2026/04/29 - 2026/05/07
112位(同エリア113件中)
なかさん
「チュニジア周遊」のツアーに参加。6日目の5月4日。
4月29日(水)空路で、成田からアラブ首長国連邦のドバイへ。
4月30日(木)ドバイ到着後、乗り換えて、チュニジアの首都チュニスへ。着後、カイラワーンへ。途中、バルドー美術館を見学。
5月1日(金)カイラワーン観光。その後、スフェチュラ遺跡を見学後、トズールへ。
5月2日(土)オング・エル・ジュメルへ。その後、トズール旧市街の散策。ジェリド湖に寄った後、クサール・ギレンでサハラ砂漠の見学。
5月3日(日)マトマタで洞穴住居の見学。その後、エル・ジェムの円形闘技場、エル・ジェム博物館を見学後、スースへ。
5月4日(月)スース旧市街を観光後、チュニスへ。途中、カルタゴのローマ遺跡を見学。チュニス着後、旧市街を訪問。
5月5日(火)チュニス郊外のドゥッガ遺跡、ブッラ・レージア遺跡の観光。
5月6日(水)シディ・ブ・サイドを観光後、空港へ。空路にてドバイへ。
5月7日(木)ドバイ着後、乗り換えて帰国の途に。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
5月4日。
スースの5つ星ホテル「スース・パラス・ホテル&スパ」の室内から地中海の景色。 -
中庭を通って外に出ると、地中海。
スースは、チュニジア第三の都市。「サヘル地方の真珠」と呼ばれるビーチリゾート。サヘルとはアラビア語で「沿岸地方」。 -
ホテルの玄関。8時、出発。
-
スース旧市街。西のガルビ門。
スースの歴史は、紀元前9世紀頃、カルタゴ同様にフェニキア人により建設。ポエニ戦争でローマに侵略されるが自由都市として繁栄。5世紀ヴァンダル人、6世紀半ばにはビザンチンの支配下。7世紀にアラブ軍の攻撃で破壊。
1988年、メディナ(旧市街)が世界遺産に登録。スース旧市街 旧市街・古い町並み
-
スポーツカフェ。左の赤いマークは、スースを本拠地とするスポーツクラブの公式ロゴ。
チュニジアで最も人気のあるスポーツはサッカー。 -
地中海が望める街並み。
-
壁に描かれているのは、「ハムサ(ファティマの手)」という魔よけ。
-
小さいモスク。
-
-
カフェ・アラジンの入口。
伝統的な木製の扉と黒い鋲の模様。 -
吊るされているのは、コーヒーポット。
-
天井には明かり取り。
-
-
どこの国も、カフェでのんびりしてるのは年配の男性。
-
-
-
リバト(要塞)。
スース旧市街で最も古いイスラム建築物。 -
リバトの平面図と歴史的解説。
リバトという語は、アラビア語の「駐在する、守る」が由来。西暦821年、アグラブ朝により建設。
2階建てで、中央の中庭を囲むように小さな部屋があり、1階は倉庫や馬小屋。2階は居住や祈りの場。 -
中庭と回廊。
-
高さ38mの見張り台から。左は地中海。
-
見張り台から中庭。
ビザンチン帝国などキリスト教勢力から防衛する軍事要塞と、修行を行う礼拝所を兼ねている。 -
自由時間に「スーラ・ショッピングセンター」へ。
-
ビンや缶詰のハリッサと香辛料のセット。
-
ハビブ・ブルギバ初代大統領の像。
1957年にフランスから独立した時の建国の父。ちなみに、1881~1956年はフランスの保護領。現在の公用語はアラビア語だが、フランス語もかなり通じる。 -
その後、カルタゴへ移動。
途中、ラデス・ラグレット橋とチュニス湖。日本のODA(大成建設他)により建設。50TD紙幣の絵柄にも採用されている。 -
船体側面の「DFDS」はヨーロッパの貨物船だそう。
-
12時にレストランのヴィクトワールに到着。昼食。
-
野菜の「タジン」。チュニジア版キッシュ。
-
