2026/09/19 - 2026/09/19
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ミズ旅撮る人さん
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琵琶湖の東岸にある近江八幡市に行きました。水郷と城下町として有名な観光地です。新町を中心に古い家屋敷が立ち並び、時代劇の撮影場所として、そのまま通用する街並みです。その中の1つ「旧伴家住宅」は「近江八幡まちなか研究所」になっていて、隣に市営の駐車場があります。ここを起点に町歩きをしました。新町通りを北上して、八幡堀へ行き、日牟禮(ひむれ)八幡宮で参拝して、「かわらミュージアム」へ。近江商人の町として発展したので、メンタームで有名な近江兄弟社の本店や、布団の西川などがあります。近江八幡の舟遊びは八幡堀と、町の東側の西の湖付近の2種類あります。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの和洋折衷建築を巡ることも出来ます。じっくり1日掛けて巡ることの出来る町ですが、交通渋滞により時間が狭められて町歩きだけとなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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近江八幡の城下町の中心にある「旧伴家住宅」です。隣に市営駐車場があるので、ここが基点となりました。
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周囲の家並みも古い城下町の風情をよく残しています。
「旧伴家住宅」伴家は江戸時代の初めには江戸の日本橋通りに出店を持ち、扇屋の称号で蚊帳や畳表を商った八幡を代表する商人です。新町通りと京街道が交わる西南角に伴庄右衛門家の、その西隣には本家にあたる伝兵衛家の屋敷がありました。井原西鶴の「西鶴織留」で大広間に100人を超える女性が蚊帳作りに従事する様子が述べられた八幡の扇屋は当家をモデルとしたものとも伝えられています。」 -
「近江商人の多くは文化に強い関心を持ち、俳諧や和歌などの文芸を嗜み、寺社の創建、中興に貢献しました。特に庄右衛門家の第5代当主資芳は、伴嵩蹊の名で多くの作品を残した、江戸中期を代表する歌人・国学者でもあります。」
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「庄右衛門家住宅は、文政・天保期に10年を超える工期で建築された、当時としては極めて規模の大きい町屋です。。明治以降は八幡町役場や学校、図書館施設として地域の人々に親しまれてきました。平成10年から、明治期に学校として利用されていた状況に復元、整備の上公開されています。」
旧伴家住宅 寺・神社・教会
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どっしり構えた2階建てのお屋敷です。近江商人の豪邸を拝見します。
旧伴家住宅 寺・神社・教会
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中に入ると中央に土間があり、左右に部屋があります。受付の人に館内の説明を受け、左右どちらからでも見学することが出来ます。先ずは中央にでんと構える「左義長まつり」の山車を見学。
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毎年3月に行われる「左義長まつり」は、近江八幡に春の訪れを告げるお祭りです。元々は安土城下で行われていたものです。祭りでは高さ3mほどの「左義長(さぎちょう)」と呼ばれる飾り物が担がれ、最後は日牟禮八幡宮で奉火されます。
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左義長の中心に据えられた「山車」は、その年の干支にちなんだものを、黒豆、小豆、胡麻、昆布、するめ、鰹節といった食材を用いて作り、町ごとに趣向を凝らしたデザインで競い合います。
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脱皮を行う蛇は、豊穣と多産と永遠の生命力の象徴ですので、13町と左義長保存会の法被デザインを、魔除けお守りなどの意味合いが込められた簪の模様として作成し、13町で山車の奉納が永遠となるように祈念しました。
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左の階段を上がると、広間があります。「レブンワース」と呼ばれ、小学校だった当時は唱歌室でした。レブンワースはアメリカの都市の名前です。明治末期に来日し、近江八幡と深く関わったウィリアム・メレル・ヴォーリズの生まれ故郷でした。
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右手にある玄関から、この階段を上がって来ました。更にこの上の階があります。
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5段の階段を上がります。少しカーブしているのが珍しいです。
