2025/05/23 - 2025/05/24
84位(同エリア208件中)
赤い彗星さん
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仙台には何度も訪れたことがあるのに、
ほぼ訪問した際の記憶がなく、自分の中で印象が薄い地域の
一つだなと思い立ち、仙台周辺を巡る事にしました。
まずは仙台経由で高速バスに乗り登米市に向かいます。
(最初から仙台でないけど)
登米市の中心地からは少し離れていますが、
北上川沿いに明治・大正期の建物が多く残る地域があり、
みやぎの明治村と呼ばれています。
小さな市街に古い建物が集中していて、公共交通機関と
歩きメインの旅人には巡りやすい町かと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
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新幹線で仙台駅に到着。
仙台駅 (JR) 駅
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仙台駅前のバス停から、高速バスに乗り、登米に向かいます。
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約1.5時間バスに乗り、とよま明治村バス停で下車。
バス停近くには、寺池館跡が残されています。寺池館 名所・史跡
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城跡には遺構は残されていませんが、城跡を模した冠木門が建てられています。
寺池館は、宮城北部の領主であった葛西氏の居城跡です。
豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易され、その後、木村氏、伊達家家臣の白石氏と城主が変わり、幕末を迎えました。 -
現在の城跡は、登米寺池城址公園となっています。
寺池館という名称通り、多くの郭で構成されたような城郭ではなく、簡単な堀や柵で囲われた城館だったんだろうなと思っていましたが、仙台藩21要害の一つに挙げられる堅牢な城郭だったようです。一国一城令により、城と呼べなくなり館としたのかもしれませんね。 -
登米町の観光拠点となっている「とよま観光物産センター 遠山之里」。
地場のメニューを提供している食堂やお土産物屋が併設されています。
館内の観光案内所では、観光施設の入場券を購入することが出来、事前にWEBチケットを購入している人は、こちらで受付をする必要があります。とよま観光物産センター 遠山之里 お土産屋・直売所・特産品
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とよま観光物産センター 遠山之里から、歩いて1分程の教育資料館に到着。
みやぎの明治村の中心施設になっている旧小学校 by 赤い彗星さん教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎) 美術館・博物館
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旧登米高等尋常小学校(現教育資料館)は、明治21年(1888)に建てられ、昭和48年まで使用されていた小学校です。
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WEBチケットを購入済みだったので、受付で画面を見せて入場しようとしたら、実はとよま観光物産センター 遠山之里でまず受付をしなければいけないという注意書きをよく読んでおらず。。
受付の方は、嫌な顔もせずに電話でとよま観光物産センターに一報を入れてくれ、見学の後に寄って下さいねと先に見学させて頂きました。きちんと説明を読んでおらず、ご迷惑をお掛けしてしまいました。 -
明治・大正期に建てられた洋館や擬洋風建築物は、中央にバルコニー式の突き出た玄関を用いている建物が多いですね。
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階段中央のラインを見ると、学校の階段だなあと感じます。
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廊下の広さや校舎の造りは全く違うのですが、通学していた中学校が当時木造校舎だったため、既視感や懐かしさを感じます。市の有形文化財なので建て替え出来ないと聞いた記憶がありますが、先日見た校舎は新校舎に建て替わっていました...