「オンムック・ホーリーヤ」。にんじんサラダ。
-
メインは、シーフードの「マルミット」。イカ、エビ、ムール貝、魚のトマトスープ煮。
-
食後に出発。
-
13時過ぎにカルタゴ遺跡に到着。1979年に世界遺産登録。
まずは、トフェ(タニト神の聖域)。
カルタゴの起源は推定、紀元前9世紀末。フェニキアの王女により紀元前814年に建設。ローマとの三度にわたるポエニ戦争(紀元前264年~紀元前146年)に敗れて滅亡したフェニキア人の都市国家。
フェニキア人とは、現在のレバノンなど地中海東岸に都市国家を築き、海上交易で知られる海洋民族。レバノン杉の造船の技術に優れ、文字はアルファベットの起源。トフェ 史跡・遺跡
-
トフェは、フェニキア時代の遺跡で、子どもを祈願のため生贄として奉げた墓地と、バアル・ハモン(火の神)やタニト(天と豊饒の女神)が祀られている聖域。一部の専門家からは異論もあり不明な点も多いよう。
左前の石にはタニト印。 -
中央は、月とタニト印が残る石。
タニト印の形は、後にギリシャ・ローマに伝わり、金星(ビーナス)を表すマークから女性を示すロゴになった。 -
地下の墓の発掘作業。当時は屋根もあった。
-
-
その後、古代カルタゴの軍港跡に到着。
直径300mの丸型で220隻の船が停泊できた。古代カルタゴ軍港と商業港 史跡・遺跡
-
カルタゴ遺跡周辺の地図。
⑥は、先ほど行った「トフェ」。⑦は、今いる「軍港、商業港」。この後で行く、①「アントニウスの共同浴場」。④「ピュルサの丘」。 -
紀元前2世紀に造られた円形の軍港。中心に司令官の建物。
-
復元模型。
-
商業港。軍港と繋がっている。
-
ピュルサの丘。
カルタゴの中心として栄え、要塞が築かれていた丘。ポエニ戦争により破壊された際、最後の防衛線が繰り広げられた場所。カルタゴ遺跡 史跡・遺跡
-
ピュルサの丘の地図と解説。
1.公立図書館。2.前柱式神殿。3.大神殿(アスクレピオス神殿)。
4.ポエニ人の居住地。7.サン・ルイ教会の跡地。8.博物館。10.大聖堂。 -
市街地と地中海。
丘からラグレット方面。 -
ローマ時代の図面。
ポエニ戦争での破壊後、都市計画に沿って植民市として復興。その時代の配置。
手前が、大聖堂。右側手前が、丘の東を通る南北の大通り。その上が、図書館。その右が神殿。
右の中央は、貯水池。 -
左奥は、サン・ルイ大聖堂。中央は、公共建築物の土台があった場所。
-
石畳の地図。
下(南側)のザグーアン山を水源として、カルタゴへ130㎞に渡って大量の水が供給されていた。 -
大理石の石柱の土台。
-
破壊される前のフェニキア時代の住居跡。
右の支柱は、破壊後に丘を平らに広げて広場を建設するために築いた土台。
埋め立てて建設したので、皮肉にも、埋もれていたフェニキア時代の遺跡が残った。 -
カルタゴ国立博物館の復元図。
破壊後に整地し、再建した際の様子の想像図。周囲のアーチ状の壁と、その内側をクレーン等で構築している建築現場。 -
左の石柱や地面の円形の跡は、再建されたローマ時代の住宅地。
-
床は、ローマ時代の建築物の跡。
-
サン・ルイ大聖堂。
フランス保護領時代の1890年、フランスにより建設。現在はコンサートやイベントで使用。 -
少し移動して、アントニウスの共同浴場。
2世紀に五賢帝の一人、アントニウス・ピウスにより建設。ローマ帝国外では最大級の浴場。古代ローマの浴場 (アントニヌス) 史跡・遺跡
-
カルタゴの復元地図。
紅い印が現在地。下の円形と長方形は、軍港、商業港跡。 -
共同浴場の案内地図。
地上2階、地下1階建て。ディオニュソスの家、ポエニ時代の墓地、アステリウスの礼拝堂、ビザンツ時代のバジリカ聖堂。カルド(南北の幹線道路)、デクマヌス(東西の幹線道路)。 -
