2026/07/05 - 2026/07/05
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三十八日目。今日はこの旅で初めて東海道だけを通りました。
午前10時45分、曇天の池鯉鮒宿を出発。宿場を出て池鯉鮒の松並木、来迎寺一里塚、尾崎一里塚、矢作一里塚を経て、出合乃像を見て矢作橋で矢作川を渡ると岡崎城下二十七曲りが始まります。
八丁蔵通りから松葉惣門を経て、板屋町角でいったん東海道を外れ、竹千代橋、神橋を渡って岡崎城に入城。復興された天守に上り、龍城神社を参拝。清海堀を横目に坂谷橋に向い、伊賀川の河原に下りて北上し、下肴町(しもさかなまち)角で東海道に合流。二か所ある材木町角、材木町口木戸前角、岡崎城対面所前角、籠田惣門角、岡崎康生郵便局前角、二か所ある西本陣前角を曲がって、備前屋さんでお土産にあわ雪と抹茶ういろうを購入。ここで雨がポツポツ降り始める。この後、二か所ある伝馬町角、若宮町角を経て冠木門に至ってようやく二十七曲りが終わります。
雨が本格的に降り始める中、旧道を進み、大平一里塚を経て、大平橋で乙川を渡り、国道1号線に合流し、藤川の松並木から再度旧道に入って、藤川一里塚を経て、藤川宿で給水し、濡れたシャツを着替え出発。本宿一里塚を経て本宿に到着。本日はここで止まることとする。本日の走行距離、六里二十六町也。
名鉄本宿駅で着替えた後、急行電車で豊橋まで行って、豊橋駅地下街の「立ち飲みナイス」さんでダイナマイトジョッキの生ビールと冷やしトマトをいただき三十八日目を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東海道 池鯉鮒宿
所々宿場町の面影を残す池鯉鮒宿。正面に「八百勘」の文字が見える古い建物の先もかつては宿場だったようですが、今は完全に住宅街になっています。池鯉鮒宿 名所・史跡
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馬市の碑
徳川の御代、毎年4月から5月初め頃まで開かれていたという池鯉鮒の馬市。13世紀には始まっていたのだそうで、歌川広重の「東海道五十三次之内池鯉鮒」でもこの馬市の様子が描かれています。実際の場所は松並木の手前だったようで、今も「引馬野」という地名が残っています。 -
東海道 池鯉鮒の松並木
中世東海道(鎌倉街道)が織田信長の時代に近世東海道に付け替えられた時に植えられたのが最初とされる松並木。昭和40年代にはその本数も3分の1まで減少したのだそうですが、地元の皆様のご努力により現在はすばらしい景観が維持されています。東海道松並木 名所・史跡
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東海道 来迎寺(らいこうじ)一里塚
両塚とも残っていますが、塚の松は最近植え替えられたもののようです。この塚は、徳川の御代から榎ではなく松が植えられていたのだそうです。来迎寺一里塚 名所・史跡
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東海道 尾崎一里塚
熊野神社の入口に一里塚があったようですが、現在は残っていません。ここは近世東海道と中世東海道(鎌倉街道)が交差していた地点であるとともに、第一岡崎海軍航空隊もあったのだそうで、予科練の碑が建っています。若くして戦地に赴き志半ばで亡くなった御霊に合掌。 -
東海道 矢作(やはぎ)一里塚
写真の勝連寺(しょうれんじ)の辺りにあったようですが、塚は残っていません。この勝連寺、徳川家ゆかりの寺院で、家康の息子で自刃した松平信康の遺品が保存されているのだそうです。勝蓮寺 寺・神社・教会
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矢作橋手前にある出合乃像
矢作橋は豊臣秀吉と蜂須賀小六が出会ったとされる場所であることから、この像が建造されたのだそうです。矢作川、徳川の御代から橋が架けられていたようで、歌川広重の「東海道五十三次之内岡崎」でも土橋の矢作橋が描かれています。矢作橋 駅
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八丁蔵通り
岡崎城から西へ八丁の距離にあった八丁村で造られていたことに由来する岡崎の名産として名高い八丁味噌。東海道は八丁村の外側を周回するように通りますが、八丁村には八丁味噌を造る蔵元が立ち並び、その間に八丁蔵通りが通っています。八丁蔵通り 名所・史跡
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岡崎城
徳川家康が生誕した岡崎城。徳川の御代には「神君出生の城」として神聖視され、石高は五万石と少なかったものの大名は城主になることを誇りにしていたのだそうです。
明治に入ると城は取り壊されてしまいますが、昭和34年(1959年)にほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元されています。岡崎城 名所・史跡
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龍城(たつき)神社
