2007/07/21 - 2007/07/21
383位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/21(土)第14日目:ブコヴィナ地方の修道院めぐり(w/現地ガイド)
【宿泊:Pension Corlatan(グラ・フモールルイ郊外)】
フモール修道院、モルドヴッツァ修道院、スチェヴッツァ修道院、マルジネア村の黒の陶器工房見学&ショッピング、アルボレ修道院
ブコヴィナ地方の修道院めぐり2日目です。
実は昨日のうちにヴォロネツ修道院の他にあと1つ回るはずだったのですが、あちこちでゆっくりしていたせいか、ヴォロネツ修道院1か所しか回れませんでした。
いわゆる「5つの修道院」めぐりは、近くの町を拠点に朝早く出発して5つぎりぎりだといいます。
残りは4つなので今日中に廻り終わるだろうとは思っていても、私が写真に夢中になってしまうせいか、1か所1か所ついのんびりしてしまうので、今日は少しは控えようかしら。
と思ったら、フモール修道院がペンションのすぐお隣だったせいか、1日で4つ、楽に廻れましたた。
それだけでなく、マルジネア陶器工房に寄り道したり、景色の写真を撮るために何度か車をとめてもらう余裕があったくらいです。
ペンションが修道院のすぐ近くにあるということで、一つ、楽しみにしていたことがあります。
フモールの修道女が鳴らす礼拝を呼びかける木槌(トアカ)の音です。
残念ながら、朝7時、この日はまだぐうぐう寝ていて、全く聞き取れませんでした。
でも翌日は、朝食の席でガイドのニコラエさんに教えてもらったおかげで聞き取ることができました。
じっと耳をすませ、それと意識しないと聞き逃しそうなささやかなでした。
まるでキツツキが奏でているようなトントントントンという軽い音。
それが、慎ましげながらも楽しそうにリズムを刻みながら、朝靄の中を空気に染み渡るように静かに流れてきました。
★トアカ
「教会や修道院で、鐘を叩くかわりに使っている一種の拍子木で、普通、教会の西側の入口付近に、一枚板で吊るされていて、それを槌で、緩急自在に叩くのである。トアカの音もよく響くもので、風の吹きようでは、2キロはなれていてもはっきりと耳に入ってくる。トアカを叩くのは輔祭の役目となっていて、その音は村びとの注意を喚起し、儀式のとり行われることを予告し、また、終わったことを知らしめる。」
(「マラムレシュ〜ルーマニア山村のフォークロア」みやこうせい著(未知谷社)より)
「14世紀にこの地に誕生したモルダヴィア公国は、やがてオスマントルコに支配される。彼等は修道女たちが鐘を鳴らして礼拝時間を知らせることを禁じた。そこで修道女たちは鐘の代わりに木づちで長板をたたき始め、それがいつしか習慣化されたそうだ。」
(「東欧の郷愁」菊間潤吾・監修(新潮社)より)
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★7/20〜7/22にかけて訪れたブコヴィナ地方の修道院(築年代順)
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□ヴォロネツ(Voronet)修道院(1488年)
・世界遺産。7/20(金)にガイドと最初に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。「最後の審判」が特に有名。
・青が顕著で「ヴォロネツの青」として有名。
・君主が建てたので塔がある。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第13日目(5)ブコヴィナ地方:青のヴォロネツ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10205799/
□アルボレ(Arbore)修道院(1503年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと5番目に訪問。
・外壁のフレスコ画まあまあ健在。緑が顕著。
・領主が建てたので塔がない。
□スチャヴァ市の聖ゲオルゲ(聖イオアン(Ioan))修道院(1514〜1522年)
・世界遺産。7/22(日)に一人で7番目に訪問。ここだけ無料。
・外壁のフレスコ画はだいぶ傷んでいる。
・君主が建てたので塔がある。
