボレ修道院に、1番最後に訪れたからです。
好きなおかずは最後に食べる私です。
でも、現地ガイドのニコラエさんにしてみたら、本日回った4つの修道院のうち、他の3つの方が見学に時間がかかりそうだと思ったからこそ、アルボレ修道院を最後にしたのかもれません。
とはいえ、ブコヴィナ地方の外壁のフレスコ画の美しい「5つの修道院」の中に数えられるだけあって、よく見るとアルボレ修道院も見ごたえありました。
絵のスタイルはもちろん、他の4つとそう大きく変わるわけではありませんし、同じような主題を扱っています。
それゆえに気付いた相違点に、特に興味がそそられました。
アルボレ修道院は、門塔などがある立派な城壁に囲まれているわけではなく、墓地に囲まれてひっそりと存在していました。
他に修道院建築のようなものは特に見当たりませんでした。
教会は、屋根がない分、余計にこぢんまりと可愛らしく見えました。
教会というより、独立して建てられた礼拝堂という風情でした。
実際、アルボレ修道院の教会は、もともと創建者ルカ・アルボレの家族の個人的な礼拝堂として建てられたようです。
他の修道院では、西壁いっぱいに描かれていた「最後の審判」のフレスコ画は、アルボレでは壁のごく一面を占めるのみでした。
おかげで「最後の審判」も、この世の行き着くところ、というよりは、聖書の一場面、世界はまだ続くと思えてしまいそうです。
いうなれば、「最後の審判」ならぬ、「途中の審判」!?
また、アルボレでは、他の修道院では屋内にあった全聖人のカレンダー(正教会の聖人の生涯を1つずつ描いたもの)のフレスコ画は外壁にあったので、写真を撮ることができました。
ここでも内部の写真は取れませんでしたが、プロナオス(第一室)は意外に明るく、他の修道院では見られない主題のフレスコ画が描かれていました。
ニコラエさんは、それを、有名な宗教会議や、昔の王が戦いの際にキリストのおつげをきいて勝利したエピソードだと説明してくれました。
後で持参の資料をもう一度読み返したとき、あれが、コンスタンティヌス大王とマクセンティウスの戦いのフレスコ画だと気付きました。
一日の観光を終えてペンションに戻った後、忘れないうちに「5つの修道院」の共通点と相違点を、簡単な図と共にノートに整頓しました。
実物を見る前は、共通点も相違点もなかなか頭に入りませんでした。
ガイドブックや資料の説明は、5つの修道院について同じようなことが書かれてあるので、読んでいても目が泳ぎました。
実物を見てきてやっと、それら全てが、なるほどこのことか、と納得できました。
知恵の輪がやっと解けたときのような快感です。
だから、ノートにまとめずにはいられませんでした。
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★7/20〜7/22にかけて訪れたブコヴィナ地方の修道院(築年代順)
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□ヴォロネツ(Voronet)修道院(1488年)
・世界遺産。7/20(金)にガイドと最初に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。「最後の審判」が特に有名。
・青が顕著で「ヴォロネツの青」として有名。
・君主が建てたので塔がある。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第13日目(5)ブコヴィナ地方:青のヴォロネツ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10205799/
■アルボレ(Arbore)修道院(1503年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと5番目に訪問。
・外壁のフレスコ画まあまあ健在。緑が顕著。
・領主が建てたので塔がない。
□スチャヴァ市の聖ゲオルゲ(聖イオアン(Ioan))修道院(1514〜1522年)
・世界遺産。7/22(日)に一人で7番目に訪問。ここだけ無料。
・外壁のフレスコ画はだいぶ傷んでいる。
・君主が建てたので塔がある。
□フモール(Humor)修道院(1530〜1535年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと2番目に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。
・赤が顕著で「フモールの赤」として有名。
・領主が建てたので塔がない。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第14日目(1)モルドヴァ地方:赤のフモール修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10210630/
□モルドヴッツァ(Moldovita)修道院(1532年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと3番目に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。黄色が顕著。
