パリの休日 2002 その4 ブルゴーニュとシャンゼリゼ、イタリア広場、エッフェル塔、サンジェルマン Holidays in Paris No.4/Galeries Lafayette in Paris
2002/09/19 - 2002/09/28
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yamada423さん
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ギャルリー・ラファイエット「劇場」のガラスドーム 2002.9.26
Galeries Lafayette in Paris
CONTAX RX Distagon 2.8/25 FUJICOLOR 400
パリの休日2002 その4(5〜7日目 9月24〜26日)
Holidays in Paris 2002 No.4
この写真集は2002年9月下旬にパリを訪れた際の写真に、一枚毎に説明文を付けてまとめたものです。例年夏休みをこの時期に取得しているので、この年も日程が最初に決めてありました。
イギリスおよび西ヨーロッパの国には出張その他で何度も訪れていたので、この年は初めて中欧のハンガリー、オーストリア、チェコ3国のツアーに参加を予定し、8月はじめに申し込んでいました。
ところが8月中旬になってこの地域が記録的な豪雨に襲われ、エルベ川が氾濫しチェコの首都プラハの世界遺産に指定されている旧市街が水没してしまいました。1ヶ月で復旧する見通しは無く、やむなく変更した旅行先は学生時代にフランスの理工系大学の学生達と交流がありしばらく滞在したことのあるパリでした。(1965年に学生の時、四大学学生仏工業視察団(MJET)で来ました)
出張の空き時間では趣味の写真を撮ることは十分出来なかったので、今回は一週間パリの二つの異なる地域のホテル(北部とソルボンヌ地区)に滞在し、気の向くままに歩き回って写真をとることにしました。
昔滞在したときに泊まったホテルは、理工学大学エコール・ポリテクニークの近くでモンジェ通り(Rue Monge)のホテル・パリ・ラタン(Hotel Paris Latin)という小さなホテルでした。今回訪ねてみると全く同じ場所かどうか定かではありませんがホテル・リュー・モンジェというホテルがあり懐かしく思いました。
<余談ですが>
このパリ滞在中の1965年4月13日、フランス文学者・随筆家朝吹登水子氏(サガンやボーヴォワールの翻訳で有名)のお宅に招待され、引率の先生二人と慶応の学生を中心に10名ほどで出かけました。お嬢さんの学友二人、ブレーキ会社勤務の夫君とともにシトロエンのエンジニア夫妻も来られ大変和やかなホームパーティでした。(旅日記による)登水子氏の三兄の三吉氏の孫娘で慶応義塾前期博士課程在籍の小説家朝吹真理子さんが2011年第144回芥川賞を受賞したニュースに接し、なんとなく懐かしさと親近感をおぼえ、受賞作「きことわ」が掲載された文藝春秋3月号を買ってしまいました。
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2002年9月24日(火)
この日1日は日帰りで知合いのいるブルゴーニュ地方の小さな町ポアレを訪ねました。
パリのリヨン駅から普通列車で2時間あまり、乗り継ぎ駅ラロシュミゲンヌまで迎えに来てもらい、車しか使えない小な町へ結婚祝いを兼ねて。
町の入り口には水量豊かな小川が流れ、町全体でも数百人の人口で、石造りの家が並ぶ街中には日中ほとんど人影を見ることがありませんでした。周辺の町を訪ねるとどこも小さいながら歴史を感じずにいられない風情に満ちたものでした。
2002年9月25日(水)
午前中は凱旋門付近のモルソー公園から始め、シャンゼリゼ通り周辺を街歩きした。いったんホテルへ戻って一休みして、午後は南東部のイタリア広場方面へ行き、アジア系料理の店が立ち並ぶ一角で夕食にした。エビの水餃子とエビの空揚げあんかけはとても美味でした。
2002年9月26日(木)
パリの休日最後の日は街歩きで、サンジェルマン、陸軍士官学校、エッフェル塔、シャイヨー宮、オペラ界隈、ピラミッド辺りを散策。午後はいったんソルボンヌ地区のホテルへ戻りいつものお昼ねタイム。
夕方になって明かりが灯り始める「宵の口のゴールデンタイム」を待ってサンジェルマンへ出かけ、美しさを増したショーウィンドウの撮影。
これで9月20日からの実質7日間のパリの休日が無事に終了です。
たくさんの写真をご覧いただきありがとうございました。
撮影
カメラ Contax Rx レンズCarl Zeiss Planer 1.4/50,
Distagon 2.8/25
フィルム FUJICOLOR 400
yamada423
気になる写真はクリックして元画像に拡大してご覧下さい。
写真の引き伸ばしとはちがい無料です(笑い)
クチコミ「スリの被害に遭わないための予防策」2011.3.28
http://4travel.jp/traveler/810766/tips/
現地の日の出・日没時刻はこのクチコミ記事で簡単に調べられます。
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france/mont_st_michael/tips/10177076/
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- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
