2008/03/17 - 2008/03/19
3943位(同エリア4386件中)
koiさん
夢のトルコ大周遊13日間
中近東 10泊 13日〜 179800円
イスタンブル市は、トルコ共和国西部に位置する都市。ボスポラス海峡をはさんでアジア(アナトリア半島)側とヨーロッパ(トラキア地方)側の両方に拡がっており、2大陸にまたがる大都市である。首都アンカラを上回る同国最大の都市であり、文化・経済の中心となっている。イスタンブル県の県都でもある。1000年もの永きにわたり大帝国の中心地として栄えたイスタンブール。歴史地区として世界遺産にも登録されている。ヨーロッパとアジアに分かれる文化の合流地ボスポラス海峡も見所のひとつ。イスタンブールの象徴とも言える17世紀オスマントルコのブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)の内部はイスラム信者でなくても、その荘厳な雰囲気に圧倒され敬虔な気持ちになる。他にも、ビザンツ建築の最高傑作と言われ多数のモザイク画を内部に有するアヤソフィア寺院、オスマントルコの王宮建築で最盛期にはウィーンからアラビア半島、北アフリカまでを支配したオスマン朝の中心だったトプカプ宮殿など見所いっぱいです。グランドバザールでは金銀細工や敷物織物等アンティークの掘り出し物などが多くあり冷やかしもオーケーです。
トルコのガイドさん…
大変良く日本の事を知っている優秀な現地ガイドさんでした。ガイド曰く「イスラム教には、テロをせよ というような教えは何処にも書いていない。故に現在テロを起こしているテロリストはイスラム教そのものではない…」と話されていた。また、「トルコ行進曲は、音楽によって戦意を高める役目をしている」とも話されていた。大変面白い話であった。
観光旅行者向けの注意事項…
イスタンブール市では、暴力バーによる被害が発生しています。客引きが声を掛けてきても関心を向ける素振りを見せず、強引な誘いには毅然とした態度で断ることが必要です。タクシム地区イスティクラル通り等で頻発しているため、特に夜間に同通り付近を通行する際には注意が必要です。また、国内主要観光地では、中級以下のホテル室内での盗難事件、買い物中の隙をねらったポーチやハンドバッグ、デイパックの盗難事件などが発生しています。これら犯罪被害に遭わないためには、身の周り品、特にパスポートや現金、その他貴重品の保管には十分注意してください。
■ウズベキスタン航空にて旅♪
■アンカラエクスプレス1等寝台にて列車の旅♪
■トルコが誇る4つの世界遺産を訪れた!! *イスタンブール歴史地区*カッパドキア*パムッカレ*トロイ遺跡
■「ヨーロッパとアジアの架け橋」世界遺産イスタンブール歴史地区を観光!!
■大自然の神秘世界遺産カッパドキアを観光!!
■トルコ語で「綿の城」という意味をもつ世界遺産パムッカレを観光!!
■トロイ戦争の舞台となった世界遺産トロイ遺跡に!!
■ケバブ料理や洞窟レストランでの食事など、トルコの名物料理満載!!
21回の全食事付!!(朝7・昼7・夕7)
■さらに、朝食はアメリカン又はビュッフェスタイル!!