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さすがに木の机や椅子ではなかったので、このような教室を見ると昔の教室だなと思います。
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旧登米高等尋常小学校(現教育資料館)は、重要文化財に指定されています。
設計監督者山添喜三郎は、ヨーロッパに渡り洋風建築を学んだ大工で、旧登米警察署庁舎(現警察資料館)の建築にも携わっています。 -
明治時代の小学校の様子が再現されています。
児童や先生の服装が、まだ着物ですね。 -
作法室兼裁縫室。道具を見ると、ミシンや喫茶などの作法を学んだようです。
明治18年に裁縫科を設けてから、女子児童が増えたそうで、現在の教室は昭和17~18年に改装した当時のものを復元しているそうです。 -
再現された校長室。部屋はかなり広く採られています。
小学校中央のバルコニーに面していて、中庭での集会の際には、バルコニーから訓戒していたそうです。
平成2年に当時の皇太子殿下が来訪され、後ろのソファーでご歓談されたそうです。校長室の最前面に執務机が置かれていたとは思えないので、本来は一番奥に位置していたかもしれませんね。 -
2階からバルコニー方向を眺めた風景。
設計監督者山添喜三郎は、資材の品質について一切の妥協を許さず、一定以上の品質に達していないものは納品を許さなかったため、瓦屋や材木商は廃業したり、家財を傾けたりするものが続出したそうです。そのため恨みも買い、検査のため屋根に上った時に梯子を外され、一日中下に降りることが出来なかったり、人力車ごと川や堀に放り込まれたりといった嫌がらせにもあったそうです。 -
登米小学校の校章。
プロペラのような形状をしていますが、登米初代領主の伊達家と旧領主の葛西家紋章を下地にしているそうです。 -
仙北鐡道の往時の駅の様子を再現した教室もあります。
宮交登米バスの看板も立てかけられています。
仙北鐡道の登米線は、1968年に全面廃止され、代替のバス輸送に切り替わったそうです。 -
登米線を走っていた客車の写真も残されていました。
大正8年から昭和45年まで、ながい間ありがとうございましたと書かれているので、廃線前の最後に撮影されたものでしょうね。
電化されることはありませんでしたが、路面電車に近い形状をしていたんですね。 -
学校給食のメニューも展示されていました。
私が子供時代を過ごした地域は、給食が提供されていなかったので、給食は経験がなく、どんなものか全く分からない。幼稚園の頃は、給食でしたがほぼ記憶が。小さい頃は好き嫌いが多かったので、私的には給食じゃなくて助かったかな。親は、昼食の対応も必要なのでほんと大変だっただろうけど。 -
授業の開始・終了は、この半鐘を鳴らすことで伝達していたそうです。
旧登米警察署の火の見櫓の半鐘が、戦時中に回収されてしまったため、こちらの半鐘が代わりに利用されたそうです。 -
何故かアンモナイト群の巨大化石が展示されていました。
昔アンモナイトは大きくてもバレーボールくらいと思い込んでいた頃、モロッコで1Mを優に超える巨大アンモナイトの化石を見かけ、度肝を抜かれたことがあります。 -
学校として利用されていた時代のものではないでしょうが、当時の制服姿の小学生がデザインされています。
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最後に教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎)の全景をパチリ。
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登米市に古くから伝わっている名物の油麩を食べるために、つか勇さんにやってきました。「とよま観光物産センター 遠山之里」から、交差点を渡った向かいに建つ大衆食堂です。
大衆食堂 つか勇 グルメ・レストラン
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店内は、いかにも地域の大衆食堂と云った佇まいで、メニューも日本人には馴染みのある丼物や麺類が並んでいます。他のメニューにも心動かされながら、油麩丼700円を注文。
油麩丼は、植物油で揚げられた油麩が卵とじになっていました。肉や魚などの動物性たんぱく質が貴重だった時代、登米地方で代用品として考案された油麩丼は、油麩という名前ですが、油っぽい重さなどは感じず優しいお味でした。 -
大衆食堂 つか勇のほぼ正面に建っている高倉勝子美術館「桜小路」。
WEBチケットや共有割引チケットの対象施設です。
登米市出身の日本画家・高倉勝子氏の作品が展示されています。
美術館前には、大きな駐車場が設けられています。高倉勝子美術館「桜小路」 美術館・博物館
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高倉勝子美術館「桜小路」の通りを挟んだ向かいに建つ水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)にやってきました。
こちらもWEBチケットや共有割引チケットの対象施設です。水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎) 美術館・博物館
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登米県庁舎として建築を開始しましたが、建築途中に県の統廃合などもあり、明治5年に水沢県庁舎として落成しました。しかし県庁の一関移転に伴い、僅か3年で県庁としての役割を終え、旧登米高等尋常小学校(現教育資料館)が建てられた明治21年まで学校として利用されました。その後は、明治22年から昭和33年まで裁判所として使用され、民間の企業や老人センターを経て、現在は記念館となっています。