9月24日(火) ブルゴーニュの知人の結婚祝いを兼ねて日帰りの旅に出発します。
リヨン駅の出発案内表示板 LAROCHE-MIGENNES行きは9番線から8:27発。
ホームのA〜Nと5〜23がかなり離れているので戸惑った。 -
リヨン駅構内 逆光なので暗いが線路がくっきり見える。
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中央のガラスに朝日が射しています。ここはK番線ですが自分が乗る9番線がどこなのか判らずあせっています。時計は8:12、出発は8:27です。
このあと駅員を探してやっと分かりました。 -
目的地のブルゴーニュ地方までこのような起伏が続きます。
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ラロッシュ・ミゲンヌLAROCHE MIGENNESのホームで、乗ってきた車両は一部が2階建てでした。
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Poilly sur Serein 1番地にある知人の家は100年以上の古い石造りですが、購入してまだ手入れが出来ていないので住める状態ではなかった。
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知人のMichelet夫妻(フラメンコのギタリストとダンサー)とFredrichさん。
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ランチを食べたレストランの前で。私が選んだのは①チーズ入りミルフィーユのソース掛け、野菜サラダ添え、②カモのロースト、温野菜添え。
この日は予想以上に寒く、私は知人の厚手のセーターを借りて着ていました。 -
ランチの帰りに立ち寄ったノワィエの街の入り口のアヴァロン門 16:00
ノワィエ・シュル・スラン(Noyers-sur-Serein)は、フランス東部、ブルゴーニュ地域圏、ヨンヌ県(Yonne)にあるコミューンで、人口約8百人。
有名な白ワインの産地シャブリ(Chablis)の南東23kmに位置する。スラン川(Serein)の畔にあり、周囲には小麦畑と牧草地が広がる。15世紀の旧市街がそのまま残り、「フランスの最も美しい村」に認定されている。
何年か前にNHKテレビの食文化に関する特集でノワィエのアヴァロン門が映り、その時アヴァロン門と知りました。
私の記憶が正しければ、
NHK BShiで2007年に放送した番組『フランス秋色散歩 ・総集編(前編) ブルゴーニュ 小さな村の豊かな実り』です。 ... ゲスト>田崎真也 (ソムリエ)、岸恵子(女優)、玉村豊男(エッセイスト) -
ノワィエの街はいかにも歴史がありそうな落ち着いた佇まいです。
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2軒が何とか寄り添って建っている感じです。
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お土産屋もあります。
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このような建物を見ているとモノを大事にする人々の伝統が今も息づいているように思えてきます。木造住宅の平均寿命が50年足らずの国とはえらい違いです。
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町はずれの教会の近くにいた三毛猫ミミちゃんです。
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町の入り口の十字路にある案内標識。
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町にはこの橋を渡って入ります。
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町の入り口の川はこんなに豊かな水があふれています。心が洗われる気分です。
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町の入り口の川はこんな緑豊かな森を流れています。
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町の入り口の橋の向こうに家並みが見えますが人通りはありません。
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夕日を浴びるPoillyの街並み
このあと夕日に向かってオーセールAuxerreの駅まで車を飛ばしてもらい19:27発の列車にギリギリ間に合った。
途中ラロッシュ・ミゲンヌで20:00発のパリ行きに乗り換えリヨン駅には21:37定刻に着いた。 -
リヨン駅から地下鉄1号線でパレ・ロワイヤルまで行き、中華食堂で牛肉の野菜炒めとご飯の夕食。
ブルゴーニュへの知人訪問日帰り旅行は充実した思い出深い14時間の旅となった。 -
ここからは9月25日(水)です。
ソルボンヌ地区のRue des Ecolesにある宿泊したホテルSULLY SAINT GERMAIN -
凱旋門の北東近くにあるモンソー公園の静かなたたずまい。
