2026/08/29 - 2026/08/31
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しんちゃんちかさん
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この旅行記スケジュールを元に
お盆のカナダ旅からの疲れも取れない8月、ANAのマイルが切れ始めるため、初めての秋田に行くことにしました。
ANAの「トクたびマイル」は通常よりも少ないマイルで飛べる美味しい企画ですが、直近にならないと対象路線や必要マイルの発表がないため、予約から搭乗まで最短1日、最長でも13日しか余裕がありません。
連日空席があったのですが、なぜか往路に希望した金曜日は満席で取れず、復路は無事、通常6500マイル必要なところ、3500マイルで取れました。
この時点で何かおかしいな、と気付けば良かったのですが…
8/29(土)
東北新幹線やまびこ163号 仙台着13:24
秋田新幹線こまち23号 仙台発13:53-秋田着16:13
JR ¥20,390
アパホテル 秋田千秋公園 \49,400(クーポン・ポイント使用 \42,800)
8/30(日)
駅レンタカー東日本 \5,310
ANA Crown Plaza ホテル秋田 \15,500
8/31(月)
秋田空港行きリムジンバス ¥1200
ANA406 秋田空港12:05 - 羽田空港13:15 3500マイル+旅客施設使用料\450
旅行費用
¥53,845
- 旅行の満足度
- 5.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8/30(日)
530年も続く朝市とがっこ食堂で美味しいランチをいただいて、五城目町をあとにします
秋田市をすっ飛ばして角館に南下します
旅行としては非効率的なルーティングですが、なにぶんにも秋田滞在時間が短くなってしまったため致し方ありません(苦笑)五城目朝市 市場・商店街
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14:12
レンタカーの返却時間があるので、高速道路を使って快適♪
角館に着きました
雨が降って来ちゃいました~
写真は人があまりいませんが、後ろにはツアーの団体さんが何組も歩いていました -
例によって、角館の下調べはしておりません
この旅行のハイライトは、朝市とがっこ食堂だったので、午前中に無事完了(笑)
ということで、とりあえず、有名そうな角館歴史村・青柳家へ
入村料 500円青柳家 美術館・博物館
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母屋の正玄関(玄関)
屋根の破風の下部に見える美しい木彫りの装飾は「懸魚」と呼ばれ、火事除けのおまじない・魔除けの意味が込められています
ここは身分の高い人や客人、冠婚葬祭など、特別な時に使うことが出来る玄関で、家人が日常使う玄関(入り口)は向かって左手奥にありました -
約3,000坪の広大な敷地に、母屋や蔵、複数の展示館が点在しています
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黒塗横矧二枚胴具足: 中央に座す甲冑は、青柳家が甲府にて武田家の武器造りに携わっていた当時のものと伝えられており、武田信玄ゆかりの兜と同形とされています
武器蔵: 青柳家は16代にわたり秋田と岩手の境を守る役職などを務め、武具や火縄銃などを数多く所蔵しています
赤い陣羽織や火縄銃、日本刀、また青柳友吉夫妻の肖像画などが武器蔵や館内に展示されています -
青柳家で大切に保存されてきた客用のもので、縁起の良い「鮑」や「梅の木」、角館黄八丈などの日本の伝統文化の柄が施されています
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杉田玄白らが翻訳した日本初の本格的な西洋医学書『解体新書』の扉絵で、秋田藩出身の画家・小田野直武が描いたもの
原典との違い: 原著であるドイツ人医師クルムスの解剖書『ターヘル・アナトミア』の扉絵を模して描かれましたが、左側の裸の男性像の性器は、日本での出版にあたって小田野直武が隠すように描き変えました。
作者: 秋田蘭画の代表的な画家であり、平賀源内らとも親交があった小田野直武が挿絵を担当しました -
「解体新書」は日本で初めて翻訳された全5冊の西洋医学書で、1774年(安永3年)、江戸で発刊されました
翻訳したのは、杉田玄白、前野良沢等ですが、発刊と同時に評判となりベストセラーになりました
「解体新書」が当時の日本に衝撃を与えたのは、初めて正確な人体解剖図の付図1巻がついていたことです
この人体 解剖図を描いた画家が小田野直武という角館の武士です
青柳家と小田野直武は姻戚関係にあり、何度も互いの家の間で養子縁組みや婚姻関係を結んでいます
青柳家と関係の深い小田野直武と「解体新書」、その画業について展示しています -
両家としての小田野直武の才能を見いだしたのは、時代劇のテレビドラマや映画に何度も登場し、江戸の才人・奇人といわれた平賀源内でした
蘭学に精通した平賀源内の手ほどきで、西洋絵画を学んだ小田野直武は「解体新書」の解剖図を描くだけでなく、その後、日本で最初の西洋技法絵画=「秋田蘭画」を創始します
小田野直武の画業の軌跡と関係が深い画家の作品、そして小田野直武関連の青柳家所蔵物を展示しています -
敷地内庭園には、角館出身の武士・画家である小田野直武の胸像がありました
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青々としたもみじやシダの生い茂るお庭が綺麗♪
ここで夫が会社の人とばったり!