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裁判所として使用されていた時代の登記事務所。
家財も重厚で豪華な造りで赤絨毯が敷かれています。
知事室や役員会議室のような室内です。 -
かたや登記願人控所。
一段低くなっているだけでなく、簡素な板の間。
極寒の地で寒い時期など、風邪を凌げるだけましというような室内だったかもしれません。特権階級と庶民の格差が、壁一枚挟んで顕著に現わされています。 -
国内で唯一残されている「断獄廷」の遺構。
明治14年(1881)から同23年(1890)まで、刑事裁判を行うために設けられた治安裁判所の法廷は、断獄廷と呼ばれているそうですが、断獄廷として唯一現存している裁判所の遺構です。断獄廷としては、たったの1年しか使用されなかったんですね。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)の先には武家屋敷通りがあり、復元されてきれいに整備された白壁が続いています。
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無料休憩所となっている旧鈴木家住宅。
紀伊の国(和歌山県)の鈴木家から分かれた一族ということで、戦国時代に鉄砲集団を率いて傭兵のような活躍をしていた、雑賀孫市(鈴木重秀)とも遠縁かもしれないですね。 -
旧鈴木家住宅は、当時の武家屋敷を偲ぶために無料休憩所の「春蘭亭」として公開されています。
武家屋敷「春蘭亭」 名所・史跡
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春蘭亭のメニュー表なども掲示されていて、勝手にあがっていいものかよく分からず、誰かいないか庭の方に廻り込んでみましたが、誰も見かけることなく「春蘭亭」を後にしました。
部屋を見る限り、大きく改装などはせずに武家屋敷の雰囲気を十分に残している建物のようです。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)から、歩いて1分の登米懐古館に到着。
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正面の懐古館までは、すっきりとした開放感のある中庭が続きます。
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中庭には、復元された日本家屋が建っていて、懐古館オリジナルキャラクターの若桜が、記念撮影用に座っています。
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土間と一部屋だけの御隠居が暮らすような造りの邸宅ですが、武家屋敷をイメージした日本家屋なのかな。立ち位置がよく分からない家屋。
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旧登米町名誉町民の渡辺政人氏の寄贈によって寺池城址に建てられた登米懐古館が、令和元年に移転新築されたものです。建築家の隈研吾氏により設計されました。
WEBチケットや共有割引チケットの対象施設です。
点数は少ないですが、登米伊達家ゆかりの品々が展示されています。登米懐古館 美術館・博物館
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武家屋敷通りには、茅葺屋根の団子屋さんもあり、疲れた時には甘いもので一服することも出来ます。
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警察資料館(旧登米警察署)に向かい、武家屋敷群を歩いている最中、年季を感じ趣のある白壁と「歯科 江崎醫院」の看板を見かけました。
明治時代に建てられた日本住居と診療室となっていた洋館を併せ持つ歴史的建造物のようです。現在は医院としては使用されていないようですが、今でも住居として使用されているようで見学等は出来ません。 -
町屋ミュージアム「廻船問屋 菅勘資料館」。
門は閉まっており、基本的に週末しか開館していないようです。
見学したかったので残念。 -
町屋ミュージアム「廻船問屋 菅勘資料館」の主屋や文庫蔵、穀蔵などが、登録有形文化財とのことでこちらがその蔵ですね。
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城下町でよく見かける鉤型小路。
敵の侵入に備えて直線道路を避け、可能な限り入り組んだ造りにしています。
実家のある地域も屋敷町などは、このように狭くて突き当りの多い道路で構成されていました。 -
警察資料館(旧登米警察署)に到着。
明治・大正期の富裕層が建てた擬洋風建築邸宅のような建物ですが、明治22年(1889)に建てられ、昭和43年まで使用されていた警察署です。警察資料館(旧登米警察署) 美術館・博物館
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警察資料館(旧登米警察署)の斜め前には、鉄骨製の火の見櫓が建っています。
今まで木製の火の見櫓なども見かけてきましたが、過去一高い火の見櫓だと思います。 -
警察資料館(旧登米警察署)に入場すると、ホールに昭和時代のパトカーが展示されていました。西部警察とかに出てくるパトカーがこんな感じだったような。
昭和55~63年まで実際に使用されていたパトロールカーです。
パトカーの前にチケット売り場があります。
ここもWEBチケットや共有割引チケットの対象施設です。 -
パトカーの横には、白バイも展示されています。