●ご宿泊ホテルは全都市5つ星★★★★★のスーペリアクラス又は
デラックスクラスホテルを全都市指定にてご用意します。(弊社基準/注3)
■人気のカッパドキアに宿泊♪見所の多いカッパドキアを2日間に分けて観光。
■エーゲ海沿いのリゾート地、イズミール観光付き♪
1日目 大阪発 14:00/関西国際空港より空路、ウズベキスタン航空にてタシケント経由でイスタンブールへ。
イスタンブール着 23:20 宿泊:イスタンブール
2日目 イスタンブール発 ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩『イーリアス』に描かれたトロイへ。
トロイ戦争・トロイの木馬で有名な世界遺産☆トロイの遺跡観光。
その後アイワルクへ、アジアトヨーロッパを分けるダーダネルス海峡をフェリーで渡り、バスにてアイワルクへ。
◆スーペリアのホテル宿泊:(アイワルク泊)
3日目 アイワルク発 ベルガマへ
ベルガマ(☆ベルガマのアクロポリス遺跡観光)
バス1時間30分
その後エーゲ海のリゾート地イズミールへ イズミール観光(☆コンドルストリート、☆コナック広場)
宿泊:(クシャダス泊)
4日目 クシャダスからミレトス・ディディムへ
ミレトス・ディディムへの日帰り観光 (☆ミレトス遺跡、☆ディディム遺跡)
宿泊:(クシャダス泊)
5日目 クシャダスからエーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェソスへ
エフェソス遺跡観光(☆エフェソス遺跡、☆聖母マリアの家)
途中△革製品のお店。その後に白亜の石灰棚と温泉で有名なパムッカレへ。
世界遺産パムッカレ (パムッカレ遺跡観光)(☆ヒエラポリス遺跡、白亜の石段に水を湛える姿が不思議な☆石灰棚)
トルコ有数の温泉保養地のパムッカレ宿泊:(パムッカレ/温泉プール付きホテル泊)
6目目 パムッカレからコンヤへ
バスにてルーム・セルジューク朝以来の古都コンヤへ。
コンヤ観光(☆メブラーナ博物館、☆アラッディンモスク、カラタイ神学校)。
宿泊:(コンヤ泊)
7目目 世界遺産カッパドキア
世界遺産カッパドキア バスにてきのこ形の奇岩が不思議な世界遺産カッパドキアへ。
洞窟レストランにて昼食後、カッパドキア観光(★カイマルク地下都市、★ウチヒサール)、△トルコ名産のトルコ石のお店。
【OP】(夜)民族舞踏とベリーダンスショー(フリードリンク付)
宿泊:(カッパドキア泊)
8目目 世界遺産カッパドキア
カッパドキア観光(☆ギョレメの谷、★ゼルヴェの谷、★パシャバー、★アバノス)、途中△トルコ名産のトルコ絨毯工房。
【OP】☆ギョレメ屋外博物館とムスタファシャ観光。
宿泊:(カッパドキア泊)
9目目 カッパドキアからアンカラへ
アンカラ 午前/バスにて塩湖トゥズ湖を経由して、アンカラへ。
午後/アンカラ観光(☆アタチュルク廟、★アンカラ城跡)。
宿泊:(アンカラ泊)
10目目 アンカラからサフランボルへ
サフランボル観光(☆フドゥルルックの丘、★チャルシュ広場)
アンカラエキスプレス(一等車)でイスタンブールへ 車中泊
11目目 世界遺産イスタンブール
着後、世界遺産イスタンブール歴史地区観光(スルタンの栄華を今に伝える☆トプカプ宮殿、☆ブルーモスク、中東最大の市場★グランドバザール)。
夕食は、ドネルケバブ ◆デラックスクラスのホテル宿泊:(イスタンブール泊)
12目目 世界遺産イスタンブール
世界遺産イスタンブール歴史地区観光(☆リュステムパジャモスク、★エジプシャンバザール)。
【OP】ボスフォラス海峡クルーズと地下宮殿観光。
私は、【OP】行かずに★アヤソフィア、★地下宮殿、★トルコ・イスラム博物館、金門港、ガラタ橋見学。
夕食はシルケジ駅のレストラン「エキスプレス」」
その後、バスにて空港へ。ウズベキスタン航空便にて。
タシケント乗り継ぎで成田空港経由で帰国の途へ
13 目目
成田空港経由 大阪着 21:30/関西国際空港着後、解散。
【警告】
油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。
■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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ブルーモスク 世界遺産イスタンブール歴史地区
正式名称スルタンアフメット・ジャミイ。その均等の取れた美しい外観もさることながら、内部の彩色タイルやステンドガラス、天井のドームもすばらしいです。オスマン帝国の技術力の高さに感動します。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。世界で最も美しいモスクと評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。6本の尖塔をもつモスクは、世界でここだけだそうです。 -
ブルーモスクの内部 世界遺産イスタンブール歴史地区