昨日は花火大会を見に来て、今日はここへ来たそう
2ヶ月前にアパホテルは満室で、夕べは車中泊だったと
私たちも花火に来たと思ったらしく、5万近いアパホテルに泊まった…と言ったら驚いていました→アホとしか言いようがないですよね(⌒-⌒; )
このあとハイカラ館で「いぶりがっこクリームソーダ」を飲んだそうですが、失敗だったそうです(~_~;) -
「幕末写真館」の展示に面白いものがありました
吉原遊廓の写真の横にあった解説で…
「江戸・明治期の妾文化」
江戸・明治期のの写真撮影は、現在の価値に換算すると1枚約60万円(約6,000ドル)かかりました
そのような時代に、愛人や妾を写した写真はたくさん残っていますが妻を写したものはほとんど残っていませんでした
当時、写真を撮られると魂が抜かれるという都市伝説があったため、大切な妻を写真に収めるのは気が引けたのかもしれません -
明治政府高官大礼服(勅任官などの文官大礼服)
襟や胸元、袖口に豪華な金モール(刺繍)が施された上着、ベスト(チョッキ)、側章のあるズボン、および二角帽子(オペラハット/大礼帽)、儀礼刀(軍刀) -
明治から昭和初期にかけてのハイカラな歴史を物語るSP盤やLPレコード、ジャケットがたくさん並べられていました
とっても貴重なもので今ではお金を出しても買えませんが…→保険掛けているんですよね?
上段左: アルトゥーロ・トスカニーニ指揮交響楽団によるベートーヴェン交響曲第5番「運命」のアルバム
上段中央: 和装の女性が描かれた学童・教育系の歌集(『集歌各窓學』など)
上段右: 各国の国旗とナチス・ドイツの旗などがデザインされた『世界国歌集』
下段左: ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲第9番「合唱」
下段中央: 三輪車に乗る子どもたちのイラストが描かれた歌集アルバム(『ビクターレコード』等)
下段右: 室内で赤ちゃんをあやす女性の絵が描かれた『東洋名曲子守唄集』などのSP盤アルバム -
江戸時代、本格的に西洋の絵画を学び、その画法を初めて日本の伝統絵画に取り入れたのは、江戸を遠くはなれた、東北秋田の武人画家たちでした。この画家 たちによって描かれた初期の洋風画は、のちの西洋画と区別して「秋田蘭画」とよばれています。代表的な画家として、秋田藩第八代の藩主・佐竹曙山(義教)、 秋田支藩角館城代(北家)・佐竹義躬、角館給人(平侍)・小田野直武らがいますが、なかでも小田野直武は、有名な「解体新書」の解剖付図を描いたことで知られています。
小田野直武は寛延二年(1749) 十二月、角館裏町町で生まれました。幼名を長治、通称を武助、字を子有といい、五人きょうだいの四番目でした。父は直賢、通称を平七といい、槍の使い手で、北家義躬の倉術指南もつとめました。直武と義躬は同年の生まれで、藩主・曙山は一つ年上でした。かれらが生きた年代は、ちょうど江戸時代の中ごろで、政治、経済、社会、文化など、あらゆる面に新しい気運が勃興した時代で、とりわけ蘭学の発達は、その後の日本の方向を決定づけるほど、大きな影響をもたらしました。 -
年の暮れ、直武はあわただしく江戸へ向かいました。江戸は神田にある源内屋敷におちつくと、源内はさっそく直武を杉田玄白に引き合わせ、『解体新書』の付図を描くようにいうのでした。玄白は源内の蘭学仲間で、十五年來の親友ということですが、挿図を依頼されるとは意外でした。藩命では産物取扱の仕事をすることになっていたからです。これには、藩主・曙山の特命で、表向きは公務出張にして、内実は直武に蘭画を修得させるためだったとする説もありますが、本当はどうだったのでしょう。
秋田藩が源内を鉱山開発に招いた裏には、じつはもう一つの狙いがあったようです。 かねて秋田藩は、財政難打開のため、幕府に一万両の借入れを申しいれていましたが、平賀源内が学識経験箸として、当時幕閣の実力者だった田沼意次の信頼が厚いので、開発指導をうけるいっぽう、源内に借入実現の働きかけをする腹づもりでいたのです。 ところが、田沼のほうでも、この機会を利用して、秋田領内の鉱山資源を、ひそかに内定調査しようとしたフシがあり、ここから、源内の田沼スパイ説が生まれてきたりもしました。 -
安永三年(1774) 八月、ついに『解体新書』(全五冊のうち、一冊が解剖付図)が刊行 されました。翻訳者たちの苦心と、源内の友情と、直武のがんばりが、ここに結実したのです。直武は解剖付図のさいごに一文を寄せました。「我ガ友人・杉田玄白訳ス所ノ 解体新書成ル。予ヲシテ之ガ図ヲ写サシム。夫レ紅毛ノ画ヤ至レルカナ。予ノ如キ不侫ノ者ノ敢テ企テ及ブ所ニ非ズ……(原漢文)」と謙虚に、その名誉とよろこびを記しました。そしてこの日をさかいに、つぎつぎと蘭画の傑作を産みだすのです。