まだ生まれる前ですが、三億円事件の回想シーンとかに出てくる白バイがこんな感じだったような。犯行に使われたバイクは、正規品ではないからちょっと違うかも。
田舎育ちなので昭和時代に白バイなんて、ほぼ見かけたことがありませんでした。 -
明治時代に警察官が、罪状と罰金を言い渡している浮世絵。
庶民はお白州に土下座して、読み上げられる判決を聞いていますが、遠山の金さんの時代の奉行所と服装が違うくらいで大差がないですね。江戸から明治に変わり、徐々に制度などが整備されている過程なので、まだ風習としては江戸時代のままだったということがよく伝わる絵画です。 -
資料館の各部屋には、当時使用されてた道具などが展示されています。
部屋はフローリングではなく、畳敷きです。 -
警察だけではなく、消防団の法被も展示されていました。
警察署前には、高い火の見櫓も設置されていましたね。 -
タイヤの空気入れのような形状の消火ポンプ。
手動で水を発射させることが出来、大正から昭和の初めにかけて、消化活動に利用されてきたものです。 -
資料館は中央に廊下が通っていて、両サイドに部屋が設けられています。
一部屋一部屋もあまり大きくありませんし、当時は何人くらい勤務していたんだろう。 -
資料館の一番奥には、復元された明治時代の留置場が設置されています。
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留置場には大きめの窓も設けられていますが、天上は高いのに暗くて閉塞感や圧迫感を感じる空間でした。隅には便所(穴が開いているだけで、下には甕が置かれたボットン式)がありますが、それ以外には何もありません。独房ではなく雑居房なので3畳一間ぐらいのイメージよりは、少し広めでした。
便所臭が漂う中で食事も摂ったので、臭い飯の語源になったそうです。
空気の入れ替えが少ない部屋で、これはほんときつかっただろうなと思います。 -
警察署として使用されていた79年間で47名の署長が使用した署長室。
平均2年も無いぐらいなのか。想像以上に交代が頻繁過ぎて、街に馴染む前に異動してしまっていたのかもしれませんね。 -
2階への階段。
警察官が、鋲が打たれた革靴を履いて昇り降りしていたため、階段がすり減っています。 -
2階には、歴代の警察官制服や警察資料が展示されています。
ホールの上部だけ2階があったようです。 -
警察官や白バイ人形と共に軍配を握った伊達政宗が腰を下ろしています。
政宗が采配を振るうと、白バイが走り出すんだろうか。 -
警察資料館(旧登米警察署)横には、北上川沿いに真っ直ぐに伸びる国道が通っています。国道沿いには、かつては商店であったであろう建物が並んでいました。店舗は閉めても住人が居住している可能性はありますが、パッと見た目は主なき建物のように思えます。古い街並みは好きですが、往時の賑わいがなくなり、人が居なくなった場所を見ると、日本が活力を失っていく様を実感し淋しさを感じます。
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警察資料館(旧登米警察署)裏に建っている玄昌石の館。
見学無料とあるので立ち寄ってみます。 -
玄昌石の採掘や製造に関する説明や資料が展示されています。
玄昌石とは初耳だったのですが、粘土質の地層が長い間堆積して粘板岩となったもので、建築資材として東京駅の屋根に使用されたり、硯などに加工される石のようです。 -
北上川を眺めてみようと土手に登ってみました。
少し強く感じるぐらいの風が吹いていましたが、季節や天気、風景も相まって、とにかく風が心地よい。毎日物凄いストレスの中生活しているわけではないのですが、何か解放された気分に浸りました。北上川 自然・景勝地
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気分よく、てくてくと土手の上を散歩。
北上川に架けられた登米大橋に近づいてきました。 -
橋は渡らず左折し、市街の方に戻ってきました。
途中、江戸時代創業の酒、味噌、醤油などを扱っているお店を見つけました。
バス停に近いので、時間があれば帰りに寄ってみようと思っていましたが、時間がなく立ち寄る機会はありませんでした。海老喜商店 グルメ・レストラン
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隣には、海老喜 蔵の資料館が併設されています。
近年、各地で酒蔵見学をしているので、今回はスルーします。 -
共有割引チケット対象施設の中では、唯一ポツンと離れた場所にある伝統芸能伝承館(森舞台)にやってきました。
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300年近くの歴史と伝統を誇る登米能を演じる舞台として、平成8年(1996)に建造されました。先ほど訪れた懐古館同様、建築家の隈研吾氏により、森と一体となった能舞台というテーマで設計された能舞台です。
伝統芸能伝承館(森舞台) 美術館・博物館
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能の鑑賞は、外の縁側からも出来ますし、畳敷きの室内からも出来るようになっています。ガラス窓も鑑賞の時には、開け放たれそうですね。
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能舞台の階下には、舞台や能に関する資料が展示されています。
説明文を読もうとしたところ、老眼の身には光の反射具合で字があまり良く見えずで断念。 -
色褪せていましたが、登米がNHKの朝ドラの舞台となった「おかえりモネ」の主人公清原果耶さんのポスターが貼られていました。観てないのでどのような物語かは、判っていませんが...
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