・壁画では「コンスタンチノープルの戦い」が特に有名。
・君主が建てたので塔がある。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第14日目(2)ブコヴィナ地方:イエロイッシュなモルドヴィツァ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10210632/
□スチェヴィツァ(Sucevita)修道院(1581〜1601年)
・世界遺産ではない。7/21(土)にガイドと4番目に訪問。
・外壁のフレスコ画ほぼ完全に残っている。「天使の梯子」が特に有名。
・緑と赤が顕著で「スチェヴィツァの緑」として有名。
・貴族が建てたが塔がある。
・外壁にフレスコ画がある最後の修道院。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第14日目(3)ブコヴィナ地方:一番大きい緑のスチェヴィツァ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10210634/
□ドラゴミルナ(Dragomirna)修道院(1609年)
・世界遺産ではない。7/22(日)にガイドと6番目に訪問。
・外壁にフレスコ画はない。主教が建てたが塔がある。
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「ほかに比べると規模が小さい。モルドヴァ公国の一貴族が創建した教会堂。完成は1503年。壁面は西壁によく残っており、緑を基調としたフレスコ画が周りの芝生と調和して美しい。『聖人たちの生活』と『創世記』などが描かれている。」
(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)
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アルボレ修道院の教会の立体図と平面図
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
http://www.romanianmonasteries.org/buybucovinabook.html
立体図を見れば分かるとおり、領主が建てた教会なので、塔がありません。
平面図も一番シンプルです。他の修道院の教会のように後陣が3つでっぱったクローヴァー型になっていません。
そして部屋数も、正教会として最低限必要な3室だけです。
壁も分厚いです。屋根を支えるために必要だったのでしょう。
平面図、左から
・PRONAOS=プロナオス、いわば第一前室。
「この修道院は1503年に、スチャヴァの行政長官であったルカ・アルボーレが建てた。ルカは村の長でもあり、最初彼は自宅の横に一族の礼拝堂として建設した。彼のゴシック調の墓が、教会の最初の部屋、美しく彫刻された石造りの天蓋の下にある。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)
・NAOS=ナオス、いわば第二前室。イコノスタシスによって「聖」の世界と分けられています。
・CHANCEL=内陣。イコノスタシスの奥で、教会の中のいわゆる「聖」の世界。
★イコノスタシスについて
正教会に必ずあるイコノスタシスは、聖なる空間と俗世を隔てる壁であると同時に、ここをミサのときに司祭が聖書を持って行き来することから、2つの世界を結び付ける存在でもあります。
詳しくは、以下の写真コメントに「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)からイコノスタシスについての抜粋引用をご参照ください。
関連の写真
ブラショフのルーマニア正教会のイコノスタシスの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967865/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967883/
関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(4):ブラショフ中央公園とルーマニア正教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10135677/ -
聖人の暦といわれている、さまざまな殉教の場面のフレスコ画のある西面
入場料は4レウ、写真代も4レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
料金は、門塔のところではなく、西面の壁の前でイスに座っていた、修道女でなさそうな普通のおばさんに払いました。
アルボレ修道院は他の修道院に比べると観光客がずっと少なく、居合わせたのは3人くらいのルーマニア人のグループでしたが、おばさんは私たちのために内部の壁画の解説をしてくれました。それをニコラエさんがかいつまんで英訳してくれました。