■フモール(Humor)修道院(1530〜1535年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと2番目に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。
・赤が顕著で「フモールの赤」として有名。
・領主が建てたので塔がない。
□モルドヴッツァ(Moldovita)修道院(1532年)
・世界遺産。7/21(土)にガイドと3番目に訪問。
・外壁のフレスコ画かなり健在。黄色が顕著。
・壁画では「コンスタンチノープルの戦い」が特に有名。
・君主が建てたので塔がある。
□スチェヴィツァ(Sucevita)修道院(1581〜1601年)
・世界遺産ではない。7/21(土)にガイドと4番目に訪問。
・外壁のフレスコ画ほぼ完全に残っている。「天使の梯子」が特に有名。
・緑と赤が顕著で「スチェヴィツァの緑」として有名。
・貴族が建てたが塔がある。
・外壁にフレスコ画がある最後の修道院。
□ドラゴミルナ(Dragomirna)修道院(1609年)
・世界遺産ではない。7/22(日)にガイドと6番目に訪問。
・外壁にフレスコ画はない。主教が建てたが塔がある。
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「フモール修道院
スチャヴァから西へ47km、スチャヴァ〜クルージ・ナポカ間の急行も停まる町グラ・フモールGura Humoruluiの郊外約6kmにある。1530年にモルドヴァ公国のブブイオグ大臣夫妻によって建てられた修道院。壁面は宮廷画家トーマなどの手によって1535年に仕上げられた。修道院群のなかで、画家の名前がわかっているのはここだけである。
壁画は、南面を除いてはげ落ちていて保存状態が悪く、判別不能。南面のモチーフは、正教総本山だったコンスタンティノープルの司教セルゲイが、626年にペルシャ軍来襲から町を保護した聖母マリアに捧げた24の詩の場面。『コンスタンティノープルの包囲戦』では、スチャヴァの砦からコンスタンティノープルを見下ろす構図で、例によってトルコ人が敗者として描かれている。」
(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)
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ブコヴィナ地方修道院群の絵地図
ヴォロネツ修道院で買ったパンフレット「BUKOVINA the monastery archipelago」より
昨日は真ん中より下の方にあるヴォロネツ(Voronet)修道院を訪れました。
一番楽しみにしていた「ヴォロネツの青」のある、私の中では一番のハイライトを先に訪れてしまいました。
でも残りの修道院も楽しみです。
本日は、ペンションのすぐお隣にあるフモール(Humor)修道院をまず最初に見学し、それからモルドヴィッツァ修道院(地図にはヴァトラ・モルドヴッツィエイ(Vatra Moldovitei)とあります。一番左の下の方です)それからスチェヴィツァ(Sucevita)修道院(地図上でモルドヴィッツァの上)、アルボレ(Arbore)修道院と回ります。
実はモルドヴィッツァからスチェヴィツァに至る道は、この地図では分かりませんが、山を登って下りました。冬には雪で道路が閉ざされてしまうこともあるそうですが、納得できました。
また、フモールとモルドヴィッツァの間にあるクンプラン・モルドヴェネスク(Campulung Moldovenesc)は、ニコラエさんが昔、家具デザイナーとして働いていた家具工場のある比較的大きな街です。
ニコラエさんはここで奥さんと知り合ったそうです。今でもたくさんの友人がいるので、翌日、私をスチャヴァのホテルまで送った後、知り合いを訪ねると言っていました。
ブコヴィナ地方の修道院めぐりの拠点としては、スチャヴァ州にあり「地球の歩き方」にも載っている古都スチャヴァ、あるいは私が滞在したグラ・フモールルイか、クンプラン・モルドヴェネスクが便利です。スチャヴァはもちろん、グラ・フモールルイもクンプラン・モルドヴェネスクも鉄道でアクセスできます。
どの街にも、宿泊施設、銀行や郵便局、商店などがそろっていいます。
ただ、問題はそこからの公共交通機関───といってもバスしかありませんが、修道院を1〜2日で梯子したいと思う旅行者にとっては、接続が悪く、非常に不便です。
なので、私のように日本からあるいは現地で旅行会社を通じて車をチャーターするか、タクシーを使うか、あるいは最後の手段は荷馬車にヒッチハイク!?