ブルーモスク内はドーム天井が高く、壁面にはイスラームのつた状のデザインで敷きつめらていた。ドーム内の空気はゆったりと流れ、とても神聖な雰囲気であり、床には一面に絨毯が敷かれ中央奥の壁に向かってひざまずきお祈りするようになっている。イスラム教は、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ従う一神教である。ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なるとされる唯一神教で、偶像崇拝[1]を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。 -
アヤソフィア寺院 世界遺産イスタンブール歴史地区
6世紀にギリシア正教会として完成し、オスマン時代にはイスラム寺院に変貌したアヤソフィアは、数奇な街の歴史が凝縮されたような建築物だ。モスクに付き物のミナレット(尖塔)が立ちながら、内部には聖母やキリスト像など数々の素晴らしいモザイク画が残されている。ビザンツ建築の最高傑作と称されるアヤソフィア寺院は、長い歴史の中で時代の支配者とともにその姿を変え、まさにトルコの歴史を象徴するような建物です。アヤソフィア(トルコ語:Ayasofya)は、トルコのイスタンブルにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東西教会の分裂以後は、正教会の総本山となる。東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。日本語では慣用的に「ハギア・ソフィア」と呼称される。 -
アヤソフィア内部 トルコ イスタンブール
天井の巨大な大ドームや聖母マリアの手形など…見どころがいっぱいあります。内部は、撮影できますが遺跡保存のためフラッシュが使えません。係員がいて厳重にチェックされています。アヤソフィア博物館のドームに通ずる石の階段を登ると壮大な建築である事が実感できる。オスマン時代にはモスクとなり、現在は博物館となり。共和国になって再現された、2皇帝が聖母子に街を捧げるモザイク画が興味深い。 -
アヤソフィア内部 トルコ イスタンブール
内部の装飾やデザインが素晴らしく一間の価値があります。モザイク画が現在でも綺麗に保存されています。フラッシュは、一切禁止です。アヤソフィアは、
直径32m、高さ55mのドームを持つアヤソフィアは世界で4番目の大きさを誇る教会。325年コンスタンティヌス2世によってギリシア正教の総本山として建てられたが、1453年にオスマン・トルコに征服されると、ミナレット(尖塔)が付け加えられ、イスラム教のジャミイとして生まれ変わった。その際、イスラム教徒たちは、教会内のモザイクやフレスコ画をすべて漆喰で塗り固めてしまったが、現在では漆喰は取り除かれている。
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アヤソフィアのモザイク画 トルコ イスタンブール
大聖堂内部には、今日少数かつ断片的にではあるがキリスト教聖堂であったころのモザイク画が残っている。これらの壁画があります。遺跡保存のためフラッシュは厳禁で係員が立って監視しています。洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエスの像です。
『聖母子と大天使』(870年代?)
アプスに残るモザイク画。5m近い聖母子の座像の両脇に大天使を配するが、北側の天使像はほとんど失われている。記録に残る銘文と、876年に総主教フォティオスが行った説教から、聖像破壊運動が収束した後に描かれたと考えられるが反論もあるフォティオスの説教がこの図像を指すものであれば、これは新たに画かれたことを暗に述べているが、中期ビザンティンの「新しい(Nea)」という概念は、聖像破壊運動以前の伝統への回の意味が強く、聖母子と大天使の図像は元の装飾を忠実に再現したものか、漆喰に塗り込められていたものを再びクリーニングしたのか、あるいは新たにデザインされたものかは不明である。
大セクレトンの聖人像(870年代)
セクレトンは、2階西南にある小部屋で、かつては総主教宮殿からの通路の一部であった。聖像破壊運動により、768年あるいは769年に総主教ニケタスによって壁画が剥ぎ取られたが、その後、モザイクによって再び装飾された。ゲルマニクスやニケフォロスといった、聖像破壊運動にあってイコンを擁護した総主教のほか、聖像破壊運動の後に総主教となったタラシオス、メトディオスの図像が断片的に残存している。
ティンパヌムの聖人像(877年頃)
ドームを支えるアーチの下にある、南北の半円形壁面に残る聖人像である。北側に小イグナティオス、メトディオス、グレゴリオス・タウマトゥルゴス、ヨハネス・クリュソストモス、イグナティオス・テオフォロス、キュリロス、アタナシオスが画かれ、南側にニコメディアのアンシモス、大バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、デュオニシオス・アレオパギデス、ニコラオス、アルメニアのグレゴリオスが画かれていたが、今日ではヨハネス・クリュソストモス、小イグナティオスの図像がほぼ完全なかたちで残り、メトディオスらの図像の一部が残る。 -
アヤソフィアのモザイク画 トルコ イスタンブール
『キリストと皇帝』(10世紀初頭?)