(全部聞きたかったけれど@、話の様子から、ふつうにおしゃべりもしていたようです。)
アルボレ修道院の教会の西面は、ほかの修道院と違って「最後の審判」のフレスコ画ではありません。
ここには聖人たちの生涯が描かれています。4人だけなので、殉教場面ばかりになっていません。
窓より上の3列は、竜退治のエピソードのある聖ゲオルゲ(聖ジョージ)の生涯が描かれています。
竜退治のエピソードは多いですが、竜を退治している姿がよく絵画に描かれているのは、大天使ミカエルと聖ゲオルゲです。大天使ミカエルの場合は、天使と悪魔(竜)の戦いの天使側の隊長だということで、竜退治というのとはちょっと違いますが。
その下の1列は、聖デメトリウス(St. Demetrirus)の生涯。
その下の1例は、聖ニキータ(St. Nikita)の生涯。
一番下は、聖女パラセヴァの生涯(St. Parasceva)。フレスコ画はだいぶ剥げていて、どんな場面か判別しづらいです。
(情報源:Metaneira社のブコヴィナ修道院パンフレット)
残念ながら、Metaneira社のブコヴィナ修道院パンフレットにはこれらの聖人がどのようなエピソードのある人か分かりません。この絵から想像するしかないですね。
アルボレの外壁のフレスコ画は、この西面が一番保存状態がよいです。残りの面は残念ながらあまりきれいに残ってはいませんでした。 -
西面の聖ゲオルゲらの生涯のフレスコ画の細部
窓の上の一番スペースの多い場面は、聖ゲオルゲが竜退治をして救った王女の父王の宮廷に招かれている場面だそうです。宮廷の建物の描き方がいかにも中世絵画っぽいですね@
その右隣が感謝の宴の場面。
Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックによると、竜退治の場面はもう少し側面の方にあったようです。
「シュテファン大公が領主だった時代の貴族『ルカ・アルボレ』がこの修道院を建てました。修道院の名前は『伝道師ジョン』(ヨハネのこと)。アルボレの姿は、修道院の2ヶ所に描かれています。アルボレ修道院は、彼の死の40年後に完成しました。壁画は聖書のシーンもありますが、十字架をテーマにした絵がほとんどです。
特に有名な絵は、312年の『コンスタンティヌス大王』と『マクセンティウス』との戦闘シーンです。マクセンティウスは、自分を勝手に皇帝であると宣告し、コンスタンティヌス大王の殺戮を狙って戦争を開始。伝説によると、キリスト教ではなかったコンスタンティヌスは、『キリスト教の象徴である十字架を、尊崇して戦えば必ず勝つ』という夢を見ました。そこで、彼は戦士の盾に十字架を刻ませ、十字架の加護のもとで戦争をして勝利したのです。このモチーフをメインにして描いた絵がアルボレ修道院には数多くあります。」
(ルーマニア政府観光局公式サイト「世界遺産─Bucovina─ブコヴィナ地方の修道院」より)
http://www.romaniatabi.jp/unesco/bucovina.html -
雲から神の手が
西面のフレスコ画の一部
聖ゲオルゲ、聖デメトリウス、聖ニキータの生涯のフレスコ画の左半分。 -
西面のフレスコ画の細部
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南面のマリア伝と「最後の審判」
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南面にあった「最後の審判」のフレスコ画
アルボレ修道院は、ほかの修道院では「最後の審判」が描かれる西面に別のものが描かれていたので「最後の審判」のフレスコ画はないのかと思ったら、南面の一角ありました。
壁全面でなく、一つのマスの中にやや小さめですが。
背景の青は色あざやかにくっきり残り、地獄の血の川あるいは火の川の赤は剥げてしまっています。
聖書と聖霊のハト、赤ん坊の姿の魂をぎっしり持つ神の手、人の生前の行いを善悪の秤にかける場面などは分かります。
窓の右側は天使と悪魔の戦い、左側は天国の門前に立つ人々かな。
外壁のフレスコ画はかなり傷んでおり、印象的な絵は西面に残る8層に描かれた聖人の生涯、旧約聖書の創世記の物語、右上の隅に描かれた「最後の審判」がわずかに見られるくらいです。
アルボレ修道院は、外壁にフレスコ画が描かれた修道院のうち最も初期のものですが、この時代はまだ「最後の審判」が西面の一部にしか描かれていなかったというのはなかなか興味深いです。
(情報源:Lonely Planet(2004年発行3rd edition)) -
東面にうっすら残る「聖人のヒエラルキー」あるいは「全聖人の祈り」のフレスコ画
ここも青だけきれいに残っていますね。
中央に描かれているのは、王座についたキリスト、そして左右にマリアと洗礼者ヨハネのはずです。 -
教会のまわりの墓地
コケむしていてとても古そうな、でも美しい墓標です。