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真ん中の一部屋は洋風家具と大きな羽子板が置かれています。
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朝鮮通信使
1592年、豊臣秀吉の大陸出兵によって朝鮮と日本の国交は断絶しましたが、1607年、徳川政権が対馬の宗氏の尽力を得て国交を回復し、以来12回にわたって使節団を迎えました。訪日の間、近江八幡では往路、復路ともに本願寺八幡別院(金台寺)で正使、副使など主だった人々が昼食を摂り、他の随行員は京街道筋の家々で食事をしたとの記録があります。 -
旧伴家住宅(市指定文化財)を建てた伴庄右衛門は江戸初期から活躍した八幡商人で、「扇屋」の屋号で寛永年間には東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳などを商っていました。現在残っている旧伴家住宅は7代目伴庄右衛門能尹(よしただ)が江戸時代後期に十数年をかけて新築したものです。当時としては規模の大きい3階建てで、地震に耐えうる堅固な建物を目指し建てられたそうです。明治時代からは小学校、役場、女学校、幼稚園、図書館等へと変遷し、現在は市立資料館の一部として公開されています。
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南国の植物を描いた珍しい屏風です。
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この屋敷の見どころは、14mの赤松の梁です。横に渡る6本の梁もリズミカルで、土間側の梁も下り天井に合わせて曲がったものが組まれています。
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御簾が古い金具で止められています。
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「朝鮮通信使瓦人形-江戸時代
八幡の代表的な瓦師寺本家に伝来されたもの。騎手をモデルにしたと思われる2体の瓦人形は、豊かな表情で髭や耳なども詳細に描かれる。着物が風でなびく様子も丁寧に表現され、八幡瓦の特徴である鋭利な彫りを流線的な意匠が伺える。」 -
重要伝統的建造物保存地区の修理・修景の様子(修景とは、新しい家を町並み及び周囲の景観に合わせて当て直したり、建てたりしたもの)。
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萩が咲いていました。シルバーウィークは、台風25号が関東地方を直撃しました。中部地方は暑いくらいのいい天気です。
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近江八幡市立資料館(郷土資料館・歴史民俗資料館)
「郷土資料館は、かつて海外で活躍した近江商人・西村太郎衛門邸跡に昭和49(1974)年に開設されました。建物は、明治19(1886)年に八幡警察署として建設、昭和28(1953)年に大幅に改築され、現在の形になりました。この時改築の設計をヴォーリズ建築事務所が行っています。」 -
豊臣家2代目関白・豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町を代表する新町通りの佇まいです。近江商人の発祥の地として知られます。防火や景観美化の役割を果たす「見越しの松」が植えられています。新町通りの両側には、ふとん屋で有名な西川家住宅が並んでいます。
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「森五郎兵衛邸
初代五郎兵衛は、伴伝兵衛家に勤め、別家を許され、煙草や麻布を商いました。やがて、呉服・太物など取扱商品を増やし、江戸日本橋や大阪本町にも出店するなど活躍しました。」森五郎兵衛邸 名所・史跡
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「産地ショップ麻香」
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「西川庄六邸(非公開)
2代目西川利右衛門の子「庄六」を初代とし、蚊帳・綿・砂糖・扇子などを商いました。3代目の頃になると、江戸日本橋4丁目にも出店し、九州島津藩指定御用商人になるなど、西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客との関わりも深く、一燈園「西田天香」氏らとの交流もありました。建物は、江戸中期の建築で間口は13m、奥行きは14.9mあります。左側に座敷部分が張り出し、他にも「でみず間」「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町屋です。」西川庄六邸 名所・史跡
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「旧西川家住宅(重要文化財・旧近江商人宅)