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ジョルジュ・サンク通りに面したホテルFour Seasons George ?。ヨーロッパ史の舞台として輝かしい経歴をもつ高級ホテルは2000年に全面改装され、新たにFour Seasons Hotelグループとして生まれ変わった。
1998に娘と泊まったときには篭のような昔のエレベータで、トイレの紙は四角い重ねた厚手のトイレ紙でした。今では料金も倍増し庶民には泊まれません。
1998年9月末はダイアナ妃が事故死した1ヵ月後で、このジョルジュ・サンク通りの下でセーヌ川右岸の地下トンネルの内部が事故現場です。河畔の炎のモニュメントの周りは献花で埋まっていました。 -
有名なイタリアン・レストラン PIZZA PINOのシャンゼリゼ店。パリには4店あるそうです。
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「8区のシャンゼリゼ通り」標識 8eme AVENUE des CHAMPS-ELYSEES
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メトロの入り口のレトロな標識と広告塔がパリの雰囲気です。パリジェンヌ?もです。
人が来るまで待って撮りました。 -
イタリア広場前の商業ビル2階のこのセルフ・カフェpomme au painでショコラパンとコーヒーのセット(1.89ユーロ)を食べた。このパンは中にリンゴのあんが入っており、めちゃ美味しくて買って帰りたいほどだった。
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イタリー広場は中央が大きなロータリーになっている。植栽はマロニエではなく桐の木です。パリではシャイヨー宮など他でも桐の木をよく見ました。
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ALPHONSE JUIN元帥の像 1885−1967
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イタリー広場のロータリー中央の噴水です。 時計は18:11
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セルフ・カフェがある商業センタービル CENTER COMMERCIAL
二人の警官に尋問されている自転車の男と観客(笑い)がいます。 -
八百屋の店先 ブロッコリー1ユーロ/2Kg 完熟洋ナシ1.89ユーロ/1Kg
日本よりかなり安いです。さすが欧州一の農業国です。 -
イタリア広場の南のTolbiac駅周辺には中華をはじめアジア系のレストラン(食堂)がたくさんある。一軒で「タイ・ベトナム・中華料理」の看板もめずらしくない。
この日は中華の店「新富豪大酒家」に入りエビの水餃子、エビの空揚げ中華あんかけ、ビールをたのんだ。水餃子はごま油でいためたエビがぎっしり詰まったのが6個入りで、たっぷりのスープに浮かせたレタスがしばらくスープに漬けておくと柔らかくなって美味しい。あまりに美味しくて写真を忘れてしまった。しまった!
メインは大きい車えび3本をから揚げにして野菜あんかけにしたもので、楕円の鉄皿に盛り付け、紹興酒をかけて火をつけるおまけ付でした。写真はメインのエビを食べる前です。 -
LE CELTIQUE cafe, bar, tabac, brasserie などの店で有名らしいです。
夜になって小雨が降り始めました。 -
ホテルの5階の部屋から通りの向かいの果物屋が見えたので撮りました。秋の味覚がいっぱいです。
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ここからは9月26日(木)です。
サンジェルマン近くのJAQUES COPEAU 広場の銅像ですが誰のかわかりません。 -
マビヨンMabillon 駅の入り口 サンジェルマンデプレのすぐ南です。
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サンジェルマン市場のトイレ。
手前に向いて和式同様に用を足し、使用後はパイプの下部から水が噴出して流します。トイレット・ペーパーは右の大きなロールです。
足置きに乗ったまま水を流すと靴まで洗浄されてしまうので要注意です。私は失敗の経験はありません。 -
市場内のこの花屋Le jardinも国際花贈答チェーンINTERFLORAの加盟店です。
7時から開いているようです。(OUVERT 7〜 ) -
同じ花屋ですがこちらには鉢植えがたくさん並んでいます。
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サンジェルマンの地下鉄マビヨン駅から10号線でラ・モオト・ピケ・グルネルまで行き、陸軍士官学校前からエッフェル塔を眺めた。
エッフェル塔を遠くから眺めるためにここに行った、と言ったほうが正しいです。ここまでやる人はあまり居ないでしょう。 -
陸軍士官学校Ecole Militaire
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シャン・ドゥ・マルス公園から見たエッフェル塔