「1503年頃、この地方の大貴族ルカ・アルボレは、後に自分の領土となる自分と同名の村(アルボレ村)に礼拝堂を建てました。アルボレ家はシュテファン大公の宮廷において重要な特権貴族の一員でした。後に、ボグダン3世(シュテファン大公の息子。在位1504年〜1517年)の顧問となり、最後はシュテファニツァ公(ボクダン3世の息子。在位1517年〜1527年。その次がペトル・ラレシュの時代)が未成年のときにその後見人となりました。
ところが、シュテファニツァ公との政治上の対立により、彼はスチャヴァ貴族と後見人の地位を失い、1532年に2人の息子テオドールとニキータと共に斬首刑にされました。
皮肉な前兆というべきか、ルカ・アルボレは、彼が創建した教会を洗礼者ヨハネの斬首に捧げました。」
(Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックからの一部私訳) -
教会のまわりの墓地
台座部分が面白いです。
これは裏側です。 -
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
このコンスタンティヌス大王とマクセンティウスの戦闘シーンは、屋内にあったので写真は撮れませんでした。
アルボレ修道院のみのパンフレットは売られていませんでした。ポストカードのみでした。
ポストカードには内部のフレスコ画の写真はなく、外壁の写真は自分のカメラで撮ったので、買いませんでした。
というわけで、代わりにブコヴィナ修道院ガイドブックからの写真です。
この本は、美しい写真が満載なのですが、それ以上にこの壁画のスケッチがとても気に入っています。これがゆえに、帰国後にネット通販で買ってしまったくらいです。
宗教会議の席上には、コンスタンティヌス大王とその母ヘレナ皇太后の姿も描かれていました。
コンスタンティヌス王といえば、古代ローマ帝国でキリスト教を国教化した王で、ヘレナ皇太后は熱心なキリスト教徒で、エルサレムに聖墳墓教会をはじめたくさんの教会を建てた人です。
内壁の壁画は、17〜18世紀に教会が歴史の対立に巻き込まれたときに100年間ほど屋根なしだったため、特に上の方はひどく痛んでしまったそうです。
(情報源:ヴォロネツ修道院で買ったブコヴィナ・パンフレットより)
でも今はだいぶ修復が進んでいました。
それはいままで見てきた他の4つの修道院でも同様でした。
内部の壁画はろうそくのすすのせいで黒くなっていたのですが、外壁のフレスコ画の方が保存状態がよい面は内部の壁画より色が鮮やかに褪せずに残っているなんて、逆説的で面白い話です。 -
5つの修道院のまとめ(旅先のメモより)
昨日最初に訪れたヴォロネツ修道院(1488年)、そして今日訪れたフモール修道院(1530年)とモルドヴィッツァ修道院(1532年)。
フモール修道院についてのメモはピンクで囲みました。
ヴォロネツ修道院についてのメモは青で囲みました。
モルドヴィッツァ修道院についてのメモは緑で囲みました。
読みづらい字は油性ペンで上からなぞりました(それでも十分読みづらいと思いますが)。
きちんとした平面図と立体図は、こちらの写真をご参照ください。
フモール修道院の教会の立体図と平面図
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13274946/
ヴォロネツ修道院の教会の立体図と平面図
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13190127/
モルドヴィッツァ修道院の教会の立体図と平面図
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13274984/
※メモに対する補足
・開かれた正面入口=西面のポーチのこと(英語でopen porch=開かれた玄関)。
ヴォロネツ修道院やフモール修道院の「最後の審判」が描かれている西面は、この2つの修道院の段階ではまだ壁に囲まれていません。
いわば、外にある玄関です。
これが時代が進み、モルドヴィッツァ修道院のときには、「最後の審判」が描かれた壁を片面にしたアーチ型の通路のようになっていますが、まだ「最後の審判」のある西面は完全に壁に囲まれていません。
さらに時代が進み、スチェヴィツァ修道院では、「最後の審判」のある西面は完全に壁に囲まれて屋内の一室となってしまいました。部屋もその分、増えます。これは建築技術が進化したために可能となりました。 -
5つの修道院のまとめ(旅先のメモより)
そして5つの修道院の中で新しいスチェッヴッツァ修道院(1582〜1601年)と、最後に訪れた一番古いアルボレ修道院(1503年)。
そして5つの修道院の共通点のメモ。
スチェッヴッツァ修道院についてのメモは緑で囲みました。
アルボレ修道院についてのメモはオレンジで囲みました。
読みづらい字は油性ペンで上からなぞりました(それでも十分読みづらいと思いますが)。
きちんとした平面図と立体図は、こちらの写真をご参照ください。
スチェッヴッツァ修道院の教会の立体図と平面図
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13307386/