近江八幡を代表する豪商・西川利右衛門の「大文字屋」本店兼旧宅です。西川家は蚊帳や畳表を商い、財を成しました。典型的な近江商家の面影を残すこの家は、店と居宅部分が分かれていて、広い座敷玄関を持っているのが特徴です。屋外には坪庭や庭園のほか、全国的にも珍しい3階建ての土蔵などがあり、11代に渡った西川家の繁栄を垣間見ることができます。"旧西川家住宅"と併設する"郷土資料館"、そして"歴史民俗資料館"は3館で近江八幡市立資料館を構成し、江戸期の近江商人の暮らしを今に伝えています。」旧西川家住宅 名所・史跡
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2階の窓の飾り枠がとても素敵です。
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バス通りを渡って、八幡堀を目指します。今日は「八幡堀てふてふ夜市」が開催されるようです。
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「仁之助コーヒー」サイフォンコーヒーやクラフトビールを供しています。
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見事な細工の鍵穴飾りです。
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八幡堀は、「てふてふ夜市」の準備で賑わっています。
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八幡山城を囲む八幡堀。一般的な城の場合は城壁の周りのお堀ですが、ここは町の中をぐるっと巡って琵琶湖まで行かれます。
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標高271.9mの八幡山は、天正13(1585)年に18歳で近江43万石の領主に任じられた豊臣秀次が築いた八幡山城の城趾で、当時の石垣が今も残されています。本丸跡には秀次の菩提寺である村雲御所 瑞龍寺門跡が京都から移築されています。山麓から山頂までは八幡山ロープウェーで片道約4分。登山道では約30分ほどの道のりです。山頂からは琵琶湖、西の湖、旧城下町などが見渡せます。
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八幡堀では、お堀を和船で巡るお堀巡りが人気です。
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お堀に沿って飲食店などが並びます。「喜兵衛」は郷土料理のお店。
喜兵衛 グルメ・レストラン
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八幡瓦の七福神が迎えています。
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「TWO RABBITS BREWING Beer House(二兎醸造直営店)」
ビア ハウス グルメ・レストラン
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お堀に架かる明治橋の上から見ています。
明治橋 名所・史跡
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(株)近江兄弟社本社
「近江兄弟社という社名は、ヴォーリズの愛した『近江』の地名と、クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を1つにする仲間という意味を持った『兄弟』を合わせて、命名されました。」
「キッドマークのモチーフは、ギリシャ神話のアポロン。アポロンは医術と社会秩序の基盤を支配する神とも伝わることから、平和と健康を願う近江兄弟社の思いを、このマークに込めています。」(HPより)近江兄弟社メンターム資料館 美術館・博物館
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近江兄弟社メンターム資料館
近江兄弟社本社1階ロビーを「メンターム資料館」として無料開放し、
創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡をパネル展示しています。土・日、祝日、年末年始、お盆は休館です。
メンソレータムはヴォーリズがメンソレータムを考案した米国の実業家と知己(ちき)があり、日本での販売権を取得。1920年に現在の近江兄弟社を設立して販売を開始しました。ところがこの会社が倒産。代わりにロート製薬が商標権を取得、更にメンソレータム社を買収して実質的にロート製薬のものになりました。近江兄弟社は、商標権は失ったものの、技術は残ったので、協議の上で内容を少し変更してメンタームを製造・販売することになりました。メンソレータムのキャラであるリトルナースも、アポロンのキッドに変更されました。近江兄弟社メンターム資料館 美術館・博物館