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エッフェル塔に登るにはこのように並ばなくてはなりませんが一度は上る価値があります。ここは北搭乗口PILIER NORDです。
私は何度もパリに行っていますが2回しか登っていません。それで十分です。 -
エッフェル塔真下中央は鳩が遊ぶ砂場になっています。ユリカモメもいます。時間帯によってはエッフェル塔のミニチュアや20枚折り絵葉書、スカーフ、パタパタ音を立てて飛ぶ鳥のおもちゃなどの黒人の物売りもおおぜいいます。
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エッフェル塔からセーヌ川のエナ橋を渡ってシャイヨー宮側に行きました。
これは住宅船のようです。元は内陸部の小さな川や運河を、真ん中の細長いところに、荷物を載せて運搬するのがその役割です。できるだけたくさんの荷物をつんで行き来するために、ダックスフンドのように胴体の長い形になりました。このペニッシュですが、改造され、遊覧船やレストラン、さらにはホテルや住居として使われています。
セーヌ川にはこのような住宅に改造されたペニッシュが数多く係留されています。係留には許可が必要ですが電話や電気を引くことが出来ます。係留代は月500から1000ユーロ(6〜12万円)。ただし許可を取るのはかなり難しいそうです。 -
シャイヨー宮前のトロカデロ庭園でもマロニエが色づき始めました。
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シャイヨー宮と桐の木
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トロカデロ庭園から見たエッフェル塔。このあとエトアール経由でパレ・ロワイヤルへ行き先日の店でチャーハン・餃子セットの昼食を摂った。
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オペラ・ガルニエの北のオスマン大通りにある老舗デパート ギャルリー・ラファイエットのガラスドーム
中央の吹き抜けに面した売り場はまるでオペラ劇場の客席のようで、これ自体が美術品のような豪華さだ。
25ミリ広角レンズによる。
表紙の写真ですが説明書きの「劇場」はジョークです。 -
オペラ・ガルニエ前は交通の要所で、この地下は地下鉄が3路線(3,7,8号線)が交差しています。
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雨上がりのオペラ大通りのプティ・シャン通り入り口
路面が光ってすがすがしい雰囲気です。
中央は骨董品のサロンの看板 20-30 Septembre 2002
日付入りのポスターは記念・記録になっていいですよ。お奨めです。
雨上がりの爽やかさはまるでベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の最終第5楽章のようです。
<第5楽章>「牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」。雨が上がり、日が差し、自然への畏敬と感謝の牧歌が歌い上げられ、本曲が"Pastral symphony(田園交響曲)"たる最も象徴的な楽章である。 -
地下鉄のオペラとルーブル・リヴォリの間にあるピラミッド近くのパサージュpassage(アーケード街)
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ピラミッド近くの地下スーパーの鮮魚売り場
鮭、鱒、鱈、エビなど種類も多く新鮮そうです。日本のようにトレイにパックした魚はありません。 -
地下鉄ピラミッド入り口
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ピラミッド広場の金色のジャンヌ・ダルク像
ジャンヌ・ダルクが1431年5月30日水曜日に処刑されたルーアンの旧市場跡に1979年にルイ・アレッチの設計により建てられたジャンヌ・ダルク教会にある聖処女ジャンヌ・ダルクの像とは全く異なるイメージです。下記参照。
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10474796/ -
夕方の大学通り Rue des Ecoles
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通りの空に露出を合わせたら建物はほとんど見えません。
-
パリ第4大学付近のジベール・ジョゼフ(Gibert Joseph)は フランスの最大手書店。 日本で言うところの丸善か紀伊国屋。 パリの学生街サン・ミッシェル界隈には ジベールがたくさんあり 書籍・古本・CD/DVD・文房具などを扱う。
この店を知っていて撮ったのではありません。編集のときにネットで調べたものです。(バカ正直?) -
1918年 第1次世界大戦終結の記念碑「1800名の医者が祖国のために死んだ」
これはパリ第4大学の壁にあるのでここ第4大学は医学部かもしれません。
今はどうか知りませんが、昔の東大は医学部が理?(理科?類)でした。 -
骨格模型のショーウィンドウを見ると、やはり医学部か。
-
これはメガネやのショーウィンドウです。
私が写しているのはショーウィンドウの展示物ではなく暖かい雰囲気の光です。あとでよく見たらメガネが飾ってありました。 -