ナルテクスから本堂への中央入り口上部にあるモザイク画。この中央入り口は皇帝の典礼用にのみ使われるもので、かつては別のモザイク画があった。今日見ることのできるモザイクは、キリストを取り囲むように大天使と聖母マリアの2つのメダイヨンが配置され、キリストに礼拝を行う皇帝が画かれている。これが何時、誰が作成させたのか、皇帝が誰であるのかということについては銘文がなく、テオフィロス説、レオーン6世説など諸説あるが定かではない。
『聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世』(10世紀後半)
西南の玄関からナルテクスへの入り口上部にあるモザイク画。中央に立つ聖母子に、向かって左側のユスティニアヌスがアヤソフィアを、右側のコンスタンティヌスがコンスタンティノポリスの街をそれぞれ捧げている図が描かれている。作成時期や動機については不明である。
『キリトと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』(1042年から1055年頃)
南側2階廊に残る。モザイクの下部は失われているが、銘文から人物が特定できる。この図像は、もともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたものだと考えられるが、ゾエが後にミカエル4世、コンスタンティノス9世と2度再婚しているため、夫である皇帝の顔や銘文は、恐らくその都度作り直された。今日でもその跡ははっきりとわかる。ゾエの顔とキリストの顔にも修正された跡があるが、なぜこの部分にまで修正を施さねばならなかったのかについては、諸説ある。コンスタンティノス9世は、マンガナのハギオス・ゲオルギオス聖堂建設やエルサレムの聖墳墓聖堂の修復など、莫大な国家予算を聖堂の装飾や建設に注ぎ込んだ。
『聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后エイレーネー(イリニ)』(1122年から1134年頃)
12世紀に作成された、コンスタンティノポリスに残る唯一のモザイク画。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは、今日ほとんど残っていないため、貴重である。図像の配置や銘文は、側にある『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』に影響を受けていることがわかる。すぐ横の柱側面には、彼の長男アレクシオスの図像もある。
『デイシス』(1260年頃)
元々は2階廊の壁面いっぱいに画かれたものであろうが、下部はほとんど失われている。それまでのモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴。そのほかにも、南窓からはいる光を効果的に利用するような工夫が成されているため、ビザンティン美術の最高傑作とされる。ミカエル8世パレオロゴスがラテン帝国に奪われていたコンスタンティノポリスを奪回したことを記念して作られたとする説が有力であるが、文献がないため詳細は不明である。
『エンリコ・ダンドロの墓碑』(1205年)
ラテン帝国の時代に造られたもので、デイシスと向かいあう位置の壁面近くにある。「狐」と呼ばれ第四次十字軍を巧みに操ったエンリコ・ダンドロの墓碑。これはジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの『コンスタンティノポリス征服記』にも記されている。遺骨と遺品については1453年にオスマン帝国の皇帝メフメト2世によってヴェネツィア共和国に返還された。 -
ボスポラス海峡を望む ホテルの窓から撮影。