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道路を挟んだ向かいには、ヴォーリズ像が建つヴォーリズメモリアルポケットパークがあります。キリスト教の布教活動のため、明治38(1905)年に八幡商業高等学校に英語教師として来日して以来、近江八幡を愛し数々の功績を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。教育現場を離れたあとは、建築設計をはじめ様々な社会事業を展開しました。近江八幡にはヴォーリズ設計による20軒あまりの建築物があり、西洋の建築様式を取り入れつつも日本の伝統と融合した和洋折衷のデザインが人気を集めています。
ヴォーリズメモリアルポケットパーク 公園・植物園
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西川甚五郎邸
天正15(1587)年に「寝具の西川」で知られる初代・西川仁右衛門が本店を構えた地に建つ大邸宅です。初代から12代目までの歴代当主が、第二次世界大戦前まで暮らしていました。通常は非公開ですが、春と秋に特別公開を実施しています。西川甚五郎邸 名所・史跡
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「寝具の西川」近江八幡店。
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店の右側から中庭に入ることが出来ます。
敷地内にある「西川甚五郎本店史料館」は無料で見学が可能です。 -
初代西川仁右衛門と近江八幡
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蚊帳の西川--2代目甚五
箱根の山越えで休息していた時、蚊帳を萌黄色に染めることを思いついたそうです。これが江戸で評判となり、江戸時代を通じての主力商品となりました。 -
ふとんの西川---11代目甚五郎(1848~1905)
明治初期の西川家にとって、最大の危機は主力商品である蚊帳の販売が停滞したことでした。八幡町の蚊帳生産者が激減し、他地域にシェアを奪われたのです。もともと蚊帳は夏に需要が偏るものなので、畳表や弓を扱って補っていました。11代目は、生活必需品で、冬に売り上げが伸びる蒲団の取り扱いを始め、現在に至る「ふとんの西川」の基礎が築かれることになります。 -
打開への戦略---12代目甚五郎(1870~1942)
1923年の関東大震災や1929年の昭和恐慌などを乗り切るため、商標を制定し、蚊帳・蒲団などの専門店となり、製造と販売を一体化させる道を選びました。 -
西川家の建物には、日本建築にレンガ造りの煙突が備わっています。
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西川甚五郎邸360°ビューツアー。外観からは想像もつかないほど西洋式です。
「大正2年に洋間を増築した際、奥の和室との継ぎ方にはかなり苦心して、手前を大きく、奥を小さくする遠近法により、わずかな距離で洋から和への転換を図ったと言われています。」 -
店舗へはこの正面玄関の他に、中庭からも入れるようになっています。西川家の歴史を学んで、帰りに店舗に寄りたくなりました。当然、蒲団がずらっと並んでいるのだろうと思ったら、さにあらず。タオルが中央のブースを占めていました。それも、今治タオルが多いのですが、信じられないほどふわっふわの手触りで、愛媛の今治で探しても同等のものは探せないほどの品質です。今治タオルは、そもそも1つの会社ではなく、共同体のようなものなので、各企業が様々な品質のものにタグを付けて販売しています。中には1年間毛が抜け続けたバスタオルもありました。半年で色が抜けるタオルなど、名前だけの製品が多かったです。ところが、西川の店舗にあったのは、とにかく「ふわっふわ」。WEDGWOODまでありました。そして「watairoわたいろ」という商品は、「しなやかなサンホーキン綿で柔らかな4重ガーゼを織り上げました。通常のガーゼの風合いを超える、すべすべの柔らかな肌触りにしました」とあるように、手持ちのタオルを全部これにしたいほどのすべすべ感でした。まさか、ここでタオルを買いまくるとは思いませんでした。
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隣の千成亭とあゆの店きむらとの間に、気になる小道があります。小道に面して小さなお店が点在しています。
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紙で作った食器などを売る店。材料は紙と漆だけなので、落としても割れません。
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秘密の小道の出口です。
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振り返るとこんな感じです。「通り抜けできます」と書いてあります。
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白雲橋。ここは日牟禮(ひむれ)八幡宮の参道です。日牟禮八幡宮は、八幡山の南の麓にある1800年以上の歴史を誇る神社で、近江商人が信仰した氏神様です。春には左義長まつりや八幡まつりが行われます。
白雲橋 名所・史跡