『解体新書』の刊行は、訳者や画家の名を高めましたが、直武にとっては、解剖図を模写したことが、洋画の基本をしぜんと身につけることになり、以後、直武の画業は大いに進みました。源内の屋敷には、日頃から、いろんな階層の人々が、おおぜい出入りしていました。それは源内が、今をときめく老中・田沼意次のお気に入り、ということもありましたが、何よりも才気万能の源内の人間的魅力が、人々を引き寄せていたのでした。そんな中で、のちに銅版画を創始して、日本洋風画の第一人者となった画家・司馬江漢がいました。 -
身に覚えのない罪状は、直武でなくても不可解といえますが、これについても、直武 が藩の財政に口出しをしたとか、主君の行状を直接諌めたとか、絵画上の意見で衝突したとか、諸説がありますが、どれも根拠は浅く、真実は不明です。ただそのころ、老中・田沼意次の権勢は、急速に凋落していました。そんな状況の中で、田沼と深くつながっている源内の屋敷に、秋田藩の小姓が出入りするのは危険だという考えが、藩の上層に はたらいて、このさい、転ばぬ先の杖とばかり、直武を江戸から遠ざけたのかもしれま せん。
直武は角館に帰って罪に服しました。折りもおり、江戸で源内が殺人をおかし、捕らえられて獄死するという事件がおこりました。直武には衝撃の追い打ちでした。このため年が明けると、直武は病気になりました。それでも直武は主君を信じ、江戸から「赦免状」がくる日を待ちわびました。しかし赦免より早く、死がやってきました。安永九年(1780) 五月十七日、直武は三十二歳の短い生涯を終わるのです。東北秋田に開花した蘭画も、それからは新しい流れとなって、江戸で司馬江漢らによって、受け継がれていきました。 -
秋田郷土館
東北の暮らしぶりを今に伝えています -
武家道具館
土蔵を改装した館内には、青柳家に代々伝わる武家道具や古美術品、染付の絵皿、雛人形、押絵などが展示されています -
ハイカラ館
2階アンティークミュージアム
手前の写っていないスペースには「写真機」が沢山…
ダゲレオタイプからコダック社の初期カメラなど、写真の黎明期から近代にかけての貴重なカメラが展示されていました
カメラ付きの夫は、かなりの時間をその撮影に費やしていました(^-^) -
反対から撮っています
西洋時計と蓄音機:レトロな柱時計や、朝顔型のホーンが美しいエジソンタイプの蓄音機など、明治・大正・昭和期の西洋文化を伝える品々が並んでいます
ちょうど突き当たりが「写真機」コーナー -
秋田県指定無形民俗文化財である「角館のお祭り」で使用される人形を載せた山車
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秋田犬の中には…夫か私、どっちでしょう(笑)
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床の間には甲冑(鎧兜)が展示され、左側の違い棚には刀剣が飾られています
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一周して来ました
500円と有料でしたが、見応えありましたね~♪
写真に写っている茅葺寄棟造りの母屋は、幕末の約200年前に建てられたもの -
老舗味噌醤油醸造元「安藤醸造 花上庵」
お友達におすすめされたお店です
試飲で頂いた白だしが美味しくて、お味噌汁と一緒に買いました -
江戸時代の面影を残す重厚な黒い板塀と、薬医門と呼ばれる武家門
水も流れています
雨に濡れた青紅葉と映えますね♪ -
典型的な中級武士の屋敷
映画「たそがれ清兵衛」のロケ地になったようです
山田洋次監督・真田広之主演の映画で、主人公・井口清兵衛の家として使用されたそう岩橋家 名所・史跡
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ちょっと入って有料だったような気がして出て来ましたが…
あとから調べたら無料のようです
このように覗けたのでパチリ♪
元々は茅葺き屋根でしたが、江戸末期から明治にかけて現在の木羽葺きへと改造されました
この改造によって明治時代に起きた大火での類焼を免れたというエピソードが残っています -
こんなに道が広いのはどうして?