アルボレ修道院の教会の立体図と平面図
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13340032/
※メモに対する補足
[スチェヴィツァ修道院]
・北面の壁画を「天使の階段」とメモしていますが、むしろ「天使の梯子」です。ガイドのニコラエさんも、ladderと言っていました。
・「聖人のさまざまな死に様が暦のようになっている」=ニコラエさんはcalendarと説明してくれましたが、正確な英語はむしろmenologyのようです。主に東方正教会の聖人目録図です。実際には、聖人のさまざまな殉教場面がタイルのように壁一面にぎっしり描かれていました。
殉教場面ばかりになったのは、たいていの聖人が聖人に列せられる理由が殉教で、いわばクライマックスだからでしょう。できるだけ多くの聖人を描き込むために1聖人につき1場面に限定されたら、おのずと殉教場面ばかりになるのも仕方がないかもしれません。あるいは信仰の強さを見るものに強いインパクトを与えるとしたら、やはり殉教場面だからでしょう。
・「牛、天使、ライオン、ワシの象徴はむしろ黙示録の意味」とあるのは、私はこの4つはいつも福音書記の4人を示す象徴だと思っていたからです。スチェヴィッア修道院の教会入口天井に描かれていたこの4つは、むしろ「ヨハネ黙示録」の意味だとニコラエさんが教えてくれました。
ちなみに福音書記の場合は、牛はルカ、天使はヨハネ、ライオンはマルコ、ワシはマタイの象徴です。
[共通]
・北面:風雪に一番さらされるため、外壁の痛みが一番激しいそうです。ここにはたいてい旧約聖書の場面が描かれていますが、きれいに残っていた例はまれでした。
・南面の東寄り:でっぱりのところには、ギリシャ哲学者(ソクラテス、アリストテレス、プラトンら)が描かれています。キリスト教はギリシャ神話などを異教のものとしましたが、これら偉大な哲学者たちについては預言者として尊敬しているそうです。
さらに右隣のでっぱりには、たいてい聖人のヒエラルキーが描かれています。上の層ほど位が高く、上から天使の列、預言者の列、使徒の列と続き、その下は主教や殉教者、隠者などが並んでいました。
・南面:「マリア伝」とキリストがダビデの子孫であることを示す「エッサイの樹」がたいてい描かれています。
・西面:ここは「最後の審判」の壁画の専売特許かもしれません。
ただしスチェヴィッア修道院の場合はもはや外壁ではなく屋内の壁です。図柄はヴォロネツ修道院のものが傑作なので、後のものはたいていそれを踏襲しているようです。 -
ブコヴィナ修道院の教会内部の図解
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
教会の中は残念ながら撮影禁止でしたが、「5つの修道院」の教会はどれも、正教会の教会らしく、内部も外壁に劣らず美しいフレスコ画でぎっしりでした。
まだ修復中で、足場が組まれているところもありましたが、風雪にさらされない分、フレスコ画にほとんど損傷がなく、主にすすで黒ずんでいるのをきれいにしているところでした。
フレスコ画の修復は外壁の方が先に終わっているのです。
損なわれてしまった部分は、修復をしても、もう取り戻すことはできません。
教会内部の写真が撮れなかった代わりに、Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックからブコヴィナ地方の典型的な教会のイラストをもってきました。
★モルドヴァ建築様式
ビザンチン時代後、ブコヴィナ地方を含むモルドヴァ地方は、オスマン帝国の領土に組み込まれずにすみました。
他のオスマントルコの直接支配下の国々では、正教会が支配者のトルコの影響を跳ね除け、昔からの様式(ビザンチン様式)と変わらないでいることが精神的な独立を維持する手段だったのですが、モルドヴァ地方では、そういった強権の影響を受けなかったので、変化に対する抵抗はそういった国々ほどありません。
そして、ビザンチン様式を残しつつ、モルドヴァ様式へと発展を遂げました。その頂点が、外壁いっぱいのフレスコ画です。
モルドヴァ様式は、3段階に分けられます。
まずは、シュテファン大公の統治時代(シュテファン3世。1433年頃〜1504年、在位1457年〜1504年)です。このときに、宗教建築のいわゆる「モルドヴァ様式」が確立しました。
この様式の教会は長細く、クローヴァーの葉のように3つに突き出した後陣があり、天井は高く、アーチ形です。そしてしばしば、ナオス(第二室)の上にカンテラ型の塔があります(ただし、モルドヴァの君主でなく領主が建てた場合は塔はなし)。シュテファン大公時代、フレスコ画は内部にしか描かれていませんでした。
次は、1530年代から1550年代です。主にシュテファン大公の息子のペトル・ラレシュの統治時代(1483年〜1546年、在位1527年〜1538年、1541年〜1546年)に当たります。モルドヴァ様式の、特にフレスコ画の最盛期です。