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「木造明神鳥居 --滋賀県指定有形文化財
明治41年修理工事中に額束上の穴から発見された建立棟札及び社蔵の文書から1616年造営が判明。時の代官、神主、材木寄進者、大工及び鍛冶の名前などが記載。八幡の大工高木作右衛門の名も記されている。
柱頭に台輪を載せ、笠木上に屋根を設けるなど特異な形式であるが総高8.8mの大規模な鳥居である。建立後、1648年、1721年、1805年、1830年に修理された記録があり、度重なる修理を経て、昭和41(1966)年に解体修理し現在に至る。」 -
「白雲館(日牟禮八幡宮の鳥居のお向かい)
近江商人が子どもの教育充実を図るため、建築費用のほとんどを寄付によって賄い、明治10(1877)年に八幡東学校として建てられました。西洋建築と日本の伝統技術が融合した擬洋風建造物です。現在は観光案内所になっています。」白雲館 名所・史跡
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「楼門(随神門)--木造入母屋造
近江の守護職、佐々木六角氏が1359年に造営し、左甚五郎作の彫刻が施されていた。安政二年左義長により焼失したが、同五年に再建。従釆にも勝る彫刻が施され四方猿の御門とも称している。昭和45年八幡まつりで上部を焼失したが、翌年復興。その際に、屋根の檜皮葺を銅板葺に改めた」日牟禮八幡宮 寺・神社・教会
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八幡山ロープウェーは、4分で八幡山城址に上がることが出来ます。山頂からは琵琶湖や近江八幡の町並みが見渡せます。15分間隔で、片道540円、往復950円です。
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「991年、一条天皇の勅願により、法華峰(八幡山)に社を造営して宇佐八幡宮を勧請(かんじょう)。1005年には山麓に遥拝所を建て、山上の社を「上の社」、遥拝所を「下の社」と称しました。
1585年には、豊臣秀次公が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀(ごうし)し、替地として日杉山に祀る計画でしたが、秀次公の自害により日杉山には造営されず、現在のように一社の姿となりました。」 -
「拝殿 --木造入母屋造
鎌倉時代の初期、1188年源頼朝公が近江の守護職、佐々木六角に命じて造営した。元文2年・文化2年の改築を経て明治24年・昭和13年・同53年に屋根葺替を本殿と共に実施。先年の葺替で銅板葺に改めた」 -
「本殿 --木造三間社流造千鳥破風向拝付
八幡大神を奉斎した建物で、991年勅願により宇佐の神を勧請して創建されました。嘉暦・弘治・万治・亨保・文化と数回に及ぶ修復造替を経て明治24年・昭和13年・昭和53年に屋根葺替が行われた。先年の葺替により従来の檜皮葺を銅板葺、軒付檜皮に改めた。平成30年9月の台風により、本殿鬼瓦が落下破損。八幡瓦製作が皆無の為、令和元年5月に銅製に改めた。」 -
「銅板葺、軒付檜皮(ひわだ)」になった優美な本殿の屋根
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本殿の角に吊り下げられている燈明。底部には巴(ともえ)紋。
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「当地に八幡さまが祀られていたことが、八幡の地名となり、昭和29年の市制移行後の「近江八幡」の由来になったと言われています。」
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「八幡山城は廃城となったものの、八幡堀を水路として琵琶湖航路に整備された城下町は、商人の町として発展。南は安南(現在のベトナム)北は北海道にまで商いに出かけた、名にし負う近江商人を育て、当社は近江商人の守護神として、崇敬を集めることとなりました。」(HPより)
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「能舞台 --木造入母屋造
明治32(1899)年新築。鏡板の老松の絵は北垣光鱗画伯の筆。屋根瓦が経年劣化の為、落下の恐れがある事が判明し、令和2年8月に屋根瓦葺替工事を実施した。」 -
「能舞台と日触詣
能舞台新築に併せて、当神社ゆかりの能楽「日觸詣」を観世流により作製。
明治32年11月28日に演じられた。
能楽「日觸詣」は
作者:西川貞二郎、添削:須川信行
節付:林喜右衛門、校訂:観世清廉 である。
以後、久しく演じられなかったが、平成5年7月、93年ぶりに復活、上演された。」 -
秋の彼岸です。この花は季節を間違うことがありません。
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八幡宮を出て、「かわらミュージアム」を目指します。
ここは琴平神社です。 -
琴平神社の隣が「萬徳山 圓満寺」です。なんとなく中国風の門です。
円満寺 寺・神社・教会
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「かわらミュージアム」の入口です。さすがに敷石に瓦が組み込まれています。