-
ポエニ時代の共同墓地跡。
-
浴場の地下。作業用スペース。2世紀。
-
今残るのは、ほとんど奴隷(戦争捕虜等)がいた基礎部分。巨大な柱は、かっての冷浴室の天井を支えていた柱を当時の15mの高さで1本だけ復元したもの。
水は、ピュルサの丘と同じく、ザグーアン山から水道橋や水路によって運ばれた。 -
浴場の断面図。
-
上層階の平面図。
中央の広大な「冷浴室」。上(つまり地下)が「屋外プール」、下(2階)が「高温浴室」。それらを挟んで、左右(南北)がジムのある中庭。対象に配置。 -
海までの下水道。
-
花崗岩。たぶんイタリアからとか。
-
左の石には花のデザイン。右は、ラテン語の碑文。ANTONINの文字。
-
中央は、崩落した石積みの壁の残骸。
-
-
地下は、浴場の床下暖房やボイラー室、地下通路。
この後、北上して首都のチュニスへ移動。 -
バスを降りて、徒歩でチュニスの旧市街を散策。
旧市街は、南北1.5㎞、東西0.7㎞のほぼ楕円形。周囲を高さ6~7mの城壁に囲まれている。1979年、ユネスコの世界遺産登録。 -
チュニスの原型は、カルタゴ近郊の町。紀元前146年の第三次ポエニ戦争でカルタゴは完全に破壊。その後、376年、東ローマ帝国の属州。7世紀にはウマイヤ朝(イスラム帝国)により占領。13世紀のハフス朝時代にモスクや学校が建設され、首都に定められる。
-
伝統的な帽子、シェシヤ。中東や北アフリカ諸国への主要輸出品。
-
サッカー観戦で画面にくぎ付け。ほとんど男性。
-
-
-
-
高いビルは、今晩泊るホテル「アフリカ」。
-
-
-
グランド・モスク(ジャマー・ジトゥーナ)。
ケロアンのグランド・モスクに次いで国内では二番目に古い。 -
グランド・モスクの看板。
732年に設立。9世紀に再建。 -
旧市街のメイン通り、ジャマー・ジトゥーナ通り。
この後、自由時間。通りを東へ。 -
-
突き当りにある、フランス門(バーブ・ブハル)。
元々、8世紀に造られたが何度か改築され、現在のものは1848年。旧市街と新市街を繋ぐ位置。パトカーの常駐が気になる。フランス門 (バブ バハル) 建造物
-
フランス門の横は、ビクトール広場。
-
聖ヴァンサン・ド・ポール大聖堂。
-
ハビブ・ブルギバ通り。
新市街を東西に走るメイン通り。フランス時代に一帯を埋め立てて造整備された遊歩道。 -
その後、旧市街にある「セントレ・エッサラヤ」で夕食。
-
店内。
オスマン帝国時代の高級邸宅を改装したチュニジア料理レストラン。 -
店内では、楽器ウードでのマールーフ演奏。
-
前菜。
-
メインは白身魚。
-
デザートの「ムハッラビーヤ」とミントティー。
-
食後に店内の2階から撮影。
-
帰りにブラブラ。
-
夜の様子を見たくて再訪。フランス門。
21時頃の旧市街は人はまばら。警察は夜も常駐。フランス門 (バブ バハル) 建造物
-
ハビブ・ブルギバ通り。
新市街は人通りが多い。 -
ホテル「アフリカ」に帰って就寝。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
なかさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
カルタゴ(チュニジア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
カルタゴ(チュニジア) の人気ホテル
チュニジアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
チュニジア最安
709円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
97