ちなみに私の場合は、いわゆる「5つの修道院」のほかに、翌日、スチャヴァ(Suceava)経由で、北のドラゴミルナ(Dragomirna)修道院も案内してもらってから、ガイドのニコラエさんスチャヴァのホテルまで送ってもらいました。
ニコラエさんとはそこでお別れしました。
スチャヴァにある聖イオアン(Sf. Ioan)修道院は、ホテルにチェックインした後、一人で行きました。 -
フモール修道院のイラスト俯瞰図
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
南面から見たところになります。
右手にある木の門から中に入りました。
領主が建てた教会なので、塔がありません。
西面の「聖母マリア賛歌」の壁画の赤が際立っています。
立派な見張り塔が健在です。また、奥には修道女たちの住まいがあります。
同じイラストは、上記サイトのこちらにも掲載されています。
・フモール修道院
http://www.romanianmonasteries.org/images/humor/humor.html
・RomanianMonasteries.orgのサイトのブコヴィナ地方の修道院トップページ
http://www.romanianmonasteries.org/allchurches.html
「モルドヴィツァ修道院と同じ時代に建てられました。領主ペトゥル・ラレシュと、親戚の貴族トァデル・ブブヨグが、小さくて古い教会の場所にフモール修道院を建設。教会の名前は『聖母マリアの被昇天』。この修道院にも『聖母マリアと子供のイエス』の絵があります。建築様式は、モルドヴァの典型的スタイルです。1535年に描かれた壁画が現在でも残っていますが、絵の具が部分的に剥離している状態です。画家はスチャヴァから派遣された『トマ』という人でした。聖書の有名なシーンがたくさん描かれています。主な絵は『聖ニコラエ』『コンスタンチノープルの包囲』『無駄遣い息子の伝説』などです。」
(ルーマニア政府観光局公式サイト「世界遺産─Bucovina─ブコヴィナ地方の修道院」より)
http://www.romaniatabi.jp/unesco/bucovina.html -
フモール修道院の教会の立体図と平面図
RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックより
http://www.romanianmonasteries.org/buybucovinabook.html
平面図、左から
・EXONARTHEX=エキソ・ナルテックス、外拝廊。教会の玄関広間にあたります。まだ完全に壁に囲まれておらず、アーチだけがあり、半分外になっています(開かれた玄関=オープン・ボーチ)。この壁に、「最後の審判」の壁画があります。
・PRONAOS=プロナオス、いわば第一前室。
・BURIAL CHAMBER=墓室。ヴォロネツ修道院の教会にはなかったものです。ここに創立者であるモルドヴァ公国のブブイオグ大臣夫妻が埋葬されています。墓の周りはとても美しい浮彫やフレスコ画がありました。
また、ここに貴重品を隠す宝物庫(tainita)があります。平面図で白いところがコブのようにでっぱっているところです。
・NAOS=ナオス、いわば第二前室。イコノスタシスが拝めます。ここまでが正教会の中のいわゆる「俗」世界。
・CHANCEL=内陣。イコノスタシスの奥で、教会の中のいわゆる「聖」の世界。聖職者しか入れないところです。
★イコノスタシスについて
正教会に必ずあるイコノスタシスは、聖なる空間と俗世を隔てる壁であると同時に、ここをミサのときに司祭が聖書を持って行き来することから、2つの世界を結び付ける存在でもあります。
詳しくは、以下の写真コメントに「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)からイコノスタシスについての抜粋引用をご参照ください。
関連の写真
ブラショフのルーマニア正教会のイコノスタシスの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967865/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967883/
関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(4):ブラショフ中央公園とルーマニア正教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10135677/ -
フモール修道院、東面から
木造の門をくぐるとすぐ目に入る光景です。
塔がないせいか、なんか足らないってかんじてしまいますが、どこか可愛らしくもあります。
こちらからみると、ムーミンのスナフキンの帽子の形の屋根が2つ並んでいるように見えますね。
建物の前のバラも嬉しいです。
入場料は4レウ、写真代は6レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
「(前略)この修道院は、1530年、ペトゥル・ラリッシュの大臣を務めていたブブイオグにより献堂された。
外観を眺めてすぐ気づくのは、屋根に塔がないことと、敷地のまわりを石垣ではなく、木の柵で囲んでいることである。後にモルドヴァの伝統になるオープン・ポーチは、このフモールの柵がその先駆けとなったと言われている。外壁のフレスコ画は献堂の5年後に塗られたもの。一見赤を基調にしていることがわかる。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
天使と聖人のヒエラルキーのフレスコ画のある南東のでっぱり部分
6層あるうちの下から5層まで撮ることができました。
さまざまな聖人たちが描かれている列(くぼんでいる方)の間に、羽と頭だけの天使セラフィムとケルビウムの列(でっぱっている方)があります。
セラフィムは天使の中でも一番位が高い天使です。その次がケルビウムです。
「壁画は文字を理解できない人のために描かれている。多くは無名の画家により描かれたもので、内壁だけでは足りなくなり、外壁まで及んでいる。教会内部にフレスコ画が描かれることは多いが、このように外壁に至るまで描かれるのは大変珍しい。壁画の内容は聖書の一場面やこの地方に伝わる昔話、オスマントルコとの戦いをテーマにしたものがほとんどである。」
(「東欧の郷愁」菊間潤吾・監修(新潮社)より) -
南東面のでっぱりの天使と聖人のヒエラルキーのフレスコ画の一部
羽と頭しかない天使ケルビウムの羽には目がたくさんあります!