シュテファン大公時代のシンプルで素朴な様式は、豪華に、そしてしばしば規模も大きくなりました。教会の外壁にフレスコ画が描かれたのも、ほとんどがこの時代です。文字の読めない信者の教育のために絵で解説し、正教会の勝利や救済を主題とすることで、信仰の強化を目的としました。ほとんどの教会でフレスコ画の主題は共通していますが、全く同じものはありません。
外壁にフレスコ画を描くのは16世紀末まで続きました。その最後の実例がスチェヴィツァ修道院の教会(1596年頃)です。
そして3段階目である17世紀になると、もはや外壁にフレスコ画が描かれなくなり、代わりに建築的構造が華やかになりました。建築装飾、壁がん(彫像などを置くための壁のくぼみ)、交差する壁、建築上不要なバットレス(支えの壁)、そして浮彫など。
代表例は、ドルゴミルナ修道院の教会です(翌日の2007年7月22日に最初に訪れる修道院です)。
この時代の様式は、モルドヴァとワラキアの交流が深まったため、ワラキアの建築様式に大きく影響を受けています。
また、17世紀は建築の国際時代ともいわれ、ルネサンス、バロック、新古典などバルカン地方や中央・西ヨーロッパからのさまざまの様式からも影響を受けました。
(Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックからの抜粋私訳+補足))
★イラストの代表的建築様式の説明
屋根は、木造でトラス構造(梁を使った三角構造)で支えられ、屋根板には樹脂が塗料されています。壁は、石灰石の四角いブロックです。石灰石の床には、暖房のための銅製のコイルが埋められました。修復の際には、そういった16世紀当時の技術が再現されています。
教会の内部には、プロナオス(PRONAOS=いわば「第一室」)、イコノスタシスと面するナオス(NAOS=いわば「第二室」)、そしてイコノスタシスの奥の内陣の最低3室がありますが、部屋数は教会の規模と役割によって違います。
規模が大きくなると、エキソ・ナルテックス(EXONARTHEX=外拝廊)やポーチ(玄関)が加わりましたが、エキソ・ナルテックスやポーチは、ヴォロネツ修道院の場合のように、後に増築されたものもあります。ときには教会の創健者の墓室も設けられました。
この時代のブコヴィナ修道院の教会のほとんどには塔があります。塔は「天国」を象徴しており、内部には「天使のヒエラルキー」、そしてドームには「全能のキリスト」のイコンが描かれています。
内陣は、祭壇がある一番重要な部屋です。日の出の方向の東に設けられます。聖職者しか出入りできず、イコノスタシスの奥にあって中は見られません。ただし、ミサのときには3つある扉のうちの真ん中の王門が開かれるので、チラッと覗くことができます。
内部は、ブコウィナ修道院ガイドブックによると、たいてい東に小さな聖具室(sacristy)、南側に容器などを保管する聖具保管室(diaconicon)があり、北側に正餐の準備のためのテーブル(prothesis)があるそうです。王門からいつも見えるテーブルはこれでしょうか。
内陣の中のテーブルの上には、「キボット」(Chivot/英Kivotos)とよばれる教会の形をした聖遺物入れ(モーゼの十戒を収める箱、アーク)があります。これは
教会を象徴します。
また、壁にはイエスの生涯の重要な場面が描かれていることが多いようです。
ナオスは、イコノスタシスの手前の部屋で、ここからが教会内部の俗なる世界です。そして、ここでミサを通じて、イコノスタシスの奥の聖なる世界に触れることができます。
ここにはたいてい南北に半円に突き出た後陣があります。
ルーマニア正教会は、このナオスの南北の後陣にそって信者のためにイスが設けられていることが多いですが、ブコヴィナの修道院はイスを設けられるほど規模が大きくありませんでした。
ナオスの壁のフレスコ画の主題は、主にキリストの受難の場面です。
墓室は、教会内では一番小さな部屋です。創健者や位の高い貴族が埋葬されます。石棺やその石棺を収める壁の窪みの周辺には、美しい模様の浮彫が施されています。
石棺の上の壁に創健者とその一家がキリストに教会を捧げている美しいフレスコ画が描かれていることもあります。
この部屋のフレスコ画の主題は、主に正教会の聖人たちのカレンダー(MENOLOGY=聖人祭日暦とその聖人の経歴が書かれている、主に東方正教会の暦)です。いわゆるカレンダーではなく、聖人の目録みたいなものです。
四角いマス目の中に描かれた聖人たちの生涯場面が描かれているのですが、殉教場面ばかりが壁一面にずらりと描かれているので、かなりおどろおどろしいです。パッと見た感じは、カラフルで美しいのですが、じっくり眺めていると、マゾになった気がしてきます。
きっとスペースの問題とできるだけたくさん聖人を描くため、1聖人につき、せいぜい1つの場面くらいしかスペースを割けられないのでしょう。聖人の生涯の一番重要な場面を選ぶとしたら、たいてい聖人に列せられる1番の理由となる殉教場面ばかりになるのは仕方がないのかもしれません。
それにしても、あまりにもいろんな「処刑」方法が描かれていて、むしろそのための中世の手引書みたいに見えなくもありません!?
