1995/05/01 - 1995/05/08
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旅人のくまさんさん
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<1995年5月1日>
当時の手帳に書き留めた大雑把なメモで、旅行スケジュールを確認できました。しかし、この時の旅行は、その時々の都合で、自由に日程変更をする考えでしたから、余り正確なことは分かりませんでした。
旅行の途中でいくつかアクシデントがあり、その当時でも、正確にはどのコースを辿ったか、良く分からないケースがあったほどです。
それでも、いくつかは資料や記録を残して置きましたから、記憶を呼び覚ます恰好の材料となりました。例えば、最初の5月1日に空港で両替した証明書が残っていました。
この日、5万円を両替して、44万5325ウォンとありました。金浦空港へ到着して直ぐの11時02分のタイプ文字も残っていました。それと、入場券なども大いに助かりました。
<幸州山城(ヘンジュサンソン)>
金浦(キンポ)空港に到着して、最初に向かったのは、ソウルの北の郊外にある幸州山城でした。実は最近まで、同じソウルの近郊にある南漢山城(ナマンサンソン)に行ったものとばかり勘違いしていました。その時の手帳にも『ナマンサンソン』と記録してありました。
今年、1999年の春にソウル近郊を旅行する事になった時、Muさんと話している内に、間違いに気付かせて貰いました。南漢山城の方は、一寸したハイキング支度が必要です。簡単には行けないことも、その旅行計画の時に知りました。
金浦空港から幸州山城までは、タクシーで向かいました。初日の費用は、手帳に『タクシー代20200ウォン』とメモしてありました。行きの片道だけの料金のようです。急ぎの旅ではないですから、帰りはバスや電車を乗り継いだ記憶があります。
金浦空港から幸州山城へ向かったタクシーは、一旦、漢河(ハンガン)を上流に上り始めたので、少し心配になりました。この河は北西へ向かって流れ、黄海に注いでいます。後で分かりましたが、混み合った橋を渡るのを避けるためだったようです。
幸州山城は、何の変哲もない漢河のほとりに位置していました。それでも、その昔はソウル攻防の先陣の要所であったに違いありません。
先ほど調べた旅行解説書では、『日本から攻め寄せた豊臣秀吉の軍隊が大敗した所、韓国の聖地の一つ』とありました。更に、この時『武器としての石を運んだ女性の白い前掛けが、今日ではヘンジュ・チマとして、家庭でチマ・チョゴリを着る際の名称になっている』とも記されていました。
とにかく、荷物を持ったままの山登りになりましたので、頂上に着く頃には、汗びっしょりになってしまいました。日差しも初夏を思わせる厳しさでした。
<仁川(インチョン)>
最初の韓国旅行は、1989年のことでした。昭和から平成に代わった年です。その時の旅行は仁川(インチョン)を拠点にしていて、ホテルもオリンポスホテルと決めていました。ルーレットやカードゲームを楽しんだ頃です。
このホテルは、仁川で唯一のカジノできる場所でもあります。空港からオリンポスホテルまで、無料の送り迎えのタクシー付でした。ホテルの中での飲み物代も無料でした。最初の頃は、ホテル代までも請求がありませんでした。勿論それ位の負けがあったからです。
ソウルからは地下鉄1号線が乗り入れていて、ソウル駅からは、1時間余りで行くことができます。仁川は韓国第4番目の都市だと言われますが、都会と言った感じの街ではありません。釜山に次ぐ韓国第2番目の貿易港でもあります。港町と言った形容が一番似合っています。
<この日の会計>
手帳には、5月1日の費用がメモしてありました。①タクシー20200ウォン(2人)②ジュース1000ウォン③バス700ウォン④電車500ウォン⑤ナマン山城入場券1000ウォン⑥高速バス3600ウォン⑦昼食8000ウォン⑧ホテル35000ウォン⑨タクシー3000ウォン(2人)、締めて6万ウォン余りがこの日の支出でした。日本円で7千円弱と言ったところです。
この会計から、その日の行動を推測しますと、①は前述したように空港からナマン山城まで、②のジュースが山頂で、③のバスと④の電車と⑥の高速バス代が仁川までの移動費用のようです。⑧が仁川でのホテル代であり、安いのでオリンポスホテルではないからです。(ナマンサンソンは、ヘンジュサンソンの誤りですが、原メモのまま記載しました)
幸州山城を回想して
春の旅肩に重たき山の城
逝く春や漢河に注ぐ北の果て
山路来て若き緑や岩清水
古の罪過は過ぎる城の春
仁川を回想して
春の夜の汽笛誘う旅愁哉
半世紀戦火は止みぬ四月尽
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