ボスポラス海峡の地下トンネル道路を造る工事が2004年5月24日からなされている。2009年開通予定であり、日本の大成建設グループにより全長13.7kmの海底トンネルが現在建設されている。2008年6月現在半分ほど工事が進んでいる。この海峡の地下トンネル道路が完成すると向こう側のアジア圏と手前のヨーロッパ圏が地下道路で一つにつながることになる。現在は、イスタンブル市民の足として両岸の各所に定期船の船着場がある、また1973年建設の第一ボスポラス大橋(全長1074m)と1988年建設の第二ボスポラス大橋(全長1090m)が架けられている。ロシア、ウクライナなど黒海に港を持つ国は、地中海を通じて大西洋に船を出すためには必ず通行しなくてはならない海峡のため、海峡の航行権を確保したいロシアとそれを阻止しようとするオスマン帝国や諸列強の間で長く駆け引きが続けられてきた。現在は1936年に締結されたモントルー条約により、商船の自由航行と軍艦の航行の制限が定められている。ボスポラス海峡沿いには、オスマン帝国がコンスタンティノポリス征服の足がかりとして築いたアナドル・ヒサル、ルメリ・ヒサルの両要塞や、ドルマバフチェ宮殿などのオスマン帝国の離宮、エジプト太守ムハンマド・アリー家を初めとするオスマン帝国の高官の別荘などの歴史的建造物が建ち並んでいる。 -
ボスポラス海峡 世界遺産イスタンブール歴史地区
沢山の船が行き交うボスポラス海峡。後方にガラタ橋がみえる。ボスフォラス海峡クルーズはイスタンブールに来たらぜひ参加したいトルコならではのクルーズです。ガラタ橋近くでは、釣り糸を垂れて釣りをしている人がたくさんいた。ボスフォラス海峡を剪んで一方には洗練されたヨーロッパの建築、もう一方にはアラビアンテイストたっぷりのモスクが建ち並び、不思議な風景が広がっています。 -
世界遺産イスタンブール歴史地区
昔のイスタンブールの町とボスポラス海峡。沢山の船が行き来している様子がわかる絵画。1000年もの永きにわたり大帝国の中心地として栄えたイスタンブールは、歴史地区として世界遺産にも登録されている。ヨーロッパとアジアに分かれる文化の合流地ボスポラス海峡があり、イスタンブールの象徴とも言える17世紀オスマントルコのブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)は必見。内部はイスラム信者でなくとも、その荘厳な雰囲気に圧倒され敬虔な気持ちになります。他にも、ビザンツ建築の最高傑作と言われ多数のモザイク画を内部に有するアヤソフィア、19世紀オスマントルコの王宮建築で最盛期にはウィーンからアラビア半島、北アフリカまでを支配したオスマン朝の中心だったトプカプ宮殿(スルタンの調理場、宝物館での重さ3Kgという世界最大のエメラルドを施したトプカプの短剣はぜひ見ておきましょう!グランドバザールでは金銀細工や敷物織物等アンティークの掘り出し物が入手出来るかもしれません。これらトルコの魅力は、忘れられない映像として脳裏に焼きついている。 -
トプカプ宮殿 世界遺産イスタンブール歴史地区
トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。15世紀のオスマン時代に、スルタン(王)の居城として建築されたのがトプカプ宮殿。豪華な調度品で彩られたハレムや宝物殿の財宝に当時の帝国の勢力を見せつけられる。トプカプ宮殿は、オスマン・トルコのオスマン全盛期に代々のスルタン王が住んだ名宮。ハレムには最盛期には500人の女性が住み、スルタンは中庭で遊ぶ女性をテラスから品定めしていたそうだ。さらに宮殿にも水のクーラーなど工夫があっておもしろい。トプカプ宮殿は、イスタンブル旧市街のある半島の先端部分にあり、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。宮殿内は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れを持つ建造物群である。このことから、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である。約550年前の鎧や武具が展示されているのをはじめ、スルタンの調理場、宝物館での重さ3Kgという世界最大のエメラルドを施したトプカプの短剣はぜひ見ておきたいものの一つです。宮殿内にはハーレムもあります。 -
地下宮殿観光(イェレバタン貯水池) トルコ イスタンブール