プロナオスは、一般信者がミサに参加する部屋です。壁のフレスコ画の主題は、聖人たちのカレンダー(MENOLOGY)の続きです。
エキソ・ナルテックスやポーチは、教会という聖なる空間と俗世との中間のスペースです。四方壁に囲まれて暗い部屋のこともあれば、大きな窓が設けられて明るいところも(たとえばスチェヴィツッア修道院)、ほとんどオープンスペースのところもあります(たとえばヴォロネツ修道院。モルドヴィツッア修道院とフモール修道院は、通り抜けられる空間になっていました。)。ここの壁のフレスコ画の主題は、主に、(宗教上の)罪人や不審者への天罰と信心者の救済場面か描かれます。要するに「最後の審判」ですね。
(Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブック(抜粋私訳+補足)) -
ブコヴィナ修道院の教会のイコノスタシスのイラスト
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
イコンの壁のイコノスタシスは、訪れた「5つの修道院」の教会の内部では1番新しく感じられました。
で、この写真のイラストのような華やかなバロック様式のものが多かったです。
16世紀当時からのものもあるようですが、バロック時代の後世に新しいものに変えられたものもあるかもしれません。
イコノスタシスは、イラストのようにたいてい5層になっています。
1番下の列には、キリストの生涯が描かれた5つのイコンがはめ込まれています。
その上の列には、イコノスタシスの中心となる大きなイコンが3つ並びます。ここのイコンの主題は、キリスト、聖母マリア、そしてその教会が捧げられている聖人です。
これらのイコンの間に扉が3つあります。
中央の扉「王門」は、美しい浮彫が施された観音開きの扉で、司教しか出入りできません。ミサのときに司教が聖書をもってここを出入りし、神の言葉と恩恵が俗世にもたらされたことを象徴します。
王門の両脇の扉は、輔祭の扉と呼ばれす、司教より位の低い聖職者が出入りするところです。
その上の層は、扉のせいで断絶することなく、壁から壁へとぎっしりイコンが並びます。
イコンの主題はキリストの生涯や受難で、真ん中に来るのはたいてい「最後の晩餐」です。
その上の層には、使徒や預言者が2人ずつ描かれたイコンが並びます。
イコノスタシスの一番上の真ん中には十字架があります。
その両脇には、聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれた長細いイコンが来ます。
この上の隙間から、内陣の天井のフレスコ画の一部が見られることが多いです。
(情報源:Metaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブック)
これらのウンチクは、実際にブコヴィナ地方をガイドのニコラエさんに案内してもらったときに、現物を目にしながらニコラエさんかも説明してもらったことを、Maetaneira社のガイドブックから補足したものです。
この1週間、ニコラエさんという現地ガイドのおかげで、1人旅では分からないこと、気付かないことをたくさん教えてもらいました。
中でも、教会については、この先の1人旅の間にも何ヶ所も訪れるため、直接役に立ちました。
いままで気付かなかったものが目に入り、その意味に推測がつくようになりました。
おかげで教会めぐりがますます面白くなりました。
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