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「非公開」の表札…
すごく素敵でした
余計にそそられます(^^; -
花手水♪
-
河原田家
もとは下野国河原田(現在の栃木県小山市)に住み、源頼朝に仕えて会津の伊南郷に移った豪族です
関ヶ原の戦い後、芦名氏の重臣として角館に移り、後に佐竹北家に仕えました河原田家 名所・史跡
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有料でしたので薬医門だけ…
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秋田蘭画の創始者として知られる小田野直武を輩出した、小田野家の分家
無料なので入ってみましょう小田野家 名所・史跡
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小田野家に古くから伝わる「波頭紋」奉納幕(式日や神事などで用いられるもの)が張ってありました
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現在の主屋は1900年(明治33年)の角館大火の後に再建されたものですが、
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座敷や中の間が奥へと続く、近世武家住宅の典型的な美しい間取りや生活様式を今に伝えています
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京都の庭園作法の伝統が取り入れられているそう
モミやカエデの巨木、クマザサなどが美しく配置された情緒ある前庭が広がっています -
15:46
人力車に乗ってガイドしてもらえば、良い記念になりますね♪
角館滞在時間は、飲食せずに1時間半
ツアーですとランチタイムを入れて2時間くらいのようなので、トントンでしょうか -
16:58
道の駅協和 農林水産物直売所
秋田県大仙市協和荒川新田表15-2
kyowasnow.net
休憩&ショッピングに寄りました
ババハラアイスが食べたくて寄ったのですが、その場で作ってくれるスタンドは無くて、こういうものならありました道の駅 協和 四季の森 道の駅
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ここで惹かれたのはコレ!
「まま寿司」
手に取って、どうしようか迷いましたが、秋田の最後の食事に影響しそうだったので諦めました
地元では「赤飯(あかまま)」「赤ずし」などとも呼ばれ、特にお盆の時期やお祝いの席などで古くから食べ継がれてきた伝統の味なんだとか
一般的には「こはぜ(ナツハゼの実)」の果汁や、赤しその葉などを使い、もち米を綺麗なピンク色に染め上げるそう
数日掛けてもち米を発酵させて作るため、お寿司というよりも「酸っぱいおこわ」に近いとありますが…
一年中あるのではなくて、お盆に近かったから売られていたのか?
だとしたら、なおさら買ってくれば良かった(>_<)
もし、行かれる方、ご賞味ください!
それと、ここでは、桃がいっぱい売っていました
なぜ写真を撮らなかったのだろう…
箱に入った大きな桃、地元よりもお安くお得で、ここでも悩みました
車なら即決でしたが、帰りは飛行機と電車なんです
そして、蓋の部分が無い箱(分かりますよね?)に積んであったので、お店の方に違う箱があるか聞いてみたけれど、あいにく…という答えで、郵送も出来なかったので諦めました
お得度は下がりますが、持ち帰り用に2つだけ、大きな桃を買いました
こういうのがあると車で来るのが1番ですが、遠いのよね(涙)
帰りも高速を使って秋田駅で無事、レンタカーを返しました
JR駅レンタカーは、隣接する立体駐車場に入庫してから中で返却します
入り口のカメラで見ているのか、たまたま前の2台も同じ返却の人たちだったようで、駐車しようとした時には、すでに前の2台はスタッフの方に返却中、私たちの車にも近くにスタッフさんが来ていて、とってもスピーディーに作業が終わったのでびっくりです
朝の的確なアドバイスで無事、五城目と角館に行って来られました♪
ありがとうございました^ ^
このあとは、後編の秋田市内のホテル&夕食・朝食、帰路に続きます
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この旅行記へのコメント (1)
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- ねもさん 2026/10/18 20:54:11
- 角館(^^)
- しんちかさん 前編に返信ありがとうございます。
やはり大曲花火は人気のよう? 角館でのお知り合いとのバッタリ(゚-゚)
青柳家に入ったのは大正解と思います👌 同じ500円でも見所いっぱいで👍
実は…… 角館は結構何回も歩いているのに、この間初めて青柳家に😅 言い訳すると、私は角館駅から歩いてくるので、奥のほうにある青柳家の前でひっかかり時間切れに(苦笑)
1泊4万円超のビジネスホテルはちょっと痛かったかもしれませんが、まあ楽しい秋田旅⁉️
再訪はない?(笑) 考えてもよいなら、夏の秋田駒ヶ岳ハイキングとか、秋から冬の乳頭温泉郷めぐりとかいかがですか?
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