シネカノンSINEQUANONEのショーウィンドウです。最近は青山にもショップがあるようです。
サンジェルマン界隈のブランド・ショップは男の私が見ても魅力的です。見るだけですが。
SINEQUANONEのショーウィンド
http://www.sinequanone.com/marque/house.php#/NEWS/3 -
サンジェルマンデプレの有名なカフェ レ・ドゥー・マゴ
パリで最も有名なカフェのひとつに数えられるレ・ドゥー・マゴ。教会のあるサンジェルマン・デプレ広場に整然と並べられたカフェテーブルと椅子は、パリ左岸の風景のひとつとして、なくてはならない存在です。レ・ドゥー・マゴの歴史は1812年まで遡ります。当初は現在のデパートにあたるMagasin de Nouveautesと呼ばれる商店として栄えました。1885年にカフェとして生まれ変わった後は、リンボーやマラルメ、ヴェルレーヌをはじめ、ピカソ、ヘミングウェー、プレヴェール、サルトル、ボーヴォワールといったパリ芸術の一時代を築いたアーティスト達が集うサロンとしてその名を馳せました。1933年に設立されたレ・ドゥー・マゴ賞は、現在も権威ある文学賞として、毎年受賞者の発表に注目が集まります。
2010年の受賞者朝吹真理子さんは2011年第144回芥川賞も受賞しました。 -
ここは薬屋さん。緑十字は万国共通のようです。
サンジェルマンのこの店は安売りで日本でもよく知られていると、どなたかの旅行記で読みました。
シニアの私の興味を引く商品ではないため気付きませんでした。 -
今では誰でも知っているスワロフスキーSWAROVSKI
スワロフスキー(Swarovski )は、1895年にオーストリアのチロル州に創立された クリスタル・ガラス製造会社。創業者はダニエル・スワロフスキー。ヴェルサイユ宮殿やオペラ劇場のシャンデリアパーツなども手がけ、オーストリアを代表するクリスタル・ガラスモチーフで国際的に有名。独自の製法と加工法によるカッティング技術、クリスタル・ガラスの製造技術を生かし、最近ではラインストーンをはじめ、ビーズ・ペンダントトップ・ボタンといったアクセサリー製品の製造も行っている。また、ファッション・インテリアへも進出し、有名デザイナーとのコラボレーションを行っている。
ウィーンのガイドの話では現在オーストリア社交界のリーダー的存在らしいです。社交界デヴューにはスワロフスキーの・・・・・とか。 -
夕方のレンヌ通り。 正面はモンパルナスタワー 1973年完成、高さ209m。
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サンジェルマンの居酒屋
地下にはカラオケがある(KARAOKE AU SOUS-SOL)と書いてあります。 -
ドゥー・マゴと並び有名なカフェ・ドゥ・フロール
私はパリに来ると必ずこの時間帯にこのカフェを撮影します。宵の口が一番魅力的に映(写)ります。
ノルマンディー・ブルターニュの旅2008⑥パリ その1 サンジェルマンの夜と朝のルーブル周辺
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10485630/ -
カフェ・ドゥ・フロールCAFE DE FLOREの売店Boutique
この店の前に高級車を乗り付けるのがステイタスのようです。これが許されるのがパリの伝統文化なのでしょう。
東京だったらすぐに駐車禁止の札が貼られてしまいます。 -
夕方で混雑するサンジェルマン大通り
表参道交差点に雰囲気が似ていませんか。
私はこのような雑踏の中に身を置くのが好きです。
定年退職後は田舎暮らしをしたいという人の気持ちは全然理解できません。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会
サンジェルマンは私が「パリの青山」と呼んでいる(思っている)おしゃれな町で、何度かこの地区に泊まっています。旅行記を二つ紹介します。
ノルマンディー・ブルターニュの旅2008⑥パリ その1 サンジェルマンの夜と朝のルーブル周辺
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10485630/
フランスの旅2006④パリ その1(サン・ジェルマン、ポン・ヌフ、シテ界隈)
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10502246/ -
サンジェルマンの蕎麦屋「円」yen 美味しい和食のおつまみ料理やワインもあります。
このときは右隣のENTRECOTEへ入りました。 -
ENTRECOTEの店内です。メニューは無く、肉料理か魚料理を選びます。私は一人でしたが肉料理を食べました。前菜はレタスと京菜の野菜サラダに砕いた胡桃。メインは150gミディアムのステーキ。フライド・ポテトは好みで。ステーキは半分だけ皿に移し、残りは蓋つきの金属の皿をろうそくで暖めておき、食べ終わるころ盛り付けてくれる。ソースもカラシが効いて美味しかった。デザートのチョコ・アイスクリームは大きすぎて半分だけにした。
一人の食事でもの足りないところを補って余る満足のいく夕食でした。29.55ユーロでした。
これでパリの休日2002を完結します。
長い間ご覧いただきありがとうございました。 -
法律で店の外にメニューを掲示しなければならないので、それだけはあります。
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