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ヨーロッパの旧市街の石畳よりも歩きにくいのですが、この芸術性が好きです。我が家の玄関にあしらうなら、凹凸をなくしてフラットにします。
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「かわらミュージアム」。残念ながら開館時間が終わってしまいました。
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開館時間は9~17時で、入館は16:30までです。
入館料は300円。【4館券(郷土資料館・歴史民俗資料館・重要文化財旧西川家住宅・かわらミュージアム)】なら700円です。 -
水の流れを表すような瓦模様です。
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館内には入れませんが、周辺は見て歩けます。八幡堀に面した施設なので、その風情を楽しむことが出来ます。
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小道には鬼瓦があります。これは、東近江市八日市金屋の金念寺から寄贈されたものです。日牟禮八幡宮の鬼瓦もこれによく似ています。
「本殿鬼瓦
平成30年9月4日の台風21号により、本殿鬼瓦の片方が落下損壊。もう一つも、落下した大枝で破損した。現在、八幡瓦製作が皆無の為、鬼瓦は銅で復興し、八幡瓦全盛期と思われる鬼瓦を修復」(日牟禮八幡宮HPより) -
この背の高い蔵の中には、どんな瓦が収蔵されているのでしょうか。
最近、鏝(こて)絵などの日本の職人芸術に魅せられています。 -
縦長の窓を囲む瓦粘土の飾りも素敵です。中央の八角形の塔はどんなものなのでしょう。いつかまた来なくては。
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10棟の建物には2万4000枚に及ぶ瓦が使われ、周辺建物との調和を図るため「いぶし」を落として古く見せています。
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また、随所に物語の登場人物を象(かたど)った人形があしらわれています。
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体験工房では、1,500円で型枠制作または自由制作をすることが出来ます。焼き上げて、2ケ月後に配送してくれます(送料別途)。
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八幡堀に面して大きな枝垂桜があり、その足元を保護するために、多くの瓦が守っています。
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「かわらミュージアム」は、八幡堀が直角に曲がる角に建っており、そこに舟橋があります。
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水に浮かぶ2艘の舟が橋を支えています。「舟橋」は、耐災害性や耐久性の課題のためすっかり淘汰されてしまいました。貴重な現存例であり、ロケ地として使われるそうです。
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突き当りの家は「hana*waden」という花屋さんです。HPを見て見ると、なるほどとてもセンスの良いアレンジメントを作ってくれるようです。近くにあったらお願いしたいなあ。木・金・土曜日が営業日だそうです。
https://www.oumi-waden.com/hana_waden_gallery/ -
こちらは「旅籠 八(わかつ)」およびレストラン「溜ル」。旧喜多邸は1829(文政12年)畳屋として、この地に建てられました。2間だけの超高級宿です。
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舟橋から見た八幡堀。お堀巡りの舟は、何か所か乗船場があります。
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八幡堀は遊歩道があるので、そぞろ歩きがじっくり楽しめます。
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対岸から見た「かわらミュージアム」。堀に面した建物は、ミュージアムを訪れるつもりのない観光客が見るので、瓦芸術を披露した装飾にした方がいいと思うのだけれど、景観の規制があるのかな?
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近江八幡は、ただお堀と店を見て歩くだけでなく、近江商人の歴史を紐解く場であり、八幡瓦に親しんだり、西川家の本拠地を実感したり、メンタームの資料館を見たりと、盛りだくさんの観光地です。ゆっくり時間をかけて巡ってください。
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