ローマ帝国時代に造られた大地下貯水池で、水道橋から引いた水は、この貯水地に貯えられ、トプカプ宮殿にも供給されました。地下宮殿の貯水槽は、長さ138m・幅65mの長方形の空間で、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石円柱を備え、それぞれが煉瓦造の交差ヴォールトを支える。これによって78,000㎥の水を貯えることができる。円柱のうち、98本は5世紀に流行したアカンサス柱頭を備えたもので、おそらく流行遅れの在庫処分品であったらしい。地下4階くらいの所にあり古い地下の貯水池を見たのは初めてだった。地下宮殿の通称で知られるバシリカ・シスタン は、トルコ共和国のイスタンブルにある東ローマ帝国の大貯水槽。トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ 、あるいは「地下貯水池」を意味するイェレバタン・サルヌジュという名前で呼ばれている。地下宮殿現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大のものである。現在は一般にも公開され、イスタンブール歴史地域として世界遺産にも登録されている。
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地下宮殿のメドゥーサの首 トルコ イスタンブール
イスタンブールの地下宮殿(貯水槽)は、336本の石柱がある。写真は、2つの石柱の1つで土台部分に大理石で彫られたメドゥーサの首がある。この薄暗い地下の奥深くに沢山の円柱の柱と土台が使われていて目玉飾りで覆われた柱身や、メデューサの頭が彫られた古代の石塊を土台にしていている。壁体は、水を通さない特殊なモルタルでおおわれた厚さ4mの耐火レンガの壁に囲まれている。コンスタンティノポリスの給水については不明な点が多く、この貯水池の水がどこからやってきたのかについては明確ではない。おそらく街の北19kmにあるベルグラードの森から供給されたと考えられるが、現在残る水路はオスマン帝国によって作られたもので、「ユスティニアヌスの水道橋」と呼ばれるものも16世紀に創られたものである。この貯水池は、ジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影場所として使われた。 -
リュステムパジャモスク トルコ イスタンブール
ボスポラス海峡のガラタ橋の近くにあるモスクです。ツアーでは、余り行かないところですが、実に多くのタイルが敷き詰められたモスクで有名です。トルコのタイル職人技術を見るのには、ここが一番です。 -
リュステムパジャモスク トルコ イスタンブール
綺麗なタイル模様が内部一面に張り巡らされたモスクです。その装飾模様の数々は、実に素晴らしい。トルコのある焼き物の色々を見るのには、是非ここへ足を運んで下さい。 -
トルコの焼き物
沢山の焼き物が土産物として売られている。色も様々でトルコ独特の模様に特徴がある。色も綺麗でデザインや配色も豊富で土産物には、最高ですね。。 -
グランドバザール近くのドネルケバブ
写真は、中東最大の市場「グランドバザール」で、肉料理のドネルケバブの肉を剥いでいるところ。お肉にピーマンやトマトを野菜で包んで食べたりする。ドネルケバブは、垂直の串にスライスした肉を上から刺していって積層し、水平に回転させながらそれを囲んだ電熱器(以前は炭火が使われていた。現在でも中東の一部では使用している地域がある)の熱で外側から焼き、焼けた部分から順次肉を削ぎ落とした料理である。トルコでは羊肉、鶏肉が主に使われ、レストランでは皿に盛って供されるが、屋台ではパンにサラダと一緒に挟む食べ方でテイクアウトメニューになっている。日本では、インド料理のシークカバブが早くに紹介され、それがトルコ風に訛ったシシカバブーという名前で親しまれてきた。近年、トルコ料理としてのシシケバブが紹介されるにつれ、もともと同じ料理であるけれども調理法の異なるシークカバーブとシシュケバブが混同され、日本で古くから親しまれてきた本来インド料理である。グランドバザールは値段が高いと言われているのでかなり値切らないと行けない。屋根付のアーケードがあり広くて活気があり、見世物としてはなかなかにぎやかであった。 -
トルコのご婦人のスタイル
トルコはイスラム圏であるが、女性は顔を隠さずにスカーフのみで歩いている。同じイスラム圏であっても近代的な社会風潮が見られる。中でも時々イスラム独特の黒い衣装を着て顔を隠した女性も見かけるが殆どいないのが現状です。 -