ちょっと気持ち悪いですね。 -
一番フレスコ画の保存状態のよい南面
南面は、ほとんどマリア伝で占められています。
ヴォロネツ修道院の青ほど、このフモール修道院の赤は顕著ではありませんが、いわれてみると確かに赤が多いですね。
マリアのマントの赤のせいかもしれません。
「赤を基調として描かれているのがフモール僧院だ。作者が不明な壁画が多いモルダヴィア地方の修道院の中にあって、この修道院は1535年に建立され、宮廷画家のトマという人物によって描かれたことが分かっている。他の修道院と比べて外壁はかなり傷んでいるが、ここでは有名な壁画『聖母の祈り』が見ものだ。」
(「東欧の郷愁」菊間潤吾・監修(新潮社)より) -
南面のフレスコ画「マリア伝」の一部
こうやって一部に注目すると、ちょっと緑がかった青が目立ちますね。
一番上のくぼみには、左右2つずつ天使が、真ん中は聖母子が描かれています。
その下には、左から、洗礼者ヨハネの母であるエリザベツの訪問、マリアを疑うヨセフ、イエス誕生の場面が見られます。イエスの誕生の場所は、馬屋ではなく洞窟になっています。
一番の層は、聖母子礼賛場面のようですが、残念ながらそれ以上詳しくか分かりませんでした。 -
南面の「マリア伝」の一部
上の層は、受胎告知の4つの場面のうち最初の2つ。同じ場面のはずなのに、マリアの背景の建物が違ってしまっているのは面白いです@
下の層は、左から、三賢者の訪問とイエス参拝と帰還の場面です。
マリアのマントだけでなく、天使や賢者の衣装や建物にも赤がちりばめられています。 -
南面の一部、聖ニコラウス伝
サンタクロースのモデルの聖人です。
右側は、お金を貧しい人にこっそり与えたりので、施しをうけた人は娘を売らずにすんだというエピソード場面です。
左側は、ベッドで横になっている王に聖書を示していますね。 -
西面の入口のアーチ天井のフレスコ画
アーチ天井には、聖人たち、それから大天使や羽と頭だけの天使ケルビウムが描かれています。
入口のある西面は「開かれた玄関=オープン・ホーチ」構造です。
なので写真もOKです。
残念ながらフモール修道院も、中は撮影禁止でした。
フモール修道院は、伝統的なモルドヴァ様式のオープン・ホーチ(開かれた玄関)が造られた最初の例です。
「最後の審判」の図柄に、モルドヴァ地方の典型的なものがいくつか見られます。たとえば、12使徒の座る長イス、伝統模様の織物、キリストの到来を知らせるためのブチューン(bucium)という角笛などです。
(情報源:Lonely Planet(2004年発行3rd edition)) -
西面にはここでも「最後の審判」のフレスコ画
ヴォロネツ修道院の西面の「最後の審判」のフレスコ画が名高いですが、ここフモール修道院でも、西面に描かれているのは「最後の審判」でした。
これは他の修道院も同じでした。
ヴォロネツ修道院は西面は完全に外壁となっていたのですが、フモール修道院はアーチ状になっている建物側の壁に「最後の審判」が描かれているので、写真を撮るのに十分後ろに下がれず、全体像を撮るのは無理でした。
フレスコ画はちょっと見づらいですが、王座に座るキリストの頭上にはカラフルな羽の天使ケルビウム、キリストの左右には12使徒、キリストの下には、精霊の白いハト、そして人の生前の行いを計る秤を持つのは神の手「裁きの手」があります。
秤の真ん中には、天国行きか地獄行きか、まさにいま秤にかけられている人の姿が見えます。
秤の右側には、悪魔から魂を守る大天使ミカエルの姿があります。
そしてさらに右側には、キリストの足下に源流がある、地獄の火の川があります。
ヴォロネツ修道院の「最後の審判」の図像とだいぶ共通しています。 -
西面の「最後の審判」の地獄の火の川(あるいは血の川)と、死者の蘇りの場面
最後の審判の日、あらゆる死者が蘇ります。
獣の口や海の魚の口からもやーっと飛び出ているのは蘇る魂。魚の口から飛び出している魂は、はっきり人の顔をしていますね。
獣の間にはウサギなどの小動物の姿も見られます。さすがにその口から魂が飛び出してはいません。
左右の天使が鳴らす角笛は、この地方の伝統的な楽器ブチューン。
その上は、どうやら地獄行きが決まっている人たち。ターバン頭のトルコ人に、その右の集団はアルメニア人でしょうか。