家康生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残る岡崎城の隣に鎮座する龍城神社。御祭神として家康公と本多忠勝公が祀られています。龍城神社 寺・神社・教会
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東海道伝馬歴史プロムナードにある一里塚の石碑
中世東海道は乙川の南側を通っていましたが、家康公の江戸入りの後に岡崎城城主となった田中吉政が、東海道を城下町に引き入れるために「二十七曲り」を造り、城下防衛とともに、街道筋に店舗を並べて旅人たちをとどまらせる経済効果を狙ったのだそうです。石碑はその宿場町の中心部、伝馬通に設置されています。
江戸から81里目の一里塚は距離計算上は岡崎宿内ということになりますが、場所も実際にあったかどうかも分からないようです。 -
東海道 岡崎宿
東海道で三番目の規模を誇ったという岡崎宿。写真の伝馬町は宿場の中心部でしたが、戦災の影響で古い建物は残っておらず、戦後、道路が拡張された影響でその面影を感じることが難しくなっています。 -
東海道岡崎宿備前屋
東海道岡崎宿の中心部で天明2年(1782年)に創業し250年以上の歴史を持つ備前屋。建物はビルとなりすっかり近代化していますが、れっきとした老舗です。備前屋 専門店
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備前屋の銘菓「あわ雪」
「あわ雪豆腐」を供することで有名だった「あわ雪茶屋」が明治に入り閉店となったことを惜しみ、当時の店主が創生した「あわ雪」。
寒天液を卵白の中に入れながら泡立たものを型に入れて固めて作るのだそうです。味は羊羹とマシュマロのあいの子といった感じでしょうか。 -
岡崎城下二十七曲り「冠木門」
岡崎宿の東口に設けられた冠木門。明治に入り岡崎城が取り壊された時期に廃止されたものと推測されますが、平成に入り写真の冠木門が再現され石碑とともに設置されています。岡崎宿 名所・史跡
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東海道 大平一里塚
左塚だけが残っています。右塚も昭和3年(1928年)まで残っていたのだそうです。左塚の榎は昭和の時代まで残っていたのだそうですが、昭和20年(1945年)の台風で倒木して今は塚しか残っていません。大平一里塚 名所・史跡
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東海道 藤川松並木
約1㎞に渡り続く松並木。並木内の松が病気や災害が原因で枯れてしまった際は、地元住民が中心となって補植作業が実施されており、この補植活動は藤川小学校の卒業記念行事の一つに位置付けられているのだそうです。池鯉鮒の松並木もそうですが、地元の皆さんの熱心な活動があってはじめてこのような美しい景観が保てるのでしょうね。藤川の松並木 自然・景勝地
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東海道 藤川一里塚
塚は残っていませんが民家の手前に建っている駒札がここに一里塚があったことを案内してくれています。京側から見て、松並木が終わった藤川の宿場町の入口にあります。 -
東海道 藤川宿
古い建物も残り、二車線化されていない道筋には宿場町の面影が残ります。
本陣の跡地には広場があり、高札場も復活され宿場町らしい雰囲気を醸し出していますが、雨が降っていたからでしょうか、観光客はゼロでした。藤川宿 名所・史跡
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東海道 本宿(もとじゅく)
近世東海道では間の宿(あいのしゅく)だった本宿。中世東海道の時代には、法蔵寺の門前町が形成され、集落付近に宿駅が置かれていたことから、宿場があった町として「本宿」と呼ばれ、それが地名になったのだそうです。「もと」の字は「元」ではなく敢えて「本」を充てているのかもしれません。
本宿の手前には徳川の御代は松並木があり、写真の松はその松並木の残った一本のようです。 -
東海道 本宿一里塚
石碑以外何の痕跡もありませんが、この辺りは松並木だったようなので、その中にあったのかもしれません。 -
名古屋鉄道名古屋本線本宿駅
今年開業100年となる本宿駅。藤川や赤坂、御油といった宿場町には止まらない急行が止まります。平成に入るまでは独特のデザインを持った駅舎でした。本宿駅 駅
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豊橋駅地下街にある「ナイス」
立ち飲み屋の「ナイス」さん。日曜日の午後3時15分頃に来店しましたが、カウンターはほぼいっぱいでようやく一人だけ入れました。ダイナマイトジョッキと称する中ジョッキの3倍ほどの大きさの生ビールがありましたので注文し、冷やしトマトをつまみに一気に飲み干しました。
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