オスマントルコの人の衣装
イスタンブールの象徴とも言える17世紀頃のオスマントルコの人達。今では、見られなくなったかつてのオスマントルコ時代の衣装を付けた人達です。 -
昔のハマム(トルコ風呂)の写真
イスタンブール市内のホテルには、トルコの伝統的な蒸し風呂「ハマム」通称トルコ風呂を体験することが出来ます。ここで垢すりをしてもらうと10年若返ると言われています。トルコ風呂は、字義どおりにはトルコ風の浴場という意味である。一般的には、中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマーム(アラビア語。トルコ語ではハマム (hamam) という)を指すことを意図する名詞であるが、特に日本では、かつて個室付特殊浴場(ソープランド)の通称として「トルコ風呂」の語が使われていた。しかし、1984年に元トルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称された。 -
「トルコ風呂」の誕生
ドミニク・アングルの作品「トルコ風呂」(1862年、ルーヴル美術館所蔵)。オリエンタリズムのイメージで描かれた「トルコ風呂」の例。中東圏の外において「トルコ風呂」の名をもって伝えられたハンマームは、本来、ごく一般的な伝統的な公衆浴場である。歴史的には、中東の伝統的な社会のあり方に則って、男性社会から隔離され、自由に外出することを制限されてきた女性たちが素顔をさらして集うことのできたハンマームは、女性の社交の場として活用された経緯があり、オスマン帝国時代にトルコの都市を訪れた西欧の旅行者たちは、富裕な階層から庶民に至るまで様々な出自の女性たちがベールで顔を隠して浴場に赴く様をしばしば奇異と驚きの目をもって外国に伝えた。日本に滞在するトルコ人の間では、祖国の名称や伝統文化がセックス産業と結び付けられて使用されていることに対する憤慨を呼び起こしてきた。1981年〜1983年に東京大学に留学していたトルコ人学生、ヌスレット・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受けた彼は、再来日した1984年に当時の厚生省に「トルコ風呂」の名称変更を直訴するなど、改名運動を行った。この運動は日本人の協力者を得て、日本のマスコミにも大きく取り上げられた。その結果、同年10月に横浜市の業界団体が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、同年12月には一般公募の末、新たな名称として「ソープランド」が決定された。 -
トルコの子供達
若い子供達は、スカーフもかぶらずにいた。トルコと日本は、かなり友好的であり片言の日本語を知っていて向こうから近寄ってきた。日本・トルコ関係は、1890年のエルトゥールル号事件(1887年に小松宮彰仁親王同妃両殿下が欧州訪問の帰途にオスマン帝国を公式訪問したことに対する答礼として、アブデュル・ハミト2世が特使としてオスマン提督を日本に派遣した際、エルトゥールル号が帰路、紀州・串本沖で沈没。乗組員581名が死亡したが、日本側官民あげての手厚い救護により69名が救助され、日本の巡洋艦によりトルコに送還された事件)以降、歴史的に友好関係にある。また、1985年3月、イラク・イラン戦争の中、テヘランで孤立した邦人を救出するためにトルコ政府が特別機を派遣した出来事も、両国の友好関係の象徴的出来事となった。 -
シルケジ駅(ヨーロッパ側)『オリエンタル特急』映画の一シーン
1977年まで運行されていたオリエントエクスプレスの終着駅、シルケジ駅は、かつて『オリエンタル特急』映画の一シーンが撮られたところです。シルケジ駅内のレストランには、当時の写真なども展示されていてなかなか趣のあるレストランだ。このホームでヨーロッパからの訪問者を迎え、また文化を享受した駅である。オリエント急行の名は駅構内のレストランに残っている。1950年代には著名人の常連客も多かったそうだ。
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