もちろんこれは当時のキリスト教徒たちの敵のステレオタイプにすぎません。 -
西面の「最後の審判」の地獄の火の川(あるいは血の川)に注目
赤い川の中には、地獄で苦しむ人々の姿が描かれています。
よく見ると、王冠をかぶった王も罰せられています。聖書に載っている不信心の王です。
最後の審判では生前の身分は関係ないということを教えています。 -
バラとともに、東面から全体像を撮りおさめ
-
フモール修道院のパンフレットの1ページとRomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブックの1ページより
上半分は、パンフレットの1ページ。
16世紀の「聖母の被昇天」のイコンや修道女たちの写真。
右側には、千香作て見づらいですが、イースターエッグのペイントをしている修道女の背後には、トアカを鳴らして礼拝の時間を知らせている修道女。
下半分は、ブコヴィナ修道院ガイドブックの1ページ。
金に光る星と青の背景が美しい、境界内部のフレスコ画です。
描かれているのは、ペトル・ラレシュと妻エレナ、息子のイリアシュが、建てたフモール修道院の教会の模型をイエスに捧げている場面です。
フモール修道院の本当の創建者は大臣のブブイオグですが、君主に花をもたせたのでしょう。
もちろん、ブブイオグ自身の壁画もあります。
フレスコ画の教会の模型の後ろにいるのは聖母マリアの姿です。
パンフレット「Humor」は、スチャヴァ州地図とあわせて9レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
★フモール修道院の歴史
15世紀、アレクサンドル・チェル・ブン公(さしずめアレクサンドル善良公)時代に、オブシナ・マーレ(Obchina Mare)の丘のふもと、フモール川の渓谷に、フモール村長オアナ(Oana)によって礼拝堂が建てられました。
ただしその礼拝堂は、現在は壁が一部残るのみです。
その近くに、現在のフモール修道院が1530年、ペトル・ラレシュ公の大臣であったテオドール・ブブイオグ(Teodor Bubuiog)によって建てられました。
教会は、1775年に村の子供たちのための学校となりました。
1850年からは、村の当局のための貯蔵庫として使われるようになりました。
修道士生活は、ブコヴィナ地方がハプスブルグ帝国に併合された後、1774年に閉鎖されました。(つづく)
(情報源:ヴォロネツ修道院で買ったブコヴィナ・パンフレットとフモール修道院のパンフレット) -
フモール修道院のパンフレットの表紙の一部とRomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のブコヴィナ修道院ガイドブック
下半分は、教会内部の墓室のフレスコ画です。
墓室には、フモール修道院本来の創建者の大臣ブブイオグ夫妻の墓があります。
左側は、ブブイオグが創建者として、キリストとマリアに教会の模型を捧げている場面です。
右側は、ブブイオグの妻アナスタシアの墓の上のフレスコ画で、聖母子礼賛です。
★フモール修道院の歴史(つづき)
1991年8月1日に教会が修道院の地位を取り戻し、今度は修道女たちここに住まうようになるまで、フモールの教会では教区活動が行われ、維持されてきました。
建築様式は、他の、大公でなく領主に建てられた修道院の教会同様、屋根の上に塔がありません。平面図はトランプのクラブ型です。特筆すべきは、西面の「アーチのあるオープン(開かれた)ポーチ」です。現地の伝統的な建築様式と外部からのルネサンス様式の両方の影響を受けた、当時としては画期的なものでした。現地の伝統様式の影響は、ベランダや東屋、ルネサンスの影響は、ロッジャ(屋根付の柱廊)ですが、後者は後に「ブランヴェアヌ様式」となります。
南面の外壁は、24の場面からなる「聖母マリア賛歌」の壁画が大半を占めています。マリアの赤いマントのやわらかな赤が際だっているため、「赤のフモール」と呼ばれるのも納得できます。
(情報源:ヴォロネツ修道院で買ったブコヴィナ・パンフレットとフモール修道院のパンフレット)
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